第42話 冬の蛍(2008年12月) 12月3日。 この日は朝から素晴らしい天気で暖かかったため、子が学校から帰ってくるや近所の公園へ遊びに出かけた。日が落ちるまで遊び、外食をしようと近所を流してみたが、どこも休みで閉まっている。阿蘇の飲食店は気分屋が多い。 「仕方がない」 という事で家に帰り、嫁に飯の準備をさせながら一杯呑んでいたところ、サイレンが鳴った。消防団の出動要請であった。呑み干してから出ようと思ったが、何やら長女が慌てている。 「おっとー、急がんね! 火事よ、火事! はよ行かんね!」 嫁は消防服を準備している。私は手元のそれを呑み干したい。ウダウダしていると娘から一喝された。 「はやくして! 男でしょ!」 自らの人生を遠望すると、やはりこの言葉に弱い。九州男児がどうだと言うつもりはないが、この言葉を投げられると無条件にやらねばならぬ環境が出来上がってしまう。ましてや娘の言である。行っても役に立たぬ事は分かっているが、急ぎ服を変え、詰所へ走った。 私の到着は5番目であった。続いて2人の団員が現れ、計7人が積載車に乗り込み詰所を出た。前回出動(37話を参照)の際は火事場へ向かう積載車に乗れていない。初めてサイレン鳴らす積載車に乗ったが、信号も車線も気にする事なく進むので不謹慎ではあるがウキウキした。 「おお!」 一人だけ浮かれているが車中の雰囲気はそういう感じではない。皆、真剣に先を急いでいる。この点、私は消防団になりきれていないのだろう。 火事場は下野という南阿蘇村の端っこであった。私の住む下田からは結構な距離がある。渋滞している時間帯であり、逆走に次ぐ逆走を重ねたが、道を譲らぬ無法者が多く、皆が苛立った。 幹線へ出る際、阿蘇大橋という長い橋を渡らねばならない。そこは阿蘇で最も渋滞する場所であるが、その日も長い列ができていた。積載車は右車線を走り抜けようとした。反対側から来る車は、むろん橋への侵入を待つべきであり、それが教習所で教えられる事である。が、目線の先、スポーツカーが入ってきた。車中は怒号の嵐である。 「なんや、あん車! バックさせ! バックさせ!」 「どぎゃん顔しとっとや!」 サイレンに負けず劣らず罵声を飛ばす。が、スポーツカーはバックしない。左車線の車が僅かな隙間を殺し、積載車を行かせようとしてくれた。狭い橋で三台の車が並ぶ事は困難を極めた。が、何とか通過した。通過の際、七人の男がスポーツカーを睨みつけた。あろう事か乗ってる者は若いカップルであり、しかも火に油を注ぐべく寄り添っていた。車中、更に騒然とした。 「キー! ムカツクー! ナンバー憶えろ!」 「所沢ー? どこやそれ? 誰かいたな、所沢」 それは私であるが、ここで手を挙げるのは「あのカップルに代わり私を殴って下さい」というようなもので、ただ沈黙を続けるしかなかった。 さて、火事である。 橋を渡って右を見ると山が明々としていた。川向こうの山が火事場であり、その山は霧でボンヤリしている。ボンヤリの中に東海大の阿蘇キャンパスがあり、ナイター設備を備えたグランドがある。誰かがそのグランドを火事場と間違えた。 「うおー! 火が空を照らしよる!」 「明るいっすね! こりゃ凄い! 前代未聞だ!」 これにて所沢カップルの事は忘れられた。興奮状態の団員はその光に魂を奪われ釘付けになった。が、よく見ると明らかに違う。霧が晴れればナイター設備の明かりであり、誰かがそれを指摘した。 「そう言われりゃそうね、あぎゃん光るわけにゃーもんね」 「そうっすよ、早とちりは止めて下さい」 一瞬、車中の気が緩んだ。が、車が進み、グランドが後方へゆくと違う光が現れた。先ほどと同じく阿蘇の暗い空を明々と照らしている。違う点は霧が晴れている。光が赤い。黒い煙が昇っていた。間違いない。火事場であった。 「山が! 山が燃えよるぞ!」 「うおっ! こりゃ凄い!」 火事場は小高い丘の上にあった。大規模な飲食店の火事であったが、丘の上一面が燃えていた。火柱は天高く昇り、その背後には月に照らさた阿蘇五岳が妖しく浮かんでいる。月は三日月である。空が異様に澄んでいて、月の光は何物にも遮られず真っ直ぐ届けられる。木星と金星もハッキリ見えた。宵の明星と呼ばれるものらしく、全てが恐ろしいほどに絵画的であった。 積載車は火事場へ寄る。交通封鎖された道へ入り、火事場の下に停まった。 既に最寄の消防団が駆けつけていた。本職の消防署はまだ来てないらしく、地元の消防団らしき人が声を張り上げていた。 「黒川から水を取る! かなりの数のホースがいる! 連結させて!」 燃え盛る丘の麓には黒川という川がある。そこから丘の上まで水を上げるには、たぶん500メートルぐらいホースを繋げねばならないだろう。 積載車を降りるやホースを連結し、ポンプを下ろした。到着した消防団の順にホースを繋げてゆく。ホースを二つ繋げては中継ポンプを入れる。それを繰り返す事で遠い丘の上に水を引っ張る。 私は動いた。が、役には立たない。ポンプも使えねば指示をする事もできず、能動的に動きたいという気持ちはあっても、動けばベテランの邪魔になる事は明白だった。そのためベテランに寄り添い、指示を待った。 活動開始直後は雑用があった。消防車の通行を妨げぬようホースを端っこにやったり、伝令役を仰せつかったり、水圧を確認したりした。が、放水が落ち着けば後は最前線にいるプロ(消防署)へ任せるしかない。 手が空いた。それは私だけでなく、ほとんどの消防団員に言えた。私は暇に弱い。燃え盛る火事場を眺め、ぼんやりと色んな事を考え時間を潰した。 燃えている飲食店、その経営者は赤の他人である。立ち寄った事もない。が、地元では有名なところで、多少の歴史を聞いている。経営者は阿蘇の入口・大津町で成功した方らしく、その規模を広げようと長陽村に移って来られたらしい。長陽村といえば阿蘇ファームランドが有名だが、この飲食店もファームランド同様、村の企業誘致に併せて出店したらしい。 流行っていたかどうかは知らない。知らないが、その規模は広大で、ホームページを見るに、色々手広くやっておられるようなので、まぁまぁ儲かっているのではないか。 火事の理由は分からない。「火の手は乾燥室」と野次馬が言っていたが、本当か嘘か分からない。興味もない。 火事そのものには興味がある。頻繁に見れるものではないので食い入るように眺めた。風がない漆黒の空に紅蓮の炎は真っ直ぐ上がり、そこから先は小さな火の粉が弾けている。下から炎を見上げていると火の粉と星が入り混じり、六月の風景を思い出した。蛍である。 経営者はどこかでこの炎を眺めているだろう。そして真っ赤になって突っ走った瞬間を思い描いているだろう。火は一気に上る。炎となって天を目指すが届かない。弾けた後、それは冬の蛍となる。 夢か現か、それは知らぬが炎は実に潔い。潔さこそ美しさであろう。他を焼き尽くし、巻き尽くし、どれだけ天へ昇ろうと最期は細き冬蛍。 ポンプ横で立ち尽くす私、時間を忘れ、ボンヤリした。 下火になったのは午後8時くらいだったろう。下から見てると火は消えているように思われるが、上にいる人の報告によると、まだまだ現場は燻っていて、水を欲しているらしい。白い煙か水蒸気か、よく分からぬが、白いものは確かに濛々と上がっている。 火は消えた。夜も更けた。気温はグングン下がり始めた。団服は厚手だが露出が多い。足元はゴム長靴で、寒いを通り越して痛い。アゴもカチカチ鳴り始めた。 「寒いっすね」 「うう、さぶい、じぬー」 話しかけた団員の唇は真っ青に染まっている。動いて暖を取ろうと試みたが、団服は風通しが良く、機敏に動けばそれだけ寒い。周りを見渡すと誰も彼も固まって震えていた。 気を紛らわすため火事場へ行ってみた。消火活動を終えた消防署員が充実した汗を流していた。が、それを囲む団員は揃って震えている。どう見ても消火活動は終了しているように思える。警察らしき人もいて、現場検証みたいな事もやっている。 (終わったなら早く帰らせて!) そう思うが、見る人が見ればまだ燻っているらしい。 結局、撤収まで、それから一時間を要した。 (やっと帰れる!) そう思ったら、終わりの挨拶があるという。団員全てが火事場前に集合し、色々な人の挨拶を聞いてから解散となった。 「風邪をひかないように!」 そういった訓辞を受けたが、そのためには一刻も早く団員を帰す事が肝要であろう。おかげで私は風邪をひいた。 帰路の車中は話が弾んだ。私は新参者ゆえ黙って聞き耳を立てていたが、もっともな話が多かった。火事場の隣は赤水という集落である。赤水は町村区分が違うため出動要請がかかっていない。 「隣の火事なのに…、意味が分からん…」 ある団員、そうこぼしていたが、まったくその通りである。非常事態に行政の区分けを当てはめる意味が私には分からない。火事場の集落から円を書き、半径何キロまで出動としたらどうだろう。 「しかし行きと帰りじゃ気分が違うね、帰りは気分が違うばい」 そう言っている団員もいた。確かに私も違う。行きは好奇心が大半を占めたが、帰りは寒さによる震えがそれを打ち消している。意気揚々と語る団員は既に寒さを忘れている。 「いやぁ良かった! 消えて良かった!」 叫ぶ団員は数分前まで寒さに愚痴を言い続けた人である。彼は車に乗った瞬間、暖房に触れた瞬間、満面の笑みをこぼした。凍っていた血が脳に回り始めたのだろう。それから自らが住む村、家族が住む村、それらが守られた事に安堵した。 「わが町、わが村」 この集落にいると、一人一人からそういう雰囲気を感じる。その一人一人に「なぜ?」と聞いたところで答えは返ってこないだろう。理屈の立たぬ地域の私物感、それこそ文化の土壌ではないか。 文明の機能美は全てを各々のプロに任せている。機能美、つまりは理屈の積み重ねであるが、それ自体、右の町も左の町もそう変わらない。均された空間が広がるだけで、地域への愛があるとすれば理屈をもって説明する事ができるだろう。文明にとって、生活する空間が地域であり、それ以上でもなければそれ以下でもない。空間は共有物である。 理屈の立つ世界において、人はそれぞれがそれぞれの役割を担う事で過不足なく一生を終える。従って隣人が他人であろうと知人であろうと何ら問題ない。空間を維持する作業も他人がやる。が、田舎では集落、校区、行政区、近ければ近いほどそれを私物と思っている節がある。私物は理屈を寄せ付けない。良いと思えばそれが良い。論など要らぬ。だから私のモノに住んでいる隣人、それが気になって当然だし、他人はありえない。私物に何かがあれば自ら駆けつけ正しいカタチに戻す。それが私物というものの当たり前である。 同じ村で火事があった。これは事件である。「わが村」に事件が。娘は反射的に叫んだ。 「おっとー、急がんね! 火事よ、火事! はよ行かんね!」 娘は我が私物が燃えたかの如く私を急かした。団員も我が私物が燃えたかの如く急いだ。そして芯から鎮火を喜んだ。 熱を冷ますようで申し訳ないが、実は消防団が出動すると「出動手当て」というものが村から支払われる。年間を通してかかる消防団の運営費も莫大である。それらを加味すれば、都会の如く消防署に任せっきりの方がお得で機能的なように思われる。が、お得は理屈である。半分は文化的集合体(現に集落文化を支える担い手となっている)といえる消防団に理屈は通用しない。理屈を通せば「わが町、わが村」の感覚は薄らぐであろう。現にその感覚は文明の侵食と共に消えつつあり、消防団という組織自体が萎みつつある。 「さ! 一杯呑もうかね!」 ある団員、凍えた体で詰所に帰るや、すぐさま一杯呑むと言う。私は体調不良を理由に断った。事実、その翌日は下痢が続き、終日寝込んだ。 詰所から家までは徒歩数分、寒空を見上げると、どれが一等星か分からぬほど無数の星が輝いていた。田舎人は、この星まで私物と思っているのだろう。 (俺にはまだ、田舎の成分が足りない…) 夜道も星も太陽も、私にはまだまだ公共物。寒いが考えさせられる良い晩であった。 |
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