第153話 菜穂のサンキュー(2021年11月)

我家にはサンナナ旅行という儀式がある。娘が三歳七ヶ月の時に父と関西へ二人旅するというもので、これを境に幼児から児童になるらしい。
「らしい」と書いたのには理由があって、三女と四女が12歳差。つまり干支一周、12年ぶりの儀式で、そんな儀式すっかり忘れてた。が、姉達は忘れず、周りも忘れず、今までサンナナ旅行を100%受け入れてくれた大阪の伯母も「待ってるわ」と言ってくれた。
行かない理由がなくなった。三女のサンナナ旅行、その日記を読み返し、当時の気持ちを思い出した。が、行けなかった。四女の三歳七ヶ月は今年の九月、コロナの盛りだった。
「どうしよう過ぎちゃった」
「あんたが決めればいいじゃない」
決めろと言われりゃ極力やる。飛行機が底値になったらやると決め、二ヶ月後、その底値を迎えた。
「よし!11月27日に行こう!」
出発3日前に決めた。

旅立ちの日は晴天、絶好の旅日和だった。
午前中は次女の高校でマラソン大会があり、交通指導で出動するという仕事があった。一人で出るのは寂しいから今年も手作りロボと出動、ひんしゅくを買った。その事はツイッターに書いた。
「父は父の務めサンナナならぬサンキュー旅行を果たす、だからお前は必ず菜穂を昼寝させよ」
前日から嫁にお願いしてた。子育ても四人目になると痛いほど知ってる。眠くなった三歳児ほど手に負えないものはない。夕方の便で飛ぶからそれだけは避けたく、キッチリ2時間昼寝させ、最高の状態で出動態勢に入った。



14年前、次女は泣いた。家を出た瞬間に泣いたけど菜穂は泣かなかった。
「旅は楽しいぞ、ホントに楽しいぞ」
言い聞かせが功を奏し、どうやらそういう気分になったらしい。
順調だ。菜穂という四番目の娘は食いものさえ見せなければ比較的情緒が安定してる感じがする。いける。いい旅になりそうだと思った。
思えば17年前、長女は猪突猛進、人見知りゼロで突っ走るから直ぐ迷子になって困った。14年前、次女は気弱、母と離れた寂しさで延々泣くから困った。12年前、三女は野生児、食う寝る排便、ところ構わずやるから困った。
菜穂はどうか。よく分からぬが出だしは良かった。
全員揃って空港で見送りしてくれた。お気に入りのキティーちゃんリュックを背負い、父の手を離さず、鼻歌なんぞ歌いながら手荷物検査場を通過した。



心配された飛行機もぜんぜん暴れなかった。
「なほちゃん、こわくないもん」
前後左右にその事を自慢し、
「しっとる?おっとーひこうきこわいとよ」
スチュワーデスに父の秘密を暴露した。



伊丹空港に着いてからは少し暴れた。飛行機を降りたら伯母の家に着くと思ってたらしい。後二つ、モノレールと電車に乗らねばならぬ。
乗せようとしたら「のらん」と暴れたから飴を出した。父のポッケにはギッシリ飴が入ってて、それを小出しにしつつ難局を乗り切ろうという父の作戦だった。
「あめ、おいしー!」
ほいほいモノレールに乗った。
以後、飴は重宝した。生命線とも言えた。が、想定外は飴の消費が意外と早い事だった。噛むなと言うのにガリガリ噛むから少しの移動でなくなった。
「噛むならやらんぞ」
叱ったら混雑する電車で絶叫した。
「おっとーのウンコあかいくせにー!」
見てもないのに嘘八百を叫ぶ始末で関西人の注目を浴びた。
「分かった!やる!叫ぶな!」
何という女だ。この末っ子め。どこで何を叫んだら効果的かというのを計算し、父をもてあそぼうとしている。悔しい。モノレールと電車の移動で8個も飴を消費してしまった。
ところでこういう時代ゆえ公共交通機関に乗る際はマスクをしなきゃいけない。嫁は「ちゃんとさせろ」と言うけれど三歳児には無理だろうと思ってた。が、意外とちゃんとしてて、父のマスクを「それサンカクー」と叱る始末。旅の約束として鼻と口を塞いだらマル、鼻が出てたらサンカク、口が出てたらバツと決め、互いに指摘しあった。
「ほらみて、なほちゃんバツー」
バツはバツでも独創的なバツはマルとした。



20時前に伯母宅の最寄り駅に着いた。伯母が改札まで迎えに来て、
「なほちゃーん!」
手を振り、抱き締めようと駆け寄った。
今日一番泣いたのはその瞬間で、嫁も保育園の先生も言ってたけど意外と人見知りらしい。ギャン泣きした。
先生の言葉を借りるなら自分から知らない人に行くのはOKだけど知らない人が自分に寄ってくるのはNGらしい。
伯母には悪いがその現場を見て「これか」と唸った。
人見知りはあって然るべきだ。我が身を守る正常な仕組みで、稀にこれが欠落した初対面でハイテンションな大人がいる。こういうのは危険だ。全速力で逃げる。よって安心した。

菜穂は1時間ぐらいで伯母に慣れた。
伯母はさすがだ。イチゴケーキで心を掴み、ほぐれたと見た瞬間オモチャを与えた。菜穂は伯母のとりこになった。
僕は酒を呑んだ。八十路を越えた伯父と呑み、ダラダラくっちゃべった。「歳を取り酒量が減った」と言う伯父はビールばかりを呑んだ。親族は皆、問題児の中年(僕)に「呑むな呑むな」と言う。この伯父だけは「呑めるうちに呑め、いずれ呑めなくなる」と言い、光陰矢の如し、時の速さを呪いつつ、人んちの酒を呑み干そうとする僕を黙って眺めてくれた。

さて、朝になった。
昨日は午前様の時点でお開き、バタンキューで菜穂と寝た。
隣に菜穂の寝顔を見ながら「さあ今日は何しよう?」と唸った。何も決めてなかった。帰りの飛行機は19時過ぎ、丸一日あった。
朝飯をご馳走になった後、
「どこかいいとこない?」
伯母に聞いたら太陽の塔はどうかと言われた。中に入れるらしい。
アート、芸術はよく分からない。少し歳を取ったから今なら分かるかもしれないけど今まで分かった事がないから食指が向かなかった。
菜穂に聞いた。
「ブランコとアンパンマンがいい」
とにかく公園に行きたいのだろう。菜穂は大の公園好き。近所にないかと尋ねたら徒歩20分の所にあるらしく食後の運動で行った。



行ってブランコしながら周りを見ると老人が多かった。田舎の公園は子供のものだけど都会の公園は大人のものだと誰かが言ってた。
公園の周りを団地とマンションが囲ってた。目の前にいるお父さん、退職後、家族の風当たりは冷たく、色んな意味で2DKは手狭だろう。ウチで新聞を読むより公園の東屋で隅々までじっくり読む方が心地いいに違いない。
都会じゃ普通の光景かもしれないけど田舎者には新鮮で何だか朝からじんときた。
この公園には温水プールもあった。プールを覗くとそちらも大人で大盛況。健康のためなら死んでもいいという気概あふれた老人がたくさんいた。



池のほとりを散歩し、都会における健康的週末を満喫した。
歩きながら菜穂に聞き取り調査をし、何となく行先も決めた。
「神戸に行こう」
アンパンマンミュージアムというのがあるらしい。地図を見ると南朝の聖地・楠木正成の湊川神社もあった。
四姉妹の行先も都道府県がバラけていい。長女は奈良、次女は和歌山、三女は京都、菜穂は兵庫だ。

公園から帰るともう昼だった。
昼寝させようと子守唄を歌ったけど全く寝なかった。
とりあえず伯母の家を出ようという事で四十歳で亡くなった従兄弟の墓参りをした。
福山家の墓参りはちゃんと墓を開けて骨を見る。従兄弟の骨は立派な大腿骨が特徴だった。が、10年経ち、骨壺に入れない都会式の墓は徐々に土へ還るらしい。何だか小さくなってて伯父も伯母も悲しそうな顔をした。



電車に乗って神戸を目指した。
寝るだろうと思ってたら案の定すぐに寝た。
眠る三歳児の重さはなかなかのものだ。ずっしり重い。難所は十三駅、ホームをまたぐ乗り換えがあった。
荷物と菜穂を抱え、ギックリの爆弾抱えた父は腰をいたわりながら壁際を歩いた。万一爆発しても崩れ落ちない準備だった。
菜穂は高速神戸駅に着く寸前に起きた。起きなきゃ叩き起こすとこだった。起きてくれてよかった。
起きた瞬間「アンパンマン」と叫び、次いで「うんこ」と叫んだ。
美人の駅員を狙って車椅子用トイレの場所を聞き全速力で走った。この先、延べ12回もトイレへゆく事になる。子供はこんなに近いのか。嫁に聞いたら菜穂は特別近いらしい。油断するとびっしょり濡らす。
「菜穂が行きたいと言ったら直ぐ連れてってよ!」
嫁による僕のための約束だった。
ちなみに伯母の家で菜穂は文明に目覚めた。ウォシュレットだ。「尻のボタンを押せ」と言い始めた。毎回押せと言うからウォシュレットはウンコ限定機能だと教えた。が、知ったこっちゃないと勝手に押し、尻をはずれて父子が濡れた。
「な、これはウンコ限定機能だ、絶対押すな」
身を以て覚えた。

駅からアンパンマンミュージアムまでは遠かった。が、案内が親切で助かった。スマホを持ってなくても通路にアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんが貼ってあり、それを父子競争しながら踏んでくと最寄りの口から地下を出た。それから先は石像が並んでた。



それを触って追ってくとアンパンマンミュージアムに達す。たぶん子連れは全員誘導されるだろう。恐ろしい仕組みだと思った。



さて、アンパンマンミュージアム。
日曜という事もあって人が多かった。
泣いてる子供がいた。子に謝る父親がいた。父に怒る母親がいた。それを見て嫌な予感がした。
「やっぱりそうか」
コロナによる人数制限で前売りチケットを持ってる人しか入れないと書いてあった。
権力がありそうなスタッフを探した。その人の袖の下に3000円ぐらい突っ込み、
「頼む、熊本から来てる」
そう言いたいと思ったけど偉そうな人がいなかった。若いバイトに「何とかならん?」お願いするも泣きそな顔で逃げられた。
菜穂は気付いてない。一階のショッピングエリアは入れると言われたので、そこを巡り、これがアンパンマンミュージアムだと言い張る作戦に出た。が、バレた。下から見上げるとガラス張りになった上層階が見えた。
「あそこいきたーい!」
「父も行きたい行かせたい、が、すまん、行けないって大人が言う」
飴をやっても泣き止まぬほど暴れた。
「何か好きなの買ってやる!頼む!泣きやんでくれ!」
伏してお願いし、手を引かれた先がドキンちゃんのドキドキおしゃれショップだった。




「ザ・ピンク!これは中年にはムリ!罰ゲームだ!」
違う店にしてとお願いするもテコでも動かぬ。
「なほちゃんピンクすきとー!ピンクがいいー!」
そうだバックの中に伯母から貰ったイチゴジュースが入ってた。
「ほら、ピンクのジュース」
飲ませたら意外においしかったらしい。
「あら、おいちぃ」
気が逸れた。



それから先の父子二人旅は30分ごとにトイレ、更に延々恨み節を言われながら進むという地獄のような旅になった。むろんアンパンマンミュージアムに行けなかった恨み節だ。
「うえのところにいきたかったー!アンパンのところー!」
日暮れに近付くたび僕の立場は弱くなり、体力も削られ、娘も昼寝が足りず家に帰りたいと暴れるようになってきた。

父の希望、湊川神社にはちょっとだけ寄った。



寄ったけど泣いてる娘と駆け足通過。後醍醐天皇(菜穂)に尽くす楠木正成(僕)みたいなもので菜穂を慰め機嫌を取って終わった。
「もう呑まなきゃやってられない」
空港最寄りの蛍池でアルコールを入れた。
暗くなると菜穂の不機嫌が加速した。
「かえりたいよー!ママにあいたいよー!」
叫んでギャン泣き、酒場を出、モノレールに乗り、空港の手荷物検査場を通過、ずっと泣いてた。
極め付けは飛行機。満席なのに叫んで暴れ、前の席をガンガン蹴った。分かっちゃいたけど眠くなった三歳児は手に負えなかった。
「すいません、ごめんなさい」
周りに何回謝ったろう。みんなこっちを見て気の毒そうな顔をした。
飴は最後まで効いた。食べてる間は鎮まるけれど、買った飴がサクマのいちごミルク、それが失敗だった。噛むと一瞬でなくなった。機内サービスのジュースも一気に飲み干した。
「後はオモチャだ、オモチャで気が鎮まれば」
スチュワーデスが持ってくるオモチャに期待するもトランプと風船の二択だった。
「これオモチャじゃなーい!」
火に油、大爆発した。

空港に着いた。
嫁と三女が迎えに来てた。
疲れ果てた父と泣き疲れた四女がぐったり手を繋いで現れた。
四女は一瞬笑ったらしい。迎えサイド曰く、一瞬笑って顔が歪み、それから泣いて駆け出した。
「ママー!美菜ー!」
泣いて駆け寄る小さい娘を姉も嫁もかわいいと言った。周りの人もいい光景と思ったのだろう。みんな笑った。
笑ってないのは僕だけ。久しぶりに視界が暗くなるほど疲れた。
12年前の日記で「サンナナ旅行はこれで完結」と書いた。が、うっかり、12年後にもう一回あった。今度はホントにホントに完結だ。
「儀式終了」
父の務めを果たした。
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