第41話 アレルギー検査(2008年11月)

秋に入り鼻が詰まるようになった。症状から見るに風邪ではない。何かアレルギーであろうと想像したが、特に調べようとは思わなかった。経験上、三日もすれば消えゆく事が分かっていたからだ。
世の中には「ブタクサ」という雑草があるらしい。夏の終わりから秋にかけ強烈な花粉を飛ばすそうだが、名前の雰囲気から察するに身近な雑草のように思える。
「そやつの仕業だろう」
嫁共々そういう風に納得したが、どうも昨年のそれとは感じが違う。今回のそれはどうもしつこい。長い期間、鼻詰まりと鼻水が続き、その結果、喉と頭が痛くなった。
一週間が過ぎた。
私は稀に見る病院嫌いであるため、この程度ではプロの手を借りない。まずはネットで情報を集めた。秋の花粉、その一覧をぼんやり眺めた。秋にはブタクサだけではなく、ススキの花粉もあるという。ススキはまずい。阿蘇の広大な山野はススキで覆われている。こやつの花粉がまずいとなれば阿蘇に逃げ場はない。
「まずい! まずいですぞ!」
さすがに病院へ行こうと思ったが、まずは人に頼らず自衛するのが男の道であろう。鼻炎スプレーを右手に、左手には目薬を持ち、後は気合で乗り切る方法を選んだ。
更に三日が経った。これにて十日ほど鼻呼吸と離れた事になる。鼻の下は赤くなって荒れており、遠目に見ると変なチョビ髭を生やしたオッサンのようである。目は赤い。普通に話しているのに血走っているように見え、婦女子が距離を置きたくなる雰囲気がある。声は可愛い。すぐに裏返り、欽ちゃんファミリーになった気分である。
その、不調十日目…。
私は設計をしていた。パソコンと向かい合い、図面と格闘していたが、どうも気分が乗らない。カタログを取ろうと本棚に手を伸ばしたが力が入らない。カタログを掴み損なった。重いカタログ(3000ページ)が落ちた。落ちた先は我が身のつま先である。
悶絶した。昼下がり、孤独な事務所で七転八倒し、もがき苦しんだ。
「うー、あー、うー!」
唸り唸った末、ついに負けを認めた。病院へ行く事を決意せねばならなかった。
南郷谷に耳鼻科はない。眼科もない。山を下って違う郡部の大津町へ行かねばならなかった。
痛い足を引きずり、ゆっくり車に乗り込んでると、目の前にサツマイモ収穫中の嫁がいた。
「どこ行くの?」
「耳鼻科に行ってくる、もう我慢ならん」
「早く行けば良かったのにー、笑えるー、それぜったい花粉症だよー」
嫁の言は屈辱的であった。田舎人(いなかびと)としてのプライドがズタズタにされた。現代病や文明病の代表格である「花粉症」にだけはなりたくなかった。それを寄せ付けぬのは田舎人の強みであり、田舎人たる生命線なのだ。花粉症になるくらいならインキンタムシやミズムシの方がまだカッコいい。悔しかった。田舎の成分が涙となって溢れ出た。
南郷谷を出るところに北向山という原始林がある。人工的に赤く染まっている山と違い、様々な木がバランスよく勢力争いを続けている。当然、秋の北向山はまだらに染まる。その具合が何とも言えず美しい。花粉症というものは人間が何かのバランスを崩した末の産物であろう。原始林が見せる天然の妙は今の私の心に痛い。
車中の私は「ススキによるアレルギー」という事で、半ば自らの事を決め付けていた。例年のブタクサにはない圧倒的持続力と破壊力。そしてススキに囲まれた絶妙な住環境。ススキが吐き出した花粉は車が吐き出した窒素化合物と合体し、私の鼻に届けられる。私のデリケートな鼻はいちいち過敏に反応し、それらを洗い流そうすとる。
「単純な事だ。因果応報、世の常です」
文明機器のお世話になってるだけに、気は重くなるばかりであった。
さて…。
昼下がりを過ぎた時刻という事もあり、病院は空いていた。受付と検温を済ませると即刻診察室へ通され、鼻の穴を広げられた。
「アレルギー性鼻炎ですな」
診断は三秒で終わった。が、それからちょっと長かった。
「おたく、アレルギー検査、やった事ある?」
「ないっす」
「じゃ、今やろう、ちょっと金んかかるばってんよか?」
「金んかかるのはよかですけど、痛いのは止めて下さい、注射とか」
「きょうび幼稚園でもやっとるけん大丈夫、ちょっと腕に傷ば付けて、薬ば塗るだけたい」
そういう流れで検査室へ移った。しばし待たされた後、針と薬剤を抱えた看護婦が現れた。見た目、四十くらいであろうか、気の強い感じが窺えた。
「さ、やりますよ」
看護婦は私の左手にアルコールを塗布した後、注射器の針で5mmほどの傷を付け始めた。意外に痛くなかったが、作業は延々続いた。
「すんません、僕の綺麗な肌に何箇所キズを付けるんでしょうか?」
「11箇所です、それにしてもお兄さんの腕は白くて大根みたいね」
褒められたのか馬鹿にされたのか、よく分からぬが、黙って傷だらけになるのを待った。続いて水飴みたいな薬剤がチョットずつ傷口に落とされた。11種類の薬剤を落とすわけだが、どれも色が違う。落とし終わった後、タイマーが置かれた。
「そのまま待って下さい、15分です」
鼻歌を歌って待つにも15分という時間は長い。退屈との闘いだろうと思ったがそうではなかった。痒みとの闘いであった。数十秒後から痒みが現れ、1分もすると体全体を揺すりたくなる猛烈な痒みが襲ってきた。
「痒いでしょ」
「痒いっす。たまらないっす。どうにかして下さい」
「我慢よ、かいちゃ駄目よ、我慢よ」
マゾであれば至福の瞬間であろうが、あいにく私はドノーマルである。ウネウネしながら5分程度を過ごした。
「うう、痒い! 15分もたないっすよ、女王様ぁ!」
哀願している時、先生が現れた。先生は私の腕を覗き込むと、
「こりゃ15分やる必要なかばい。拭いてやって」
看護婦に指示した。
薬剤を拭き取った後、私の腕には幾つもの隆起物が出現していた。つまり、この隆起物が出ていれば「反応アリ」という事になる。
先生は私の腕を覗き込み、隆起物を手元の資料と照らし合わせた。そして小さな紙に「アレルゲンテスト」と書かれた印鑑を押すと、診断結果を記し始めた。Vは「超過剰反応」、Uは「過剰反応」、Tは「反応」らしい。11検査中、9つの検査に反応した。つまり、ほとんど反応した事になるが、Tに関してはそう気にする事はないらしく、すぐに手を打つ必要はないらしい。
Tと診断されたのは、アスペルギルス、カンジク、これはカビらしい。他にスギ、カモガヤ、カナムゲラ、クロマツ、ブタクサ、これら花粉、全てTであった。
「僕の花粉症は気にする必要がないという事ですね?」
前傾姿勢で聞いたところ、花粉の種類は山のようにあり、断言する事はできないらしい。が、私の体の傾向として、花粉よりも別のアレルギーが強いという事であった。
「私をこうも苦しめるのは何ですか? 教えて下さい、先生!」
先生は私の腕の最も腫れた部分二箇所を指すと、
「こちらはハウスダスト、こっちはダニです」
そう言って間を置き、Vと書いた。
「つまり、あなたは汚れた環境に極めて弱い」
「な! なんですとぉー!」
確かに過去を振り返ると埃っぽい環境で鼻水が止まらなかった事はある。が、それは青春時代からあった事で、今に始まったわけではない。
「十日前から急に鼻水が止まらなくなったのはなぜでしょう?」
「そりゃ分からんけど、最近おたくの部屋が汚いんじゃない」
看護婦が先生の口を制した。
「この方は既婚者ですよっ!」
なぜか分からぬが、看護婦は私の家庭に害が及ぶ事を阻止しようとしている。が、男二人には原因が分かりつつある。看護婦と男二人、低レベルな口論が始まった。
「そうか、そういう事か、嫁の掃除が原因ですか」
「いや、原因はあなたの体質にあるんですよ」
「そうは言いましても、部屋の汚れに強く反応するわけでしょ、汚れを取り除かない事にはこの鼻水は治まらないわけでしょ、ましてや十日前、急に発症するという事は何かがあったという事ですね」
「でも、ダニとかは時期的なものがあるし、そういうのに反応した可能性も…」
「ダニは夏だよ」(先生)
「えっ」
看護婦はどうしても掃除の手抜きや家の汚れをアレルギーと結び付けたくないらしい。見た事もない私の嫁を必死になって擁護し続けた。先生と同僚はその雰囲気を大いに楽しんでいる。
「子供さんが三人もいらっしゃるんでしょ。奥さんも大変なんですよ。それにハウスダストやダニに弱い体だったら、掃除しても反応が出ますよ、そういうもんですよ、ねっ、ねっ」
必死で語る看護婦であったが、同僚の一言で沈黙した。
「さすがゴミ屋敷の住人、必死だね」
看護婦の事は何も知らぬ。何も知らぬが、同僚の一言で彼女の暮らしぶりが分かってしまった。
さて…、我が嫁である。
(晩飯の時に問い詰めてやろう!)
ニヤニヤしながら山へ戻った私であるが、嫁も私を待ち構えていた。夕方、保育園バスの送り迎え場所で長女の友達(小学校一年生)が車にひかれたらしい。幸い大事には至らず、骨折程度で済んだらしいが、その瞬間をモロに見てしまったらしく、
「心臓のドキドキが止まらないんだよー!」
そう繰り返した。私が話したいそれも嫁のドキドキが止まらない話であり、一刻も早く投げつけてやりたいが、どうも今は受け手が興奮状態にある。ひとしきり嫁の話を聞いた後、タイミングを見て投げてみた。
嫁は一瞬だけ動きを止めた。目が泳いだ。続いて、
「知らないよ、単に福ちゃんの体が弱いだけじゃーん」
爽やかにそう言った後、ちょっと強引ではあるが、
「そうそう、事故の話だけどね」
埃を掃うが如く話題を戻した。
その後、冷静さを取り戻した嫁が言うに、「掃除はいつも通り念入りにやっていた」「布団もたまに干していた」らしい。が、何か思い当たる節はあるらしく、弁解の中、
「あ!」
そう言った。その「あ!」が何なのか、私には全く分からなかった。分からなかったが飲み薬を数日服用し、嫁が何かをやっただけで鼻詰まりは見事に治まった。
「体の弱い夫を持つとね、妻は大変なんだよー」
嫁はそう公言しているが、裏では重大な何かがあったに違いない。
数年前の話になるが、嫁が私の事を「臭い」と言った事件があった。
「男っぽい生臭さが家中に溢れてるよー、臭いよー」
嫁は「臭い」を連呼した。私としては気を使い、念入りに体を洗ったりしたものであるが、その原因は嫁にあり、魚焼きグリルの洗い忘れであった。一ヶ月ほど寝かせたのだろうか、次に嫁が使おうとした時、そこはウジ虫の巣窟と化していた。百や二百ではない。おびただしい数のウジ虫に嫁は血管ブチ切れんばかりの絶叫を上げた。
何が言いたいのか…。
つまりウチのパターンとして、そういうカタチが非常に多い。嫁が原因を握っている。何かを知っている。私は何も知らない。何も知らず意味のない原因探索を続けている。
そして今回、紆余曲折を経て私の鼻は絶好調になった。何かを知った嫁が、私の鼻も日常も、風の如く綺麗に流し始めた。これは所謂、いつものパターンであり、特別ではなかった。
11月22日は「いい夫婦の日」らしい。うちも来年は結婚10年目、そろそろ「いい夫婦」と呼ばれて良い時期ではあるが、誰も呼んではくれぬだろう。何せウチは「時代遅れの亭主関白な家」その筆頭らしく、褒められるどころか叱られる事が多い。これに関しカタチの上での亭主関白は認める。が、内実は大いに違う。
私は単に走っている。夫として走っている。父として走っている。嫁の手の平を、ただグルグル走り回っている。10年を経て、実感としてその事を痛烈に感じている。ただ併せて思うのは、
(いい夫婦とは得てしてそういうものではないか?)
その事で、嫁が発した「あ!」、その内容を私は未だ知らない。
私は嫁に日常を預けた。嫁も私に何かを預けた。ある部分、依存し合う事は夫婦の必須条件だと思うのだが、さて、どうだろう。異論多いが、少なくとも私が描く夫婦像は依存を前提としている。
夫婦の時間はまだまだ長い。10年などハンパな年で祝うのは宝石屋に踊らされた愚の骨頂で、せめて子が落ち着く20年を待ちたい。
「スウィートテンは何を貰えるのかしら? 指輪、バック?」
囁く嫁に、ヒヤヒヤ・ドキドキ、スリリングな10年目を与えたい。即ち、スリリングテン。
お返しに埃っぽい部屋を与えられるのは御免だが、書きものになるような手厳しい思い出は甘んじて受けたい。
もう秋も終わる。
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