犬も食わず (04/02/13)

 

最近の道子の「トロさ」たるや、戦慄の感さえある。

(このまま、ボケ老人になってしまうのではないか…?)

その「戦慄」である。

先日、「道子の日記」において、道子がグチを書いた。

このグチは、陰のグチではなく、道子が日頃から正面きって言っている事ではあるが、文章で書かれると、

(俺にゆとりがないのか…?)

考えないところもない。

で、考えた。

が…、どう考えても、先日の一件においては俺に非がない。

詳細を語ろう。

昼飯を食い、あまりにも腹いっぱいだったものだから、

「ちょっと道子の買い物に付き合おう」

そう言って、庭で春と遊びつつ、道子が来るのを待っていた。

10分ぐらい経ち、

「おーい、早くしてくれよー」

そう言ったところ、道子は、

「分かった、ちょっと待って」

そう言った。

それから10分。

「まだやー」

「急いでるんだよー」

さすがに20分も春と土遊びなどしていると飽きてくる。

「春ー、お母さんは遅いにょー」

そんな事を言いながら、更に10分を待ち、

「はよせぇーよー!」

と、家の中を覗いた。

と…。

道子は何をするでもなく、ぼんやりと仁王立ちし、明らかに停止しているのだ。

「なんしよっとや! 俺は待っとっとぞ!」

怒鳴ると、道子の中で「再生」のボタンが押されたのか、ブツブツ言いながら動き出した。

それから更に5分の時を待った。

これにて、計40分弱も春と庭で待っている事になる。

「グズグズすんなよ!」

頭にきたので玄関に突入すると、明らかに急いでもいない道子が、

「もー、うるさいよー、急いでるって言ってんじゃん」

このセリフが今回の喧嘩のキーだった。

頭にきた。

「30分以上待たせた女の言うセリフじゃにゃーぞ!」

と、喧嘩勃発に至ったわけである。

そもそも最近の道子を見るに、

「急いでる」「動いてる」「頑張ってる」

それらのセリフをよく聞くが、そういう事を言っている時に限って停止している時間が多い。

「おい、なん止まっとっとや?」

俺が突っつき、

「あ…」

と、動き出す節がよくある。

これは付き合っている時からそうだった。

絶対に時間には遅れる女で、それを指摘すると、

「どうしても遅れちゃうんだよー、生まれつきなんだよー」

「それは人格だ」と、胸を張って返された事は一度や二度ではない。

「だったら、早めに動き出すように心掛けろよ」

そう指摘すると、

「どんなに早く動き出しても結論は同じなんだよー、これはしょうがないんだよー」

笑いながらそう言い、

「福ちゃんこそ諦めなよー」

俺にアドバイスをする始末。

腹立たずにはいられない。

そういう経過を経て、

「何で毎回毎回、遅いんやー!」

「仕方ないよー、私じゃーん!」

毎度毎度、同じ喧嘩をする福山家なのである。

が…、最近は喧嘩の9割がそれに起因する事だ。

昔から喧嘩が多いと有名な福山家ではあるが、その事が原因で喧嘩をする割合は多くて3割くらいだったろう。

(何でだ?)

考えるに、

「道子の言葉使いの変化」

それが原因にあると思う。

喧嘩に至るキッカケを考えてゆくと、俺の言う事に「うるさーい」とか「急いでるって言ってんじゃーん」、道子がそのような事を返し、

「なんや、そん口の利き方はー!」

俺が怒鳴る事によって喧嘩勃発というパターンが非常に多い。

昔の道子は「うるさーい」なんて絶対に言わなかった。

中ではドス黒いものが渦巻いているのだろうが、

「分かったよー」

と、表向きは従順な姿勢を示し、それでいて今と変わらず遅かった。

「従順な姿勢」

キーはそこにある。

手の平で転がされたい九州男児は、表向きその姿勢をしてくれないと、

「困ったちゃん」

そうなってしまうのだ。

道子も俺と4年も付き合っているのだから、それは分かっているはずだ。

(なのになぜ…?)

思うに…。

この姿勢を貫くためには、家庭にそれなりのもの(金)を入れてなければならないのだろう。

「俺は働いているんだ、お前はせめて表面だけでもへつらってくれ」

言いはしないが、無言のそれ(圧力)が必要なのであろう。

が…、今の俺にはそれがない。

「む、む、む、むぅーん…」

まさにその事なのだ。

ふと、社宅時代の微笑ましい喧嘩を思い出した。

出勤前、道子がドリカムの「未来予想図T」を流しており、俺は「未来予想図U」が聞きたくなった。

それで「未来予想図U」を流したところ、

「なんだよー、私はT(ワン)が聞きたいんだよー」

道子がそう言ってTに戻した。

頭にきた俺は、

「俺はUが聞きたいんた、仕事前に聞かせろ!」

と、Uにする。

「仕事前に音楽なんて聞かなくていいじゃーん」

「うるせー、仕事前だけん好きな音楽が聞きちゃーった!」

「なんだよー!」

道子がTに戻す。

「ぶっ殺すぞ、馬鹿!」

Uにする。

「殺してみなよー、やれるもんならやればいいじゃーん!」

Tに戻す。

「むぅーん、くそがぁっー!」

俺は鉄製のドアを思いっきり閉め、出勤する。

と…。

社宅の下には、猛烈なる音量で喧嘩の声が漏れていたらしく、心配した知り合い達が輪を成してそこにいた。

「おーい、福山ー、どうしたんやー、えらく物騒な声が聞こえてたけどー」

「道子さんと喧嘩かー、原因はなんやー」

出勤の道々、皆が俺に問う。

「いや…、大した事じゃないけん…」

俺はうつむきがちに呟き、内側では、

(言えない、絶対に言えない、ドリカムの歌を巡って喧嘩したなんて誰にも言えない…)

悶えていたのであった。

結局…。

夫婦喧嘩は犬も食わんというが、まさにその事で、一つのコミニケーションなのであろう。

最後に…。

道子が俺に「ゆとりを持て」と言うように、俺からも何か言いたいと思う。

「開き直るな、成長しろ」

「無職でも俺に従順な姿勢をとれ」

「ビール一本で終わりとか言うな」

「パチンコ行くのに500円はないだろぉー」

「飲みに行くのに2000円はないだろぉー」

「ちょっとは優しくしてくれよぉー」

「頼むよぉー」

確かに…。

夫婦喧嘩は犬も食わないようだ。

 

 

公開グチ (04/02/11:道子執筆)

 

私とふくちゃんの性格は、知っての通り正反対。 ふくちゃんがなんでもチャッチャッチャッとやるのに対して、私はのんびりしている。 

別に、わざとのんびりしてるわけでもないけど、どうも行動が遅いらしい・・。 2人の時間の流れという物に大分差があるみたいである。

その事で、今に始まったわけでもないけど、よく喧嘩をする。 今日も私の行動を見て、ふくちゃんが1人イライラしていた。 きのうも、ちょっともめたので、今日はグチを兼ねてその辺のことを書きたいと思う。

お昼ごはんを食べてる時、「ご飯が終わったら運動兼ねてどっか出かけようか」とふくちゃんが言って来た。もちろん暇な私はOKをして、お昼ご飯を終えた。

それからが問題というか・・・私は、ご飯が終わったら、まず洗い物をして片付けて、

それから春を着替えさせて、自分も着替えて、ちょっと化粧もして、春のお茶を用意して、手紙を出そうと思ってたからちょっとメモを書いたりして、部屋の戸締りをして、、、やっと準備を終わらせた。 

その間、ふくちゃんは、はんてんをフリースに変えるだけ。 たったそれだけ。

(私はどこも無駄が無く、準備をしていたつもり・・・。)

出かける準備にこれだけ差があるのに、「お前は準備が遅いんだよ。 ったく、なにノロノロしてんだよ」とイライラしている。 そして、結局はイライラしたからか、出掛けるのをやめると言って来た。

こっちにしてみたら、「あんたはそれだけで出かけられるかもしれないけど、女はいろいろとあんだよ!!」と思いっきり言いたい所であった。 けど、言ってもまた更に喧嘩になるだけだろうし、私が遅いだけ、と言われるのがオチだろうからやめといた。

(女と書いたけど、やっぱり個人の問題かな。。)

とにかく、ここでグチらせてもらうけど、私なりに急いで準備をしてるんだから、すぐにイライラするのはやめてー!! ちょっとはゆとりある心でいてくれー!! 

私の時間の流れはゆ〜ったりしてるんだから!! (逆ギレ!?)

一応、もっと早く動けるようには努力はしますけど。。。

 

 

老人の街 (04/02/09)

 

2月7日の夕刻から翌日の朝方まで、福山家には来客があった。

濱崎夫婦である。

濱崎を高一の頃から知っている富夫(実父)も交え、春の芸をツマミにビール、日本酒、焼酎を飲み、11時過ぎには寝た。

実に健全な就寝時刻といえるだろう。

が…、それは望んだ事ではない。

濱崎が酔い潰れた事に起因するのだ。

外へ飲みに出かけたのであるが、

「駄目…、吐く…」

そう言って濱崎が動けなくなったため、やむなく家へ戻り、そのまま寝たのである。

「なさけにゃーねぇー」

嘆いたものであったが、意外にも、そのお陰で素晴らしいものを見る事ができた。

酔い潰れた濱崎を布団に移す際、嫁が濱崎の小柄な体を軽々と持ち上げ、布団に持っていったのである。

確かに、濱崎嫁が体育会系というのは知っていた。

が…、この軽々とした様には驚いた。

更に…。

酔っ払い、何かと暴言を吐く濱崎に、

「うるさか」(嫁は長崎出身)

そう言いながら、明るい蹴りまで披露してくれたのだ。

俺と道子は、その的確な扱いに感心し、

「さすがやねぇ!」

と、拍手喝采を送ったものであったが、濱崎嫁は、

「いつもの事です…、今日は人が見てるから遠慮気味にやったくらいです…」

恥ずかしそうにそう言ってくれた。

ところで…。

濱崎嫁がやっている仕事は「ヘルパーさん」というものらしい。

ヘルパーにも色々あろうが、濱崎嫁の属すところは「老人」という部類らしく、それも大半がボケているそうな。

道子が春のおしめを換えている時、濱崎嫁はこんな話をしてくれた。

「老人が自分のウンコを鷲掴みにして、私に投げつけてくるんですよぉー」

何ともコメントのしようがない凄まじい嘆きではあるが、

「投げつけられて…、どうすると…?」

愚な質問をせずにはいられない。

濱崎嫁は笑いながらこう答えてくれた。

「それ(ウンコ)が当たろうが当たるまいが、押さえつけて強引にオムツの交換をします」

また…。

「入浴の時が大変なんですよぉー」

濱崎嫁はそうも言う。

ボケた老人は赤子のように「入りたくない」と暴れるらしいのだ。

「どうすると?」

例によって聞いてみた。

「肩に担いで強引に連れて行き、風呂にエイヤと投げ込みます」

更に…。

「入れるのは一人だけじゃないんで、時には二人担ぐ事もあります」

モワンモワンと、とんでもない絵が浮かんでくる。

165センチの濱崎嫁が老人二人を肩に担ぎ、ホーム内を風呂に向かって闊歩する絵…。

「あんた…、逞しかねぇ…」

つい、溜息交じりでそう言ってしまった。

「体力勝負の仕事ですから」

濱崎嫁は屈託のない笑顔でそう言うが、体力も精神力も相当なものでなければ続きはしないだろう。

そりゃそうだ。

うちの可愛い春ちゃんでも大変なのだ。

それが、

(ボケた老人、更に他人なのだから…)

想像するだけで疲れてくる。

ところで…。

ボケた老人といえば、以前こんな事があった。

新鮮市場という激安スーパーが近くにあるのだが、そこの駐車場で道子の帰りを待っていると、目の前を軽自動車が横切った。

俺は本を読んでいたのであるが、たまたま顔を上げ、その車を見た。

何かが起こる予感がしたのであろう。

車のゆく先には一人の中年がいる。

当然、ブレーキを踏むと思いながら見ている。

が…。

「ゴンッ!」

軽自動車は、そのまま中年を轢いた。

「のぉっ!」

俺は思わず荒声を上げ、すぐに車を飛び出した。

中年は前につんのめる格好で倒れた。

腰あたりにバンパーが激突したらしい。

「大丈夫ですか?」

そう言って駆け寄ったものだが、あまりにも目撃者が多く、すぐに従業員らしき人や被害者の親族までも駆け寄ってきたため、傍観者に徹す事にして車に戻った。

軽自動車には、どう見ても90歳近くはあろう老人が乗っていた。

(その歳で運転すんなよぉー)

思ったが、よく見ると健常者でもないようだ。

鼻からチューブが出ており、それが変な機械に繋がっているため、車から降りようにも簡単には降りられないのだ。

顔面からアスファルトにダイブしてしまった被害者は、

「どこ見て運転しよっとや!」

と、意外にも元気に起き上がった。

デコ、鼻、アゴに痛々しい擦り傷があり、悲惨ではあるがちょっと笑えた。

中年は老人を車から引きずり降ろそうとした。

が…、鼻のチューブを見るや、強行姿勢に出るのは傍目に分が悪いと思ったのであろう。

車を端っこに寄せろと指示しているようだった。

老人は気が動転している。

前に進むつもりがギアはバックに入っていたらしく、慌てて急ブレーキ、車がガクンと揺れた。

すぐ後ろに車があったので、危うくニ発目の事故を引き起こすところであった。

見所満点の現場、そのアリーナにあって、俺という若者は自然と中年(被害者)の味方になっていった。

どう見ても老人に非がある。

が…、老人というものは衆目からすれば強者、更に病人というのがそれにハクを付けている。

荒々しい罵声を中年が吐こうものなら「大人気ない」と言われるし、警察を呼んだところで、

「民事不介入ですから、後はお二人で相談されてください」

そう言われるのがオチ。

二人で相談と言われても話は一向に進むまい。

(さて…、どうする中年…?)

気になるところであった。

軽自動車は野次馬達に案内されながら駐車場の端っこに移された。

が…、端っこといっても、俺の車からはそう遠くない。

窓を開け、そちらの方に耳を澄ました。

「携帯を貸すから、あなたの家族を呼んでくれ」

中年がそう言っているのが聞こえた。

なるほど、家族を呼べば話もできる。

が…、

「は?」

老人は耳が遠いらしく、どうも要領を得ないようだ。

続けて、

「家族を呼んで!」

中年の食い下がる大声も聞こえてきた。

しばし耳を傾けてみる。

「いや、わたしゃ年寄りだけん」

「家族ば呼ばんと話ができんでしょーが!」

「は?」

「もー! 免許書ば出して!」

「は?」

聞いていて歯痒かった。

このような老人が公道を走っているという事が恐ろしくもある。

その後も老人は、

「は?」

だけを連発し、結局は、

「もうよかっ!」

そう言って中年は去って行った。

正直…。

中年には、もうちょっと頑張って欲しかった。

意地でも家族を呼び出し、病院代だけでも請求して欲しかった。

そもそも老人の家族が悪い。

こういう危険な老人をシャバに放った家族が悪いのだ。

駐車場だったから良かったものの、これが目の前の国道だったら、高速道路だったら、老人の命もないが相手の命もない。

数日前、九州自動車道を軽トラに乗った老人が逆走し、対向車と激突するという痛ましい事故があった。

高速道路ゆえ死者が出たわけだが、それもこういった老人によるものであろう。

話が飛びに飛ぶが、以前、人込みの中で老人に弁慶の泣き所を蹴られた事があった。

涙が出るほど痛かったので、

「気を付けてくれよぉー」

老人に言ったところ、

「年寄りに何を言うか!」

逆ギレされた事があった。

周りの目は明らかに俺を悪者としていたし、老人もそれを背につけ上がり、

「この若者がインネンつけてきた」

と、周りに説明する始末。

勝ち目がなかったので、

「くっそー!」

と、地団駄踏んで逃げ出したわけだが、その時から、

「年寄り」

というものをアピールしている人に猛烈なる反発心を覚えるようになった。

この日記を読み、俺という人物が非常に冷たいもののように思われた人がいるかもしれない。

が…、周りをじっくり見渡して欲しい。

「年寄り」という圧倒的パワーを持つ切り札、これを水戸黄門の印籠みたいに狡賢く用いている人が如何に多いか…。

その事が分かってもらえるだろう。

とりとめのない話になってしまったが、とりあえず濱崎嫁のヘルパー話から事故った老人の出来事を思い出したという事である。

ああ…。

老人はこれからどんどん増えてゆく。

「年寄り」という印籠を大半の人が持っているという社会が、すぐそこまで来ている。

年金云々は俺から言わせれば微々たる問題だ。

が…、すれ違う人の半分が老人という風景を想像するに、あまりにも恐ろしいではないか。

「子供がいっぱいの未来を感じさせる社会」

それに貢献するため、

「俺は、しこたま子を産まねばなるまい!」

そう宣言するに至る。(嫁は未承認)

目標は11人。

先は長い。

 

 

若松競艇 (04/02/02:道子執筆)

 

1/29、1本の電話が鳴った。

「はい、福山です。」といつも通りに出てみると、「福山道子さんのお宅ですか?こちらは○○広告代理店の××と申しますが・・」といかにも怪しい感じの電話だった。

昼間だし、どうせ勧誘か何かだろうなあと思って聞いていると、「実は、福山さんが以前インターネットから応募されました若松競艇のナイトレースのネーミングが採用されまして・・」との事! 

ええー!!!とビックリしていると、相手の方は「あの有名な神田川や妹よを作詩した先生も選考委員に入ってまして、福山さんの応募されたネーミングが新鮮で1番いいということになりまして・・・」 「福山さんの案はパインナイトレースでしたが少し補正してパイナップルナイターと決定しました・・・」 「本日新聞各社に結果報告をしますが、福山さんの名前を出しても構わないでしょうか・・・」と次々と話を進めてくる。

私の案が採用? すごい!と、こっちはその間中ニヤケテニヤケテ・・それよりも商品は何だったかしら?! 3万円かな? 5万円くらいあったかな?!とその事がちょっと気になったりもして。。

そしたら、「それでですね、商品の方ですけど、5/1に始まる若松競艇のナイターペア観戦と小倉あたりにご宿泊、それからラスベガス旅行ペア5日間となります」と言って来た。

何!? ラスベガス!!! あのキラキララスベガス!?? 

すごぉーーーーーーーい!! 

自分で考えたネーミングが採用されて、その上ラスベガス旅行まで当たるなんて!!

私ってばやるじゃん!とかなりご満悦になったりしていた。

でも、よーく考えてみると、私ってば妊婦だし、ラスベガスには行けるんだろうか・・??

それから、電話を切ってすぐにふくちゃんに今の事を報告したら、ふくちゃんも「それはすごい!」と褒めてくれた。

でも、「行くとしても春を置いていくのか? 妊婦には無理だろう。 飛行機10時間以上乗るなら俺も行く気はない。」と言われてしまった・・。

分かってはいたけど、でもこのまま商品が水に流れたら・・と思うと悔しくて仕方ないので、ちょっと恥ずかしいけど、さっきの代理店の人に電話を掛けてみる事にした。

「あの〜実は今妊娠してるんですけど、この海外旅行は家族とか誰か他の人に譲ってもいいんでしょうか・・」と聞いてみた。

すると、意外にも他人への譲渡はOKとの事。 これで、私が行けなくても誰かが行ける!という事になった。

そこで誰が行くかだけど・・この時点で旅の詳細は全く分かってないけど、まず、海外旅行好きなうちのお母さんが頭に浮かんできた。 多分、誘ったら行くだろうなあ〜・・

それから、他には? お姉ちゃんに雅士くん・・ お義母さん行くかな? お義父さんは?? 

そして、いろいろ話をしてみた結果、今のところ旅のメンバーは「うちのお母さんとこちらのお義母さん」という事になった。

すごい組み合わせ!とも思えるけど、まあ、お互いの親族から1名ずつ行ってもらえればケンカもないし、いいかなと。。  ちょっと不安な気もするけど・・。

早速お義母さんは世界地図を持ち出して、ラスベガスに○印を付けたりしていて、うちのお母さんも「仕事が忙しい時期だから無理かも」とか言いながら、「いつ出発か、どこから出発か、どんなツアーなのかいろいろ考えてたら眠れなかった」と言って来た。

2人とも結構やる気なので、こちらとしても嬉しいばかりである。

とにかく、私は海外旅行は諦めて、5/1の小倉・若松競艇で行われるレースでも楽しもうと思う。 そして、どんな宿が用意されているかは分からないけど、1泊旅行を満喫してきたいと思う。

ふくちゃんの元同期の方、5/1小倉まで行きますので、良かったら一緒にレースを観戦しましょう! 

今回、ネーミングが採用されて1つ思ったことは、コツコツ懸賞に応募するより、意外にネーミングの方がいい商品をGET出来るかも?という事。

あんまりライバルが増えるのもよろしくはないけど、みなさんもお試しあれ!

ちょっと調子に乗っている道子でした。。

 

 

読書の冬 (04/01/27:道子執筆)

 

最近珍しく、私が読書をしている。 ここ3日は、1日1冊読んでいる。

何を読んでるかというと、野島伸司の「101回目のプロポーズ」だったり、山田詠美の「4U」だったり・・簡単なものばかり。 

そして、今更(?)赤川次郎。 とても読みやすい推理小説にハマッテしまったのである。 

小学、中学、高校、、、と読書感想文でくらいしか本を読んでなかったので、本当にもったいないことをしてたな〜と思う。 もっといっぱい本を読んでたら少しは賢くなっていたんじゃないかな?と思ったりもする。

本がこんなに面白かったとは。。

大体、春が寝た後で読んでるので、いいところで泣かれて中断したりと、集中はあまり出来ないけど、推理ものは「早く次へ!この先どうなるの!?」となるので、私でもあっという間に読めてしまう。

これからどれだけこの気持ちを維持できるかは分からないけど、とにかく読みまくって見たいと思う。

簡単でおもしろい、オススメな本があったら、みなさん教えて下さい!

 

<全く話は変わって・・・>

前に日記で書いた、テレビタミンの放送は1/28(水)にあるそうです。

ただ、放送時間はたったの3分・・。

一瞬映るか映らないかだと思うので、見れる人は集中して見てみてください!!

 

 

春様 (04/01/26)

 

春を中心に世界が回っている。

どこの家でも小さいのがいる家庭は大なり小なりそれがあろう。

が…、うちは、

(それがことさら強い…)

そう思う。

まず、春を信仰する(そう書いた方が適切)取巻きが非常に多い。

春を取り囲む構成は、家族4人に熊本市在住の雅士。

これに加え、

(すぐそこにいるのではないか?)

そういう存在感を示し続ける義母と義姉。(埼玉在住)

それらは春に関して非常に敏感な衆で、まさに「春の取巻き」といえるだろう。

前の日記で春が転落した事件を書いた。

すぐ義母と義姉から「春を怪我させるな」というお叱りのメールを頂いた。

この事は義母と義姉が変に心配性なわけではなく、恵美子と富夫も言った事である。

(春に関し、皆が過敏になりすぎてる…)

前回の日記同様、その事を、この一例からも思う。

ちなみに、埼玉からのお叱りは、

「ところで」

と、発展を見せ、俺に鋭い質問を投げかけてもいる。

「まだ就職しないの?」

これである。

道子と交わした約束によると、

「一年、もしくは貯金が尽きそうな時に働く」

そうなっているので、まだ時間的猶予はある。

が…、春の取巻き衆は、俺や道子より「金銭的に危険なイメージ」を福山家に持っているらしく、

(可愛い春と道子、餓えないかしら…?)

と、心配なのである。

「おい、道子、こんなメールが来てるぞ」

「え、なになに…、うふふ…」

「何か言えよー」

「うふふ…、私は何も言わないわ…」

このように、俺へのプレッシャーは日を追う毎に強くなるのである。

さて…。

話は明るくなり、春が新しく憶えた芸、これを下に列記したい。

・ チューリップのマネ(股による)

・ 本を読むマネ(北朝鮮の言葉っぽい)

・ 濃厚な投げキッス

・ 体操(+ヒゲダンス)

・ 点呼(無責任な)

・ 犬の鳴きマネ(かなり可愛い)

この中で、点呼という芸は誰が教えるわけでもなく、勝手に春が憶えた。

「やれ」と言ってやる芸ではなく、春が気ままに発する芸で、場をぐるりと見渡し、

「パパ、ママ、ジジ、ババ」

と、順に点呼する。

(お前は何様だ?)

思うが、

「はい!」

つい元気に返事してしまうナヨナヨの俺が悲しい。

ちなみに、この芸の凄まじさは、呼んだのは春のくせに声の方は見向きもせず、すました顔で場を離れるところにある。

呼ばれた俺にしてみれば、

(あれ…?)

という事になる。

(このような失恋が、過去に何度あったか…?)

そう思うと、春の行末が空恐ろしくなるのだ。

投げキッスという芸も同じ。

富夫や恵美子を座ったままで右へ左へ手玉に取る春を見ていると、精神衛生上、

(よくない…)

そう思う。

が…、そう思っている俺自体、袖を引っ張られ、

「とと、とと」

言われれば外で遊んでやってるし、目線を女衆に移すと、

「拭いてあげなきゃー」

鼻水を騒がしく拭いている「甘たらしい景色」を見る事ができる。

また、遠方であるにも関わらず、わざわざ春の服を送ってくれ、

「福ちゃん、頑張りなさい」

意味深なメッセージまでつけてくれる埼玉衆もいる。

春の取巻きは揃いも揃って骨抜けにされており、この状態はもう一時続きそうだ。

妹か弟が生まれるまで、春の天下は続きそうである。

今日はよく晴れていて、明日は俺のみ長崎へゆく。

 

 

転落 (04/01/22)

 

福山家本邸は平屋一戸建てである。

当然、その生活空間(屋内)は地面に密接しているわけではなく、湿り気対策に嵩上げされている。

これは弥生時代の高床式倉庫からも見られるように、家屋というものの常識である。

が…、その地面との段差が災難を招く事もある。

それは、昨日の午前中に訪れた。

道子は客間から外へ向かって洗濯物を干していた。

その横で、春は窓を開け閉めしながら遊んでいたのだという。

道子は富夫のジーパンを干すべく、上半身を屋外へ出し、物干し竿にそれを掛けようと手を伸ばした。

と…。

その横を、春がマトリクスばりのスロモーションで、

「落ちていった」

そうな。

(あ!)

道子が胸に電撃が走った瞬間、春は家の基礎部である「コンクリの部分」に顔から落ちた。

道子は干そうとしていた富夫のジーパンを思いっきり外へ放り投げると、春の元へ大きくジャンプ。

「ぎゃー!」

泣き叫ぶ春をすぐに抱きかかえた。

その段差、定規で測るに70センチ。

大人なら余裕で着地できる段差だが、一歳児には崖から見下ろすような段差であろう。

そこに、春は顔面から落ちた。

この時…。

俺は書斎で本を読んでいた。

突然、響いた尋常でない春の奇声に、思わず窓を開け、

「どうした?」

問いながら先を見ると、春を抱いた道子が、

「春ちゃんが落ちたー」

そう言って困った顔をしていた。

俺は、その「落ちた」を単に「こけた」と判断した。

ゆえ、

(それくらいで…)

呆れる思いで窓を閉め、読書を続行した。

が…、書斎に乱入してきた道子、その手に抱かれた春を見て、

「おお!」

思わず声をあげてしまった。

春の顔面、その左側に痛々しい擦り傷ができていたのである。

「どこでや?」

問うて道子の説明を受けるに、

(それは危険な落下だ…)

笑えないと思った。

「手足は動くや? それに歩けるや?」

追って問うと、それは問題ないという。

(ならば…)

という事で、

「とりあえず様子を見よう」

そういう判断を下した。

春は泣き疲れたのであろうか、道子の手の中ですぐに寝た。

アクシデントはまだ続いた。

この余波として、妊婦・道子の体から薄い血が滲み出たのだ

(ジャンプしたからか、それとも緊張のせいか?)

それは分からぬが、明らかに春転落というアクシデントによる余波であろう。

「どうしよー?」

道子は眉をハの字にして問うが、

「病院に行くか?」

それしか俺は言えない。

とりあえず、まだ見ぬ腹の子より、そこにいる春の方が大事だったので、

「顔以外、ぶつけたところはないや?」

その事を確認させた。

顔の傷は良しとして、頭を打ったとすれば何となく怖い。

「どこも腫れてないよ」

道子は言う。

「そうや…」

頷いたものの、何となく道子の確認は信用がおけなかった。

ので、我目で確認する事にした。

すると…。

春の左目、その上(デコ)にゴルフボールくらいのたんこぶがあるではないか。

かなり目立つ。

「お前、どこ見よっとや!」

道子を一喝すると、

「あれぇ! 見えなかったよー!」

工藤静香っぽい顔で弁解してきた。

が…、無視し、

「とりあえず、レントゲンだけでも撮ってもらうぞ」

そう言って、外へ出る準備をさせた。

この日は富夫の仕事が休みで、昼からは一緒に温泉へ行く予定であったが、即中止し、すぐさま山鹿市街へ車を出した。

「どこの病院に行くや?」

問うと、

「井上さんがいい」

道子はいう。

山鹿で有名な小児科である。

車を病院の横へベタ付けし、道子と春のみが小児科へ走った。

俺は駐車場で読書しながら二人の帰りを待った。

すると、二人は15分程度で戻ってきたではないか。

「早かったね」

驚き顔で言うと、

「外科に行けって言われちゃった、テヘッ」

という事で、看板をよく見ると、確かに外科がない。

(今日の道子はどうかしとる!)

そう思い、腹が立った。

「財布を忘れて愉快なサザエさん」

まるで、その実写を見ているようであった。

結局、歴史は古いがヤブ医者という事で有名な近くの総合病院で見てもらった。

脳のレントゲンを撮り、

「ま…、大丈夫でしょう…」

と、安心させてもらった。

が…、道子が言うには、

「最悪だよー」

そういう事も言われたようだ。

たんこぶの中に溜まっている血が三日もすれば顔の方に落ちてくる。

「それで」

と、医者は言う。

「春ちゃんの顔、パンダみたいになるかもしれません」

つまり、顔にアオタンができる可能性が大いにあるらしい。

この日からすれば明後日、この日記からすれば明日、道子が通う奥様クラブ「とことこ」において、テレビの撮影があるらしい。

熊本のローカル番組テレビタミンの「ノイローゼに悩む奥様を救う」みたいなコーナーで使う絵、その撮影だそうな。

数日前、道子はこのような事を言っている。

「何を着ていこうかなぁ、それに早めに行かなきゃね、楽しみぃー!」

それが一夜にしてアオタンの春ちゃん、そのお母さんになってしまった。

これでは、

「虐待している母」

そう見られてもおかしくない。

テレビタミンとしては「ノイローゼに悩む奥様を救う」という題目上、最も取り上げ難い母子の絵であろう。

「あーもー! 行くのやめようかなぁー!」

道子はそう嘆くが、完全に自業自得のため、その愚痴を聞くことすら馬鹿らしい。

原因は完全に道子の不注意にあるのだ。

ちなみに…。

春のババである恵美子は、この日、映画を見に行ってていない。

夕方、帰ってきたのだが、春を見るや、

「誰にやられたの? 誰にやられたの?」

その責任問題に言及した。

以前は、富夫が春の手を血だらけにしている。

その前は、俺が今回と同じ箇所に擦り傷を負わせている。

恵美子も何かやったであろう。

道子も例外ではない。

その都度、舞い上がる議論。

「誰がやった?」

この事は、春が大いに甘やかされている証拠であろう。

血ぐらいなんだ、後遺症が残らねばよい、死なねばよい。

そういう具合でなければ、これから訪れるであろう乱世、それを生きられるはずがない。

親(祖父母)というものは、得てして盲目になりやすい。

(厳しく、厳しく…)

そう思うが、

(死なんでよかった、もっと注意せねば…)

そうも思う。

「バランス」

そう、そのバランスこそが何よりも大切なのであろう。

いい教訓であった。

 

 

懸賞に凝る (04/01/20)

 

日記が長くなっているので短めにゆく。

最近、懸賞に凝っている。

147000円の高級ホテル宿泊が当たってから、

(意外に、インターネット懸賞も当たるかも…)

そう思った俺は、ちょくちょく来ていた懸賞サイトのメールを無視せず、ちょっとだけ会員登録してみる事にした。

懸賞サイトとは、インターネットの世界に星の数ほど転がっている懸賞を集め、整理し、会員が簡単に応募できるようにしてくれるサイトの事である。

むろん無料で、サイトは膨大な会員をスポンサーのサイト、それと繋げる事により、広告料を貰い、運営しているらしい。

とにかく、その情報量たるや凄まじい。

住所とか名前が自動入力されるので、その点、応募時間は最小に押さえられているはずだが、まともに見ようとすると数千件あるゆえ、とても一日では終わらない。

ゆえ、ほとんどをすっ飛ばし、応募数が多いもの、もしくはサイトが「オススメ」しているものに応募してみた。

すると…。

まず、温度湿度計付きの時計が当たった。

次に、クオカード5000円分が当たった。

更に、15000円もする最新式コーヒーメーカーが当たったではないか。

後ろ二件は、まだモノが来てないので「当たった」というのは時期早々かもしれないが、大手メーカーなので、まず間違いなかろう。

とにかく、意外に当たるという事が、これで証明された。

ちなみに道子は、サラリーマン時代にあまりにも暇で、やる事がなかったものだから、インターネット懸賞ばかりしていたらしい。

その結果、高級カメラをゲットしている。

(当たるのだ!)

そう確信した俺は、毎朝1時間半を費やし、延べ500件にも及ぶ応募をした。

それからというもの、鬼のように「抽選結果発表」というメールが届いている。

当たった時だけメールをくれればいいのだが、いちいちハズレの時までメールをくれるので、うっとうしくてしょうがない。

が…、それくらいはしょうがなかろう。

確率を見ていると、デジカメなど家電製品の場合が1/10000。

食品などの場合が1/1000。

これくらいの確率のようだ。

割は悪い。

が…、無料で当たる可能性が得られると思えば賛否両論であろう。

ちなみに、俺は最後のコーヒーメーカーが当たってから一週間、ハズレメールは山ほど来ているがアタリメールは一件もない。

ゆえ、現在1時間半かけている懸賞時間を、明日からは一時間に減らそうと思っている。

更に、来週も当たらなければ、それから30分減らし、その次の週も当たらなければ止めようと思っている。

その代わり、1万円以上の商品が当たれば30分づつ増やしていき、最高2時間まで懸賞タイムを増やすつもりだ。

俺は、暇なようで暇じゃない。

が…、今、インターネット懸賞というものの検証に、よんどころのない関心がふつふつと沸きあがり、どうしようもないのだ。

探究心から始まる理系の血であろう。

この検証…。

はっきり言って「もの」にはなっても「身」にならない。

貴重な時間を有効に使っていない事は自分で分かっている。

が…、こういうものを知る事も、

(世間を知る事!)

そう言い聞かせているのだ。

この結果は「ネット懸賞を試す」という題目で、当たるたびに更新していくページをつくろうと思っている。

読者各位におかれては、是非、参考にしてみてはいかがだろうか。

ちなみに、個人情報を開示する事によるリスク(わずらわしさ)であるが、現在、一回だけ電話による登録情報の確認があった。

それだけだ。

その点も、前述のコーナーに書いてゆきたい。

結局…。

労力・リスクに対しての実、それを良か否か判断するのは本人でしかない。

ゆえ、試すより他はないのだ。

(やらねば、ものも言えない)

その事もある。

 

 

奥様新年会 (04/01/18:道子執筆)

 

今週金曜日、週2回通っているぽかぽかのお母さんたちと先生と、総勢10名でぽかぽか新年会をしました。

この日のメインはママたち・・という事で、私ももちろん春をばあちゃんに預けて! そのお陰でゆっくりご飯も食べられたし、話もいっぱい出来たし、かなり楽しい会となりました。

春がいるとひたすらご飯をあげ続けないといけないからね・・。

場所は山鹿市のあさひ食堂というところで、名前からして定食でも出るのか?とちょっと思ってたけど、お店も薄暗くいい感じだし、料理もレディースコースという事で刺身、天ぷらを始めグラタンやパスタなど、女性好みのものも出たりして、かなり満足できるお店でした。

ママたちも、昼間とはまた違って、よく食べ、よく飲み、よくしゃべり・・! 意外な一面も見れたりしてすごく面白かった!

6時半にスタートして3時間、一人のママは「家で泣いてないかすごく心配、大丈夫かな・・」「携帯鳴ってないかな、あ〜気になる・・。」と新年会中ずっと子供のことを気にしてたけど、私始め数人は「あ、すっかり忘れてた」と子供の存在すら忘れて何かに開放されたようにのびのびして、これって性格か?それとも子供への愛情の差か??とちょっと考えてしまうようなとこもありました。

まあ、春は私がいなくても探しもしない親思いな子?!だから安心出来たのもあるけど。。

とにかく、久しぶりに「自分のイベント」としての飲み会があって本当〜に楽しかったです!! 毎月とはいわないけど、また絶対に集まりたい! 

ぽかぽかママ、よろしくね〜!!

 

 

日記 (04/01/15)

 

「今日の日記」の題目を「日記」と付けた。

年末年始をダイジェスト形式で書き記そうと思っているからだ。

まさに日記。

面白みも何もない。

が…。

俺の持つ心掛けとして、知っている人にだけは、

(お…)

そう思ってもらえるよう、ポイントを絞って書きたいと思う。

12月27日。

道子と春が揃って風邪をひいた。

道子は妊娠しており、腹に力を入れるのはよろしくない。

が…、咳は止まらず、この影響で下から血がにじみ出た。

急遽、病院(産婦人科)へ。

投薬治療を施される。

また、春も熱と鼻水が引かなかったため、病院へ行く。

俺だけが極めて元気。

ちなみに義母も埼玉で風邪に苦しんでいる模様。

どうやら、平山(道子側)血統にのみ侵入する風邪菌だったようだ。

12月28日。

関東から車で帰ってきた大津、皆本、淵上(高専の級友)が福山家に寄る。

道子と春は風邪をひいていたので家で留守番させ、近場の温泉・せとの湯へゆく。

ここは、クイズミリオネアで稼いだ賞金を建設費用に充てた温泉施設で、露天風呂の名は「ミリオネアの湯」という。

泉質もよく、店主の愛嬌もあるので、最近、俺の行きつけとなっている。

風呂に入りつつ、

「彼女できたや?」

三人に問うたところ、揃って、

「おるわけにゃーた」

そういう応えが返ってきた。

その代わり、

「妹の彼氏がいいやつでなぁー」(大津)

「俺、パチンコで20万円勝った」(皆本)

「最近、酒ん弱なったぁー」(淵上)

そういう話はたっぷりと聞けた。

(それでいいのか、三人?)

そう思ったが、口に出すのは止めた。

12月29日。

またもや関東からの来訪者。

社宅時代に隣に住んでいた山本家が遊びに来た。

「ロマン館」という菊水町の道の駅で飯を食い、その日も平山温泉郷へ流れた。

家族風呂がいいという事だったので、「ひらおぎ」という人気絶頂の家族風呂へ連れて行った。(泉質が素晴らしくいい)

時間は50分。

福山家は5分前に風呂を出た。

山本家は5分ほど遅れて出てきた。

「ごめーん」

そう言われ、

「ええばい」

応えたものだが、

「あー、いいお湯だねー、熱い、熱い」

山本嫁の「この言葉」には、

(俺は寒い…)

湯冷めした体を擦りつつ、内心そう思った。

この日、愛知県豊橋市から帰ってきた長さんが泊まりに来た。

土産に、明太子を1キロも買って来てくれた。

長さんの土産ポリシーは、

「いらないほどの量」

それらしい。

ちなみに…。

三ヶ月ほど前、長さんが豊橋名物の巨大饅頭を送ってくれた事がある。

直径25センチ、高さ10センチのそれを二個も送ってくれた。

「うれしー!」

恵美子と道子は大いに喜んでいたが、一個はすぐさま冷凍庫行きとなった。

それから冷凍庫に忘れ去られる事、四ヶ月。

先週、ぜんざいの材料として鍋に溶かされた。

(長さんが何ゆえ量に拘るのか…?)

それは定かでない。

12月30日。

熊本市で高専の同窓会みたいなものがあった。

20人強が集まり、俺の横には梢という女がいた。

この女、昔から我が強く、頭の回転の鋭い人で、

「福山君はおかしい!」

そう言い出したら止まらず、俺の粗を探しては、

「ほらー、バカだー」

手を叩いて喜んだ。

俺は大人なので、彼女が望むバカに徹してやった。

が…、バカに徹するためには相当な酒を入れねばならず、ちょっとばかし飲み過ぎた。

その後、飲み屋を三軒回り、最後に太陽とラーメン屋に寄った。

俺の手には紙袋が握られていた。

三軒目の家康という豚足屋で、

「後藤の忘れ物、持って帰って」

そう言われて手渡されたものだった。

カンノリという幹事肌の友人が、酔っている俺に持たせるのは危険と思ったのか、

「俺が持って帰ろうか?」

そう言ってくれたが、

「よかてー、俺に任せとって!」

と、なぜか俺は「持って帰る」と言い張った。

そして、案の定、どこかしらにその紙袋を忘れた。

翌々日、紙袋の持ち主から電話があり、慌ててラーメン屋などに電話を入れたが、

「そぎゃんたなか」

そう言われた。

(タクシーの中だ!)

そう思ったが、値切り交渉をしやすい個人タクシーを選んだため、それが何という個人タクシーか分からない。

結局、

「すまん、なくした」

後藤に謝った。

聞けば、あの梢が後藤にプレゼントとして渡した紙袋だったらしい。

中身がなんだったか知らぬが、この場を借りて梢にも謝りたいと思う。

「すまん」

パソコンの前で、俺は深々と頭を下げている。

ちなみに…。

この晩は太陽と松井が福山家に泊まっている。

熊本市から山鹿市までは30キロ強。

タクシー料金は正規でゆくなら7000円を超える。(深夜)

が…、4000円にしてもらった。

関東は絶対にタクシー代をまけない。

(そういう点でも、熊本は素晴らしい…)

そう思った。

12月31日、大晦日。

午前中を二日酔いで潰した。

午後から何となく動き始めたが、どうしても気分が乗らず、ふらりとパチンコ屋にでかけた。

スロットの回るドラムを見ていたら更に気分が悪くなり、便所で吐いた。

夜…。

ゆく年くる年(NHK)を見ながら、一年間を振り返ってみた。

様々な思い出が走馬灯のように蘇り、気が付くと、

「…」

無言になってしまう自分がいた。

つまり、そういう一年であった。

ゴーンという重々しい鐘の音と共に、

「今年こそ、素晴らしい年でありますように」

そう祈った。

年越しそばは道子手製。

春はグッスリ夢の中。

実に、まったりとした年越しであった。

1月1日、元旦。

早朝から日本一の石段に登るつもりであったが、道子が身重という事で中止し、午前6時起きで太陽の実家へ向かった。

太陽の家は言わずと知れた仙人の家で、山の奥々深く、

「獣と中川家のみが住み得る」

そういう場所にある。

そこで恒例の朝食を頂いた。

太陽父のズッコケ漫談をツマミに、美味い酒、美味い馬刺し、美味い鍋をご馳走になった。

春もなぜか大ハシャギで、太陽母に断崖絶壁のあぜ道まで連れて行かれては、

「ふらふらふらふら…、げぇっー!」

なぜか酔っ払いのマネをしていた。

帰り際、太陽母に、春へのお年玉、手作りのリース、壁掛け、そして、ここで取れた米を貰った。

「悪いですねぇ」

恐縮していると、横から太陽が、

「これ、使え」

と、お気に入りの温泉(せとの湯:平山温泉郷)、その回数券をくれた。

それは5000円もするもので、

「こんな高いの、貰えんぞ」

返そうとしたが、

「気にすんな…、無職だろ…」

そう言われたので貰う事にした。

無職という言葉には、何やら強い力があった。

また、隣にいた松井は、学生の身の上であるにも関わらず、春にお年玉をくれた。

(俺…、そうとう貧乏に思われとるなぁ…)

北風が冷たくて、何だか悲しくなった。

午後…。

福山家の本家で親族会があった。

行くと、何やら落ち着きのない雰囲気で、誰かを待っている風であった。

「誰が来ると?」

問うと、福山家の広告塔である伯母が、

「和哉君が来るんたーい」

そう言った。

和哉とは、俺の前会社の同期で、俺の従姉妹の彼氏でもある。

それが正月に来るという。

鼻が一気に膨らんだ。

そして、彼が来た。

「いやー、真理ちゃんの彼氏、はじめましてー!」

元気に挨拶を交わすと、

「こんにちわ、井上です」

和哉はエロい顔を更にエロくし、恥ずかしそうに頷いた。

肌が湿っているように見えた。

ヤモリみたいだと思った。

和哉は送迎付きで福山家親族会に現れ、普通に食い、飲み、俺に突っつかれ、乱れる事なく親族と話して去っていった。

途中、親族の女衆に、

「俺と和哉、どっちが素敵?」

問うたところ、全員一致で和哉を指名した。

和哉の親族へ与えた印象は素晴らしく良かったようだ。

ちなみにその晩…。

日本酒を飲み過ぎた俺は、またも身悶える事態に陥った。

悶えつつ、道子と春を見ると極めて元気。

やっと二人の風邪が治ってきたようであった。

1月2日。

母方の親族会へ出かけた。

正午から4時くらいまで飲み、それから従兄弟の子(小学生)と近くの小学校へ出かけた。

富夫も含め、子供達と幅飛びだの何だので賭けをしたところ、大いに負け、意外なところで散財してしまった。

(小学生に負けるとは…)

痩せねばならぬと思った。

また、この宴会に、春と同学年の再従姉妹が二人も参加している。

言語能力や身体能力はそう変わりないのだが、食欲は春のダントツ勝利であった。

俺が飲み続けるのと同じ時間、春は食い続けた。

1月3日。

福山家本家から従姉妹の真理嬢を拾い、その足で和哉母の誕生日プレゼントを買い、和哉の家へ向かった。

和哉の家は福岡県の黒木町にある。

山鹿からは峠を二つ越えねばならない。

その途中、車中において道子がゲロを吐いた。

単なる車酔いではない。

明らかに、妊娠による影響が加味された車酔いであった。

車を停め、

「大丈夫や?」

問うと、道子は袋に吐いた嘔吐物を俺に見せ、

「これ、どうしよう?」

逆に問い返してきた。

あやうく、貰いゲロをするところであった。

とにかく、大自然のど真ん中なので、遠慮なく道端に嘔吐物を捨て、和哉邸に向かった。

春の時はツワリらしいものが全くなかった道子だが、今回は顕著に現れたようだ。(男か?)

さて…。

和哉宅に目を移す。

先日は和哉が真理宅へ、今回は立場が逆である。

(真理ちゃんがどういった動きを見せるものか?)

楽しみにしていたものだが、意外にも和哉の親父が猛烈にハッスルしてくれ、そっちの方が注目度大であった。

「そうするんにゃー和哉、するのかにゃー、せんのかにゃー?」

話は大いに飛躍し、

「結婚するのかしないのか」

和哉が責められ始めた。

「いずれは…」

和哉がそのような事を返すと、

「男がなさけないにゃー」

場は一気にヒートアップした。

これにはちょっとだけ同情したが、面白かったので、火に油を注ぐべく、

「お父さん、俺との仲も切れないようですね」

そのように言うと、

「お前とだけは近くなりたくないにゃー」

そう言われ、場は、

「あっはっはっはっはー、こりゃ一本とられましたなー」

親父臭い盛り上がりを見せた。

ところで…。

和哉の妹に子が生まれている。

三ヶ月という事で、まだ大した動きは見せないのだが、ちょっと笑う毎に、

「笑ったにゃー、かわいいにゃー」

井上家の皆、満面の笑みで暴れた。

微笑ましい絵であった。

が…、その子の名は太陽といい、

「太陽ー、太陽ー」

皆がそう呼ぶ毎に、ちょっと同情してしまう俺がいた。

無論、あの太陽と重ねてしまうからだ。

数年もすれば「いぇい」しか言わなくなり、暇さえあれば尻を出し始めるだろう。

ふと、太陽父が元旦に言っていた事を思い出した。

「福山君、おらぁ(俺は)ね、太陽が小さか頃、担任の先生に学校まで呼び出されて、『太陽君は尻ば出し続けてます、ちょっとおかしかっじゃなかですか?』そぎゃん言われたんばい。あの時は腹んたったー。尻ば出し続けたくらいでおかしかって言われたらどぎゃんしようもにゃーどがー」

それを聞き、俺は、

(尻を出し続けるのは、じゅうぶん「おかしか」と思います)

そう思ったが言えなかった。

この事を思い出し、

(こっちの太陽はどういう風に育つか…)

ちょっと笑えたのである。

以上…。

突然ではあるが、年末年始の日記を終わる。

ちなみに…。

道子の妊娠状況は「春の部屋」同様、HPで細やかに報告していく。

(俺も親馬鹿だな…)

思うが、度を過ぎなければ「親馬鹿」は子育ての必須項目であろう。

今日は、すこぶる天気がいい。

(外で遊んでやろうか…)

遠くで響いている春の声を聞きながら、ふと、そう思った。

 

 

今年もヨロシク (04/01/13:道子執筆)

 

まずは・・明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。

ずっと日記をさぼってましたが、また今日から復活です。 2004年最初の日記は簡単に・・

報告から。 

もう知ってる人がほとんどかもしれないけど、私2人目妊娠しました!!  今、11週目になったところです。 今日の検診ではお腹の子、2.9cmです。 まだこんなに小さいけど、もう手足も見え始めました。 可愛すぎます!

春の後、1回流産してるだけに今回は慎重に慎重に・・と思ってるところで風邪をひいて、咳のし過ぎでちょっと出血。 また流産か!と心配したけど、安静にして無事流産だけは避けた模様? 心臓の動きも見えてきたので、ちょっと安心です。

今思うと、春の時は妊娠してたのに、相当飲んだり(発覚前)、海に入ったり、バス旅行へ行ったり、1人目とは思えないほど無茶をしてたような・・健康って恐ろしいですね。(おバカなだけ?!)

まあ、今はそんな恐ろしいことはせず、家族にも甘えてのんびりのびのび生活しております。 

無事産まれてくれるといいなあ〜

という事で、またも2月に予定していた出雲行きも中止になりそうだし、我慢しなきゃいけない事も増えるけど、妊娠ライフを楽しみたいと思います!

遠出できないので、みなさん遊びにきてくださいね!! 待ってます!

それから、もう一つお知らせが。

今、週2回通ってるとことこ(本当は『ぽかぽか』でした。)に、熊本ローカル番組「てれビタミン」が今度取材に来ます! もしかして、春と私、映るかも?!  見れる人は是非チェックしてください! いつ放送かはまだ分かりませんが。。

それと、春に続き、またお腹の子の成長記録をふくちゃんがHP上に作成してくれます。

そのうち出来ると思うので、良かったら見てください!!

では、また。

 

 

埼玉へ (03/12/03:道子執筆)

 

来週月曜日から8日間、福山家は埼玉へ帰ります!

お母さん・お姉ちゃんと春を遊ばせて、友達と会って、もと住んでた社宅へ行ってバトミントンして飲み会して飲み会して・・・

8日間という日程には、すでに「計画大好きふくちゃん」がしっかりをスケジュールを詰め込んでて、結構中身の濃い8日間を過ごす事になりそう。。

とりあえず、実家にいたらいつも以上に動かないことになりそうだし、康子(母)料理も食べるし、飲み会もあるしで、太らないで帰ることだけを目標に、楽しく埼玉で遊んで来ようと思う!!

埼玉でお世話になる方、どうぞよろしく!!

それと、スカイネットアジア航空の格安チケットを買ったから、無事飛びますように・・。

(以下、全く関係ない話)

今日、小失敗をしてしまった。 今日の夕飯は鍋だったけど、その中に使用済みティッシュを入れて煮込んでしまったのである。 当たりを引いたのはお義父さん! 「これ何だー!?」と食べる前に気付いたから良かったけど、本当にすいませんでした!!      それから、本当に本当に、鼻噛んだティッシュじゃないですからね!!            手を拭いただけ・・。  ご安心を・・。

 

 

歴史ツアー (道子執筆:03/11/26)

 

(まず・・ふくちゃんがとても詳しく旅行記を書いているので、私は簡単に旅行の思い出を書きます。)

今回の旅は、ふくちゃんが綿密に計画した、歴史ツアーである。

早朝6時半、「最悪〜また雨だよ・・。」そんな小言を言いながら、3泊4日の旅は始まった。 またしても雨女!? 町散策をする旅行にとっては本当に雨は最悪で、更には子供を連れてとなるとかなり厄介なものになってしまう。 お願いあんまり強くならないで!と願いつつ、車は出発した。。。

まず1日目、目的は萩。名前はよく聞くけど1度も行った事がないし、海に面してるので「なんだか魚が美味しそう!」という事でかなり楽しみにしていた。

途中、秋吉台に寄ったり、ICでお茶したりして、萩に着いたのはちょうど昼頃になった。 道の駅でお昼ご飯を食べ、宿に荷物を置いてから街に出てみた。 平日にも関わらず観光客は結構いて、私達もその中に混じっていろいろ見ることにした。 まずは「吉田松陰」関係を・・ということで資料館へ入ったり、神社でお参りしたりした。 それから墓を見に行ったりとしてたらもう夕方になったので、宿へ戻ることにした。今日の宿泊先は「萩本陣」。 この宿は高台にあって、萩の町が一望出来る展望露天風呂がウリである。しかも、その露天風呂まではモノレールで行くのである。

珍しいしかなりの高さを登るので本当に街を一望出来て良いは良いんだけど・・雨の日には少し濡れるし、モノレールも10分置き位に動いたりと待ち時間もあったりするので、ちょっと不便と言えば不便であった。

「ちょっと入りに行こう!」が出来ないのである。それと、実際は覗き見防止の為しっかり囲いがあるので、女風呂からは夜景が全く見えなかったのも残念。 でも、子供とかいれば、すごく楽しめそうだしカップルにもいいかも??  泉質は・・山鹿の勝ち!

そしてそして料理はというと、おこぜの煮物や唐揚げ、小鉢に鍋に・・と満足の味・量であった! 気になるお値段は・・平日で11,500円なので、機会があれば行って見て下さい!

2日目、まだ雨。 続いて萩城跡や城下町を見てから、出雲へと向かった。出雲は私のお母さんの実家があって今日はそこにお泊り。子供が3人もいるので、春も大興奮で遊びまくり、ふくちゃんも家での宴会が終わるとあんちゃん(私の従兄弟)と深夜1時過ぎまで?スナックで飲んでたみたいで(もちろんゴチ!)かなり楽しんだみたいである。 

3日目、曇り。出雲を出発してから、石見銀山や断魚渓に寄ったりして、あまり時間がなかったので、あとは高速を使って一気に徳山まで行って、この日は格安ビジネスホテルにお泊り。このホテル、ビジネスだけど和室があり、なかなか綺麗なので、こちらも機会があればどうぞ。(名;アルフレックス)

4日目、快晴!!  この日は、本当〜に雲一つ無い、いいお天気! 防府天満宮や毛利邸へ行ったけど、山口はちょうど紅葉がキレイな時で、どこを歩いてもキレイで気持ちがよかった!!  

その後も何箇所か寄ったりして、歴史巡りの旅は終了となった。

(ちなみに、歴史の細かな事は全てふくちゃんが書くだろうという事で、私は場所に触れてみただけ・・。)

今回は、雨だし車での移動が多かったから、動けずに1歳の春にはちょっときつかったかな?という感じだったけど、私は歴史散策してみて、知らなかった事をいっぱい勉強できたし、「日本の歴史」の面白さもちょっとは分かったかな?という気になった旅でした。

この人知ってる!あ、この人も!という人達が一緒の時代で活躍してたり・・・。そんな基本が学べた旅でした。

まだまだ日本中には歴史の舞台となった場所がいっぱいいっぱいあるので、また歴史ツアーをふくちゃんが計画する事があったら着いて行ってみたいと思います!

そして、しっかり地方料理なるものを食べていきたいと思います!!

旅続きの福山家、家計の方は大丈夫だろうか?と心配されそうだけど、なんとかやっていってます。 更に、来月は埼玉へ、来年2月にはまた出雲へ。

まだまだ福山家の旅は続きそうです。 

 

 

旅立ち (道子執筆:03/11/19)

 

明日から4日間、またまた福山家は旅に出ます。 

今度は、萩→出雲→徳山→下関?と、本州突入。 本当は、秋の京都を目指して・・・の予定だったけど、ふくちゃんの日記の通り、子供連れでは無理との事で、この辺りまでとなってしまった。。

出雲はおばあちゃん家があるので何度も行ってるけど、他は初めて行く所なのですごく楽しみ! ただ、今回の旅は「歴史巡り」がメインみたいで、私も楽しめるか。。というのがちょっと不安。

それと、ナビ。 これもかなりのクセモノ・・ 何度となくナビを巡って喧嘩をした事か。。

大体は私の間違いが原因だけど、その後のふくちゃんの怒り方、口の悪さ・・に逆ギレ?!

で、険悪ムードに。。

今回は、「誰にでも分かる地図」なる物をふくちゃんが作成してくれたから、間違えずに済めばいいけど。。

とにかく、春もいることだし、楽しく美味しくいい旅にして来ようと思う!!

あとはまたまた天気がちょっと心配だけど、なんとか曇りに留まってもらって雨女の汚名返上をしたいものである!

では、行って来ま〜す!

 

 

京都に関して (03/11/16)

 

まったくもって参った。

俺が寝ている間に、春が俺のメガネ、そのフレームをへし折ってしまったのだ。

ものは、レンズ込み5000円のメガネで、もうかれこれ3年くらい使い続けており、

(そろそろ新しいものを…)

思っていたものだが、それでも痛いものは痛い。

やはり愛着がある。

直そうと手を入れてみたが、フレームの根元がポキリと折れているため、テープで修正するより他はない。

とりあえず換えがないので、その方法による修正を試みた。

すると、やはりレンズが変な具合に目と接し、時間が経つと頭痛がした。

それにグリップ力が弱く、顔を振るとメガネが落ちる。

既に、ションベンをした後、水を流そうとして二回ほど便器に落としている。

「ああ、不便だ!」

結局はそういう叫びを生む事になり、道子にしても、

「新しいメガネを買いなさいよ」

そう言ってくれる運びとなった。

眼鏡屋は近場の店を選んだ。

以前、無用の長物となってしまった「度付きサングラス」を買った店である。

メガネケースにサングラスが入らないという不具合をまだ報告してなかったので、それを報告するがてら、メガネを買いに行った。

ここのスタッフは対応が素晴らしい。

「サングラスがケースに入らんかったばい」

そう言って、ものを突き返すと、

「それは、誠に、誠に申し訳ありません」

そういう感じの低姿勢で受け取ってくれ、すぐさま新しいケースを用意し、メガネ拭きの布をくれ、更に入らなかったケースも「どうぞ貰ってください」と言う。

その対応で、俺はここでメガネを買う事に決めた。

前のメガネと同様、レンズ込み5000円のメガネから徹底的に試着を始めた。

デザイン云々の前に、俺の顔にフィットする事が重要なのだ。

が…、5000円の中にはフィットするどころか、鼻当てが当たってくれるものすらなかった。

次いで、7000円、10000円と試したが、どれもこれもメガネの幅が狭すぎて、試着の時点で関節部がギーギー鳴り、今にも壊れそうであった。

店員は何かを言いたそうにしているが、やはり言ってよいものかどうか迷うらしく(以前の日記参照)、一歩踏み出しては戻る、その動作を繰り返し、

「俺に合うメガネってないものかねぇ?」

俺がそう言うや、やっと口を出してくれた。

店員が薦めるものは、樹脂製のフレーム、もしくはチタンフレームのやつで、どれも半オーダー品であった。

「既製品じゃ俺に合わんって事かね?」

俺が冗談で問うと、

「いえ、そういうつもりではありませんが、福山さんみたいに特別な頭のかたちをされている方には、こういったものがピッタリかと」

そのような暴言を吐いてくれた。

が…、俺はそのストレートさが気に入った。

店員の言うに任せ、全てのものを試着し、気にいらなければ叩き返した。

やはり専門家が持ってくるものは値段もよいが、その分しっくりくるものも多かった。

樹脂製のやつなどは、付けている感じがしないほどに軽く、そしてフィットした。

「これ、いいねぇ」

値段を見てみると「32000円〜」と書いてあった。

外にいた道子を呼び、値段の相談をもちかけると、

「もぉいいよ、好きなのを選べば」

そう言ってくれた。

道子が言うに、貯金がグングン減っているのを見ていたら、金なんてどうでも良くなってきたらしい。

30000円代という恐ろしい額の買い物なのに、すんなりOKしてくれた。

「じゃあ」

という事で、それを買うことに決め、半オーダー品なのでパーツ選びに入った。

顔のサイズや瞳孔の間隔を測定し、それに合うパーツを決めていく。

ぴったり合うパーツはなかったが、だいたい合うであろうパーツは見付かった。

色や鼻当ては、

「お客様のお好みでお選び下さい」

らしいが、どうもイメージが湧かない。

「パソコンで見て、福笑いみたいにメガネば合わせていくやつはないと?」

問うたが、そういったハイテク機器は都市部にしか置いていないらしい。

仕方ないので、店員にフレームを適切な位置に当ててもらい、鏡で見ながら顔の角度を変え、イメージを膨らませていった。

レンズの形、サイズも選べるのであるが、展示品が少なかったため、店員にカタログのレンズ、その形を指で作らせ、それを俺の顔に持ってくる事で検討した。

とりあえず、そんな風に原始的な方法でパーツの選定を終え、眼鏡屋を後にした。

値段はもちろん強気の姿勢で交渉したが、

「定価は54000円なんですよ、勘弁してくださいー」

泣きつかれ、それが嘘でない証拠まで出されたので、消費税をまけさせるだけにとどめた。

さて…。

今、これを読んでおられる方の中には、

(メガネの話なのに、なぜ題目は「京都に関して」なのか?)

そう思われた方もあろう。

しかし、その事は気にしないで欲しい。

これは日記。

自由な書きものなのだ。

が…、強引にこじつければ、題目の京都が関係なくもない。

悲喜爛々や道子の日記で語られていた京都旅行に出る日が、メガネの出来上がりを待ってからという話になっているのだ。

メガネの出来上がる日は、11月19日だという。

つまり、京都旅行に出る日は11月20日となる。

そもそも、今回の京都旅行をやろうとなった経緯は、

「秋の京都に行きたいよー」

悲喜爛々で書いたように、道子がそれを望み始めた事にあるのだが、その前に、俺が坂本竜馬に関するエッセイで賞をとり、少しの賞金と、竜馬の遺品展示会、その無料入場券が送られてきた事にもある。

この展示会は、11月22日〜24日までの短期間で、坂本竜馬の命日に伴って開かれるものだという。

20日に熊本を出れば、高速を使わずとも、じゅうぶん間に合う。

そういう事で、まずは日程を決め、詳細の計画に取り掛かった。

道子は旅館などにはうるさいが、そういった計画事には全く興味を示さない。

ゆえ、俺は一人で深夜の書斎にこもり、電子地図を睨みながら黙々と計画を練った。

「初日、山口県の萩まで行き、維新の心に触れる」

「二日目、島根の出雲まで行き、義母の実家に泊まる」

「三日目、鳥取市まで行き、砂丘の麓で泊まる」

「四日目、大阪まで行き、その晩は早めに寝、英気を養う」

「五日目、京都散策」

などと、電子地図に線を引きながら、

「ここに寄らねば、あ、ここも…」

と、思いを走らせる。

とりあえず、第一考では8泊9日の長丁場になった。

移動に高速を使わない事はもちろんとして、宿泊もなるべく親戚の家などを用いるプランにし、道子の求める、

「極力予算を抑えたプラン」

を練ったつもりだったが、どうしても日数が増えるとホテル泊、それに家族の食い分が加算され、相当な額になった。

(これが俺一人なら…)

思うところはあるが、春がいて道子がいるのでは断食や車中泊もならないだろう。

それに、移動距離が毎日200キロを優に越え、それが下道だから、

(長いドライブに春が耐えられるか?)

その危惧も生じた。

「むぅーん…」

悩みに悩み、結局は高速をちょっとだけ用いるプランに変更したりして、6泊7日の第二考を紙に書き出した。

が…、今度は京都を回る時が三連休の真っ只中という事で、更に、インターネットを見てみると、二条城の400周年記念イベント開催中とか何とかで、

「凄まじい人が予想される」

そういう予測がされていた。

(春を連れて回れるか?)

多分、満員電車の中みたいな観光地を行く事になろう。

そうなると、春を連れての観光は辛い。

考えに考えたが、結局、

「京都は無理だ!」

諦めざるを得ない結論となった。

この結論を生むのに、10時間以上費やしたであろう。

「京都に行きたい」と熱望していた道子とは俺の考察を示した上で、

「閑散期に行こう」

そういう風に話し合った。

が…、せっかく緻密に計画し、莫大なエネルギーを使ったのを無にするのは馬鹿らしいので、出雲までは行こうと決め、急遽3泊4日プランを練った。

萩、出雲、徳山(現在の周南)を通るプランである。

考えが変わらぬよう、すぐに萩の旅館(最高級)に予約を入れ、出雲の親戚にも電話を入れた。

「楽しみだよー」

道子は言い、富夫や恵美子などは、

「この前、湯布院に行ったばかりとこれぇ…」

そう言って呆れもした。

が…、金に関する意識が少しずつ少しずつ緩くなってる道子にすれば、先の先の話より、ちょっと先の話であろう。

「福ちゃんの取材旅行ですから」

妙に夫に理解のある姿勢を示してくれた。

とにかく…。

俺にしてみれば、釈然としない結果に終わった。

が…、今回、考えに考えた末、子持ちの旅行には無理ができない事をしみじみ悟った。

それだけは、いい勉強になった。

また、この一件のお陰で素晴らしい約束も得た。

「京都は諦めよう…」

肩を落とした俺を、道子は可哀相だと思ったに違いない。

「近い将来、一人で京都とかを回っておいでよ」

そういう約束をしてくれたのだ。

そういえば…。

前に短い文章を出したやつが、ちょろちょろと金になって帰ってきたし、体には肉も付いてきた。

春は「父が誰よりも好きだ」という事を態度で示してくる。

(運がそろそろ戻ってきたのでは…?)

そう思わずにはいられない。

今日、俺は短文を5本書き、小さな賞に応募した。

これらがもし、金になって帰ってくるとすれば、全額が揃うのは一年後になろう。

(その時、俺は何をしているのだろう?)

ふと、その事を思った。

生活苦からサラリーマンになっているかもしれないし、今の生活を続けている可能性もじゅうぶんにある。

が…、今の流れからすれば、かすかな光が差さないでもない。

俺の京都旅行の挫折を知った人々の声は、多分、

「福山もエネルギーが切れたばい。情けにゃーねー」

そういう風に傾くであろうが、俺の目はまだまだ死んでいない。

その事をお知らせし、今日の日記を終わりにする。

俺に幸ある事を、俺自身が祈る。