悲喜爛々40「道子と嫁」
熊本県の90市町村に設置されたスタンプ、それを全て押せば、
「10万円分の旅行券が当たるかも!」
というスタンプラリーに取り組んでいる事は前の日記で書いた。
現在、県北全土にあたる鹿本郡、玉名郡、菊池郡、阿蘇郡を制覇した。
回り始めると、これがなかなか面白く、熊本を知るいい勉強にもなる。
完全制覇90の前に「40市町村制覇」というポイントもあり、始めはそこの景品、5万円分の旅行券を狙っていたのだが、次第に、
「90を目指すか?」
そういう具合になってきた。
締め切りは9月30日で、幸い日もある。
「よし!」
という事で、数日前の丑三つ時、地図を見ながら完全制覇の道筋を辿っていると、ふと、困難なポイントを見つけた。
宇土を抜け、天草を巡るルートを考えていたのだが、そこに、
「御所浦」
という小さな町がある。
そこが陸続きでなく島なのだ。
更に、そこの島に何か見るものがあれば行く価値もあるのだが、チェックポイントである恐竜博物館以外、何もない。
むろん、俺は恐竜に興味がない。
ネットで御所浦町の事を調べてみた。
「よく釣れる」と噂の海岸は見付かるが、他には何も出てこない。
宿泊施設も釣り人用の民宿があるばかりで、旅館やホテルらしきものもない。
まさに「釣り人の聖地」と化しているようだ。
舟でこの島へ渡るとすれば往復で3000円。
おまけに、便数が少ないため、多大な時間を待ち時間で取られる。
海上タクシーというものもあるにはあるが、陸上におけるタクシーとバスのように、予算に大幅な違いが出てくる。
(むぅん…)
できれば行きたくない、しかし行かねば完全制覇ができない。
うんうん唸りつつ、深夜の数時間を過ごした。
時刻は草木も眠る丑三つ時を越え、朝方に入ろうとしている。
さて…。
そのスタンプラリー、今週は火曜と木曜に阿蘇を攻めた。
両日とも朝9時くらいに出、夕方には家に帰っている。
火曜が南阿蘇を攻め、木曜が北阿蘇を攻めた。
スタンプのみが目的では面白くも何ともないので、両日共に「別の目的」というものを与えた。
火曜が「花見」で、木曜が「温泉」である。
火曜の熊本県は、ちょうど見事な晴天で、更に桜も満開であった。
南阿蘇には「一心行の桜」という名物の一本桜もある。
それを「目的」に定めた。
阿蘇から下る斜面にポツンと立つその桜は、九州の旅行雑誌の表紙を飾っていたり、新聞の一面に出てたりと、一本だけではあるが知名度は異様に高い。
当然、「有名なもの」が何より好きなブランド道子ちゃんが黙っているはずがない。
「ちょっと寄ろうよー」
ねだられ、自然とそれが「目的」になった。
が…。
大津、長陽とスタンプを押し、一心行の桜、その駐車場に入るや道子は沈黙した。
「駐車料金500円」
そう言われたからである。
後部座席を見ると、道子が何やら考え込んでいる。
多分、桜と500円を天秤にかけているのであろう。
俺にしても、
「500円…、そりゃ何や?」
と、首を捻らずにはいられない。
後に、この周辺の写真を載せるが、ここは白水村と久木野村と長陽村の堺、つまり、周辺を村に囲まれた「本物の村」なのだ。
土地は余り過ぎるほどに余っている。
いくら市町村が財政難で苦しんでいる時代とはいえ、
「周りを見て、ものを言えー!」
そう言ってやりたくもなる。
熊本市にある動物園でさえ駐車料金を取らないのだ。
ていうか、最近は田舎でも駐車料金を取っているところをよく見る。
そういえば、山鹿灯篭祭りの時、地元・山鹿市も駐車料金を取っていた。
以前は、どこもビタ一文取っておらず、熊本県で駐車料金を取るのは熊本市街と八代市街だけだったのだ。
それが数年前から田舎でも取り始めた。
宮本武蔵にまつわる観光地などは特にひどい。
「ブームのうちに、稼げるだけ稼いでやれー!」
駐車料金だけでなく、色々な面でその声が聞こえてきそうで、
(熊本県民の「質朴な気質」が疑われるのではないか…?)
と、ハラハラしてしまう。
「流れ」というものは実に怖い。
「取って当たり前」が蔓延すると、アッという間に熊本も東京の文化になってしまう。
前もって言っておくが、これは「取る値段」ではない。
10円でも1円でも駄目。
熊本の観光地は「駐車料無料」の文化を継続すべきなのだ。
営利の肌が見えるという事は、
「貧乏人がどんどんインドアになっていくという事だし、観光地の質が下がる!」
俺の叫びは多少自分勝手ではあるものの、かなり悲痛でもある。
さて…。
駐車場の中まで入ってしまったが、
「どうするや?」
道子に問い掛けた。
道子はしばし黙り込んでいたが、ふと顔を上げ、
「やっぱ、花より団子だよ」
そう言い切った。
が…、体裁を重視する道子にすれば「花より団子」を他人に言うわけにはいかない。
「福ちゃんが出るって言ってよ!」
との事で、俺がその旨を駐車場の職員に伝えた。
「間違えて駐車場に入りました」
「ああ、そぎゃんですか、そぎゃんですもんなぁ」
奇妙な会話の後、俺達は駐車場を後にした。
「そぎゃんですもんなぁ」
この駐車場職員の言葉は言い得て妙だと思う。
地元民からすれば、
「この環境で500円を払う人は、何ば考えよらすとだろか?」
その事なのであろう。
ちなみに、駐車場から一心行の桜が間近に見えた。
「道子、写真撮っとけ、それで来た事にすっぞ!」
「よし!」
と、いちおう写真だけは撮ったが、出来上がりが非常に悪かったので、ここには載せない。
その代わり、一心行の桜を向こう側の丘から見た写真があるので、それを載せたい。
中央にあるのが一心行の桜で、その周りが駐車場。
米粒のような人と車が桜を取り囲んでいる絵が見て取れると思う。
さて…。
それから、「花より団子」という道子の言に従って、高森町の名物・田楽を食べに行った。
根子岳の麓にある「田楽村」というところで、地元テレビにもよく出ている有名な店である。
時間が早かったので、
「朝のおやつ」
と銘打ち、一人前7本の組み合わせを一つだけ頼んだ。
味も雰囲気もなかなか良かったが、それよりもピチピチ動いているヤマメが串刺しの状態で囲炉裏にぶち込まれる様は圧巻であった。
ちなみに、この店で聞いた話であるが、一心行の桜のせいで南阿蘇は凄まじい渋滞が続いているらしい。
週末などはそれこそ凄い事になったらしく、うちらが出た駐車場に入るので二時間待ち、その渋滞の長さは、
「赤橋から続いてたそうですよ」
との事で、凡そ12キロになったのだそうな。
一心行の桜は、名こそ分からぬが武将の墓碑として植えられたと聞いている。
何万人が見に来るのかは知らぬが、武将は桜の下で「現代人の奇特さ」に呆れているに違いない。
「ご苦労な事よ」
さて…。
それからの俺は、ビールも飲ましてもらえずに運転を続けた。
根子岳の南を右方向に回って高森のスタンプポイント・高森倶楽部へ、それから同町にある湧水トンネル公園へ寄った。
ここは鉄道トンネルの跡地であるが、掘削の際、大量の湧水が出たというトンネルである。
このせいで、高森町中心部の湧き水が枯れ、水道が断水、自衛隊が出動する騒ぎとなったのだそうな。(昭和50年くらい)
むろん、この一件により高千穂まで延びる予定だった鉄道計画は中止。
手付かずにされていたトンネルが、数年前に公園として整備されたという流れらしい。
トンネルからは、現在も懇々と湧水が流れ出ており、その水は少しの曇りも見当たらない透明度を保っている。
その清らかな流れに手を突っ込みつつ、
「うー、冷たいよー!」
「あぶー!」
などと、家族三人、大いに盛り上がり、
「じゃ、中へ入るか?」
トンネルへ入ろうとすると、
「ちょっと待って!」
道子がストップをかけた。
何事かと思い、道子を見ると、道子はある一点を見つめている。
それは、
「入場料・大人300円」
というものであった。
道子は、神妙な顔で俺に問い掛ける。
「福ちゃん…、あそこに入りたい?」
「いや…、俺はどうでも…」
「じゃ、ここで写真を撮ろう、それで帰ろう」
「…」
とりあえず写真だけを撮った。
後にパンフレットを見るに、この中には電飾が施された水の流れやら歩道やらがあったらしい。
ま…、確かに…、それを見れなかったからといって悔しい気持ちはない。
確かにない。
「が、しかし!」
後ろ髪を引かれる思いはないでもない。
俺達は、何となくシコリの残った状態で次のポイントへ向かった。
ちなみに、このトンネルの上には湧水館という博物館がある。
小さな博物館ではあるが、説明のパネルが壁一面に貼ってあり、二階は展望台になっている。
そこからは根子岳が一望でき、悠々と泳いでいる鯉のぼりが実に映えていた。
娘の春は、この景色を大いに喜んだ。
春は女ではあるが雛人形を怖がり、その代わり、鯉のぼりに異様な興味を示した。
移動中も人様の家に立てられた鯉のぼりを見つけては、
「あっ!」
と、その発見を声に出して伝え、
「チチー、ママー、ハムー、ジジー、ババー」
どの鯉が誰にあたるというのを説明している。
富夫と恵美子が、
「裕教(俺の事)の鯉のぼりを立てよう!」
と、張り切っていたが、意外にも、
(喜ぶかもしれない…)
今回の旅行でそう思ったし、「二人目は男」という願いを込め、鯉のぼりを立てるというのも悪くないのかもしれない。
さて…。
高森町を後にした一行は、次に明神池(白水村)という水源に立ち寄った。
水を汲むためである。
この池は名高い白水の水源でも、
「最も美味い」
そう言われている水らしく、聞いた話によると、白水にある十箇所弱の水源、その水を無記名で並べ、数十人の水マニアに飲ませ、どれが美味いかを競ったら最も票を集めた水らしい。
俺はそれらを飲み比べたわけでもないし、舌が肥えているわけでもないのでよく分からないが、事実、コーヒーの味が冴えたような気がしたので、来るたびに汲んでいる。
今日も「柄杓で黙々と灯油缶へ水を汲む」という作業を続けた。
その横で、春と道子は無人販売のイチゴを買い、池の水でイチゴを洗い、
「春ちゃん、食べるの速過ぎだよー」
「い・ち・ご、い・ち・ご! ちょうだーい、ちょうだーい!」
異様に盛り上がっている。
黙々と汲む作業を続けている俺には構ってもくれない。
何だか馬鹿らしくなってきた。
更に、こんな声も聞こえてくる。
「春ちゃーん、お父さんに残しときなさいよー」
「あぶっ、い・ち・ご、あーん、めっ、だめっ」
「あっ、食べちゃった」
「あぶぅー」
「ま、いいか」
別にイチゴが好きなわけではないが、「ま、いいか」はないと思う。
ちょっとだけ寂しくなった。
それから久木野という村のチェックポイントへ向かった。
反対車線は長蛇の列で、一心行の桜による渋滞のようである。
これと逆走するかたちで、次は西原という村に向かった。
以前は、南阿蘇から空港方面へ向かうと、単なる通過点として西原村があり、学生時代には、そこ出身の友人を、
「お前の村には何があっとや?」
と、馬鹿にしたものだが、その友人でさえ、
「空と山がある」
そう返すしかないほどに何もないところであった。
が…、つい最近、俵山バイパスという立派な道が開通し、徐々に活気が出ているという。
むろん、その俵山バイパスを通った。
なるほど、火曜ではあるが車の通りも多く、そのチェックポイントである「萌の里」というところに至っては、車が駐車場に入りきれず、臨時駐車場へ移動させられるほどであった。
また、この萌の里だけでなく、道沿いにはレストランだの喫茶店だの、真新しい店がポツンポツンと立っている。
驚いた。
元が元だっただけに、凄まじい発展ぶりであった。
ちなみに…。
萌の里の裏手は綺麗に整備された丘(山?)になっている。
熊本市街が一望できる丘上からの草スキーは最高で、春も大いに喜んでくれた。
また、売店で売っている落花生豆腐や天麩羅は実に美味かった。
それに舌鼓を打ちつつ丘上から絶景を見、左手にいるヤギの声を聞いたり、俵山から吹き降ろされる風を感じたり…、なかなか趣のある場所であった。
その後…。
腹が満たされた一行は熊本空港の脇を抜け、旭志、菊池とチェックポイントを通りつつ温泉に浸かって帰った。
その道中、道子は目に付いた甘いものを、
「これでもか!」
と、言わんばかりに買い漁った。
道子は決してケチではない。
使いたいものには惜しみなく使う。
使うが、興味のないところには芯からケチなのだ。
俺は節目節目で、
「ビール、飲んでいい?」
道子にお伺いをたてた。
それを道子は「山道を運転したくないから」という理由で断り続けた。
ゆえ、最後の温泉の後は平らな国道を10キロ走るだけなので飲ませてもらえると期待したところ、
「もうちょっとで家に着くじゃーん。帰ってから缶ビールを飲みなよー」
そう言って断られた。
「甘いものは買うくせに…、くっそー!」
その事である。
が…、
「財布は道子に任せる」
結婚時、そう宣言した手前、金銭の主導権はどうしても道子にある。
「むむむむむ…」
悔しくはあったが、
(次こそは…)
と、諦めるより他はないのであった。
さて…。
その二日後、木曜であるが…。
この日は前に書いたように北阿蘇を攻めた。
持病・サルコイドーシスに伴う定期検査があったので、午前中は例の再春荘でその検査を受け、それから阿蘇へ向かった。
昼飯は学生時代に行き付けの天郷食堂で食べた。
前にも書いたが、ここのホルモンは絶品で、まだこれ以上のホルモンを俺は食べた事がない。
「美味い、美味すぎる…」
涙ながらに食っていると、横から道子が、
「ちょっと頂戴」
と、つまむ。
これは道子の食べ方というより女の食べ方であろうが(春も)、人のものをチョンチョンつまみながら、自分のものもどうぞと言ってくる。
道子は焼きそばを頼んでいる。
俺はそんなものに興味はない。
俺の興味は目の前のホルモンのみにあるのだ。
それを横からチョンチョンされるのは、あまりいい気がしない。
毎度毎度、言うのであるが、
「食いちゃーなら最初から頼めよぉー」
今回もそれを言うと、道子は何かが気に食わないのであろう、口を尖がらせた。
道子との五年の付き合いから「道子の頼み方」というのは重々承知している。
が…、言わずにはいられないのだ。
道子のスタンスはこうである。
「色々、食べたいじゃーん」
分かる、それは分かるが、ここのホルモンは俺の聖域なのだ。
「これだけは手を付けてくれるな!」
道子の横槍を阻止していると、
「じゃ、もう一杯、ホルモンを頼もうかな?」
そのような事を、食い終わっている時期に言い始めた。
「それは駄目」
道子は大衆食堂の掟が分かっていない。
奥座敷にでもいるならともかく、表のボロテーブルは回転が命なのだ。
「薄利多売を地でゆく店に、追加注文なんて以ての外」
そう言ってやりたいが、道子には分かってもらえないだろう。
「何だよ、ケチー!」
道子は騒いでいる。
「ケチはお前だ!」
そう言ってやりたくもあるが、その後に「なぜお前がケチなのか」を説明するのが面倒なので、何も言わず食堂を出た。
やはり、大衆食堂は男の文化なのかもしれない。
ともかく、それから北阿蘇へ向かった。
今日のチェックポイントは、阿蘇、一の宮、波野、産山、南小国、小国で六ヶ所。
全て熊本県の右端、北阿蘇にあたる。
阿蘇町のチェックポイントは「はな阿蘇び」という洒落た名前の物産館(観光案内所)で、内牧温泉にある。
ちょうどこの時、春が寝ていたので、そこはスタンプを押すだけで素通りし、次の一の宮町へ向かった。
この辺りは阿蘇の盆地にあたる。
360度、どこを見渡しても山があり、以前は豊後街道が通っていた場所で、阿蘇で最も賑わっているところではなかろうか。
有名な阿蘇神社や国造神社、仙酔峡も一の宮町にある。
チェックポイントは国造神社の前にある真新しいキャンプ場だったので、ついでに国造神社に立ち寄った。
ここの神社は御神木が有名で、
「屋根が付いている」
という噂は聞いていたが、事実、屋根が二箇所付いており、一つは根の部分(写真)に、もう一つは幹の部分に付いていた。
防腐剤をしこたま塗られていたので、何だか御神木というよりも、立派な家具という感じで、ありがた味はなかったが、巨大で威圧感はあった。
それから大分との県境・波野村へ向かった。
ここは以前、オウム真理教の施設があり(今も名を変えてあるのかもしれない)、あの事件の前後は異様に盛り上がった村である。
何かがあるのかといえば何もなく、唯一ある施設らしきものが道の駅で、むろん、そこがチェックポイントであった。
昔はこの辺りが城下町・竹田に繋がる豊後街道の峠道で、峠の茶屋が幾つかあったようだが、それは今もあり、他には何もないところも変わっていない。
激動を続ける昨今にあって、
「変わらない」
というのは大いなる強みであり、村の誇りではなかろうか。
俺はその辺に感心しつつ、施設内にある神楽などを見ていたものだが、道子と春は物産館で大いに無料の試食を楽しんでいたようだ。
それから阿蘇らしい草原の道に入った。
豊後街道(57号線)から外れると、それはすぐに現れる。
その高原地帯の一角に次のチェックポイントである「産山牧場」がある。
恐ろしく雄大な施設で、目印は風力発電の風車である。
アスレチックとふれあい牧場を備え、肥後の赤牛を食べるレストランもある。
むろん、甘いもの好きの道子と春は、
「牧場といえばアイスだよぉー」
「あ・い・す、アイスー!」
すぐにソフトクリームを買っていたようだ。
ところで、産山村には初めて訪れた。
地図を見てもらえば分かるのだが、道路で村の端っこに触れる事はあっても産山の中心地に行く機会はまずない。
95パーセント以上の熊本県民が未訪問なのではなかろうか。
なので、
「もう来る事はないだろうけん、大いに遊ぼう」
と、気合を入れて牧場を回るつもりでいた。
が…、女衆がどうしても遊べない。
シープドックであろうコリー犬が二匹、放し飼いにされているのだが、それが近寄ってくるたびに春も道子も怖がるし、春などはガチョウも怖がれば、子羊も子ヤギも怖がる始末。
道子に至っては、
「ギャー、ウンコだらけだよぉー! あっ、福ちゃん、ウンコ踏むよー!」
ウンコ好きの血が昂じ、暴れ出す始末。
どうしようもなかった。
仕方がないので、予定より早い時間に次のチェックポイント黒川温泉(南小国町)に向かった。
黒川温泉については説明する必要もなかろう。
ノリにノッている温泉地で、人は多く、敷居も高く、工事中だらけの場所である。
俺みたいに泉質重視の人間からすれば、この異様な人気を、
(なんで?)
そう思うのであるが、ま、そこは黒川の戦略勝ちなのであろう。
ハンセン病問題で話題になったアイレディース宮殿のところから温泉街に入り、その最も奥のチェックポイントへ向かった。
立ち寄り湯もあったので、ついでに浸かってゆくつもりであったが、そこは天下の黒川温泉。
15時以降は泊まり客専用になるらしく、
「泊まり客重視ですので」
と、やんわり断られた。
ちなみに、俺の個人的な思いであるが、南小国、もしくは小国で湯を楽しむならば、黒川から更に奥へ入った「はげの湯」辺りがオススメである。
名前もよいが湯もよい。
更に、地から蒸気がモクモクと噴出しており、雰囲気もよい。
さて…。
最後になった。
最後は小国町という熊本県の最も右上の町である。
ここは立地としては「極」が付くほどの田舎なのであるが、まぁ、阿蘇では栄えた町の部類に入る。
有名な医学者、北里柴三郎はここの出身でもある。
国道が交わる最も栄えた場所に道の駅があり、そこが今日最後のチェックポイントである。
どう見ても田舎には映えないガラス張りのオシャレなつくりで、その奇抜さはちょっと東京ビックサイトにも似ている。(スケールは違うが)
その周りを数店の洒落た店が取り囲んでおり、15分は楽しめる。
じゅうぶん楽しみ、小国を後にした。
この小国から山鹿までは車で一時間半。
大分県の上津江村、中津江村、それに菊池の山の中を通ってゆく事になる。
当然、山道なのでグネグネがズゥーッと続き、疲れもする。
(ビール飲みてぇ!)
そう思ったが、口に出すと喧嘩になりそうなのでやめた。
春は大分から熊本へ入った瞬間に寝、それから家まで起きなかった。
俺の性格からいって、こういった長距離の日帰りは好きでない。
どうせなら泊りがけでじっくり行きたいものであるが、そうは道子が許さぬし、家計も暇も、俺の予定も許さぬだろう。
車中、暇だった。
暇だったので、
(俗にいう、嫁に向いている向いていないとは何なのか?)
その事を考えてみた。
まず、俺の思考法として「字のつくり」から入る。
「夫」という字は、
「二番目の人」
そう解釈する事ができる。
そして、「嫁」という字は、
「家は女にあり」
そう解釈する事ができるし、「妻」という字は、
「毒が上に立つ女」
とも読める。
字の雰囲気からいえば、女主導でゆくのが「誠の姿」であるようにも思え、その点、福山家は模範というべき姿であろう。
(ならば道子は嫁に向いているという事か?)
個人的な意見は色々あろうが、
(向いているのではないか…)
と、俺は思う。
特に、俺みたいな道楽亭主に求められるのは「柔軟さ」で、その点、道子は際立ったものがある。(柔軟過ぎて腹が立つ事も多いが)
後、インドアではいけない。
その点、合格。
後…、後…。
この頭の中の問答は永延と続き、それは書いてもしょうがないので書かない。
夫婦とは、
(そういった相互点検をし続け、妥協し合うもの…)
それなのであろうし、それを口に出していてはキリがない。
ところで…。
上とは別件で、次の事も考えてみた。
(嫁というものには「小さな経済に関する感覚」が必要不可欠ではなかろうか?)
その事を、である。(最近は男が財布を管理しているパターンも多いと聞くが)
俺の実父・富夫は道子に対し、こう言っている。
「俺は道子さんの質朴なところが気に入っとる」
「質朴」と書けば響きは良いが、つまりは「ケチ」とも「貧乏性」とも読める。
道子は言う。
「福ちゃんがもっともっと稼いだらドーンと使うんだからー」
しかし、この感覚は小さい時に養われるものらしく、稼いだからといってドーンと使えるものではない。
あくまで感覚、消費の感覚なのだ。
今週末、山鹿では温泉祭という祭りが催されている。(4月10、11日)
今日一時間だけ、その山鹿温泉祭に出かけてみた。
出店がズラリと並んでいて、久々に賑わっている山鹿中心部を三人で歩いた。
歩きに歩き、結局は一円も使わず家に帰った。
「祭りだけん、ビールぐらい飲むばい」
そう言ったが、厳しく道子に一喝された。
道子の感覚は、この日も実に冴えている。
多分、春もこの血を受け継ぎ、来年にもなれば、
「飲んじゃ駄目ー!」
そう言って、俺を止めるに違いない。(今は「どうじょ、どうじょ」と言ってくれる)
が…、その感覚の方向が、
「あくまで自分好み」
という事は、なかなか自分では気付きにくい。
俺から見れば、道子は実に無駄が多い。
が…、道子から見れば俺は無駄が多いという事になろう。
感覚とは引き継ぐものだ。
ならば質朴である事は共有するにして、「かたより」の部分で俺に味方が欲しい。
道子の次が男である事を切に願う。
道子の腹も、ようやく膨らみ始めた。
〜 終わり 〜