第67話 十年〜北新地〜(2011年1月)

気付けば十年経った。結婚生活である。
商業主義に乗っかればキラリと光るダイヤモンドを贈るところだが、嫁は「そんなものいらん」と言う。何もやらんわけにはいかんので、夜な夜なピロートークで聞いたところ「美味いものが食いたい」ときた。なるほど、それなら遠出し、回らない寿司を食ってみようという流れになり、大阪の従兄弟(営業職)に接待用の寿司屋を紹介してもらった。
「金に糸目はつけんばい!」
意気揚々そう言って紹介してもらったが、天井知らずの業界は庶民の見栄を一発で吹き飛ばしてしまった。
「もうちょっと下で、ああ、もうちょい下、も一つ下でお願いします」
結果二万円くらいに落ちついてしまった。が、場所は大阪北新地、西日本の銀座である。移動手段もいい。飛行機である。「飛行機に乗って回らない寿司を食いに行く」この至極ムダな響きだけで十年の節目は大いに盛り上がった。更に二人旅は六年ぶりである。三人いる娘は実家が預かってくれるという。それならばという事で旅行も入れてみた。二日ほど遊べそうだったので、一日を私がプロデュースする日、もう一日を嫁の日とした。
私の日には伊勢神宮へ行こうと思った。何となく長年連れ添った夫婦には伊勢神宮が合うように思われた。行った事なかったので事前に色々調べた。調べるうちに行く気が失せた。私が嫌いな「観光」が溢れていた。更にスピリチュアルブームに乗った怪しげな臭いが至るところに満ちていた。
(どこへ行こう?)
地図を広げ右へ左へ目を走らせ琵琶湖に目がとまった。右半分は歩いたが左は歩いていない。左には叡山がある。叡山の麓には坂本という寺町があり、安土城を造った穴太衆の拠点もある。
叡山へゆく山道を調べてみた。登山好きのブログなどにハードな感想が目白押しで観光臭がなかった。嫁が歩けない可能性もあったが、とりあえず私の日なので行き先を叡山周辺と決め宿をとった。
出発の日が近付いた。嫁の日がどうなっているのか気になったが嫁は何も決めなかった。ギリギリになって親族に電話し、夜の食事に誘っていたが、その他、動いている様子はなかった。
嫁は計画する楽しさを知らない。計画立てても十中八九その通りにならないが、そうならなかった事を認識できるのは計画のおかげである。それがたまらない。この喜びを嫁にも教えてやりたいが、「考えずに生きる」を基本スタンスとして生きてきた嫁には馬耳東風であり、たぶん教えても寝るだろう。真面目に喋って嫁に寝られる悲しさは想像を絶するものがあり、十年経って巨大な恐れと化した。
近所に哲学者がいる。彼は重いテーマを真面目に話したが、その数分後、嫁は寝た。私はその寝姿を隠すため寿命を縮めて誤魔化した。話が重ければ重いほど寝られたインパクトは強烈で、哲学者は木っ端微塵に吹っ飛ぶだろう。
嫁は出発前日にプランを発表した。伯母の家に泊まって従姉妹とドンチャン騒ぎをするという。
「いいよね、福ちゃん?」
嫁の日だから私に拒否権はない。ただ西宮という場所が遠いように思えた。
「滋賀県から西宮って遠くないや?」
問うたが嫁は西宮の場所を知らなかった。
「関西の西宮だから大丈夫でしょ」
そう言って詳しい場所を調べようともしなかった。滋賀も兵庫も嫁の中ではお隣さん、調べるまでもない他愛ない問題で、そういうのを調べるのは下々(私)の役目であった。
嫁を前にすると私は自分自身の小ささを嘆かねばならない。嘆き嘆いて十年を過ごした。
資料を集め、古道の存在に歓喜し、古の時代に想いを馳せ実際に歩く。そして色んな相違に一喜一憂。そんな私を、私の旅を、嫁は鼻で笑った。
「またやってる、行けばどうにかなるでしょ」
確かに仰る通り、行けばどうにかなる。
「しかし!」
その「しかし」を語れば語るほど私は小さくなり嫁は大きくなる。嫁は空、私は点、地べたで働く小さなアリ。十年という時間、そして父・母というそれぞれの環境、先天的なもの、なるようにしかならない十年のかたちが今であった。
12月17日、私たちは熊本空港にいた。
出発前、「身軽に行こう」と提案し、小振りなバックで飛び出したが、気付くと土産の袋が増えていた。嫁の不思議さはここにもあり、空港で土産を買い込んだらしい。
「誰の?」
聞けば最終日お世話になる伯母への土産らしく、旅の間、袋を持って歩くという。唖然とした。身軽な準備が出発前に消え失せてしまった。その事を告げると嫁は無言で席を立った。
戻ってきた嫁の頬が赤かった。少しだけ鼻息も荒かった。嫁の話によると手荷物検査場を逆走し、伯母への土産を叩き返してきたらしい。
「これで身軽よね」
何とも言えぬ凄まじい嫁で、土産屋にとって嫁との遭遇は、まさに災害であった。
大阪へは午後6時過ぎに着いた。ホテルに着くと荷物を置き、すぐさま外へ出、午後7時には寿司屋のカウンターに座っていた。見事な流れで、まさに計画の妙であった。
寿司屋は繁華街の奥まった場所にあった。看板も手の平二つくらいの小さなそれで、案内人がいなければ絶対発見できない秘密の場所であった。案内人は私の従兄弟で医療関係の営業職をしている。
「こういう隠れた店が美味いんや」
そう言って馴染みの店主に色んな注文をつけた。
「熊本から飛行機で来たんやぞ」
「十年目の旅行やぞ」
「ほんま頼むでぇ」
従兄弟は私たちの紹介を過ぎるほどにした後、風のように去っていった。
寿司屋は8人掛けのカウンターとテーブル席が一つの小さな佇まいであった。金曜という事もあり客は多かった。派手なお姉さんが中年のオジサマを従え、入れ替わり立ち替わり現れては足早に去っていった。
同伴という夜の仕組は使った事がない。間近で見たのも初めてで、夫婦共々実に新鮮であった。お金持ちの遊びなので、もっとゆっくりしたものを想像していたが目の前のそれは実に忙しかった。店主曰く時間も決まっているそうで、何分で店を出せという指示があり、女性の出勤が遅れるとペナルティーも科されるそうな。
嫁は服装を心配していた。
「こんなカジュアルで大丈夫?」
そのまま従兄弟に問うてみると「大丈夫」という事であった。が、私たちは明らかに浮いていた。娑婆なら同伴姉ちゃんこそ浮くべき存在であるが、ネオンの下ではジーパンこそ異端であった。
嫁は端っこの席で黙々と食った。カニが出た。ウニが出た。白子が出た。寿司が出た。出たものを嫁は60秒以内に食べきった。
「美味いねぇ」
嫁の幸せはそこにあるようで、まさに旅行のメインであった。
この寿司屋、確かに美味かった。店の雰囲気も手伝って尋常ではない美味さに思えた。しかし嫁の速さは回らない寿司屋に合っていなかった。店主追いつけず嫁は時間を持て余した。酒を呑むようすすめたがチューハイのようなものをちょびちょび呑み、同伴の会話を盗んではニヤリ笑う始末で、実に気持ちの悪い客であった。
私は日本酒を呑んだ。日本酒は悪酔いするので直前まで呑まぬと決めていたが、ウニを見た瞬間、冷酒を頼んでしまった。やはり、こういうところは日本酒が良いように思われ、辛めの酒を頼んだ。この酒が不味ければその後の展開も変わったと思われる。が、やはり美味かった。
席が近いので同伴の声がハッキリ聞こえた。オジサマが時計を買ってあげたらしい。姉さまは大袈裟に喜び、嫁もつられて興奮した。旅と酒、そのつまみに同伴の会話は最高であった。
同伴は私を勇気付けてもくれた。金で買えるものは案外少ないという事である。オジサマは私たちが十年に一度しか行けない店に足繁く通える。二人分を払い、その後、女性の店で再度大枚をはたく。それで何を得るのか。聞き耳を立てたが単なる暇潰しであった。
資本主義の形而下においてカネは最強である。しかし上において実に弱い。カネがあればあるほど腹が立ち、こういうカタチで捨てたくなるのだろう。
とにかく我々庶民は十年に一度を楽しんでいる。
「まだ握りますか?」
その問いかけに嫁は「オールオッケー」で頷いた。金額は決まっていると安心しており、腹が裂けても食う所存であった。
嫁は同伴客の倍食った。私の日本酒もいけなかった。最初はスタッフが都度冷蔵庫から運び出してくれたが、後半は面倒臭くなり一升瓶がカウンターに置かれた。それも全部呑んでしまった。予算枠は既にないだろう。それは空の一升瓶が雄弁に語るところであった。
いい気持ちになってしまった。周りは同伴客ばかりかと思っていたが違う人もいた。実の娘さんと呑んでる社長さんがいた。話しかけてくれた。盛り上がった。色々話した。が、その内容は記憶に残らなかった。
後半の記憶は嫁に預けた。旅行が終わり、嫁と話し、少しだけ記憶を返してもらった。私は店に名刺を置き、20年目の予約を入れたらしい。更に阿蘇の赤牛を送ると約束したらしい。寿司も食ったらしい。汁も「美味い」と言って飲んだらしい。
寿司屋には5時間いた。支払いは3万円で済んだ。よく1万アップで済んだと思うが、それは従兄弟の力であろう。
ネオン街を足元フラフラで歩いた。12月なのに、ひどく夜風がぬるかった。夜風で少し正気になった。いらん事をやったり口走ったりしなかったか気になったが嫁の話では陽気なオッサンだったという。それなりに緊張していたと思われ、さすが回らない寿司屋であった。
嫁の肩を借り、ホテルに戻った。
さて・・・。
次の記憶は午前4時から始まる。
吐いた。延々と吐いた。嫁に内緒で吐きたかったが、私が起きた瞬間、嫁も起きた。
「もったいないよー! 三万円が出てるー! あー、もったいなーい!」
嫁の声が響く中、私はユニットバスにこもり、便器に向かって吐き続けた。吐けなくなっても食道だけは逆流運動を続け、胃液最期の一滴まで吐き続けた。苦しくて涙が止まらなかった。
その日、12月18日は私がプロデュースすべき旅行日であった。予定では朝7時にホテルを出、大津周辺を散策する事になっていたが、とてもそんな気分ではなかった。
散策には友人を誘っていた。愛知から来てもらい一緒に散策する予定だったが「行けない」と告げた。すると友人は喜んだ。友人も二日酔いで動けなかった。
11時にチェックアウトし、嫁はデパートへ向かった。大阪駅前は凄い人だかりで二日酔いには地獄であった。申し訳ないが、
「勝手にやって」
そう言って人ごみを離れた。ふらふらと南へ向かい曽根崎を歩いた。小さな公園があった。公園にベンチがあり、ルンペンが二人いた。ルンペンは臭かった。離れようと思ったが気持ち悪くなり、たまらず吐いた。ルンペンが私を心配し、介抱してくれた。二人が私を介抱すればするほどゲロが止まらなくなった。
ベンチに座って空を見上げた。狭かった。しかし青かった。
道ゆく人は私たちを避けた。ベンチには二人のルンペンと真っ青な二日酔いが肩を並べて座っていた。会話はない。ひたすら空を眺めた。嫁はショッピングを楽しんでいるだろう。まさか、この私が結婚十年目の旅行中だとは誰も気付くまい。
(やってしもうた・・・)
しみじみそう思った。しかし結婚十年の総括として、これ以上の顛末もないように思えた。
街の雑音もこういう風に聞くと心安らぐ事を知った。隣からルンペンの寝息が聞こえてきた。
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