第111話 我輩ハ夫デアル(2015年11月)

我輩は夫である。名前はまだない。
17年前に拾われて此の方「フクチャン」という血統で呼ばれ、名前で呼ばれた事がない。
我輩は夫であるがゆえ飼い主の幸せを求む。むろん子の幸せも求む。が、それは飼い主に属すオマケであって、父としてのそれよりも夫としてのそれの方が断然ウェイトが高い。よくよく考えるに我輩は飼い主との時間を想って自営を始め、飼い主のために労働し、飼い主のために子を可愛がってる気さえする。
熱量の分配に真実があるとするならば、夫という職に熱量の大半を投じている。むろん飼い主の気分は分からぬ。17年経った今も胸を張って「さっぱり分からん」と言える。
先日も飼い主が喜んでくれたらいいなと思い、何かした。何をしたか忘れるほどに色々やってるけれど何の手応えもない。のれんに腕押し。柳に風。飼い主はチラリこちらを見、「ふーん」と言うのが関の山。「ふーん」でも言うてくれたら最高。鼻で笑われ流されたり、気付いてもらえない事も多々ある。
夫というのは憐れなもので、忠犬ハチ公の如く飼い主の笑顔を待ち続け、不毛な観察及び行動を繰り返し、先に死ぬべき存在だろう。
「そもそも、飼い主に夫は要るのか?」
よく分からぬがそれは考えてはいけない。ハチ公だって待ってる人がまさか死んでるなんて考えた事はない。ただひたすら繰り返せ。夫という忠を全うするのだ。
「飼い主にとって何が幸せか?」
夫における永遠唯一の課題はそれであり、17年目の今においても常に止む事のない行動指針となっている。
我輩が見るに飼い主は今しか興味がない。これは17年の確信で、過去も未来も興味がなく、二つのソウゾウ(想像・創造)が大嫌いだと言う。
飼い主はほぼ脊髄(反射)で暮らしている。
特に朝が顕著で、同じ動作をただひたすら繰り返す。同じ事を同じ時間に同じ声量で同じ相手に叫んでる。我輩は飼い主の幸せが見たい。毎朝キレる日常が幸せに寄与しているとは言い難い。よって小声で提案する。
「まずは聞えるよう目を見て叱ったら如何ですか?」
「だからデカい声で叫んでるでしょ!小さい声で言ったらますますストレス溜まるでしょ!片付けろ!おい娘!片付けろ!キー!」
ニワトリは朝一に鳴く。誰にも教えられず朝一に鳴く。それと同じ。命の習慣、生命の咆哮、遺伝子発露による生命維持行動だそう。
分からぬ。我輩には分からぬ。分からぬけれど飼い主の幸せのため、やれる事は全部やりたい。やってあげたい。
幸せは千差万別。ゆえ我輩は悩む。飼い主には飼い主の幸せがある。むろん、それは尊重し、ソッとしたい。だからと言って何もせずに放置するのは夫としての職分放棄で、互いに寄り添うところを探さねば夫婦というものは健全なカタチを保ち難い。まずは我輩が思う幸せを赤裸々に見せ、飼い主との共通点を探りたい。
映画観賞であたりをみた。
我輩は男はつらいよ(寅さん)が大好き。是が非でも飼い主と一緒に見、幸せ気分を分かち合いたいと思った。数作一緒に見た。が、全部寝た。それもオープニングで寝た。たまたま飼い主に合わなかったのだろう。そう言い聞かせ、他にもたくさん感動系を見せた。全部寝た。寝なかったのはキョンシーとジャッキーチェン、そういう感じのコミカルアクションが好みらしい。
膨大な蓄積を経て飼い主の嗜好が分かり始めた。飼い主は構成や脚本の妙を必要としない事が分かった。今その瞬間、そのアクションのみが重要で、想像力が必要なものは真っ平御免。想像してごらんという我輩にとって極めてありがたいシチュエーションが最も苦手。瞬時に寝る事が分かった。よく言えば今に全力、今に浮気をしない真っ直ぐな人物でスポーツ観戦に向いていると思った。試しに贔屓の球団(ホークス)を与えた。これが効いた。熱狂的プロ野球ファンになった。
我輩は夫ゆえ飼い主の適性発見を喜ばねばならぬ。が、まさか、毎日長丁場それを観るとは思ってなかった。飼い主は体操もスケートもラグビーもサッカーも陸上も、今映るそれを片っ端からリアルタイムで観た。観ないと気がすまない性格になった。食事・睡眠・行事を削ってでも観るようになった。恐ろしいまでの適性合致で付き合いきれなくなった。
他に飼い主の幸せはないか。一つぐらいピッタリ合うのがあるだろう。あって欲しい。
買い物に付き合った。飼い主は買い物が好きだと言った。我輩も好き。目的の物をサクッと買うのが好き。ダラダラは性に合わぬ。飼い主はダラダラの買い物が好きだった。終わりがなかった。隣で見ていると飼い主の目的は歩く度に変化した。我輩の何百倍も時間をかけ、何も買わずに出る事もしばしば。全商品を見、全商品に立ち止まり、この商品をどうするか、今この瞬間の思い付きで決めるそう。それが買い物の醍醐味だと言った。自然、別行動がショッピングの基本になった。
夫婦は共に歩むゆえ夫婦であり、常に別なら夫婦である必要がない。一緒に考え、一緒に過ごし、一緒に笑える時間がないか。
理想は一緒に仕事をやる事だと思った。試しにモノづくりの仕事を振った。考える仕事は嫌だと言われた。残念無念諦めた。考える仕事しか持ち合わせがなかった。まぁいい。我輩は飼い主に笑って過ごして欲しい。花鳥風月と戯れつつ、ゆるり時間を過ごして欲しい。
我輩は思い出を語る事もある。語りつつ、当時辛いと思っていた事ほどいい思い出になってる事に気付いた。適度に辛い時間は二人のいい思い出になるだろう。
昨年、我輩の経営するカラクリ屋が厳しかった。
「この荒波を一緒に乗り切ろう」
手を取り合い語り合った。こういうのがいい。こういうのを二人で乗り切るのが夫婦の醍醐味ではないか。
「自営、夫婦、人生、波があるから時光る」
が、我輩の発した言葉は何一つ響いてなかった。飼い主は一切振り返らなかった。先を想う事もなかった。常に今。今のみを生きる。
親族から豪遊の誘いがあった。夏のディズニーランドで園内のホテルに泊まり、親族総出で遊び尽くすそう。
我輩はあれだけ熱く語ったゆえ、来年こそは売上を上げ、パーッと豪気に遊ばせたいと意気込んだ。親族にも手紙で詫びた。が、飼い主は夫の言葉を放り投げ、無言でバイトを始め、結局遊びに行った。
「厳しいのは分かってる!分かってるからバイトする!航空券だけ何とかすりゃいいでしょ!足りないぶんは身内に借りる!」
我輩、夫、そして男、その成分は大半がプライドで成る。厄介だが、それがなければ夫も男も成り立たず、ただ無様に立ち尽くすしかない。飼い主はチラリ横目で我輩を見た。
「だって行きたいもん、しょうがないじゃん」
色んなものを意に介さず、荒波を突き抜け、ディズニーへ走った。
我輩は凛とした飼い主に生きる力を見た。想像は喜びも悲しみも増幅する。今のみを見るという平面でシンプルな視点は、この時代、善いも悪いも言えず、ことディズニーに関して言えば問答無用が結果オーライ。結局、思惑通り突っ切ってしまった。
義姉から聞いた話だが、小学校時代の飼い主に次のような話があるらしい。映画館でポップコーンが食いたくなったそう。財布を見たら電車賃しか残っていなかった。飼い主は迷わずポップコーンを買い求め「後は知らん」と言うたそう。
「昔から今しか見ない性格だよね」
義姉はそう言って笑った。我輩は笑えなかった。泣いた。
兎にも角にも我輩の飼い主は強い。我輩は夫として最強の飼い主を得た。最強ゆえに守られる事はあっても守る必要はないかもしれぬ。が、夫の職分に忠実な我輩は、飼い主に危害を与える輩と戦わねばならぬ。
最近は子も反抗期。反抗期ゆえ、やたら飼い主に盾突く。我輩は子を叱る。叱る理由は飼い主擁護、それしかない。
「その言葉、我には良いが主へは許さぬ!娘!その言葉を詫びよ!」
声を荒げて怒ったりすると、
「そんなに言わなくてもいいじゃん!かわいそうでしょ!」
今の今、怒って泣いた飼い主に本気で叱られたりする。
「え?」
我輩は分からない。何が何だか分からない。飼い主は今が全て。それも間を持った今でなく、その瞬間すぐに流れる今ゆえに、違う自分が常に回っている。実体が掴めない。たぶん本人も掴めてない。
実体は心。飼い主は心がない。考えない。反射で処理。これじゃ永遠に掴めない。掴めるはずがない。虚像の連続。掴まえたと思ってもすぐに消えてなくなっちゃう。それは飼い主の口癖にも現れていて、
「私、悪くない」
「私、知らない」
「私じゃない」
私を中に留めない。サラサラ流れゆくために万物皆他人事。喧嘩になっても飼い主の所在が分からず、どこに怒っていいやら泣いていいやら、誰と話せばよいものか、そんな事を考えていたら朝になるというのが喧嘩の常であった。
「我輩ハ夫デアル」
名前はないが常に寄り添い主の幸せを探すのが職分。探せているのか。探せてない。他の我輩は、みんなどうしているのだろう。
先日、よその我輩と呑んだ。互いの飼い主が話題の中心だった。散々愚痴を聞かされ本当に疲れたけれど、聞いててハッとなった。
愚痴の内容はこう。
「皿洗いをしてた嫁が急に真顔で言うんだよ、私このまま老いてゆく、皿を洗って掃除して、ご飯作って老いてゆく、子はかわいい、孫だって絶対かわいいと思う、でも、それって幸せ?それが幸せ?幸せって何?私なんのために生まれてきたの?急にそんな事を言い出す嫁ってどう思う?俺、ゾッとした」
「凄い質問やね、で、何て返した?」
「知らんて言うた」
「そしたら?」
「大泣き」
「それは凄い」
「お前のところはそういうのない?」
「ない!むしろ波風立てず騒がれず平穏無事に過ごしたい、できれば一生脳味噌使いたくない、ベタ凪で死にたいって言ってた」
「それも凄いな」
「凄い」
「この年代は何かしらあるな」
「ある」
「・・・」
我輩、話しつつ飼い主の凄味に震えた。思わず唸った。
「やっぱり凄い!」
「え?どうした?」
「俺の嫁はやっぱり凄い!」
「お前が言うならそりゃ凄い」
「うまく言えんが凄い!やっぱり凄い!凄いぞ!」
何度も何度も唸った。もはや神の領域だと思った。
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