第118話 雨のくにがみ放浪記1(2016年6月)

沖縄との接点がなかった。全国で唯一行った事ない場所、それが沖縄で、特に知り合いもいなかった。が、今回なんと仕事で沖縄へ行く事になった。沖縄高専でモノづくりの打ち合わせをやるらしい。
「一緒に行くか?」
「行きます!行かせて下さい!赤字でもやりたいです!」
がぶり寄って仕事を請けた。
熊本から沖縄への直行便は一往復しか飛んでなかった。そのため日帰り困難。その事を先方わびておられたが、むろん日帰りで行くはずなかった。
30分で終わる打ち合わせに4泊5日の予定を組んだ。
出張の準備は5分で終わった。旅の準備は歴史の下調べ含め、たっぷり5日かけた。手荷物もその感じが如実に出ていて、体積比1対100で仕事が劣勢だった。
私は一家の大黒柱として嫁や子にウキウキの心を隠した。これはあくまで出張、家族に飯を食わせるために飛ぶのであってノリノリはよくなかった。が、バレた。急にビギンを聴き始め、語尾には「さぁ」を付けちゃって、沖縄の本ばかりを読み漁る夫に嫁は笑顔でこう言った。
「あら楽しそう、心はすでに沖縄ね」
「うん!」
ウンて言っちゃおしまいだと思った。

6月10日、熊本空港でお客様と待ち合わせ。一緒に飛ぶ段取りだった。
お客様はスーツだった。私はジーパン、作業着、スニーカー。本当はかりゆしウェアに半ズボン、足元は島ぞうりがベストだけれど、一応これでも社会人なので少し気を使った。
那覇空港でお客様と別れた。沖縄高専は名護市にあって車で1時間ちょいかかる。「一緒にレンタカーで行こう」と誘われたけれど「事情があるので遠慮します」そう言って別にレンタカーを借りた。まさか「4泊5日遊び呆けるつもりです」とは言えなかった。
空港を出てレンタカーのバスを待った。待ってる間、色んな人の顔を見て、やっぱりここは沖縄だと思った。ゴルフの宮里兄弟とビギンぽい人がやたらいた。みんな色が黒かった。みんな重心が低かった。たまに白くて重心の高い人がいると思ったらアメリカ人だった。

レンタカーは新車だった。最近の車は乗った事なくて発車にとまどった。
まず鍵穴を探した。最近の車は鍵穴がないらしい。指摘されて鍵がない事に気付いた。
言われた通りエンジンをかけてもエンジンがかからなかった。かかってるらしい。アイドリングストップという機能らしく停止時はエンジンも止まるそう。
カーナビの使い方もさっぱり分からなかった。スイッチがなかったので担当のお姉さんに聞いた。タッチパネルだそう。
「ボタンがないのは苦手です、画面をシュッとするのもスマホ持っとらんけんしきらんです、スクロールバーはどこ?」
「は?」
見かねたお姉さんが隣に座って目的地を設定してくれた。
「最近の車は難しいですね」
「昔より簡単になってると思います、お年寄りでそう言われる方がいらっしゃいますが、お客さん若いのに、とりあえず後ろがつかえてますので発車して下さい、後で色々触って覚えて下さい、はぁ」
宮里藍似のお姉さんは溜息残して去ってった。

沖縄高専でお客様と合流し、打ち合わせ場所に入った。
入って度肝を抜いた。
「本当にここは高専か?」
私の母校は高専だから高専がどういうものか知ってるつもりだったけど、この高専の高級感は私の常識をぶっ壊した。言うなれば私の知ってた高専は名もなき山村の民宿、沖縄高専は海辺のリゾートホテル。
「これ何?国道を跨ぐ屋根付き通路?」
寮へと続く栄光の架け橋らしい。
「これ何?コンサートホールっぽい客席付き中庭?」
交友広場という場所で、演奏会をやったりイベントやったり、学生が青春を盛り上げる場所らしい。
食堂も「レストラン」と表記されていた。図書館も洗練された喫茶店みたいになっていた。総じて田舎者が入り辛い雰囲気に仕上がっていた。建物の名前も管理棟って感じの無骨さ皆無、「メディア棟」て呼ばれてて色々横文字ナウかった。
手元の資料によると沖縄高専は高専の中で最も歴史が浅いらしい。そういえば私が学生の頃、与那嶺さんという沖縄の人がいて、
「沖縄には高専ないさぁ」
そう言ってた。
その人は無口な人で酒を呑む人じゃなかったけれど、呑みの席では急に歌って踊り出し、みんなをビックリさせた。その後、旅先で会った沖縄の人も宴席になると歌って踊って弾け出し、みんなスーパーウチナンチュになった。
「なぜだろう?」
積年の謎を解き明かすため私は沖縄に来た。が、まずは仕事。打ち合わせを終了させねば旅行に集中できなかった。

打ち合わせは予定通り30分で終わった。が、熊本からやって来て30分で終わるのは互いに心苦しく1時間ぐらい雑談した。
雑談の中で今日の宿を聞かれた。宿の名を告げ、近所にステキな呑み屋がないか聞いた。たまたま独身の先生が宿の近所に住んでいた。色々教えてくれた。
「先生お詳しいですね!今夜一緒に呑みましょう!」
「え?」
「呑みましょう!」
「はぁ、予定を確認」
「呑みましょう!」
「はい呑みましょう」
そういう流れで今日の相手も掴まえた。沖縄初日の夜は名護市街と決まった。

ところで沖縄高専は名護市辺野古にあって隣は移設問題のメッカ「キャンプ・シュワブ」だった。
政治のお約束として、何か大きなプロジェクトを展開しようとする際、その前段として立派過ぎる建造物を近隣に造りまくる。これは煌びやかな未来像を地域に植え付けようとしているらしい。地域にたっぷり予算が付き、道や橋が立派になり、誰も行かない箱物や公園がたくさんできる。一部の人が潤って、その一部の人が賛成票をまとめるという構図ができ、地元の意見は真っ二つに割れる。
高専手前の国道も巨大な橋が架かっていて、その高専は前述の通り高専らしからぬリゾート建築。
「なるほど!そういう事か!」
時間があったのでキャンプ手前で途中下車。その辺をぶらりしようと試みた。が、すぐに警察が来た。キャンプ前に警官が常駐していて「ここは駐停車禁止」と追い払われた。
道沿いにはデモ隊が作ったテントが所狭しと並んでいて、私も同じ一派と思われたのだろう。「単なる旅人で一切害はない」と説明したが聞く耳持ってもらえず二人がかりで猛烈に追い払われた。
「写真もダメ、テント村への取材もダメ、とにかく立ち止まってはいけない、素通りせよ」
常駐警官の任務はそれに尽きるらしく、私の後に停まった車にも同じ事を告げ、猛烈な勢いで追い払った。

日没を待って名護の街で呑んだ。先生と呑んだ。
先生曰く「名護の街は昭和で時が止まってる」らしい。
なるほど、これは名護だけに限らず全国の繁華街に言える事で、全ての繁華街が昭和をピークに止まってしまった。
ロードサイドに巨大ショッピングモールや飲食チェーンが林立し、郊外は全て同じ景色になってしまった。街の違い、即ち文化を覗きたいと思ったら、もはや寂びゆく繁華街しか残されてないんじゃないか。
以下は昼に撮った写真だが、名護の街は確かに色濃く昭和だった。



これは先生が仰る「名護のメインストリート」で、昭和に量産された片側式アーケード。
小ぶりな商店街は凡そこのカタチをしていて、日本中どこへ行ってもこのカタチが背骨になって街を成している。
「両側式の全天候型アーケードもありますか?」
「あるにはあるけど人がいないよ」
確かに昼も夜も人がいなかった。



が、収穫はあった。この場所で正直な店を発見した。



「ハニートラップ」
どんだけ正直なのだろう。思わずノックしたけれど何の反応もなかった。

古い街だけに沖縄らしさもたくさんあった。
繁華街の隙間に沖縄住宅が点在してた。



この沖縄住宅を商店ぽくするにはどうしたらいいのだろう。歩いて分かった。演劇セットの如く、通り沿いの壁面を商店ぽくするらしい。



看板の裏に沖縄住宅の低い屋根が見え隠れしてかわいかった。

名護で一番沖縄っぽいと唸ったのは市役所だった。
クーラーがない時代、風を妨げない事で屋内に風を届け、涼をとろうとしたらしい。ゆえ、なるべく壁をスコスコにし、そのスコスコが独特の外観を生んだ。



最高だった。これでもかと言わんばかりにシーサーが壁面や屋上に乗っかってるのもよかった。
旅先は非日常がありがたい。屋内にも侵入したけれど現在はクーラー時代で締め切ってあり、何の特徴もなかった。見なかった事にして外観ばかりを楽しんだ。
役所前の弁当屋もよかった。



その名も役所前弁当。シンプルに勝るものはなく、こういう感じで続いている店は間違いなく美味い。勘を試すべく、ちょっと覗いた。驚いた。100円弁当があった。その他200円300円とあった。どれも抜群にうまそうで味見したくなった。
一人で食うのは寂しいので一緒に食べてくれそうな子供を探した。お腹がすいてそうな少年の集団を発見した。1000円分いろいろ買って子供たちと一緒に食べた。
少年は小学校3年生、9歳だそう。が、その顔はほぼ具志堅で、沖縄の遺伝子、その強烈さを物語っていた。

話を夜に戻す。
高専の先生と街をぶらつき、先生おすすめの郷土料理屋に入った。
沖縄の郷土料理は基本アグー(豚肉)と豆腐で成るらしい。ソーキ(あばら骨)、テビチ(足)、ミミガー(耳皮)、チーイリチー(血)、豚の部位を一通り平らげ、次いで豆腐に移った。木綿っぽい島豆腐、チーズみたいな豆腐よう、落花生で作ったジーマーミー。
正直、豆腐は熊本の方がうまいと思った。最も気に入ったのはテビチ。やはり私は豚足が好きなのだろう。熊本で食べる豚足(焼いて酢醤油)も好きだけど、ほろほろ煮てあるテビチもビールや泡盛にマッチして最高にうまいと思った。

二軒目はスナックに行った。
先生はあんまりスナックに行った事がないと言われたので私が決めた。笑うセールスマンが行きそうな渋めの看板を選んだ。
着物を着たママと、関西から流れ住んだバツイチ・チーママ2人でやってる小さなスナックだった。
先生は泡盛に詳しかった。高専の授業で泡盛を作った事もあるらしく、ナントカ菌とか蒸留法にやたら詳しかった。
こういう感じが好きならアレ、ああいう感じが好きならコレ、色々提案してもらったが、そもそも泡盛を呑まないので何が何だかサッパリ分からなかった。よって先生の選択に全てを任せた。
「先生と何を話したろう?」
これを書きながら思い出そうと努めるも全く思い出せなかった。その代わり、先生に対するチーママの反応は思い出せた。
先生が注文する泡盛はマニアックの極みらしい。先生が銘柄を告げると、チーママ大袈裟に顔を歪めた。
「えーあれ呑む?あれ呑むの?呑める?クセ凄くない?」
あるにはあるがキープの値段も高い、そしてクソまずいと言う。
商店街で見たハニートラップといい、このチーママといい、名護の歓楽街は正直者が多かった。
「高いよー!まずいよー!」
チーママはそう言いながら指定のボトルを出した。呑んだ。私にはクセというものが理解できなかった。先生が味の特徴を先生っぽい言葉で色々説明してくれた。が、どれもピンとこなかった。旅人としては最も売れてる泡盛と呑み比べしてみたかった。チーママに尋ねたら久米仙という銘柄がメジャーらしく、その久米仙も霧島と同じく色でランク分けされてるらしい。
「全部ちょっとずつ呑んでみる?」
チーママのご好意でオチョコに数種、久米仙シリーズが注がれた。
「どう?」
二人が私の反応を待った。
先生は自分が選んだマニアックシリーズを選んで欲しい。
「どう?」
チーママは自分が呑み付けた久米仙ブラックを選んで欲しい。
旅人は困った。味の違いは分かるけど、どれが美味い、どれがまずいに至らなかった。
オリオンビールを頼んだ。
「これが一番うまい!あいカンパーイ!」
我ながら上手く逃げた。

午前を回った。
これでお開きかと思ったら、
「馴染みのバーで締めよう」
先生にエンジンがかかった。先生、最初は「呑めない」を連発しておられたけれど、呑めば呑むほど泡盛を語り、最後は馴染みのバーを披露された。
「もはや呑めんとは言わしませんぞ」
笑ってカウンターに座ったら、
「もう呑めないからハイボール」
意味不明な注文をされた。
この翌日、私は野球大会に参加する運びとなるが、そこでも同じような沖縄語を聞いた。
「オリオンはサイダーさぁ」
炭酸が入っている飲みものは全て清涼飲料水だそう。そういえばスナックで後ろに座ってた人も「呑めんから息抜きオリオン」そう言ってビールを呑んでいた。呑むというのは泡盛の事で、他は「呑む」でなく「飲む」に違いない。
ちなみに先生との別れ際、泡盛のボトルを頂いた。



学校の授業で作った泡盛らしく、先生曰く「最高にうまい」そう。
私はここで気付くべきだった。この「香仙」という泡盛は「高専」にかけたシャレで、ドーンと盛り上がる瞬間だった。が、酔った私はあろう事かスルーした。全く気付かず次の宴席で香仙を振る舞い、誰かがシャレを指摘した。
「先生ごめん」
心残りはこの一点に尽きた。

さて、その夜。
終わりそうで終わらんかった。
先生と別れた後、部屋に戻ろうとしたらロビーで騒いでる集団がいた。ホテルの隣が居酒屋になっていて閉店で追い出されたらしい。で、トイレを借りに来たらしく、これからスナックへ繰り出し、更に呑むと騒いでた。
あまりにも楽しそうなのでジッと見てたら、
「夜から応援しておくさぁ」
ビギンの名曲を歌い始めた。
気になったので隣に座って新聞読むフリをした。聞き耳立てた。
「やっぱりそうか!」
この集団はあの歌の通り野球大会を明日に控え、前から呑んでる集団だった。
たまらず話しかけた。まずは私が旅人だという事、次にビギンが歌う「オジー自慢のオリオンビール」が大好きだという事、沖縄の文化を知りたいという事、包み隠さず全てを話し、明日の野球に入れて欲しいとお願いした。
集団は笑った。「変わった人もいるもんだ」そういう事をてんでバラバラ言った後、私をタクシーに乗せてくれた。
今夜の私は凄かった。ヘンなツキを感じた。たった10分で名護の街にカムバックした。そして「歌えや上がれ」と背中を押され、スナックのステージに立たされた。
「さあ熊本の青年、地震の悲しみを歌え」
おじいたちは真剣な眼差しで私を見た。私が歌いたがっているように見えたのだろうか。「熊本から来た」と言ってしまったのがいけなかったのか。いや、そんな事はどうでもいい。四人のおじいは最初に歌いたいのを我慢して私に一番を与えた。
「お前の歌を聴いてやる」
全員その姿勢で次の歌も入れず私の挙動を待った。
(急いで歌わんといかん!)
(地震の悲しみって何?)
(傷付いた人の歌ってあるか?)
ふと思い付いたのが「傷だらけのローラ」だった。
「これだ!」
反射で入れた。
とにかく歌った。
ローラをアーソ(阿蘇)に替えて歌った。歌ってビックリした。私にも、おじいにも、スナックのママにも、他の客にもビンビン響いた。

 アーソ(アーソ)君は何故に
 アーソ(アーソ)心を閉じて
 アーソ(アーソ)僕の前で、そんなにふるえる


何かが降りてきた。
私はステージで崩れ、叫び、秀樹になった。

 今、君を救うのは、目の前の僕だけさ
 生命も、心も、この愛も捧げる
 アァーアァーソォー


歌い終わって見ず知らずの12人と抱き合った。
「頑張れ」
「死ぬな」
「ママ!久米仙ブラック、ロックで彼にあげて!」
そこで気付いた。
「すいません、ここはどこ?」

ひょんな事から地元の呑み会に参加してしまった。
呑み始めから既に相当呑んでた事もあり、ずっと頭が痛かった。
午前3時を回ると客はおじいだけになり、ママもソファーで寝転んだ。
「適当に帰んなよ」
ママの言葉をおじい4人は聞き流し、
「朝までやるさぁ」
そう言った。
この人たちは本当に朝までやるつもりだろうか。申し訳ないが付き合う事ができず、テーブルに突っ伏したところで、おじいの一人が帰ると言い始めた。
「青年、一緒に帰ろう」
おじいの帰る理由が笑った。歌い過ぎて声が出なくなったそう。明日の応援に障るから帰って喉を整えると言う。
歌い続ける3人と眠るママを残してスナックを去った。
タクシーを捉まえるため先ほどのメインストリートに出た。深夜にも関わらず車が流れていた。そのメインストリートの脇にたくさん酔っ払いが寝てた。
パトカーも通った。酔っ払いを起こすかと思いきや素通りした。
「この光景は何?」
おじいに聞いた。
「これが沖縄さぁ」
酔って道端に寝ても凍え死ぬという発想がないらしい。みんな一度はやった事あるから、これが気持ちいい事も知っていて、道の真ん中じゃなかったら寝せとくそう。
「これが沖縄さぁ」
「うん沖縄だ」と思った。

翌朝、というか、その数時間後、鬼の二日酔いで目覚めた。目覚めるやゲーゲー吐いた。
ホテルの下が野球場で、徒歩数分で野球場に着いた。
おじい三人は応援席の端っこでグッスリ寝てた。私を送ってくれたおじいはいなかったので三人を起こした。
「まだ早い」
応援すべき試合は次の試合らしく「起こすな、後2時間寝せろ」強い語調でそう言われた。
仕方がないので名護の街をぶらぶらし、昨日スナックのママがおすすめしていたソーキソバ屋に入った。



「宮里そば」という店に宮里兄弟そっくりの沖縄人がギューギュー詰めで座ってた。この面白さが分かるのは自分だけだと思うと尚一層面白く、人生初のソーキソバは笑いを我慢するエネルギーに持っていかれた。

この日は小雨でスタートしたが、次第に本降りになった。
おじいの指示通り2時間後に野球場へ行くと、雨の中、凄まじい応援合戦が繰り広げられていた。そもそも、この大会は何の大会だろう。ボードを見付けた。



国頭地区・中学校野球大会らしい。
「え!中学校!」
甲子園並にブラスバンドが出て、猛烈な応援合戦を繰り広げていたので、てっきり高校野球と思っていた。それも県大会クラスかと思いきや参加4校の地区大会らしい。
おじいが見付からなかった。おじいを探し、雨の球場をさまよい歩いた。



それにしても何という見事な応援だろう。ブラスバンドと学生の応援席があって、その後ろに保護者席、離れたところに一般席、どの応援席も老若男女全力応援だった。



私は保護者席を中心におじいを探した。が、おじいは見付からず、一般応援席から声がかかった。
「おい青年!」
なんと、おじい4人組は保護者でも身内でもなかった。その校区に住む野球好きの4人組だった。
「お孫さんはどれですか?」
「孫なんていないさぁ」
中学校の野球大会があるとの情報を得、うちの校区を応援せねばと奮い立ち、
「前から応援しておくさぁ」
本当に前から呑んで、今この応援の時も水筒に入れた泡盛を呑んでいた。
この4人と同じ感じの集団が他にもいて、攻撃が始まるとブラスバンドに合わせて踊り狂い、ピーピー指笛を鳴らした。
野球場で守るべきルールがあるらしい。守備の時は静かに泡盛を呑む。攻撃の時はブラスバンドが主、勝手は厳禁、リズムに従い団結して踊るそう。それが野球を観る作法らしい。
私は感動した。野球そのものがお祭りで、お祭りだから一致団結して盛り上がる、至極当然の事だと言われた。
なんてステキな応援席だろう。私は偏見を恥じた。
「地区大会だから」
「中学生だから」
「だから何?俺のバカー!」
踊れないのにむりやり踊った。
「やめろ見苦しい」って叱られた。



軽快なリズムが旅の途上によく沁みた。
当たり前が人をつくると言うが、こういうリズムと当たり前で沖縄人は沖縄人になるのだろう。
そもそも島民はなぜ歌って踊るのか。キューバとかサモアとか、島の人は得てしてよく歌い、よく踊る。おじいはこう言うた。
「風が吹くからさぁ」
全てを雨や風が流すから、それに身を任すそう。
「風に乗って歌うのさぁ」
何てステキな人たちだろう。アルコールなしでは5分たりとも同じ場所にいれない自分が、なんと2試合も、知らない中学生の知らない試合を観続けた。それもノンアルコールで。
私は傘を差して観た。おじいはびしょ濡れで踊り続けた。途中おばあが服を持ってやって来た。おじいと会うのは久しぶりだそう。土砂降りだから着替えがいると思ったらしい。
総じて沖縄の女性はよく働き、男は怠け者・遊び人が多いという。
思わず聞いてしまった。
「おじいのどこがよくて結婚したんですか?」
おばあ笑顔でこう言った。
「遊べない男はダメさぁ」
おじいとおばあとブラスバンドが私の心を突き刺した。私は崩れ落ちた。
「踊れないカラクリ屋はチンコ切れー!」
手拍子の中年は男じゃないと思った。
おじいはブラスバンドに合わせて踊り続けた。おばあもおじいに合わせて踊り始めた。
いつまでも、おじいとおばあを見ていたいと思った。
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