第162話 銀婚旅行記(2025年5月)

999日前からのカウントがついにゼロになった。


銀婚式である。
この生きる醍醐味でも書いてるけど結婚10年目は2泊3日で関西を旅した。節目の25年もどこか行きたい。また大阪行くか、いや今度は沖縄行くか、いっそ日本を出て台湾行くか、ちょっと前まで熱量もって色々話し四女を実家へ預ける段取りまでしたけど日が近くなって分かった。
「うん、ない袖は振れんね」
自営業の常、経済状況の浮沈がある。ていうか、自営の方は常に低空飛行、何も変わらんのだけれど駅の借金があったり、三女が私立の大学行ってピンチになってしまったりと、マジメに幾ら出せるか計算したらゼロという結論に達した。
そうは言うても銀婚式、大袈裟に999日前から数えた手前、何もせんという訳にはいかない。3台ある両替機と千円ガチャ、それと駅のレジから千円札をかき集め38000円という予算を調達した。
で、そもそも嫁はどこへ行きたいのか、真っ直ぐ聞いたら「腹いっぱい食べて温泉入ればそれでいい」と言う。そうか忘れてた。嫁は景色も史跡も興味なく、遠くへ行ったところで「ただ写真を撮るだけ」そうも言ってた。
ならばこの予算で僕が知る最もディープで味わい深い熊本水前寺の世界を連れ回す、それでいいかと聞いたら「それでいい」と返ってきた。経済状況の浮沈と記念日を合わす事はできない。これも運命だと思い、出発3日前そう決めた。
それと温泉。
結婚記念日だから当然夫婦で家族風呂でも入るんだろうと思いきや「二人で入るのは絶対イヤ!キモい!菜穂(四女)も一緒に連れて行く!」けちょんけちょんに言われたから任せた。で、日帰り島原船旅ツアーに決まった。往復フェリーと昼のバイキング、それに温泉が付いて大人1人5000円、小人1人4000円、次女も便乗する運びとなり合計19000円、予算内に収まった。

さて馴染みの酒場で嫁と二人でハシゴ酒なんて初めての事だ。四女を次女に預けた後、昔よく使ってた安いビジネスホテルにチェックイン。安いと言っても今の熊本は高い。熊本地震の前は4000円だったのに今は8900円、駐車場代も倍になってた。
まぁいい。後払い可能なところは全て後払いにして今は手持ちの現ナマで最大限楽しもう。荷物を部屋に置き、まずは馴染みの小料理屋へ行った。
銀婚式だから満席で入れないは困る。事前に電話で予約を入れた。で、入店した瞬間、若女将がギョッとした。次いで老女将もギョッとした。予約の際「嫁さんと二人」わざわざ告げたのに「いつものSさんと二人」勝手に脳内変換されてたそう。
「カラクリが女を連れてきた!」
口には出さないけど目がビンビンにそう言って何かおどおどしてた。それと持参のお札は全て千円札、財布が厚過ぎて胸ポケットに入らずカウンターに置いてたらそれも女将がギョッとした。カラクリ、厚い財布、見慣れぬ女、この違和感大爆発に馴染みの二人がとまどった。これは気持ちよかった。説明せずに互いの違和感を楽しもうと思ったけど嫁とバレずに嫁と話すのが難しかった。すぐバレた。
いつもの席に嫁と座り、すぐに気付いた事が二つ。一つは僕という人間の女っ気のなさ。知らない女が僕の隣にいるだけで事件の匂いがするらしい。もう一つは緊張感がないから話が一切弾まない。毎日昼も夜も一緒にいるから特に話す事がない。
「夫婦ってのは酒場で何を話すんだろう?」
僕や嫁の化学変化を期待したけど特に変化せず日頃の食卓と全く一緒だった。で、隣も老夫婦だったけど特に盛り上がる事なく40分で帰った。
「うわーこの感じ!もう我慢できない!」
呑み友Sさんを呼んでいいかと嫁に聞いたら嫁も大歓迎。電話したら速攻で来た。
やはり呑み屋は食卓の雰囲気じゃいけない。Sさんが入った途端、居間にいるんじゃなくて呑み屋にいるって感じになった。
「そうだ写真!」
銀婚式ぐらい写真を撮ろうと銀婚旅行中のコースターを作ってきた。今後はコレを掲げた写真のオンパレードとなる。胸やけするかもしれないけどお付き合い頂きたい。



尚、嫁は現在スマホを新しくしたばかりで人工知能による写真加工にハマってるらしい。ジブリ風とかサザエさん風とか色々できると自慢するのでゴルゴ13風をお願いした。



ビックリした。Sさん渋過ぎるのと僕のアゴが割れてるのにギャフンとなった。もう人工知能はいらんと言った。

2軒目は煮魚と焼魚の小料理屋に行った。
ここは最大5人しか座れない。更にお母さんの気分によって席が空いてても入れてくれない。果たしてどうか。入れてくれた。



ママが話す孫の話と人生の話を聞きながら呑んだ。そうそう、この日Sさんに4人目の孫が生まれた。そっちに行かず、こっちの銀婚式に来ていいのか問うたところ「男が行ったところで何の役にも立たない」そう言った。それを聞いたお母さんが「男は家じゃ役に立たないぐらいが丁度いい」そう言った。いい言葉だ。嫁よ聞いたか。隣を見たら人の話は一切聞かず無心でブリカマ食ってた。
この日、嫁の食欲、その持続力にほれぼれした。なんだか歳を経て、よく食べる人に憧れを抱くようになってきた。そして己の食欲、その頼りなさに絶望するようになってきた。
Sさんは2軒目で帰った。
「銀婚式だから今日だけは気を使う」
そう言って颯爽と消えた。

3軒目はたぶん水前寺で最もオシャレなチーズバーに行った。
もう食べれないし大して呑めない。が、目標はハシゴ3軒、行くかと聞いたら行くと言うので重い体に鞭打ってオシャレに突入した。
ここの名物はチーズの盛り合わせと泥酔パフェだ。次女の二十歳もこの店の泥酔パフェで祝った。嫁は初来店だけど話は娘から聞いてる。ここで食べ過ぎ呑み過ぎた次女が二十歳の記念におうちでゲロ、ありがたい店だ。
とりあえず次女と同じメニューを頼もうと名物2つを頼んだら「お腹いっぱいならチーズ盛りはやめたがいい」優しい言葉でそう諭され一旦チーズは保留とした。
やめて良かった。さすがの嫁も泥酔パフェと突き出しを平らげた時点でウッとなった。そして隣が頼んだチーズ盛りを見て絶望した。店主に救われた。危うく母子共にゲロの人になるとこだった。



こうして予定通り6時間で3軒ハシゴを終えホテルに戻った。
僕は酔ったというよりお腹いっぱいでバタンキュー、そのまま寝てしまった。嫁はちゃんとシャワーを浴びて眠り、翌朝普通に起きた。胃弱の僕は毎度お馴染み二日酔い。胃痛に苦しみ何か入れねば復活しないと分かってるからホテルのカレーを流し込んだ。嫁は小さなパンを2個食った。さすがの嫁も昨日の今日じゃ食えないかと思いきや違うそう。
「昼のバイキングに向け朝はダメ!お腹すかせなきゃ!」
こんだけ気合入れられたらバイキングも幸せ、健康な嫁を拝んだ。

ホテルから20分ぐらいの所に次女のアパートがある。そこに四女が泊まってる。二人を拾って港へ向かった。
次女も四女も共にお腹ぺこぺこだけど朝は食わないと決めたそう。さすが嫁の遺伝子、バイキングと聞けば血が騒ぐ一族だった。

遅くとも出港30分前には港に来いとの事で1時間前に着いた。お金払って券もらい、他にすること何もない。ボーッと海を見て過ごした。
ところで島原バイキングは冬に一度企画したけど悪天候で船が出ず中止になった。秋に消防団の卒業旅行でこの船に乗った際、カモメがうじゃうじゃ集まって子供がキャーキャー騒ぎエビのお菓子を投げてた。それを土産で話したら四女が行きたいと言った。その流れでこうなった。
むろんエビのお菓子を用意して船に乗った。



銀婚旅行の船は有明海を島原へ向かって快調に進む。
我ら家族は総出で甲板待機。カモメを待つ。が、来ない。もしやカモメは渡り鳥か?季節限定か?次女にスマホで調べさせたら普通に渡り鳥だった。



四女は腹が減ってた。父をブーブー責めながらエビのお菓子を食うと言った。食って構わん。父は言うけど母と姉が許さない。
「バカ!ここまで我慢したのに!バイキングは目の前よ!」
バイキングって凄い、また思った。
おあずけは更に続いた。
島原に着いたら迎えの車に乗って20分、宿に付いたら受付して30分、バイキング開始まで50分も待った。
このツアー、念願のバイキングに至るまでの伏線が凄い。船待ち1時間、船30分、島原着いて50分、待たせに待たせ大爆発バイキング。女3人の興奮がじりじり伝わってきた。開場と同時にスタートダッシュするだろう。着席せず真っ直ぐ食へ駆け出すに違いない。
僕の役割はテーブルの留守番だと察した。
「荷物は見とく!おのおの行けー!」
三人は荷物を放ると振り返らずにトレーを抱え即座に散った。食べ放題ありがとう。バイキングありがとう。嗚呼なんて楽しそうな三人。お金持ちの家じゃなくて本当によかった。遠くへ行かなくても遠慮無用というだけでこれだけ大騒ぎできる。
一番隊の嫁が帰ってきた。牛肉をたっぷり盛った皿を僕の前に投げた。
「これ福ちゃんの」
まずは夫の餌を放り投げねば具合が悪いと思ったのだろう。ありがとう。
嫁はすぐさま戦場へ駆け戻った。時間は90分ある。すいてからゆっくり行けばよかろうに嫁も次女も四女も混雑の中を分け入り分け入り戦利品を得、小出しに置いちゃ戦場へ戻った。
これがバイキングの醍醐味か。そういえばバイキングという言葉もいい。この戦う感じから生まれた言葉じゃなかろうか。
三人はよく食った。飯の量は僕が一番だと思うけど甘いものに端を発す持続力が凄かった。こいつらどんだけ続くのか。後半戦は僕だけ動けず、女三人は「もう限界」と叫びつつ限界突破で更にゆく。煉獄さんみたいでマジかっこよかった。
隣のテーブルに相撲取りみたいな青年がいた。母と二人で来ていて鬼のように食ってた。僕もそのお母さんも巨大な青年の食いっぷりをほれぼれ見た。
「どうせ食うなら隣の青年みたいに食え」
喝を入れるも食えないものは食えないらしく終わりは突然訪れた。
「うんこ!」
四女がそう言って席を立ち15分残しでバイキングが終わった。



それから先も僕だけ弱かった。
90分の入浴タイムがあるけれど満腹が辛過ぎて入浴どころじゃなかった。三人はサッサと大浴場へ行った。僕だけ外の風を求めウォーキングに出た。すると同じような中高年がたくさんいた。みんな腹を抱え荒い呼吸でふぅふぅ苦しんでた。
「せっかくだから温泉に…温泉に入りたいとです…」
「おたくもですか…はぁ辛い…辛いなぁ…」
得難い光景だった。温泉に入るため腹を抱えた中高年がぞろぞろ並んで歩く光景。妙な連帯感が生まれた。

とりあえず40分ぐらいはムリして温泉に浸かった。で、外に出たら女三人も出てきた。父は腹いっぱい。まだ動けない。次女と四女は温泉入って少しお腹が減ったそう。
「なんか食べたい」
それを聞いて胃酸が逆流、オエッとなって更に動けなくなった。



帰りも待ち時間が長かった。
風呂を出た後1時間、そして港で30分、なんか色々ボーッと待たされた。
待ち時間の使い方でも嫁は凄いと思った。僕は時間が潰せずうろうろ、嫁は一切うろうろせず常に昼寝。つられて次女もうたた寝。四女はここぞとばかりに姉のスマホでゲームした。

以上、そういう流れで銀婚式が終わり999カウンターの電源が落ちた。
次のイベント金婚式は9130日後、生きてるか死んでるか分からないけど、その時はたまたまお金があって今回と全く違うかもと思えば今回の銀婚旅行、それはそれで味わい深かった。
それにしても9130日はカウンターの出番が遠い。何かカウントするネタはないかと駅の客に聞いたら銀婚式から金婚式の間に5年ごとのイベントがあるそう。即ネットで調べ歓喜した。



知らないナントカ婚式がたくさんあった。
早速カウンターから銀婚式をバラした。銀婚式の銀を塞げば金婚式まで5回使える。金の後も2回ある。十中八九生きてないのに何だか気が昂って一気にダイヤモンドまで作った。



次は結婚30年の真珠婚式、999日前のカウンターが登場するのは2027年9月1日だ。
指折り数えるってムダに楽しい。そうだ生きなきゃって思う。
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