第39話 美菜について(2008年9月)

変な夢をみた。
ちょっと太っている年頃の女性が、
「私は愛されてなかったから…」
そう言って泣くところから始まった。
年頃の女性は私の嫁に何か相談しているらしい。嫁も女性も喪服を着ている。
「そんな事はないよ。お父さんは美菜ちゃんも好きだったよ」
嫁は年頃の女性、その涙を拭きながら自らも泣き、続いて女性を抱きしめた。
私はそれを上から眺めている。つまり死人であって、場は私の葬式である。
「美菜が嫌いなわけにゃーどが! 春も八恵も美菜も、みんな好きた!」
叫んでいるが、その声は娘たちに届かない。
夢はその後、私の死後数日だけ落ち込んだ嫁を映し、続いて海外旅行へ行きまくる女四人を映し、再婚する嫁を映し、娘とバージンロードを歩く知らない男を映し、忘れ去られる私の墓を映して朝になった。
何ともリアルで不吉な夢であった。
私は夢想家である。そのため、こういう映像を何度も描いた事があるが、唯一違っていた点は三女の美菜が「愛されていない」と語った点にあった。私の夢は常にリアルであるため、その理由も美菜は語っていた。一つ目に幼少期の書き物が美菜だけないという事、二つ目に美菜だけ三歳七ヶ月の二人旅に出てないという事、三つ目に美菜だけ太っているという事を挙げていた。夢の中に出てきた嫁は「太っているから愛されてない」という美菜の論に対し、「愛されているから多くの食べ物が与えられた」と反論していたが、美菜は納得しない。するわけもない。
「違う! 愛してるなら娘の将来を考えて食事を選ぶはずよ! 私だけ違う! 構うのが面倒臭いから添加物たっぷりのお菓子を、それも際限なく与えられたんだわ! だから見てよ、この体形! 姉ちゃんたちとぜんぜん違うじゃない!」
嫁も後退りしたが、空から見つめる父親(死人)も、
「む! うまい事を言う!」
娘の言に感心している。
今現在、二歳の美菜はとにかく食う。朝飯をたっぷり食べ、二人の姉が小学校、保育園に行くと冷蔵庫の前で「なんか頂戴」と騒ぎ出す。時刻は決まって午前9時である。この時間に嫁と美菜のバトルが始まる。
「まだ食うって言うか!」
「ちょうだいよー!」
「あー、うるさーい!」
「ちょうだい、ちょうだい、ちょうだいよー!」
「10時になったらあげるから黙れー!」
「やだー、いまがいいー、あいすー、ちょこー、おかしー!」
私は隣のプレハブ事務所で仕事をしている。音の出る仕事をしてても、このやり取りだけはバッチリ聞こえてくる。それだけ凄い声量でやり合っており、毎日繰り広げられるため、何となく9時という時の訪れをこの騒ぎによって感じている。結局、嫁が根負けし、毎朝10時前に何かを与える運びとなるのだが、朝と昼に間食し、三食もバッチリガッツリ食べ、昼寝もやり、奥様会がある時は机にあるもの全てを平らげるまで友達と遊ばない、そんな美菜の体形は当たり前だがそういう体形になってるわけで、成人した美菜の嘆きは夢であっても切実であった。
食に関しては全てを嫁に任せている。私がどうこう言っても始まらないので、「そういう夢を見た」とのみ嫁に伝え、対策を待ちたい。が、前二件は私の責任であり、これからの取組でもある。夢ではあるが反省すべき点も多い。
三歳七ヶ月の旅行は行けばいい。美菜はまだ二歳四ヶ月であるため一年以上も時間がある。生きる醍醐味22話・23話で書いた次女との旅行の後、その疲労感から、
「三女との旅はやめよう」
そう言った事もあるが、今は疲労の記憶が薄れ行く気でいる。たぶん行くだろう。
問題は幼少期の書き物が美菜だけないという点である。長女・春に関しては出産前後からその後に至るまで多くの書き物を残している。これは初めての子供だからしょうがない。次女・八恵に関しても長編の紀行文と共に出産前後を書き残している。これも色んな事が重なったからしょうがない。
娘たちは成人する過程で自分の事が書かれた文章を読もうとするであろう。私が死ねばその文章をもって父親の愛情を確認しようとするだろう。その事を思えば三女・美菜だけ書いてないというのは確かに申し訳なく思え、夢の文句は確かに夢だけれども胸に痛い。が、リアルタイムに書くという作業は既に手遅れである。よって後手にはなるが、こうして回想による執筆をやろうとしている。
が…。
美菜の出産前後を回想するに姉二人とは明らかに違う。決定的なのは出産に関し嫁が堂に入っていて、特別なイベントという雰囲気が薄い。
美菜の出産は前二人と産院も違う。二人は里帰り出産で、埼玉県春日部市の産院で産んだが美菜は福岡県柳川市で産まれている。三人に共通している事は超安産という事で、その点、全ての病院が「今までにない安産」と言ってくれたが、三人目は安産な上に体力の消費すらなかったのではないか。分娩室に入り、ものの数分で産まれるのはいつもの事であるが、前二人を産んだ時は一応グッタリしていた。が、美菜の時は産んだ直後からいつもの嫁に戻っていた。
「喉渇いた」
何事もなかったように汗を拭い、差し出されたオレンジジュースをチューチュー飲みながら、
「あー、疲れた! ところで今日はこれからどうすんの?」
50メートル走を走った程度の息切れで普通に話しかけてきた。恐るべき嫁であった。
産まれたての美菜は本当に可愛かった。可愛かったが、前二人と比べてどうだという事はなく、同じように可愛かった。そのため、特に文章を起こす必要性を感じなかった。後にこれを読む三女のために重ねて言っておくが、美菜は春と八恵と同じように可愛かった。文章を書く書かないというのは新鮮さに拠るところが多く、その点、三人目は新鮮さに欠け、文章こそ残らなかったが愛情は変わらないという点、くどいようだが触れておく。
美菜という名は長女の春が決めた。長女と次女の名付けは私が膨大な案を出し、それから道子が選ぶという流れで決めた。今回もその流れを踏んでいる。ただ、出した案の数が減っている事は否めない。長女の時は数百案、次女の時は数十案、三女のときは数案。減りっぷりは露骨だが、愛情や熱意が減ってるわけではない。名付けに関しても慣れや習熟というものがあり、時間をかけて大量の案を出さずとも良いものがスッと出せるようになるのである。
美菜の案は3分で出した。柳川のアパート、その前に黄色い菜の花が咲いており、「菜」を入れた案を幾つか出したように記憶している。
日本という国の最も愛すべきところは季節感であろう。日本人は古くから季節の移ろいを愛し、それを捉え、人間に煉り込む事で心というものを育ててきた。最近は季節感が薄くなりつつあるが、それから離れて人の心は生きてゆけない。日本人であれば尚更である。
娘には季節感のある名を付けたかった。出した案は字画などは全く見ず、ただ単純に季節の色を織り込んだものだったが、その中で嫁は迷い、ついには決める事を嫌がり長女へ投げた。長女は迷う事なく「美菜」を指し、嫁の同意を得て決定した。名付けにかかった時間は案出しから決定まで凡そ30分である。時間は短いが、その思いは二人の姉と同様に深い。美菜は胸を張ってその名を名乗ってもらいたい。柳川の田園に咲く鮮やかな黄色と甘い香り、そして春の息吹がその先にある。
美菜の成長は極めて順調である。柳川の時に幾度か風邪をひいたぐらいで、他には病気らしい病気をした事がなく、阿蘇に移ってからはその食欲も手伝って発熱すらない。
物覚えも姉二人に比べて早い。歩いたのも姉二人より三ヶ月ほど早かったし喋るのも早かった。ただトイレと乳離れは遅いらしい。トイレと乳離れは親の根気が求められるそうだが、その点、嫁が適当になりつつある。
「どうにかなるよ」
この口癖は前二人の時と明らかに違う。子育てというものに対し余裕というか貫禄というか、そういうものが育っている感じがし、我嫁ながら心強く思う。
ちなみに美菜は一歳から阿蘇で暮らしている。阿蘇の厳しい冬を乗り越え、煌びやかな春を迎えるとノーパンで暮らす喜びを覚えた。朝起きるとオムツを脱ぎ捨て、日中は下半身スッポンポンで過ごす。スッポンポンで庭に出て、スッポンポンで客を迎え、スッポンポンで虫と戯れ、スッポンポンで飯を食っている。運送屋のオヤジなどはいつも半裸で元気な子を愛してくれ、
「よかねぇ、やっぱ子供はこうでなきゃ、昔を思い出す」
そう言ってくれている。
自由気ままな美菜は今日も庭で転がるように遊んでいる。手足は蚊に刺されまくっており、その肌は緩衝材(プチプチ)みたいになっている。食は凄い。嫁に怒鳴られ倉庫に入れられても食い続ける。生傷もたえない。姉二人には蹴飛ばされ、砂利で転び、いつもどこかケガしている。最近はアンパンマンと崖の上のポニョがブームらしく、自らの名を「ポニョ・アンパンマン」と言っている。
夢に出てきた成人の美菜よ…、「愛されてない」とか言ってくれるな。
娘はどれも我娘、上もなければ下もない。ただ、数を重ねる毎に新鮮味が減り、書く事がなくなっていくだけである。その代わり姉たちより人の手が入ってないぶんナチュラルに育っているではないか。父親として、一人の観察好きの男として、好きな阿蘇が育もうとしている「スッポンポンの自然児」がどういう風に育つのか、非常に興味がある。
「おっとー、イノシシとってきたどー!」
個人的にはモノノケ姫になっても良いと思っているが、嫁や親族は反対するだろう。
子は元気が一番、多くを望むは親の罪と言い聞かせ、父親は子育てと仕事、そして趣味に励む。
朝晩冷えてきた。そろそろ美菜にパンツをはく喜びを教えてあげたい。
今日も美菜は勝手気ままに地球と遊んでいる。むろん半裸で。
生きる醍醐味(一覧)に戻る