第80話 鈴木保奈美に惚れた(2012年11月)

私はTVドラマを見ない。ドラマは妄想の中にあって、それで事足りている。
嫁はTVドラマが大好き。国籍問わず日夜見てるがその挙動にドラマはない。妄想も実に冷めていて心の線なるものがあるとすれば定規で引いた真っ直ぐな線が地平の彼方に突っ走っている。
そういうもんだと思っていた。TVドラマは女が見るもので我々酒呑みが見るものではない、酒の肴にもならぬと。が、仕事というか遊びというか、ロボットに恋をさせたくなって真面目にドラマを見てしまった。
ドラマを見ない私が名前だけでも知ってるものといえば「101回目のプロポーズ」と「東京ラブストーリー」がある。とりあえずそれを見た。前者はムナヤケした。そして気が重くなった。武田鉄矢が純愛とストーカーの狭間を彷徨った後、非現実の極みで結ばれるという展開だが、不幸、奇天烈、どの具合も異様に重く、激しい胃痛に襲われた。
これを見てから東京ラブストーリーを見た。これが良かった。これが効いた。
「カンチ!」
二日酔いの体にキリンレモンを流すの如く、101回目で沈んだ体を鈴木保奈美が清めてくれた。女優の対比をするだけでも重量の差は歴然で、浅野温子に鈴木保奈美、それは広辞苑にコロコロコミック、キャバクラに幼稚園、八代亜紀に桃色クローバー、ビフテキに丸ボーロ、何が何だか分からぬが、とにかく前段ありの鈴木保奈美に芯からスカッとしてしまった。
ちゃんと見たドラマは人生初だろう。101回目は重過ぎて飛ばすところもあったが東京ラブストーリはちゃんと見た。山口百恵の赤いシリーズですら一部すっ飛ばしたのに鈴木保奈美はすっ飛ばすどころか止めて巻き戻す始末。
「む!このセリフは油断ならぬ!録音開始!」
テレビ前で録音し、着信音や目覚まし音にしてしまった。
録音しながら不思議な感じに襲われた。
「ボタンに手を掛け音を待つ」
この感じ。このセピア色の雰囲気は何だろう。小学生の頃ラジカセをテレビ前に置き、
「黙っとってばい!録音するけんね!」
ウインクの「寂しい熱帯魚」が始まるや赤と黒のボタンを一緒に押した。ガチャンというスイッチ音も録音され、母ちゃんが途中で発す「風呂入らんね!」その声も入ってしまった。が、聴いてる内に歌の一つになってしまい、
「ハローウェー♪ 風呂入らんね! ハローウェー♪ なんしよっと! あなたは来なーいー♪ 私の思いをジョークにしないでぇー♪ はよせんね!」
見事な合の手として歌に同化。挙句、合の手がないオリジナルを聴くとヘンな感じになってしまった。
話が脱線してしまった。あれから数十年、大人になった私はウインクでなく保奈美の録音に燃えた。セピア色にトキメキながらその作業を楽しんだ。
メールの着信音には次の保奈美ボイスをチョイスした。
「トホホだよ、カンチがいなくちゃ」
保奈美の発する「トホホ」の響きにギャフンとなった。何と美々しいニッポンの言葉だろう。
「トホホ」
男が言えば殺したくなるが保奈美が言えば岩戸も開くニッポンの呪文。現にドラマ嫌いの岩戸をトホホが開いた。嫁も子供もマネしたがやはり違う。保奈美のトホホは美々しいのである。
次に着信音。これは人によって変えた。
「ふーん、そんなに私の事好きなんだぁー、ふーん知らなかったなぁー」
文字で書くと何でもないが保奈美がカンチを前にフニャフニャ言う事で名言になった。現にこれを見た時、
「はうっ!」
奇声を上げてドラマを止め、三回連続見直した。何と神々しい場面だろう。これは嫁からの着信音にした。
次に、
「もうダメ…、ここまで…、電池切れちゃったみたい…」
これは仕事関係の着信音にした。
遅れてきたカンチに濡れた保奈美がボソリ呟く場面だが、これはビジネステンションにピッタリ。どんなにノリノリでも冷えた保奈美が私を冷まし、
「ハイ、アソカラデス」
電話口で仕事の人になれる。
次に友達、
「そんなの認めない!私別れない!絶対別れたりしない!」
土俵際の保奈美がカンチにすがる場面である。思わず立ち上がり保奈美の背中を支えたくなる。更に空いた手でカンチにゲンコツしたくなる。ここも三回見た。カァーッと熱くなれるのでテンションを要す友達連中の着信にピッタリである。
目覚ましも保奈美がいい。
平日の目覚ましは二人の初夜、その翌朝を採用した。
「おはよーございまーす」
「あ、おはよ」
「すっごい早起き! ラジオ体操でもいくの? コーヒー入れるね!」
「あ、いいよ、いいよ」
「いくない!」
うろたえるカンチ。溌剌とした保奈美。ハニカミの朝が平日の目覚ましにピッタリ。今では家族全員セリフを憶え、最後の「いくない」を合唱して起きる。三女に至っては保奈美の声を聞き過ぎて保奈美っぽい声になってきた。
次に土日の目覚まし。
「嘘は!嘘だけはイヤ!」
保奈美の気持ちが徐々に昂り、ついに弾ける。そしてあの音楽。家を出る保奈美。追うカンチ。
「待てよ!」
二人の追いかけっこで福山家は薄っすら目覚める。
「気持ちは一つしかないんだよ!二個はないんだよ!どこに置いてきちゃったの!」
たじろぐカンチ。昂る保奈美。福山家、目は開かぬが耳は保奈美に釘付け。
「24時間好きって言ってて!仕事してても友達と遊んでてもカンチの心全部で好きって言ってて!」
休日の澱んだ空気を保奈美が浄化。熱も入って完全に目覚める。
(がっちりマンデー始まるなぁ)
思っていると保奈美が叫ぶ。
「私だけを見てて!でなきゃヨソにいっちゃうよ!」
「はいっ!起きます!ごめんなさい!」
保奈美はいい。目覚ましにも着信にもいい。
私は早朝からこの文章を書いている。書きながら泣いている。泣きながら保奈美の名言を復唱している。
「いつもいつも私だって元気なわけじゃないもん、やってらんなーいなんて時もある、どんなに元気な歌聴いてもバラードに聴こえる夜もある」
いい。保奈美はいい。朝はやはり鈴木保奈美であった。
このマイブーム、後数週間は続くものと思われる。そして数週間後きっと違うものに惚れているだろう。それが何だか分からぬが何かに惚れていたい。惚れて惚れて人生を終えたい。
「おい嫁!甲高い声で俺の事をフッチと呼べ!」
「は?」
「呼んで欲しいのですが…」
「は?」
打ち合ってくれぬ嫁の隣で今日も楽しいモノづくり。さて、今日は何に惚れよう。
生きる醍醐味(一覧)に戻る