第149話 走れヒロノリ(2020年1月)

中学時代の同級生が徳島にいる。昨年4月から転勤で行ってて今年3月には離れると言う。それはまずい。必ず遊びに行くと約束していて、他の同級生もみんな知ってる。
「あいつ徳島来た?」
「来る来る言うて結局来んかった」
「あいつ口だけやねー」
そうなる事態は絶対避けたい。
1月19日夕方「明日行こう」と決めた。
昨年5月「来週行こう」と決めたらギックリ腰になって行けなくなった反省もあり明日出発にした。明日ならギックリ腰の神様も手が出せまい。
そうと決めたら移動手段の確保だ。車、新幹線、飛行機、くまなくチェック。が、徳島は意外に遠く、そして不便、前日という事もあって交通費も高く、想定予算を余裕で超えた。
「どうしよう?」
目の前にボロボロの三輪バイクがあった。徳島までは船を挟んで移動距離400キロ、歩いて行けば10日の道だがバイクなら3日で行ける。
「往復6日!何とかなるでしょ?」
「なる!」
自問自答を繰り返しバイクで行くと決め、馴染みのお客さんに「1月20日から25日まで音信不通になります」とファックスした。
旅は病気だ。みんな年に一度の発作が始まったと理解してくれるだろう。
嫁も偉い。嬉しそうに「いってらっしゃい」と言ってくれた。「子供たちに何て言ったらいい?」と聞くので「そこは出張で頼む」とお願いした。仕事してない親ってこれ以上思われたら大変だ。久しぶりに見栄を張った。

1月20日、出発の日。
朝からバイクを整備した。走ってる最中にタイヤが外れた事もあるいわく付きバイクゆえ念入にネジの確認をした。次いでカーナビを付けた。電源がDC5Vだったからモバイルバッテリーから電源取れるようケーブルを作り、貼り付ける場所もむりやり板を貼って作った。




防水対策は嫁が考えた。適当なビニール袋でぐるぐる巻きにし、クリップで挟んだ。バックや寝袋も「雨が降ったらコレに入れて」と巨大なゴミ袋をくれた。更に百円ショップで買った防水スプレーを僕の服にシューシューしてくれた。
「防水スプレーはシリコンか?」
全身滑るようになった。尻とシートが滑って急ブレーキをかけると体が前に飛び出した。
「さすが道子」
これは確実に死ぬなと思った。防水と完全犯罪は道子。さすがの手腕に唸った。
「そうそう記念撮影しなきゃ」
嫁が言うので四女を抱っこして写真を撮った。



「しばしお別れね」
長いお別れを期待されてるようで怖い。嫁の目が見れなかった。

さあ出発の時。
初日は楽しかった。
寒かったけど晴れてたし、距離も臼杵までの100キロちょいしか走らない。途中観光する余裕もあって滝に寄ったり史跡探索もした。



いい話も聞いた。郷土史家みたいな老人が臼杵の磨崖仏付近を歩いてて、その人が「ここは浄土を模した場所」と言った。古くは磨崖仏と満月寺(まんがつじ)の間に池があり、勇壮な浄土式庭園だったそう。



浄土式庭園は平安時代に流行った。平等院鳳凰堂に代表されるように寺と池と仏がセットで極楽を模す。磨崖仏は国宝だから入場料を払ってたくさん人が行くけれど、そこを離れた場所から寺とセットで眺め、まるごと極楽と見るのはなかなかマニアックだった。更に「ここは極楽じゃー」と言いながらフラフラ歩く老人が極楽感を高めてくれた。逝ってしまいそうな気分になった。

初日の宿には16時に着いた。
この日は一緒に泊まる相方がいて例の長さん(128話参照)が車で来た。「明日臼杵に来る?」って聞いたら二つ返事で来てくれた。
早い時間から一緒に散策する予定だったけどメガネ屋で遊んでたら出発が遅れたらしく長さんが来た頃には暗かった。よって散策は明日に回し、城下の小料理屋で酒を呑み、酔い潰れて寝た。

二日目の朝、長さんが起こしに来た。朝飯を7時に予約していてムリヤリ食った。二日酔いが辛かった。
それから今度こそ散策に出る予定だったけど体が重くて動かず長さん一人で行ってもらった。が、9時には嫌でも動く必要があった。四国へ渡るフェリーの予約をしていてダラダラしてられなかった。長さんの散策に途中から合流し、1時間ほど歩いた。



それにしても臼杵の街はいい。色んな街を歩いたけれど、これほど自然なかたちで城下が残ってるところはないと思う。観光地の城下じゃなく自然な城下だから兎にも角にも道が細い。クランクも多く、右へ左へクネクネしていて、コンクリートより石が多い。
長さんはこの街にうっかり車で入って抜け出せなくなったそう。
「凄い!この街は車禁止の街だ!」
売れっ子漫画家になった長さんもこの街の基本構造が気に入ったみたいでパシャパシャ写真を撮ってた。

さて、この日は行けるとこまで行きたい。
寝袋積んでるから最悪無人駅でゴロ寝もいい。四国に渡ればお遍路さんもいるから大して怪しまれない事を過去の旅で知ってるし、十代の頃は国道沿いの歩道で寝たり人んちの庭で寝たりした。
佐賀関から佐多岬へ船で渡った。
佐多岬半島はマジで長い。尾根をゆくから風も強く、歩く時は北海道の原野並に注意が必要で、丸一日かかる割に休憩場所が少なく、夏などは干上がってしまい、過去には通行してる車を止めて「飲みかけでもいいから水をください」と物乞いした事があった。
同様に北海道のサロベツ原野も知らないと死ぬ。天塩という所から原野に突入し、海沿いを北上すること延々55キロ、ホントに何もないし車も通らないから水を持たずに突入すると死兆星が見える。原野の終わりに抜海駅という駅舎があって、そこで死にかけ倒れていたら旧国鉄職員が水と食料をくれた。神様に見えた。

過去の旅路を思い出しつつ佐多岬半島を抜け、海沿いの道をひたすら走った。
海沿いの道はいい。サザンが似合う。それは夏の話で冬は悲しみ本線日本海が歌うように「寒い、こころ、寒い」とにかく寒い。更に森昌子、越冬つばめが歌うように「ヒュールリー」とにかく風が強い。
休憩しようとバイクを降りても波打つ瀬戸内海は見るに寒いし風をよける場所もなかった。仕方がないので「飯を食えるところまで走ろう」と決め、ガクガク震えながら100キロ連続運転した。
これがいけなかった。
僕は重度の腰痛持ちで一番気にしていたのは腰。バイクが一番腰に悪い。1時間運転する毎に30分ぐらいは歩いた方がいいと言われていたのに3時間連続運転してしまった。
「うー痛てぇよー」
それから痛いの何の、もうバイクを捨てて汽車で行こうと予讃線の駅へ向かうも2時間に1本しか走っておらず、それも出たばかりだった。
駅でぼんやりしながら何でこんな事してるんだろうと思った。そうそう同級生に会いに行こうとしてるんだ。あまりの寒さに忘れてた。
「苦痛を乗り越え逢いに行く俺」
同級生が待ってる。これは修行だ。くじけちゃならぬ。走れメロス。走れヒロノリ。
口だけの男と言われたくないのが本来の目的だけど、それだと奮い立たないから僕が行かなきゃ同級生が死ぬという事にした。
「よーし!」
メロスの気分で再び動いた。海沿いの道がようやく終わり、松山手前から内陸へ入った。入ったら峠越えだ。
この峠は桜三里と言って平家の落ち武者が桜を植え続け三里12キロに達した名所らしい。が、冬だから何もなかった。地元の人に話を聞いた。春が凄いという訳でもないらしい。国道の排気ガスでほぼ立ち枯れてしまい名前だけが残ってる状況らしい。話を聞いて暖かくなるはずが心まで寒くなった。
峠を越えたら石鎚神社があった。四国で一番高い山・石鎚山を御神体とする神社で巨大な鳥居が国道沿いにドーンとあり素通りを許さぬ雰囲気があった。ちょうど1時間走ったから腰のために立ち寄った。



石鎚神社は丸に石の字、石ちゃんマークがかわいい。どこを見ても石ちゃんマークで、名前に石が付く人にとっては楽園だ。が、僕は福山だからどうでもいい。福山は中華料理店に行くと福ちゃんマークだらけで何だか歓迎されてるみたいで嬉しい。だから僕は中華好きだ。
それにしても寒い。歩いても歩いても芯の冷えが抜けず動きが常に硬かった。
神社の人が写真を撮ってくれた。



もっと笑えと言われたけど顎のガチガチが引かないから笑いたくても笑えなかった。

さあ30分歩いた。後1時間バイクで走れば四国の真ん中ぐらいまで行くだろう。
「メロスならぬヒロノリ頑張れ!」
気合を入れて国道に戻った。が、気合じゃどうしようもない事があった。一つは腰、もう一つは日没。お日様が落ちると僕のやる気も落ちた。
「やっぱり明日がんばろう」
西条の街中にバイクを滑らせ安宿がないか探した。巨大な文字で「一泊税込2900円」と書いてあるホテルを発見した。
「今すぐ横になりたい」
もう駅でゴロ寝は絶対御免の気分だった。十代とは何かが決定的に違った。
「嗚呼、老けた」
あれから四半世紀、老いたヒロノリは腰を撫でつつチェックイン。痛過ぎるその晩は外へ呑みにも出ず、手近なコンビニでカップラーメンとアルコールを買った。
いつの間にか寝てしまった。

三日目、その日は早く出ようと気合を入れ朝5時に起きた。徳島まで150キロ、時速30キロ計算だと5時間で着くけど1時間毎に30分歩くし飯も食うから9時間ぐらいかかるだろう。同級生は17時まで仕事だ。それから夜通し呑むだろう。呑み会だけは遅れちゃいけない。
鋭意出発の準備を終え、ホテルを出る前にメールチェックした。同級生からメールが来ていた。今日は会議があるから帰りは20時以降になると書いてあった。「寂しがり屋の僕を20時までほっとくのか?」と返したら「仕事の邪魔はしない約束じゃないか」と言われた。
うーん、この感じは中学の同級生だけにあの時代の恋愛を思わせた。絶対行かなきゃと思って万難排して向かったら「えーホントに来たのー」あの感じ。
荷物を置き、ちょっと考える事にした。
「徳島へ行く意味あるのか?」
徳島でバイクを売るつもりで昨日のうちにバイク屋に電話してた。まぁそれは断りの電話を入れればいい。が、メロスはどうなる。走れメロスならぬ走れヒロノリは先方がノリノリで待ってる前提だ。行ってガッカリされたら多分泣く。
「よし!」
徳島行きはやめた。すぐにメールしたら「何も準備してないからご自由に」と返ってきた。ほらステキな酒場を用意してノリノリで待ってると思い込んでた僕は完全にピエロだった。危ない。昔の恋愛その完コピじゃないか。
そういう事で四捨五入したらほぼ徳島まで行ったという事で自分を許し、次なる目標を求めた。目標は僕を歓迎してくれる人。それがないと走れヒロノリになれない。
「そうだ親戚の和哉!」
松山からフェリーで山口下松に行ける。泊めてもらおう。バイクは和哉にプレゼント、僕は新幹線で帰ればいい。電話した。呑み会が入ってるから今日はダメと断られた。
「伊予西条からバイクで今日中に行ける知人、他にいませんかー?」
もう一人いた。大分の同窓生にメールした。二つ返事でOKと言ってくれた。奥さんも一緒に呑もうと言ってくれた。
「よーしメロスになれる!目的地、大分に変更!」
昨日来た道を戻るのは癪なので、なるべく違うルートを探し、内子、大洲経由で行こうと決めた。
そうそう目的地じゃないけどたまたま泊まった西条も御縁だから遊んでみる事にした。まずはガラガラの長いアーケードを歩いた。すると知らないおじさんが走り寄って来た。
「アナタはイエス・キリストをどう思いますか?」
「はい、イエス・キリストだと思います」
目が逝ってるおじさんは頷きながら去った。回答は合格みたいで嬉しかった。
発見もあった。西条は千の風を歌う人の出身地らしい。だから何だと言えばそれまでだが記念写真を撮って西条を後にした。



それから先も大変だった。
今度はバイクが壊れた。桜三里の峠を越えたところで急にエンジンが止まり全く動かなくなった。セルも回るしキックも効くけどエンジンがかからない。途方に暮れつつ、やれる事はキックしかないから延々キックしてたら突然かかった。
やっとかかったのに信号待ちで回転数が落ちると又止まった。止まると又50回ぐらいキックする必要があって止まる度に10分ぐらい時間をロスした。
これはいけない。バイク屋を発見したので「このバイクを買ってくれ」とお願いした。値段が付かないと言われたので「じゃあ貰ってくれ」とお願いした。タダでもいらないと言われてしまった。
とりあえず走りながら動かすコツは掴んだ。停止時もブレーキかけてアクセルふかし、回転数を落とさなければ止まらない事が分かった。が、怖いのは始動。段々キックの数が増え、停止時間が増えてった。
腰の事を考えたら止まった方がいい。バイクの事を考えたら極力止まっちゃいけない。何とも言えない最悪の状況に陥った。体は捨てられない。一刻も早くバイクを捨てようと思った。

古い町並みで有名な内子に着いた。
地元の人にバイクを引き取ってくれる場所がないか聞いた。先の大洲まで行かないと多分ないと言われた。ないなら仕方ない。エンジンを止めたついでにじっくり散策した。



さすが噂の内子だけに整備補修された昔の豪邸がズラリ並んでいた。が、やはり観光地で、万人が歩きやすいよう分かりやすいよう工夫されていて生活感や当時の匂いは薄かった。個人的にはぶっきらぼうな臼杵の方が好きだけど、こういうちゃんとした感じは行政が大好き。やたら表彰されてるし、お金もたくさん注がれてるみたいで勝ち組って感じがした。



内子を出ると大洲に寄った。
止まると始動が面倒だから寄りたくなかったけど早くバイクを捨てたかった。ここでも地元の人にバイクを引き取ってくれる場所がないか聞いた。すると先の八幡浜に行かなきゃ多分ないだろうと言われた。
愛媛県はお役所みたいだ。僕のバイクが要らないからって、たらい回しにしないで欲しい。
大洲は軽く散策した。
大洲と言えば東京ラブストーリー。リカが別れの手紙を出したポストで写真を撮り、二人が歩いた道を一人で歩いた。



何だかんだでフェリー乗り場の八幡浜まで来てしまった。ここでバイクを捨てないとバイクもフェリーに乗ってしまう。乗ったら2200円かかる。
何が何でも手放すべくバイク屋探しをしていたらガソリンが切れた。
「よーし満タンにしたら貰ってくれるに違いない」
600円払って満タンにし、スタンドでバイク屋を聞いた。ヒゲのおじさんがやってる優しいバイク屋があるらしい。
「あ!ヒゲのおじさん発見!」
事情を話し「ガソリン満タンだから貰ってくれ」とお願いした。が、このバイクは全く需要がないらしく、仮に貰ったとしても部品の使い道もないと言う。
「貰うと場所もいるしねぇ、分かるでしょ、この通り、勘弁して」
なんとガソリン付きでも拒否されてしまった。
ショックで足取りが重くなった。キックの力が入らず何度やっても始動しなかった。見かねてバイク屋がキックしてくれた。はぁはぁ息を乱して格闘し50回目にやっとかかった。
「このバイク絶対いらねぇ」
バイク屋そう言うと急いで奥へ消えた。

港に着くと雨が降り出した。
フェリー乗り場でも色んな人にバイクいらんか聞き続けた。みんないらんと言うので結局船に乗せた。

バイクがついに壊れたと思ったのは九州に渡ってからだ。
始動に時間がかかるからバイクを押して船を降り、降りた先で連続キックに入った。普通は10分でかかる。が、15分20分やってもダメで汗だくになった。
それを見てたのがトラックの運ちゃんだ。諦めかけた中年に「諦めるのはまだ早い」と声をかけ、キックを代わってくれた。このバイクのいやらしいところはかかりそうな音がするところで、マジで意地が悪い。
「惜しい!」「もうちょっと!」「次はいけんべ」
かかりそうでかからぬエンジンに運ちゃんたちも汗だくになった。「もうこうなったら意地でもかけよう」そういう感じになってきた。
そんな中、一人の運ちゃんが満を持して現れた。自称どんな古い発電機や草刈機も一発でかけちゃう男らしい。自分でハードル上げるとこから察すに常にそういう感じの人なのだろう。他の運ちゃんをかき分け会心の一撃を放った。が、かからぬ。
「どうした一発屋!」
他の運ちゃんがはやし立て一発屋はムキになった。連続キックを浴びせ何と10発目にかかった。
「おー!」
超盛り上がった。運ちゃんは手放しで喜んだ。せっかくかかったのに手放しで喜ぶから又止まった。マンガかと思った。
とにかくその後、も一度かかった。もうこのバイクを止めてはいけない。運ちゃんたちに礼を言う間もなく「はよ行けー!」追い立てられ出発した。

大分では同窓生が手巻き寿司の準備をして待ってくれてた。何も言ってなかったから旅の途中とは思ってなかったらしく「何その格好?」が第一声だった。何と説明すればいいのだろう。ド平日にバイクで四国に行ったけど目的が分からなくなって帰る途中です、この説明に困った。自分でも分からんから「とにかく旅の途中」と説明した。
旅がムダの極み、自由の極みであるとすれば、これ以上のムダと自由はない。ムダをかきわけメロスはゴールに達した。
走れヒロノリもこれにて完結か、まだ終わらない。お土産は無事故でいいのお父さん。家に帰り、嫁と四女を抱き締めるまでが旅だ。
とりあえず明日はどうする、その話になった。エンジンがかかったらバイクで帰る。かからん場合は大分の友が貰ってくれる運びとなった。
なんと優しい友だろう。ヒロノリだけじゃなく、四国がたらい回しにしたバイクを貰ってくれると言った。
「ありがとう」
三日目の夜は涙で暮れた。

四日目、友の出勤に合わせチャレンジキックが始まった。大分の友も5分ぐらいは見てたけど飽きて出勤した。15分やってダメだったら諦めると決め、力の限りキックした。
「かかった!」
84回目にヒットした。すぐさま乗って疾走。止まってはいけない。が、タンクの容量が足りなかった。竹田で給油せねばならず後1回はキックする必要があった。
小雨の降る大分をノンストップで走り竹田で給油、そこも58回で始動に成功、昼前には自宅に着いた。
メロスならぬヒロノリはついに走り切った。
「ボロバイク、よくぞ走った」
ひねり続けたアクセルを戻すとバイクは瞬時に停止した。
「バンザーイ!」
事と次第を嫁に話し、それを肴に昼から呑もうと思った。が、家はもぬけの殻、誰もいなかった。更に鍵がかかって入れなかった。
ヒロノリは抱き締める相手がおらず、うろたえながら電話した。
「どこにおると?」
「えー!もう帰ってきたとー!」
子育てクラブに行ってるらしく怒り心頭で鍵を開けに戻って来た。ヒロノリは話したい事がたくさんあった。四女も抱っこしたかった。が、嫁も子もトンボ返りで子育てクラブに消えた。
土曜に戻る予定が予告なく木曜に戻った余波は他にもあった。
学校から帰った子供たちも、
「えー!何でおるとー!」
揃いも揃ってあくしゃ打った。見たいテレビが父親のせいで見れないとか、いないはずの父がいるのは反則だとか、よく分からないけど見たくないのが見えるとか、ひどい文句のオンパレードだった。
この旅は何だったのか。
思い付きで飛び出し、命をたっぷり使って体とバイクと心を痛めた。で、何か得たものはあるのか。
「ない!」
先に述べたようにムダと自由が旅ならばこれぞ旅。ヒロノリはメロスになれず悲しい旅人で終わった。
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