第92話 ウミンチュとヤマンチュ(2014年1月)

野釜島を歩いた。
この島は天草の入口・大矢野に属し、立派な橋で上島と繋がっている。
地元駐在さんの歓送迎会があり、バスに乗ったら野釜島に連れて来られた。バスを降りて旅館にチェックインし、観光地図を見、ここが野釜島である事を知った。
「なぜ、ここにしたのですか?」
「しらん」
幹事は六十路のオジサマであった。テキトーに決めたらしい。私は交通安全委員という地域の役に就いていて、それがため今回の歓送迎会に誘って頂いた。正直どなたが主賓かよく分かっておらず、
「タダ酒だから来なさい」
そういう流れで野釜島に来た。
消防団を含め地区の旅行で天草に来る事が多かった。阿蘇の人は旅行と言えば天草。何はともあれ天草。が、天草は何気に福岡より遠い。
(なぜ天草?)
常に思うが、そこは培われた習慣で「あ」から始まる天草。天草から探すのが阿蘇の常識らしい。
同様の話を天草でも聞いた。天草では旅行といえば阿蘇らしい。同じく「あ」の第一候補は揺るぎない。相思相愛、見事なまでの地産地消で、互いに恋い焦がれる何かがあるのだろう。
海を眺めてぼんやりした。
私は交通安全委員という集団の一人であるが少し孤独であった。ほとんどの人の名前を知らなかった。集団の平均年齢は高かった。私はぶっちぎりの最年少。更には唯一の移住者。色んな意味で浮いた存在であった。
宴会は3時間後に始まるらしい。先輩たちは風呂に入って呑みながら宴会を待つそうな。
私は酔いざましに旅館を出た。バスで呑んだ大量のビールで腹が張っていた。運動しないと宴会が楽しめないように思われた。
この島は地図を見るに一周4キロ弱。道があるか分からぬが余裕で一周できるだろう。左回りで海岸を歩いた。島の北部は海水浴場になっていた。寒い時期ゆえ閑散としていて暇そうなヤンキーがタバコを吸っていた。
海水浴場を過ぎると道が尽きた。砂浜も尽き、海岸は岩壁になった。行けそうだったので、そのまま突き進んだ。が、傾斜は徐々にきつくなり波飛沫が近くなった。私は探検を愛しているが危険を嫌う現代人であった。引き返した。
海水浴場に戻ると夕日が水平線に落ちかけていた。しばし眺めた。ここは夕日の名所かもしれない。見事であった。
誰もいない海水浴場だったが気付いた時には人がいた。カップルが三組いた。そこに中年男子が一人。男たちの手は全員女性の腰にあった。私の手だけが私の腰にあった。威風堂々三組を従え夕日を観た。
海はいい。どこまでも続く。なんと巨大な水だろう。磯の香りと波の音、眼前には水面を走るオレンジの閃光、背後に迫るは暴走族の轟音。全てが非日常で旅の雰囲気満点。そう、ないものを求めるのが旅だから、山が海を、海が山を求めるのは当然であった。
それにしても海沿いは暴走族が多い。抽象画のようにイビツで意味不明なバイクが列を成してパンパン走っていた。
これは私の確信だが、海はヤンキーを育てる。自然ヤンキーは水辺に集う。ここは島。四方を海に囲まれている。つまりヤンキーを培養しているようなもので、ヤンキーといえば島、島といえばヤンキーであった。
十代の思い出を一つ書きたい。
私は自転車で日本縦断中であった。場所は新潟県の小さな島。深夜グッスリ眠っているところを暴走族に囲まれた。彼らは十数台のバイクで私のテントを包囲すると、パンパンファンファン大音量で回り始めた。
出たくない。出たくないが出ずばなるまい。テントを出た。
「な?なんでしょう?」
ボスっぽい男がバイクを降りた。男は筋骨隆々太い腕で私の胸倉を掴んだ。酒臭かった。私は震えた。男は豪快に笑った。そして恐ろしい事を言い放った。
「おもしろい事をやれ」
「は?」
寝耳に水とはまさにこの事であるが、やらねばボコボコにされるだろう。取り巻きのギャラリーは盛り上がった。次いで静まった。私に意識が向いた。意を決した。やるしかない。十八番ドラえもんのマネをした。
「ボク、ドラエモン!イジメナイデ、タケコプター!」
神はいた。暴走族は腹を抱えて笑い死んだ。あの時ほど大山のぶ代とドラえもんに感謝した瞬間はなく、それゆえ声優が変わった今のドラえもんは見ていない。
脱線した。話を戻す。
海と夕日と暴走族の海岸線をゆっくり歩いた。
旅館近くに港があった。港にはエビスさんと聖徳太子を祀った祠があって、一人の老人が掃除をしていた。気の良さそうな老人だったので島の様子を聞いてみた。
老人は漁師らしい。島にカネが落ちない。人が減っている。その事を嘆かれ、その理由を「島から議員が出てない」そう言われた。これは田舎の嘆き節、その典型である。日本中どこの田舎に行っても同じ話が聞ける。
バブル期、公金麻薬に酔ったムラはこぞって営みを捨てた。引っ張り合いの公金バトルに狂ってしまった。酔いは醒めない。醒めたくない。後遺症が蔓延し、愚痴っぽくなってしまった。
確かに行政が寄ると瞬間的潤いが発生する。今もそれは変わらない。が、その後じわじわ痛い現実があって嘆き節はそこを見ようとしない。議員が出、橋が出来、道が良くなる。すると人が出て行く。代わりに入って来るのは不動産屋と別荘民。ムラの発展とは何か。入れ替わりが発展なのか。
島の営みを老人の口から聞きたかった。
「エビスさんの他に島の神社はありますか?」
山で暮らす人が自宅の隅にコウジンさんを持つように海の人はエビスさんを持っている。老人も自宅のエビスさんを掃除していたが、ムラとしての社がどこかにあると思われた。
「コンピラさんがあるばってん、だいぶ行っとらんけん分からんなぁ」
島の一番高いところにコンピラさんがあるらしい。老人の記憶によるとそこから見る景色が絶景で、談合島の手前あたりから海の色が変わるらしい。潮流が見えるという。天気予報が発達してなかった頃はコンピラさんに登って海の状態を見、それから漁に出ていたらしい。
老人は昔話になると目が輝いた。未来を語ると泣けてくるのに過去を語ると嬉しくてたまらないらしい。昭和55年に橋が出来て以降、野釜島に来る人は増え、暮らす人は減った。それでも道が欲しい。箱物が欲しい。議員が欲しい。よく分からぬが資本の余韻というものはそういうものかもしれない。
翌早朝、二日酔いの体に鞭を打ち、島の一番高いところを目指した。コンピラさんである。旅館の人に道を聞いたが説明できない道で通れるかどうかも分からないらしい。
島には二つの集落があってマエ・ミナミと呼ぶ。手元の地図では野釜前・野釜南となっているが、島内の呼称として、むろん野釜は要らない。旅館や海水浴場があるのはマエで、コンピラさんはミナミにあるらしい。
「ミナミで聞いてごらん」
言われてキュンとなった。何とステキな地名だろう。ザッとしているところに古色が見えた。
海を背にして坂を登ると集落が現れた。数件の集落かと思ったが、なかなか立派な集落で30軒ぐらいあろう。人を探した。人に会わなかった。しょうがないのでピンポン押して人を求めた。が、留守の連続で誰にも会えなかった。とりあえず高い方へ行くしかない。狭い道を上へ上へ歩いてみるとゴミ捨て場があって、そこで老人に会った。
「コンピラさんに行きたいのですが」
「コンピラさんな?」
老人がビックリするほど誰も行かない場所らしい。道を聞いた。田んぼの畦を通って、折れた木のところを左に曲がり、山に向かって歩くらしい。キーワードを頼りに歩いた。途中倒木があって道が塞がれていた。本当に誰も来ない場所らしい。島の最高点は88メートル。大した距離ではないが道が荒れているので泥だらけになった。
道の突き当たりがコンピラさんであった。着いた瞬間「なるほど」頷いてしまった。道案内をしてくれた老人が何度も私を止めたのだ。
「なーんもなかぞ!行っても後悔すっだけ!」
「何もないけん行きたいとです!」
凛と返した私であったが行って納得。本当に何もなかった。建物があるにはあったがブロック造りで倉庫っぽく、御神体も鍵がかかって見れなかった。ならば談合島を見よう。見るしかない。海を見た。目を凝らした。霞んでいて見えなかった。潮流が分かるという海の具合もサッパリ分からなかった。
私は何のため早朝から山登りをしたのか。
消化不良で山を下っていると港の手前でヤンキーに絡まれた。
「なん見よっとや?」
「海ば見よる」
ヤンキーはキョトンとした。オッサンに絡んでやろうと思ったが「海を見てる」の回答で拍子抜けしたらしい。パンパン鳴らして去っていった。
坂の下に海が見えた。海は広い。海は母性という。どこまでも広い母性に抱かれヤンキーという目立ちたがりの子供が育つ。広いゆえ個を表現せねば消えてしまいそうで怖いのだろう。「俺は何だ?」「俺は俺だ!」叫び叫んで走っていたら知らないオッサンを発見した。尋問した。「海を見ている」と返された。
「なんだ同類か」
同じ母を持つ似た種族と思ったに違いない。私は昨日今日しこたま海を見た。オッサンから海の匂いがしてもおかしくない。
阿蘇に戻った。
今度は山が近い。山は父性だそうな。私は生まれながらの山育ちで山が見えぬと具合が悪い。
「山が見よる!バチかぶるぞ!」
山の監視に怯えて育ち、山という威圧の元で社会性を叩き込まれた。山曰く個というものは常時発散してはいけない。たまに爆発させるべきもので、例えばその瞬間は宴会にあった。
旅行の最中、コンパニオンがこう言った。
「阿蘇の人たちはみんなそう、最初おとなしいくせ急にスイッチが入る」
一糸まとわぬコンパニオンが山の爆発力を恐れていた。
「山から来る人は怖い!暗い!喋らん!あれ!あれれ!うそ!あーれー!」
山のスイッチ、そのタイミングが全く掴めず意味不明らしい。
私は元気な先輩の恐るべき爆発を目の当たりにし、抑圧の反動を知った。礼を知る人ほど見事な爆発を見せた。
一般的にこういう傾向があるらしい。ウミンチュと比べヤマンチュは行儀が良い。暗い。閉鎖的。それまさしく海と山の成せる技で、明治維新で活躍した人を海と山で分類すると分かり易くておもしろい。
偉人は海に凛と立つ。革命家(変人)は山から降ってくる。
私は今日、山を見ながらこれを書いた。冷たい雨が降っていて今日の夜峰は白く煙い。目の前に山、脳味噌に海、ぼんやり叩くキーボード。
海もいい。山もいい。嗚呼、人の世のなんと儚げでおもしろき事。
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