第61話 新入社員(2010年5月)

阿蘇カラクリ研究所に新入社員が入った。嫁である。
「子育て」という印籠を持ち、日々奥様会に忙しかった嫁であるが、三女が保育園に行き始めた事で日中の印籠を失ってしまった。それで観念したらしい。
4月12日。娘三人を送り出し、掃除、洗濯を終えた嫁がふらり作業場に現れた。が、その目はどこか寂しく、無言であった。
「何やるの、あたし?」
仁王立ちでぶっきらぼうに言うそれは明らかに嫌々のそれで、格好もいけなかった。ペラペラのシャツにジーパン、足元はサンダル履きと完全にモノづくりをナメていた。
「せめて靴をはいてこい!」
私に怒鳴られブーたれながら靴を履き、作業着を着た嫁はなかなか絵になった。やる気は感じられなかったが、それさえあればやり手のパートさんに見えた。
そもそも嫁には経理、もしくは購買をさせるつもりであった。嫁はOL時代、社長秘書や営業事務をやっており、そこに適正があると思っていた。が、嫁は超が付くほど適当な性格であり、「物事はジッとしていりゃ何とかなる」と公言してやまない。つまり大物であるが、それは小さなカラクリ屋に無用の長物であった。
(嫁の適正は何か?)
色んなものを試し諦め、そして機械加工はどうだろうと思った。根拠はないが、これならすぐに結果が出るし、肉体労働だから眠くならない。
嫁は眠くなるという理由でデスクワークを嫌った。しかし畑仕事にも適性はなく、種をまいて、すぐに芽が出て食えなければ明日の労働をやる気にならなかった。しかし、掃除、洗濯、料理は普通にやれる。「体を動かし、結果が見え、頭を使わない労働がいい」と嫁は語る。
嫁の本心がそれかどうかはよく分からない。が、それに近いものを私の仕事から探すに機械加工が最も良いと思われた。
「機械加工をやりませんか?」
優しく提案してみた。が、気分が乗らないらしい。憶える事が多そうで、且つ私に怒られる事が嫌だと言う。
「あなたは何をしたいんですか?」
「えっとね、のんびりパートに出てね、盆暮前は会社の旅行でフィーバーしたいの」
義母が手本のバラ色パート人生を欲しているが、阿蘇にそういう仕事はないだろう。更に観光地の労働は基本土日が出勤日である。嫁のスタンスとして土日は働けないそうな。
嫁も嫁なりに色々検討したであろう。検討し、諦め、冒頭の嫌々入社に至ったらしい。
嫁に教えなければならない事は星の数ほどあった。が、まずはモノづくりをやる上での基本的道徳を教えねばならなかった。サンダルで現れた嫁は「そこから教えて」と言っており、まずは作業着と安全メガネを買い与えた。機能美溢れる作業着は無言でモノづくりの根底を教えてくれるだろう。
「このポケット、超便利だね」
ほうら、この機能美こそモノづくりである。が、少しだけ失敗もあった。安い作業ズボンを買い与えたところ、パンパンでタイツみたいになった。後ろから見ていると3D映像を見ているようで教えながら笑いが止まらず鬼教師の出鼻をくじかれた。
嫁に教えた最初の機械はフライスという。精度よく溝を切ったり穴を開けたりする機械だが、教えながら嫁の発想法の異常を知ってしまった。どうも嫁は作業というものを手順で憶えるもんだと勘違いしているらしい。電源を入れたら次はこのスイッチを押して、次はここを締めてと手順をメモっているが、手順で片付けられる仕事は一品生産にはない。
「手順で憶えるな、理屈で覚えろ!」
フライスでアルミの板材を削るには、どこを基準にどう固定し、どうやって削るかを考えねばならないのだが、その作業に手順を書いたメモ紙は何の役にも立たない。メモ紙を捨て、それぞれのハンドルやクランプがどういう意味を持っているか、実例を交えて詳しく教え、後は嫁自らが自らの意思で体を動かし、徐々に覚えてもらうという方法をとった。
嫁がガリガリやってる間、私は隣の事務所で図面を引いた。引きながら、その意識は嫁の方に向いていて、
(機械が壊れるー! 速度を落とせー! 刃物が悪くなるー!)
大いに悶えた。が、近所に住む大先輩の助言が私を制し、無言を通した。
「最初は何も言うな、黙って失敗させろ、それが教育だよ」
明らかに色んなものが壊れつつあった。が、気にしないように努めた。しかし、どうしても気になる音があって、それは無音が続く時であった。
(何をやってるのだろう? まさか寝た?)
そう思って覗いてみると機械を前に嫁の動きが停止していた。寝てないが全ての活動が停止しており、聞くと「削り方を考えている」という事だった。すぐに助言をするのも勉強にならないので嫁の考えを聞いてみると物理を無視した夢の話が次から次へ飛び出してきた。
「お前は何ば言いよっとや! こぎゃんなるわけにゃーど!」
「だったら教えてよ!」
「考えろ! お前のためにならん!」
「だったらこうでしょ!」
「そぎゃんなるわけにゃーど! こぎゃんた! こぎゃん!」
「そう言われりゃそうね! もうっ!」
「理屈で考えにゃんて言いよっどが!」
このやり取りを何度繰り返しただろう。とにかく熱と時間をたっぷりかけ、嫁の処女作が完成した。加工屋さんに出せば4000円ぐらいの仕事だが、嫁は丸二日かかった。加工時間は経験で早くなるだろう。が、仕事の覚え方は手順方式を捨てねば先に進めないように思われ、一ヶ月同じ問答を繰り返した。
一ヶ月やって嫁の適正を感じた瞬間もあった。ガリガリ削って図面通りのモノを作るという作業は短期に結果が現れるから意外に楽しいらしい。
「少し楽しい」
嫁がそう言った時、飛び上がりたいほど嬉しかった。楽しくなければ仕事は長続きしない。
加工をやればその部品がどういう風に使われているか知りたくなるはずだし、それを見ると自分も設計がしたくなるはずだ。設計して加工して組立して調整までやると今度は客の顔が見たくなる。そうなると営業もやりたくなる。嫁がそうなったら阿蘇カラクリ研究所は二馬力となるわけだが、その道のりは果てしなく長いように思われた。
何にせよ嫁がモノづくりの入口に立った事は喜ぶべき事だし、その喜びを確固たるものにすべく、私は汗をかかねばならなかった。
「この部品がどういう風に使われているか知りたい? 知りたいだろ! 知りたいに違いない!」
嫁は何も言わなかったが、全体の雰囲気を知ってもらうためお客さんの工場に連れて行った。
嫁にはモノづくり屋として伸びてもらいたい。伸び代はたっぷりある。真っ白な状態ともいえる。その証拠に客先へ向かう嫁の格好は普段着で、足元はハイヒールであった。
「技術屋の正装は作業着だろ!」
モノづくり屋の入口に立つ嫁はどうしても作業着が恥ずかしいらしい。嫌々作業着を着た。
「ピチピチの作業ズボンはどうした?」
「それだけは絶対にいや!」
新入社員はそう言っているが、いずれ近所のスーパーにもピチピチズボンをはいていくようになるだろう。
「今日は何すればいい?」
入社して一ヵ月、今日も嫌々登場の嫁であるが、来年の夏には重要な戦力に育っている事を願い、今日も熱い教育を続けている。
「あー、フライスって腕痛い!」
「あっ、下に引いてる基準ブロック削っちゃった!」
「あーもーめんどくさい」
基本、嫁の言葉は「あ」から始まる。
「あー、楽しい」
そう続くのはいつの日か。
ちなみに今日、加工するものがなかったので組立をお願いした。
「それはやだ! 今のところは加工だけに専念する!」
気ままな新入社員は加工のスペシャリストになりたいらしい。
「じゃ、好きにすれば」
新入社員、事務所の裏で草むしりを始めたと思ったら、すぐさまやめ買物に出かけた。
夫婦ってそういうものらしい。先は長い。
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