第154話 沁みてた説教(2021年12月)

中学から通い続けた床屋のオヤジが店をやめ2年になる。一時やめたかやめてないのか分からない時期があって、オヤジが死ぬまで浮気はしないと急場をしのぐバリカンを買った。で、嫁に刈ってもらい、あれよあれよと2年になる。
その嫁が「あー失敗したー!床屋で刈り直してもらってよー!だからやりたくなかったのにー!あたし素人よー!やだー!」延々1時間愚痴を言い続けた。それが頭にきて、
「2年もやって素人素人言うな!覚える事を拒否すんな!」
夫婦喧嘩しつつ、嗚呼これ遥か昔に言われた事を言ってると思った。
説教の主は二人いた。
一人は機械調整の職人で名前は忘れた。強面で寡黙な人だった。
新入社員の僕に「隣で見ろ」と言い、ホントにジッと見てたら怒り始めた。
「見ろってのは考えろって事だ、やる事を探せ」
それから工具を渡したりライトを当てたり、職人のサポートに徹し、決してお邪魔はしないという心構えでいたら、
「てめぇ何も考えてねぇな」
胸ぐらを掴まれた。で、とっさに、
「素人だから邪魔しちゃいけないと思って」
そう返したのがいけなかった。
「プロも最初は素人じゃボケ!まともな事を言え!」
怒る職人が怖くて怖くて何も言えなかった二十歳の頃を思い出した。
もう一人はそれから時が15年ほど下る。自営業になって5年目くらい、35歳の頃だ。出張先の工場に一切手を汚さない大学院卒の新入社員がいた。丸一日突っ立ってホントに何もしないから気の毒になって仕事を与えた。すると、
「ぼく素人だから見学してます、作業は業者でお願いします」
そう返ってきた。これにはキレた。僕じゃなく高卒の現場従業員がキレにキレ、拳は振らないけど肩をブンブン振り回し、寝言は寝て言えクソ野郎とか色々罵声を放った後、
「カラクリさん、ちゃんと言っときましたんで」
まるで僕が親分みたいな締め方をされた。
これにはプライド高きインテリ新入社員もキレた。全く聞き取れない絶叫の捨てゼリフを残し半べそかいて走り去った。それから何がどうなったのか分からぬが、たぶん辞める辞めないという騒ぎになったのだろう。昼飯挟んで工場の重鎮が登場、ヒアリングという運びになった。
重鎮は何度か呑んで気心知れてる人で、その顛末を説明すると、
「どっちかと言えばA(高卒従業員)とお前が正しい、が、時代が悪い、少しパワハラだ、これから俺はB(院卒新入社員)の前でお前を面罵する、立場上そうしないと収まりがつかん」
そう言った後、工場外の休憩エリアで僕と高卒従業員を面罵には程遠い優しい日本語で叱った。説教は新入社員にも向いた。考えた末、僕たちを叱る恰好で新入社員も教育した方がいいと思ったのだろう。
「ここは大人の職場です、大人になりなさい、大人になるという事が大抵の事を解決してくれます、そしてどんな一流も最初は素人です、成長を拒否してはいけない、何か一つ胸を張れるところを探しなさい、いい大人になってそれが一つもないのは寂しい」
風の便りによると僕に説教してくれた二人は共に亡くなったそう。もう顔も思い出せないけど説教だけはここにいる。
「素人だからできない、やらない」
愚痴り続ける嫁を前にふわり二人の説教が出てきた時、沁みた説教の居場所に気付いた。一度沁みれば反射で出る。出るって事は沁みてる。何だか安心した。残ってた。
「どんな一流も最初は素人、成長を拒否しちゃいかん」
思い出しつつ、も一度嫁に言った。ちゃんと沁みてた貴重な説教は語り継ぐ必要がある。
「わたしは成長せんて言いよるでしょーが!」
「うむ」
沁みる沁みないは人によるという事も分かった。
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