第161話 十八旅立ち三人目(2025年3月)

長女も次女も三女も18歳で家を出た。
皆反抗期の絶頂に父親と喧嘩するカタチで家を出た。
「それでいい」
それでいいと心底思ってる。生きものが自立するため反抗期があって反抗ばかりの娘なんて可愛げのカケラもない。だから出せる。で、出された方は、
「クソオヤジめー!」
そう思って暮らせばいい。
自立と反骨はいずれ血となり骨となり一人の大人を作る。そう信じてる。が、この時期増えるのは嫁との喧嘩。生きてきた環境が違うから考えが違うのは当たり前だけど嫁は反抗を全力で受け止め、その理不尽に応えようとする。
反抗期の吐き出す言葉をまじめに聞くな。いや、まじめに聞けば分かる。そんなの娑婆に出て言おうもんなら一発アウトじゃないか。応えるな。応えたらそれが通じると思ってしまう。それこそ不幸の始まりだ。
反抗期特有の信じられない日本語は全て「自立したい」に変換するようにしてる。まともに聞いちゃ毎度喧嘩するしかない。が、嫁は応え、毎度喧嘩してる。
「何で理不尽に応えるとや?」
嫌われたくない、面倒起こしたくない、考えたくないらしい。
僕は野次馬だから色んな現場に行って色んな場面に遭遇するけど、その感情が発すその場しのぎはろくな結果を生んでない。
やがて三十路、引きこもりの息子を育てる中高年夫婦も発端はそれだと嘆いてた。
ある企業の生産現場も後進育たず回らなくなり生産中止、発端はそれだと嘆いてた。
パワハラで訴えられた知人が「パワハラて言う奴がパワハラだ」と訴え返し、その発端はそういう心で抑え付けた本心の爆発だと言ってた。
凄い時代だ。人間の摩擦があるとすぐ何とかハラスメントって言われる。それは確かに怖ろしい。が、その場しのぎが生むその後の展開の方がもっと怖ろしい。
出てゆく三人娘には同じ言葉を送った。
「次会う時には少しでいい、少し成長しててくれ」
一人で生活すれば反抗する相手がいないから反抗気分も徐々に萎む。現に長女も次女も萎みつつあるような気がする。大人に近付いてる。
昨日旅立つ三女の荷造りを嫁がギリギリまでやってた。構うなと言うのに構いたくて構いたくてしょうがなく懸命に自立を阻害してた。
まぁいい。一人になればその奇特な母性がひしひしと分かる。そして猛烈な反抗で追い求めた自由、それは能力と信用がなければ成立しない事も分かる。それだけでも家を出る価値がある。
「よし!子育て終わったー!」
叫びたいけど忘れてた。隣に7歳児がいた。鼻ほじってた。
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