ちくしょう遺伝子 (02/8/13)

 

先日、

「少しばかり酒を飲んでから帰る」

という事で、俺の会社帰りが11時をこえた。

ソロリと鉄製の重いドアを開け、スルリと音もなく玄関を上がった。

居間の明かりは灯っている。

そのまま、その明かりを目掛けて進むと、道子は座椅子で死んだ様に頭を垂らしている。

ソッと下から表情を確認すると、白目で、口はポカリとあいていた。

奥の四畳半の寝室へ目を向けると、春が大の字になり、これまた薄い白目で眠っている。

(うーん、俺、このまま寝てよいものか?)

俺の役割として『春の風呂入れ』というものがある。

その役割が、俺の酔った体をそのまま床へ入れてくれないのである。

「おい、道子、起きろ」

俺は道子の肩を叩きながら、

「起きろ、起きろ、起きろー!」

一生懸命に言った。

(道子に春を入浴させる必要があるのか問わねば…)

そう思ったのだ。

春に関する審判者である道子が、

「今日は入れなくて良し」

そう言えば、そのまま酔った体をすぐにでも横たえたかった。

が、道子は起きない。

叩けども、叫べども、一向に起きないのだ。

たまに、

「むにゃ…」

とかこぼすものの、目に黒目が現れる気配がない。

終いには、

「おい、春の風呂はどうするんや?」

俺は道子の顔を両手で掴み、叫び口調で言うに至る。

「ん…」

やっと、道子の黒目がクルンと現れた。

が…、まだ限りなく細目である。

「な、何、福ちゃん、今帰ってきたの…」

言うのだが、言いながら白目と黒目を繰り返す。

どうやら、境地にいる様である。

「春の風呂はどうする?」

「うん…」

言いながら、モード白目に入った様で、ガクンと頭を傾け、眠ってしまった。

「おい、おい!」

「はっ!」

戻ってきた道子。

そして…。

「なんだっけ?」

そう言う。

段々、腹が立ってきた。

「風呂はどうするんやって言いよっとた!」

喧嘩腰で叫ぶ俺に、道子もどうやら怒ったようだ。

「そんなに、怒らなくてもいいじゃん! 私はねー…」

言いながら、また寝た。

(こいつの頭の構造はどうなってるんや…)

こうなると、怒るどころか、むしろ、

(あきれてしまう…)

のである。

とりあえず、この問答を3度ほど繰り返し、結果、

「春ちゃん、お風呂に入れるよぉー」

道子はやっと結論を出してくれた。

問答開始から30分を要した。

俺はそれから酔った体で、湯船に浸かり、春を待った。

三分後…。

春は半目の道子に抱かれてやってきた。

「はい」

道子は必要最小限度の言葉しか発さず、俺に裸の春を渡す。

「おう」

俺は春を抱き、湯船に浸けるのだが、何やら、

(グッタリしてるなぁ…)

そう思われた。

見ると、春は眠っているようだ。

確かに、眠っているところを起こしたのだから、しょうがないのかもしれないが、服を脱がす、移動する、お湯に浸けられる、これらの工程を経ても、ピクリともせず眠っているのは感動ものである。

(こいつ…、大物になるかも…)

思いながら、春を起こすべく、揺すったり、頭を湯に浸けたりしてみた。

が…、一向に起きない。

(ま、いいや…)

俺は眠ったままの春を道子へ渡した。

前にも言ったが、福山家の風呂は春を湯に浸ける役と洗う役の分業制である。

道子は無言で春を受け取ると、いまだ半目で春を洗いにかかった。

(こいつ、まだ寝ぼけてるな…)

思うと共に、シャンプー、石鹸をバリバリ付けられ、ゴシゴシ洗われているにも関わらず、一向に目をあける気配すら見せない春にも、

(なんだ、こいつ…)

そう思わざるを得ない。

奇妙な光景だった。

今にも倒れそうな女が、死んだような赤子をフラフラと洗っている絵…。

結局、春は風呂を出るまで、一度も目を覚まさなかった。

出てからも、眠ったまま服を着、そのまま床へついた。

乳を要求する事もなかった。

多分、春にとって、風呂へ入ったという事実はないのであろう。

春が喋れたなら、翌日、

「あれ、私の服がいつの間にか変わってる!」

と、驚く事に違いない。

父の心配は絶えない。

二人が本気を出せば、飯食った後、眠っているところを東南アジアに売られてしまう事も可能であろう。

道子も春も、縛られても、殴られても、輸送されても、全く気付かない『体』なのだ。

多分、目的地、東南アジアで、

「どこ、ここー?」

道子と春は、環境の変化を初めて感じる事になるのであろう。

(う…、道子遺伝子、強し…)

そう思ってしまった。

これが、大物遺伝子なのか、ちくしょう遺伝子なのか、それは蓋を開けてみなければ分からないが、とりえず今は、

(ちくしょう遺伝子だな…)

そう思うに至り、

(夜は俺がフクロウとなって見守らねば…)

そうも思うのであった。

 

 

苦悶・エレベータ (02/8/8)

 

会社内に8階建ての真新しい建物が建った事は前に述べたが、これに伴い、エレベータに乗る事が多くなった。

俺は基本的に、このエレベータという乗り物が、

(苦手…)

である。

俺が知る『乗り物』の中ではダントツで、

(他人と同乗し辛い乗り物だ…)

そう思えるからである。

見知らぬ人と乗り合わせた時の『ただならぬ緊張感』がどうも…。

シンとした空気の中、目のやり場に困り、なぜか階数表示をジッと見つめてしまい、ある時、ハッと周りを見回すと皆も階数表示を見ている事に気付き、

(うわー、恥ずかしー! 個性が無いやんー!)

皆と同じところを見ていた自分を恥じる。

かといって、他に『目のやり場』がある訳でもなく、キョロキョロすれば挙動不審のレッテルを貼られ、下を見てれば暗い奴と思われ、上を見てれば首が疲れるし、同乗者を見れば、

「何、見てるんですかー!」

そう言われる事は目に見えている。

まったくもって、個性を持ち続けたい青春真っ盛りの青年にとっては、

(たまらない…)

乗り物なのである。

だからといって、この夏真っ盛りの最中、階段でシコシコ登るのは非常に辛い。

そういう事で、俺はエレベータの前で、呼びボタンを押し、待つ事は待つが、知らないギャルが来るとすぐに階段で登る事にしている。

ちなみに…、同乗者のパターンを考えるに。

知ってる人が一人でもいれば最高。

嫌だが、攻撃性が感じられない温和な感じの同性やオバサンだったら仕方なく良し。

続いて、我慢ギリギリのラインで『攻撃的な同性』。

これは男の悪いところで、つい防衛本能を働かせて睨んだりしてしまい、自ら、雰囲気を悪くしてしまうという結末に陥ってしまうのだが、次に比べればまだマシ。

最も最悪なのが『年頃のギャル』である。

目線をどこへ定めて良いのかは、もちろん永遠のテーマとして付いて回るのだが、何より、ギャルが若い男をあからさまに『寄せてはならぬ生き物』と見、ガードを強く張るのが手に取る様に分かるのが辛い。

密室、見知らぬ男、ただならぬ空気と来るのだから、『ガードが固くなる』というのはしょうがない事であろう。

昼下がり、専業主婦、昼ドラに『せんべい』が欠かせないのと同じ様なものだろうか…。

そういう事で、俺は最前列に並んでいても、見知らぬギャルが来た時点で、エレベータを捨て、階段を用いる事にしている。

が…、それだけ気を付けていても回避できないアクシデントがある。

今日がその『いい例』であった。

俺がエレベータに入り、降りる階数を押し、ドアが閉まりかけると、誰かが割って入ってきた。

「すいませーん。キャピッ、ありがとうございまーす!」

言う人物は、まさしく、ギャルであった。

(むむむ…)

逃げ出したいのであるが、彼女が来て、すぐに俺がエレベータを飛び出したのでは、彼女に、

(私が臭かったから? 私が嫌いなの?)

等の余計な心配をさせてしまう事になるだろう。

それが延いては『ギャルの自殺』などへ結びついてはたまったものではない。

俺は、口をグッとつぐみ、無言で室内の角に立ち、

(空気だ、空気になるんだ…)

そう自らに言い聞かせた。

ギャルと二人っきりであった。

俺は目線を壁に向けた。

(絶対にギャル方向には目を向けんぞ!)

頑として、壁を見続けた。

と…。

二階でエレベータは止まり、3人ほど人間を吸収した。

全部、ギャルであった。

それも、どうやら最初のギャルの友達の様であった。

「おはようー」

「えー、その服、超良くない?」

「うっそー、ありがとー」

ギャル4人は、俺の事などすっかり忘れて盛り上がっている。

(最悪、最悪の環境ですぞー)

俺はもがき苦しみながら、壁を、ただただ壁を直立不動で見つめ続けている。

エレベータは進み、ある階に止まり、ギャルが何人か降りた。

ギャル2人と俺という環境になった。

「ぷはぁっ…」

俺はドアが開いた瞬間に、中央を向き、息を思いっきり吐いた。

素早く、外の空気を吸った。

「ぷはぁ、ぷはぁ…」

ふと、ギャルと目があった。

二人のギャルは俺をジッと見ている。

俺はペコリと頭を下げ、我慢ならずに階数表示を見てしまった。

(あ!)

なんと、俺が降りたかった5階を過ぎ、既に7階を回っていた。

次は終点の8階だった。

(なんという事だ…)

俺は、別に大した事でもないのに、

「おお、まいった…」

なんて事を言いながら、頭を抱え、階数表示を見つめ続けた。

8階に着いた。

ギャルは降りたが、俺は降りずに、下る人達と共にそのままエレベータで5階へ下った。

降りるや、

「はぁ、エレベータは心臓に悪いぞ」

呟いてしまったものだった。

その後…。

昼食の時間に、前で並んでいるギャルの集団から、ヒソヒソ話が聞こえてきた。

「朝一番にね、気持ち悪い生き物を見たのよ。エレベータでね、壁をズーッと見てるのよ。そうかと思えばね、階数表示を見て、ブツブツ言ってるの。私は、8階まで登ったのよ。それでその生き物は8階まで乗ってたの。普通は8階で降りるじゃない。だって、8階建ての登りエレベータよ!」

俺は何気なく、その話を後ろから聞いた。

どこかで聞いた様な声だったが、顔は後ろからは分からなかった。

語り部のギャルは盛り上がってきたようだ。

「私は、この変な生き物がどこへ行くか見届けようと思ったわけ。でもね、生き物は降りないのよ。それどころか、私達が降りたらニヤニヤして、そのまま、そのエレベーターで降りてっちゃったのよー」

ギャルの集団がドッと盛り上がった。

「えー、こわーい。それ、絶対、変質者よー」

「会社にもいるのー? そういうのー」

「うわー、ありがちで怖いわねー」

俺はトボトボ歩き、カレーを盆へのせ、

(そんな奴、いるわけないだろぉ…)

思いつつ、そのままテーブルへ移り、それをパクパクと食べた。

なんとも言えない、普通の味だった。

が…、途中から全く味がしなくなった。

食べながら、ある事を思ったのだ。

(む…)

スプーンを持つ手が凍りついてきた。

俺の目は完全に虚ろになっている。

魂が抜けかけていたと言っても言い過ぎではなかろう。

(ま、まさか、ギャルが言っていた『気持ちの悪い生き物』とは、俺の事か…)

俺は、口をポカリと開け、微動だにしない。

思えば、ギャルが言っていた『気持ちの悪い生き物』のとった行動と、俺の今朝の行動が一致するのだ。

(むむむ…、俺の事かぁ!)

同期のヘススという外人が隣で俺にこう言った。

「フクヤマ、ボーットシテ、ナニカンガエテル?」

俺は聞こえてはいたが、無視した。

(何も考えられねーよ…)

そう、心中では返していた。

「オー、フクヤマニ、ムシサレマシター」

ヘススが騒ぐ中、

(俺は…、俺はもうエレベーターには乗らんぞ!)

そう思うのであった。

 

 

新潟とかの影響 (02/8/7)

 

8月1日、会社の納涼祭を終え、その翌日、2日には新潟へ向かった。

家族三人での移動であり、春にしては、

「二度目の旅行でちゅー」

となる。

会社の先輩で柴山という男がおり、その彼が新潟は長岡出身で、

「腹一杯食わせてやるから、家族三人で遊びに来いよ」

と、誘ってくれ、続けて、

「ちょうど、2日、3日は長岡の花火大会だしな」

とも言ってくれた事から、この話は始まった。

つまり、俺達は新潟まで何をしに行ったのかというと、タダ飯を食ったり、花火を見たり、えー、ざっくばらんに言ってしまえば、

「遊びに行った」

となるのである。

途中、強い雨が叩きつけ、

「高速で立ち往生してしまった」

というアクシデントはあったものの、無事に日本海へ出、出雲崎で歴史探索を主とした観光をし、春にとっては初めてとなる『海』を、間際まで近寄って見せてやった。

どんよりとした空に、強い波、吹き荒れる潮風、まさに『一家心中ムード』の中、春は…。

「ぐっすり就寝、ピクリとも動かぬ…」

様相を呈すのであった。

それから、家族は道子と俺を結びつけた聖地でもある柏崎へ移動し、

「ソルト・スパへ行って、汗を流そう!」

という事になった。

このスパ(温泉)は名の通り、湯が『塩水』なのである。

俺のお気に入りポイントである。

ちょっとお高めの900円を払い、俺と道子は、まずは座敷へ向かう。

俺は座るや酒を頼み、一人でグビリと飲み始める。

最初に道子が春を風呂へ入れてくるのである。

俺は『こしひかり地ビール』なるご当地ものを頂きながら、これまたご当地ものである『栃尾の油揚げ』をつまんだ。

(むむむ、これは美味い…)

思ったら、地ビールが空いていたので、続けて普通の生ビールを頼んだ。

「うんうん、調子にのってきたぞ」

俺はその後、だだっ広い座敷に一人で座り、ツマミ、ビールを黙々と平らげていった。

と…、道子が帰ってきた。

今度は自分がゆっくりと湯に浸かるため、春を置きに戻ってきたのだ。

俺は少しばかり酔っていたので、

「よし! 春は俺に預けて、ゆるりと入ってこい!」

と、豪気な事を言い、湯上りの春を預かり、道子を送り出した。

春はしこたまご機嫌だった。

通りがかるオッサン、オバサンが、笑顔の春を見て、

「あらー、可愛いわねぇー」

言いながら、皆、

「男の子?」

そう聞いていった。

俺も最初は、

「いや、女です」

答えていたが、途中、面倒臭くなり、全てに、

「はい、その通りです」

そう答える様になっていた。

さてさて…、30分以上が経過した。

道子は、俺の豪気発言を間に受けて、本当にゆるりと風呂へ浸かっている様だ。

さすがに春の相手や一人で酒を飲むのも飽きてきた。

だいたい、俺は筋金入りの『飽きっぽい人間』である。

一つの事を一時間強も出来るわけがないのである。

『暇つぶし』を探した。

キョロキョロと辺りを伺い、通りかかる店員に用もないのに声を掛けてみたりもした。

が、何も暇を潰す『解決法』にはならず、悪戯に暇を加速させるだけだった。

ふと、苦痛に虐げられる俺の手が空のビール瓶を握った。

無心で手にチョロンとビールを付け、その手を春の口元へチョンと付けた。

キャッキャと笑い、バタンバタンと暴れていた春だったが、その瞬間、動きが止まり、真面目な顔になったかと思うと、下唇を思いっきり出し、

「ハフィー」

わけの分からない雄叫びを上げた。

表情は『困った顔の曙(あけぼの)』みたいな感じだった。

「ぷぷぷ…」

俺は似てると言われる我子の顔ではあったが、思わず、本気で笑ってしまった。

つい、春を抱き上げ、

「どうしたぁ? その顔」

聞くと、春は、

「キャヒ、キャヒ、フォー」

謎の呪文を唱え、狂った様に笑い出した。

(か、可愛い!)

俺は心底思い、春を胸元へ移し、続いて抱き締めた。

春は依然、いつもと違う笑い声をあげながら、ヨダレを俺の胸へ流し続けている。

そして…。

「アバリルバリラー」

何やら『テクマクマヤコン』みたいな『呪文』を、右手を前に差し出し、大声で唱えるのである。

俺も負けじと、

「ロゲアイカヅココチミー」

大声で呪文を唱え返したりして時間を潰した。

ちなみにこの呪文は本当に適当であるが、逆から読んでいただけると俺の『心の叫び』がおのずと分かっていただけると思う。

さて…。

道子が帰ってき、俺も負けじと30分ほど風呂へ浸かり、それから会社先輩の柴山宅へ移動を開始した。

出発前に電話すると、

「遅いぞー! 早く来いー! ベロベロー!」 

返ってきた柴山氏の声は既に酔っている事を露呈していた。

俺と道子は柴山氏の要求に沿うべく、最短を狙い、高速を駆使し、長岡へ向かった。

ちょうど、右手の空に花火があがっていた。

さすがに日本一というだけあって、

(でかいなぁ…)

そう思われた。

ちなみに…。

新婚旅行でも、この長岡の花火を見たのだが、ここの花火は上げる前に『誰が作った』だの『誰の提供だ』などを言ってから打ち上げる。

道子はそれを聞いている間に寝た。

それも熟睡である。

道子は、最後の轟音を響かせる三尺玉の音でビクリと目を覚ますと、

「な、なになに? 何の音?」

ヨダレを拭きながら、焦って起きた。

(なつかしい…)

とりあえず…、そんな日本一の花火を横目に見つつ、柴山宅へ着いた。

さて…。

この家の特徴を一言で言うと、

「大家族」

となる。

三世代家族なのだが、当の柴山氏の子は4人いる。

更に…。

今日の花火大会を受け、従兄弟の家族が勢揃いで来ているという事だった。

「何人いるんですか…?」

聞く俺に、柴山氏は、

「あ、うちの長女の友達もいたなぁ」

そう言った。

俺は指を折り折り、総数を数えた。

春を抜かした子供だけでも8人もいる事になる。

大人は俺達を含め10人になる。

(そ、総勢、18人…。これは賑やかだ…)

思うが、今は、

「花火を見に行ってるからなぁ」

柴山氏が言うように、女子供がおらず、静かなものであった。

居間にいるのは泥酔した柴山氏とその従兄弟だけであった。

俺は飲みながら、

「元気ないっすね」

柴山氏とその従兄弟に言った。

「今に元気が出ない理由が分かるよ…」

二人は力なく、そう返した。

10分くらいしてからだろうか…、リオのカーニバルが遠くから、段々とこちらへ寄って来ている様な音がした。

(ん…)

思うや、何匹か、玄関を駆け上がる音がした。

「誰か来てるー」

一人の少女が言うや、少しだけドアを開け、俺の顔をジッと見、ドアを閉めた。

「前に来た事のある、変な言葉のオジサンだぁー」

少女は遠慮無しに、ドーンと叫んだ。

ドア越しではあったが、完璧に丸聞こえである。

すぐに子供8人、2歳〜10歳の若い男女がドタドタと、流れる様に居間へ入って来、俺、道子、春を囲んだ。

お目当ては春の様である。

「ちっちゃいねー」

「すごいねー」

子供達は口々に言いながら、春を触りまくった。

「アルコールをちょっと入れると、もっと可愛いぞ」

秘密のモードを教えてあげたかったが、先ほど、道子に言ったら激怒したので止めた。

ところで…、子供達は俺並に飽きっぽく、

「見てても飽きないねー」

なんて言っていた割には、1分後には隣の部屋へ移り、

「ねー、おじさん、顔のでかいオジサン、遊ぼうよー」

なんて言ってきた。

柴山氏の嫁が、

「顔がでか過ぎるなんてい言わないの! 失礼でしょ!」

怒鳴ってくれたが、それの方が俺のハートに痛かった。

俺は一時間ほどチビ達の相手をした。

しながら思った。

(柴山家は昼から海へ行き、この8人の相手をし、そして、その時間から酒をあおった…。これじゃぁ、この時間は疲れててもおかしくねーなぁ)

先ほど従兄弟が言った『元気の出ない理由』がハッキリと分かった。

柴山氏も従兄弟も、それからすぐに寝た。

自動的に俺も、

「寝なさい」

という事になる。

俺、道子、春には、柴山宅でも『最高の部屋』があてがわれたので、そこへ三人、川の字になって眠りについた。

… 朝になった。

起き、眠気眼で食卓へ向かうと、柴山氏の姿はなかった。

柴山氏・祖父が言うには、

「息子は朝3時から釣りへ出かけた」

そうである。

「あ、そうですか」

俺は一向に気にせず、用意された朝餉にぱく付き、柴山氏・祖父と語り合った。

「よし、息子の代わりに、わしが相手になってやろう。存分にな…」

柴山祖父は言いつつ、寝起きの俺にビールを用意してくれた。

それも体育会系の飲み会の様に、空けないと叱られ、空けたらすぐに注ぎ足された。

朝の飲み会は1時間強も続いた。

寝起きからタプンタプンの腹を落ち着かせ、アルコールが抜けた頃を見計らい、俺達は柴山家を後にした。

「絶品だった『栃尾あげ』を買って帰ろう」

という事で、近くのスーパーに寄り、予定外の食料品までも大量購入した。

埼玉に帰ると、すぐに同期・田邊と同期外人・ヘスス、両氏の歓迎会が開催された。

もちろん、しこたまビールを体へ投入した。

その翌日は、後藤という熊本の友人が、隣街の川越へ来たため、入間へ呼びつけ、これまた飲んだ。

昨日、8月6日は組合から少しばかりのアブク銭が入ったため、すぐに、

「おごるぞ、おごるぞ、みんな、集まれー」

という事で、酒代に使った。

会社の納涼祭、新潟、歓迎会×2…。

と、この5日間ばかり、福山家、アルコール尽くしであった。

なんとなく…、今日、フラリと体重計に乗ってみた。

(夏は何もせずとも痩せるものさ…)

そう思っていたので、別に、コレといった努力をしてもいないし、増えているなんて夢にも思っていないし、現に今まで夏に増えた事はない。

が…。

「な、な、なんじゃこりゃぁあああああああ!」

俺はその場にガクリと座り伏してしまった。

「なんで、増えとるとぉー?」

毎日、滝の様な汗をかき、よく動いている、それは紛れもない事実だ。

(しかし、それ以上に…)

悔い改めるべき『最近の食(飲)生活』が思い当たる。

座った俺の腹部には『つきたての餅』の様な、ドプニーンとした丸い浮き輪がピタリと付着している。

俺はそれを両手でガッシリと掴みながら、

「クッソー、飲みすぎたぁー」

反省した。

(そういえば…)

柴山氏・祖父が朝っぱらから言っていた事を思い出した。

「痩せたかったら子供を作るのが一番じゃ! 何が一番体力を使うってな、子供と付き合うほど体力を使うもんはない! 子供ってのはなぁ、作るときも体力を使い、産まれてからも体力を使う。つまりな、子供は大人の体力を吸って大きくなる、お前もうちの息子に負けんと5人くらいは作れ! 意識せず、ガリガリになれるぞ!」

(なるほどー)

その言葉を四日遅れで納得した。

早速、俺は道子を捕まえ、

「次だ、次を作るぞ! 長男だ! 痩せるぞ、ワオーン!」

張り切って言ったものだったが、道子はゆらりとこう返した。

「えー、やだよー、年子って恥ずかしいもーん」

クニュンクニュンと海草みたいに揺れる道子は非常に気持ちが悪かった。

つい、鼻の穴を北島三郎並に広げて、

「…」

と、絶句してしまった。

道子は続けて、ピタリと真顔になってこう言った。

「でも、福ちゃん、春ができた割には、痩せないね。むしろ…」

俺は、

(それから先は分かってる、言うな!)

思ったが、

「太ったよね、確実に!」

そう続けられてしまった。

俺の絶句は続く。

腹部の餅は悲しく重力に引き寄せられ、俺の動きを妨げる。

体はびっしょりと汗をかいている。

週末の雨は嘘の様にカラリとあがり、最近の気温はまさに、

「うなぎのぼり」

であった。

「夏だなぁ…」

ビール片手に呟かざるを得ない、まさに『夏真っ盛り』なのであった。

何度も何度も…

「反省…」

 

 

シグマライン (02/8/5)

 

工場の中央に、ドシリと鎮座する生産ラインがある。

名を『シグマライン』という。

作っている物が『シグマ』という製品、という単純な理由で、その名が付いたのであるが、中央に鎮座するだけあって、工場で唯一の『自動ライン』であり、工場見学の時は必ずメインで紹介される、言わば『名物ライン』でもあった。

そのシグマラインを、

「動かないから、福山、見てくれ!」

朝一番、出社したて、やる気ナッシングの俺に、現場の職長がそう言ってきた。

「はふぃ…」

俺は眠気眼でノロリと動き、シグマラインへ向かった。

早速、関係者を捕まえ、現状把握をすると、

「先週金曜日は埼玉県が記録的豪雨に見舞われた日だった」

と、始まり、それの影響で、浸水、土砂崩れ、落雷による停電がこの工場にもあったという事だ。

つまり、ほぼ全ての豪雨による天災をこうむった事になる。

「はぁ、それはご愁傷様でした」

俺はその日、家族で新潟へ出ていたため、惨事を見過ごしてしまったわけで、つい他人事な反応を返してしまったのであるが、聞けば、

「落雷の後の停電で、シグマラインがちっとも動かないんだよぉー」

となる。

つまり、ラインは、

「水ものの天災こそ、辛うじて免れたそうが、落雷の一発にやられた」

と、なるのである。(現場談)

確かに、目の前のラインは、ピーピーとアラーム音だけがうるさく鳴り響き、一向に動く気配はない。

俺は持ってきたパソコンを繋げ、早速、診断に入った。

結果は、

「全8軸(サーボモータ)、位置データ完全消去」

であった。

これが人の体であったなら、

「癌です」

これくらい重い。

復旧の作業としては、全てのデータを入れ直していくという地道な作業を要すのであるが、ざっと見積もっても、

「半日はかかるな…」

そう思われた。

現場も、ラインを止められない忙しい身ではあるが、俺の工藤静香風、困った顔を見、

(こりゃ、ちょっとやそっとでは終わらねーな…)

そう諦めてくれたようだ。

俺はまず、四捨五入したら40になる、坂巻という先輩に助力を求めた。

助力というよりも、この人がシグマラインを作った『当人』で、この人なしでは復旧作業が進むとは思えず、

(お願いせざるを得なかった)

の感が強い。

そういう事で、二人は地道に、一軸一軸復活させていった。

中には、

「なんじゃこりゃ?」

思う、現象も出たが、

「分からん、叩いてみよう」

という事で、機械に気合の一発を与えると、

「あ、動いた」

偶然に、動いてくれる事もあった。

説明し遅れたが、シグマラインは築10年以上になる。

電用品は、全て『型遅れ』というか、『化石』というか、とにかく、時代にそぐわないもののオンパレードで、代用品がないものも少なくない。

が、このラインこそが、工場唯一となる、『バブルの生き残り』であるし、前にも言ったように、

(自動って感じ)

そう思わせる唯一のラインでもあるし、

(これが工場の名物になってしまってる…)

とも言えるし、

(このラインだけは絶対に壊してはならぬ!)

と、最重要で守らねばならぬ雰囲気のラインである事も確かなのだ。

その流れで、朝一番から俺も坂巻氏も借り出されたし、借り出されたうちらはいつもにも増して奮起したし、どうにかこうにか、午後3時には復旧するに至った。

俺は、復旧したラインを見…。

(久しぶりに、この『シグマライン』に触ったなぁ)

しみじみ、思った。

俺が入社してすぐの頃は、このラインを作った一人でもあり、全社的にも有名だった『相磯』という爺さまに仕えていたので(相磯さんの話は後に日記で紹介したいと思う)、そのご老公に連れられ、毎日の様にシグマラインに向かったものだった。

その頃、相磯のご老公が普通に『運転準備』のボタンを押してる俺に、

「違う、違う、タイミングが大事なの…」

言いながら、目をキラリと輝かせ、

「はいっ!」

言いながら、素早く押すと、ロボットが動き出したものだ。

今も、俺が押したら動かないが、現場の熟練作業員が押すと、ロボットは動く。

復旧中、

「なんだ、こりゃ?」

わけの分からないアラームが連鎖状にあらわれ、焦った時も、

「ああ、これはですね…」

熟練作業員は落ち着いて、設備を本気でボグリと叩き、

「ほら、叩くとよくなるんですよ」

なんて言う。

「なんだかなぁ…」

俺は、阿藤快の様な独り言を洩らすと、小学時代、友人宅にあった白黒テレビを思い出した。

白黒テレビは、カラー世代の俺達の時代には、

(珍しいもの)

だったため、俺はその友人宅に寄ると、必ず、白黒テレビの前に座った。

白黒の『アラレちゃん』をよく見た思い出がある。

白黒テレビは、なぜか、時間が経つと、映りが悪くなる。

そのテレビだけかもしれないが、必ず、30分も見ると悪くなるのである。

極限までくると、友人は、

「ばあちゃーん!」

叫び、祖母を呼びつけ、

「テレビなおしてばい」

言い、呼ばれた祖母は無言で、

「ふん!」

テレビの横っ面をバゴンと叩く。

なぜか、テレビの映りは直り、

「ばあちゃんじゃないと、これがうまくいかんのよー」

友人が俺に言っていたのを思い出した。

確かに、俺と友人が試しに何度も何度もぶん殴っても、一向に映りは変わらず、その祖母が叩くと、必ず一発でスッキリ画面になった。

それから、15年が経ったつい最近…。

友人にその祖母と白黒テレビの『その後』を聞いた。

すると、

「ばあちゃんは、死ぬまで『白黒テレビ』を使い続けたぞ」

友人は、そう言ったものだった。

その時、

「ふん、尻の青い若者が何発叩いても、テレビは言う事を聞かんどで。テレビだって人を見るけんねー」

深い皺でニヤリと笑う友人祖母の顔が、夢に出てきそうなくらい鮮明に浮かんだ。

(シグマラインもそうだ)

今日一日、このラインに付きっ切りになり、そう思った。

随所に、

「作業者しか分からない謎のタイミング」

それを要す『意味不明なポイント』がある事が分かった。

多分、作業者はこれを会社にいる間中使い続け、それを見守る人々も、

(この味のあるラインを手放さないだろう…)

そう思われた。

叩いて直す、振って直す、転がして直す、気合で直す。

そういった、ある種、クラシックな味が、

(モノに愛着を与えるのかも、な…)

そう思われたのであった。

ちなみに…。

(そんなラインが工場のメインラインというのも何となく誇らし気…)

そうも思われたのであった。

 

 

落し物 (02/7/31)

 

「確かにあったはずなのに…」

俺は懐を、ズボンのポケットを、胸ポケットをゴソゴソと探した。

それから、デスクへ戻り、その周辺も徹底的に探した。

「ない…」

時計の針は定時を15分回ったところ、午後5時5分を指していた。

何を落としたのかと言うと…。

『給与明細』を落としたのである。

給与明細の発行システムは、半年ほど前に変わったばかりであった。

手渡しでくれるのではなく、必要ならば勝手にコピーして持って帰ってくれというシステムに変わったのである。

それを受け、俺は確かに明細をコピーし、確かに胸ポケットへ入れた。

俺自身は、

(必要だ)

とは全く思わないが、道子が、

「明細はコピーして持って帰ってよ!」

そう言うからコピーしたのである。

『信用されていない俺』が露骨に表れている『嫁のお願い』であった。

そういう事で、俺は確かに明細をコピーをした。

が、どこを探してもない。

焦った。

「再発行は勝手に何枚でも出来るからいいじゃん」

余人はそう言うが、発行できるからいいというものではない。

多分、見も知らぬ『誰か』が、俺の明細を拾い、

「なんだこりゃ?」

言いながら、それを広げた事が予測される。

「お、給与明細じゃねーか」

『誰か』は、

(見ちゃいかん)

思いつつも、必ず中身を見たはずだ。

そして、見終わった後、続けて明細の主の名を見、『福山裕教』と書いてある事に気付く。

俺自身が落とした事に気付いた工場横通路から事務所までの間で、俺を知らない人は、まずいないと思う。

つまり、

「ぷ、これ、福山の給与明細だー!」

『誰か』はこぼしながら、思う存分、俺様の明細を楽しんだはずだ。

一昔、俺が、

「エンゲル係数88%に達しました」

そう言った事がある。

『誰か』がそれを聞いた者ならば、今回の所得、13万円から、

「うお、あいつ、11万4千円も食費や飲み代で飛んでるんやー!」

言いながら、皆に見せるに違いない。

また、給与明細には『引き落とし』の欄もある。

「ぷ、あいつ、月1600円の生命保険にしか入ってないぞ! 家族を守る気あるのかよぉー!」

とか、

「自動車保険で月1万2千円も払ってるのかよぉー! そういえば、あいつ、入社してすぐにポルシェに車をぶつけたな! あのツケかぁー、ぷはー、笑えるー!」

とかも言われているかもしれない。

(ああ、なんという落としてはならぬモノを落としたんだ…)

俺はデスク横で頭を抱え、悶絶した。

「くっそー! なんて、プライベートが凝縮された紙なんだぁー!」

ふと、パートのオバサンが拾った場合も思った。

「福ちゃん、会社じゃ、物理的にも精神的にもでかいツラしてるけど、給料はこれっぽっちしか貰ってないじゃないじゃない。ダサいわねぇ…」

パートが俺の明細片手にそう言い、ほくそ笑む絵が浮かんだ。

(ああ、穴があったら入りたい!)

俺は顔を両手で抑えながら、帰路についた。

(ダッシュで帰って、今日の事は忘れよう!)

そう思った。

と…。

先ほど、

(落とした!)

そう思った現場、工場横通路のベンチに一枚の白い紙が置いてあった。

先ほどは絶対になかったものである。

俺は恐る恐る、それを開いた。

まさしく、

(う…、俺の給与明細だ…)

それであった。

紙には白い泥の様なものが付着していた。

見ると、コンクリートの破片の様に思われた。

(誰が…?)

俺は思いつつ、ふと、ベンチの奥、現在、ドア設置中の工事現場に目がいった。

(ん!)

工事現場の中から、一人のオヤジが俺を見ていた。

見ると、手にはコンクリートならし用のヘラを持っている。

ニヤニヤ笑ってもいる。

つまり…。

(このオヤジが拾った事は一目瞭然!)

であった。

(くっそー!)

オヤジに罪はないのだが、俺は彼を思いっきり睨んだ。

オヤジはその目を逸らさない。

逸らすどころか、ヘルメットを脱ぎ、こちらへ近づいてきた。

(むむむ…!)

俺は身構えた。

(なんだ、オヤジ、喧嘩売ってんのかぁー!)

オヤジは構える俺の前に来るや、タバコで真っ黒になった歯を見せ、ニヤリ笑った。

「その明細、兄ちゃんのかい?」

俺はトーンを抑え、

「おう…」

そう返した。

「ふ…」

オヤジは何かをゆっくりと吐き出し、続けて、もう一度ニヤリ笑い、

「頑張りな…」

そう言って、コンクリート用のヘラを振りつつ、現場に戻っていったのである。

(何が、何が言いたいんだ、オヤジ?)

俺は無言でそう叫んだが、オヤジはヘルメットをかぶり、ニヤニヤしたまま作業を黙々と続けた。

俺は、しばしそれを眺め、一時して、

「くっそー、何なんだよぉー!」

叫んだのだが、オヤジの返事はなかった。

ちなみにどうでもいい事だが…。

工事現場のオヤジは短髪で、鋭い目、濃い顔立ち、コブシ口調。

つまり、演歌系のオヤジだった。

俺にとっては、

(まさに、山本譲二、そのままじゃねーか…)

そう思える風貌であった。

 

 

久々の残業 (02/7/26)

 

今日、久しぶりに21時まで残業をした。

実に、半年ぶりであった。

会社を、

「嫁の実家へ行く」

という理由で翌日休むため、どうしても片付けねばならぬ仕事が発生したのである。

俺は『ノー残業ポリシー』をこの時ばかりは崩し、図面を一心不乱に書き続けた。

当然、

(一刻も早く終わりにして帰ろう…)

そう思うのだが、どうも思うように進まない。

その理由は明確であった。

「お、福山、珍しく遅いじゃないか」

「どうしたぁー、らしくないなぁー」

「早く、帰って文章書けよー」

「そんな遅くまでいるから血便になるんだ」

「黒うんこ!」

俺のデスク横を通り過ぎる皆が、遅い時間に珍しい人間がいる事に気付き、驚き顔で話し掛けてくるのだ。

「もう、話し掛けんでくれ!」

そう言ってやりたいが、喋る事を、半ば、日常業務としている俺には絶対に言えない一言であった。

当然、それらの人々に小粋なギャグを交えて対応していたため、

(あー、仕事が進まん!)

そうなってしまう。

書いているのは『注形ジグ』という、いわゆる『型(かた)』の図面であるが、構造上、どうしても集中力を要す。

それを二つ書かねばならなかった。

上司には、

「大船に乗ったつもりで任せてください。今日中に終わらせますよ」

そう言ってしまった。

思えば、

(森首相並の失言だった…)

そう反省せざるを得ない。

8時半にやっと一つ図面が仕上がったのである。

当然、中断、中断の繰り返しで仕上げたものだから、内容すらも保証出来ない。

そんな、しどろもどろの図面を俺は上司に提出し、チェックを仰ぎ、

「ここがいかんだろ」

言われたところを修正していたら、9時になった。

一つを仕上げるのに6時間を要した。

(今から、もう一つか…、5時間はかかるとして…)

午前2時になる。

(ああん、もう…)

駄目社員はさっさと次にかかれば良いのに、次にかかるかかかるまいかを悶々と悩んだ。

悩んだ末に、

「帰っちゃお」

そう言い放ち、パソコンを落とした。

落としている途中にも、

「ぷほー、福山がこんな時間に会社にいるとはー!」

真顔で他課の課長に驚かれた。

書けなかった図面は俺の中で、

(一気に2つ書き上げても、加工は1つずつやるものだし、時間差で1つずつ出した方が加工者も気が楽に違いない)

そう結論付け、

(うん、気遣いのプロ、俺らしい発想だ)

と、強引にまとめた。

工場脇を抜ける直線は、初めて見る暗さだった。

極めて静かである。

と…。

先から人の影が見えた。

それの影が俺の前を歩いている人とすれ違う時、

「お、もう帰り? 早いねぇ」

「いやぁ、たまにはね」

そんな会話を交わしていた。

近くに来て気付いたのだが、向こうから来る影は設計のお偉いさんだった。

顔見知りである。

俺はペコリと会釈をし、

「お疲れイニーブルー」

と、小粋な挨拶を交わした。

そのお偉いさんは、

「お、今帰りか? らしくなく遅いじゃない」

そう言って、更に、

「今のギャグは最悪やね」

付け足して去っていった。

(最悪だと、こん畜生…)

後ろから忍び寄り、3フィンガーで浣腸をしてやろうと思ったが、止めて、お偉いさんの言葉を考えてみた。

(俺の前を行く人にとっては「早い」、しかし、俺にとっては「遅い」時間か…)

『人によって、同じ時間でも解釈が違う』という、一見、当たり前の事だが、なんだか物凄い発見の様に感じられた。

(ふふふ…)

ふと、会社の同期である井上和哉の実家から、みかんと金一封が『出産祝い』として届けられた時の事を思い出した。

早速、お礼の電話をしようという事で、和哉の実家に電話をした時の話である。

和哉の実母が出た。

名を八千代という。

「いやぁ、本当にありがたい事です」

「いやいや、お気を使いなさんな」

そんな社交的な会話を交わし、続いて、息子の和哉は女運がないとか、埼玉ではどうしてるとかのくだらない話をし、最後に、仕事の話に及んだ。

ちなみに…、和哉という男は奇特も奇特、それはイエス・キリストの様な男で、残業も付いていないだろうに、毎夜午前二時まで仕事をする男である。

そんな背景を踏まえ、道子が和哉の母、八千代さんに

「福ちゃんは毎日定時で帰ってきますよぉ。和哉君とは違いますよぉー」

そう言い、俺と道子は電話を変わった。

俺も何とも面白くもない挨拶を普通にし、普通に受話器を置こうとした。

と、その時…。

八千代さんの声が、真剣さを露呈した低い声に変わった。

その刹那、

「福山君、仕事、大変そうだねぇー」

重々しくそう言い放ったのだ。

俺はその時、何も考えずに、

「はい、大変です」

極めて明るく返したのだが、受話器を置いて、ふと

(何が?)

そう思った。

その後、八千代さんの思いを予測するにこうなる。

多分、和哉の話を聞いて、八千代さんは会社が大変に忙しく、目も回る状況だと思っているはずである。

そこへ、道子からの「福ちゃん、毎日定時退社」の一言。

八千代さんの「大変ねぇー」はこう言いたかったはずだ。

「福山君は、リストラ寸前で、本当に、本当に大変ねぇー」

俺は虚ろにたたずんだ。

(人様に心配されるようになったか…)

思い、大きく一つ頷くと、

「お気遣いありがとうございます」

無人の台所へ、声を出して言った。

(当たらずとも遠からず)

そう思ったのである。

そんな話を思い出した俺は、ベランダに出、未だ赤々と輝いているビルに両手を合わせ、一礼し、その後、九州は福岡県、黒木町に向かって、

「感謝…」

そうこぼすのであった。

 

 

復活報告 (02/7/23)

 

会社の同期に田邊という男がいる。

彼は4月まで九州におり、それから会社の都合で埼玉に転勤となったのだが、

「急に埼玉なんて言われても、私は付いていけません!」

新妻にそう言われたらしく、新婚なのに4ヶ月もの間、彼は一人住まいをしていた。

その新妻さんがつい先週、埼玉に出て来た。

歓迎会は社宅の慣例として行う事になっており、いつもは俺が一番張り切るのだが、今回はなんとなくキャンセル(出場辞退)してみた。

「飲み会に、飲めない俺が行っても面白くないもん!」

それが俺の『行けない理由』である。

昨日の日記でも述べたように、体調が極めて悪い事から始まり、それから酒が飲めないという局面を迎え、最後にはスネてしまったのだ。

二週間後の飲み会なのに、

「行かん、行かん、俺は行かんぞー」

昨日、そう言いきってしまった。

そして、今日…。

すっかり下痢が止まった。

たまーに便意はもよおすのだが、便器に跨っても出るのは豪快な屁ばかりである。

(うおーし、快調!)

「バフリ」と響く轟音にそう思わざるを得ない。

(この調子で定時で帰って祝酒でもあげるか!)

そういう気分にもなってくる。

しかし、ここからは俺の少しだけ大人になったところを見せねばなるまい。

今までの俺なら帰宅後、真っ先に冷蔵庫へ向かい、ビールをカッと飲み干し、

「うむうむ、快気祝いの味、最高ー、プハー」

など言っているところだが、今日は帰るや春と少しだけじゃれ、パチンコ屋へ向かった。

三日も苦しんだ、その明け日である。

「何かをせずにはいられない」という事で、選んだのがパチンコであった。

俺のパチンコ歴は若いくせに意外とながい。

15歳から25歳、既に10年を数える。

ほとんどの人がそうであろうが、今までの概算をとれば、確実に負けてるであろう。

しかし、今日は違った。

「快気祝いはハッスル、ハッスル!」

この心持ちが良かったのか、3時間で二万ほど勝った。

帰るや、道子に勝ち分の一割、2000円を「えいや!」と投げつけ、

「これでお前が好きなモナ王(モナカアイス)を20個買え!」

そう言ってやった。

快気祝いらしく、まさしく『快気』であった。

(素晴らしい日だ)

つくづくそう思えた。

道子が

「アイスは5個で298円とかで売ってるからもっと買えるよぉー」

なんて言いながら、風呂へ入った。

俺は道子が風呂に入ったのを見届けると、なぜか無意識無想で冷蔵庫へ向かっていた。

その手はドアを空け、なぜかアルミ缶を掴んだ。

重ねて言うが、無意識無想である。

そこで気付いた。

「はっ!」

プルタブを上げる瞬間だった。

(俺は何を…)

手にもっているアルミ缶には『麒麟端麗』と書かれている。

(なんか、俺、勝手に動くようにプログラミングされとるぞ…)

恐ろしくなった。

飲めば、下痢が再発していたであろう。

道子とは此度の病を機に、次の約束をしている。

・ ビールは月に一箱(24缶)

・ 焼酎は月に一升

それ以上は小遣いから、つまり、

(それ以上は飲めないという事…)

となる。

これでやっていくためにも、今回の無意識行動は、

(生活習慣を変えねば…)

まさに教訓となってくれた。

結婚して刻まれた二年は深く、そして重いのである。

ちなみに…。

上約束事の関係上、今後、福山家で酒を飲む方は、少し多めに酒を持参して欲しいと思う。

というか、願う。

理由は書かずとも分かってもらえると思う。(期待)

話を戻して…。

冒頭の同期田邊の歓迎会、

(行こうかな…)

今日となってはそう思う。

(酒量が家法によって制限された今となっては、極力、家計でまかなってもらえる会には出席しとくべき)

そう思えるし、昨日とは打って変わって体調が良いからである。

強引にまとめる。

今日、俺はこの日記を書きながら、ひどく落胆してしまった。

(既婚男性って…)

書いてる途中、ふと、そう思うと、『ドロリとした間』が一瞬流れた。

続けて、

「虚しいなぁ…」

ドロリの間に乗りながら、ついこぼしてしまった。

己の思考を描く事で、ゲンキンな自分がモロに見えてきたのである。

「はぁ…」

また一つ大きな溜息が出た。

「虚しいなぁ…」

こぼしても、こぼしきれぬが、もう一度だけそうこぼしたのであった。

 

 

血便 (02/7/22)

 

ヌルリとした手触りだった。

(ん…)

俺は無心で便座の中に差し込んでいる手を眼下に差し出した。

(ぬおっ!)

それは桃屋の『ご飯ですよ』を思わせる、なんともノッペリとした付着物だった。

もちろん、素手にではなく、トイレットペーパーに付着しているのである。

俺は恐る恐る腰を上げると、ゆっくりと視線を便座の奥へと向けた。

「…」

文字通り、絶句であった。

そうならざるを得ないであろう。

その色はカブトムシ、もしくはゴキブリの羽の如く黒々と光っており、茶っ気の欠片も感じられないのである。

「なんじゃこりゃ…」

俺は冷や汗をドップリとかきながら、中腰で狭い便所に立ち尽くした。

様々な思いが俺の中を駆け巡る。

(俺、墨汁、飲んだか?)

(これは、何かのタタリ?)

(もしくは、これ、備長炭?)

しかし、冷静になればコレしかなかろう。

(血便ですか?)

俺の直属上司の酒井という男は自称『潰瘍の鬼』である。

その鬼が言うには、

「俺は15歳で潰瘍になり、もう40年も胃痛と付き合っとる。その中には血便も3回ほど出た。その色はな、コールタールを思わせる、ドロリとした純黒じゃ」

であり、今、目の前に広がるものはまさにそれであった。

俺は流れ出る汗を拭きもせず、便所を駆け出ると、

「血便だ、血便だ、ガオー!」

道子に叫びながら、座椅子に座り、それから安静にし、頭をフル回転させた。

道子が、

「えー、見せて見せて、超見たいー」

そう言っていたが、

「悪い、一歩遅かった。既に流した」

それだけ返して、その後は無視した。

大黒柱の愛読書『家庭の医学』には端的に約せばこう書いてある。

『黒い血便が出たら十二指腸辺りから血がビュービュー出てるのよ。つまり、とてもやばいのよ、あなた』

(く…)

福岡での不摂生が強烈にたたられる。

確かに思い起こせば、

(血を吐いてもおかしくない)

そう思える節が多々あるのである。

ついには微熱も出始めた。

少しの運動で息切れする様にもなった。

潰瘍の鬼、酒井氏にこれらの症状を伝えると、

「間違いない。血便のせいだ。フラフラしてしまうのは貧血の症状だ。うん、間違いなく血便」

ビシリと笑顔で指摘され、『血便・お墨付き』を頂いてしまった。

(くっそー!)

俺は九州での夜を悔いに悔いた。

「この薬だけは忘れないように飲みなさい」

そう言われた就寝前に飲むカプセル薬を二日も連続で忘れたのである。

(だって、どこが『就寝前』か分からなかったんだもん!)

俺は虚しい言い訳をつきながら地団駄を踏んだ。

前の(くっそー!)は、それの(くっそー!)である。

それから今日一日、下痢が止め処なく続いた。

なんと10回強も便所に駆け込むという偉業すら達成した。

つまり、

(今日は、ほとんど便所にいて仕事しなかった)

大きな声では言えないが、そうも言えるし、今日は定時の鐘と同時に帰途へつき、4時55分には社宅にいた、そう結ばれる。

しかしながら、書いてる今でさえも『ゴロゴロゴロ…』という音が聞えるほどに今日の腹痛はひどい。

そういう事で、今日だけは勘弁して頂きたいと願うのである。

ちなみに、俺を一時ホッとさせた事もある。

排泄物のカラーが前述の『ゴキブリ・ブラック』から、安心の『ソバカス・ブラウン』へ変化し、10回目を越えた頃から『ムック風レッドブラウン』へと変移したのだ。

ちなみに『ソバカス・ブラウン』は何となくソバカスの少女は茶髪が多いという俺の偏見から来るものである。

とにかく…。

(これは十二指腸潰瘍だけの影響じゃないだろ…)

症状から、そう思わざるを得ない。

家庭の医学によれば、十二指腸潰瘍が強烈な下痢と茶褐色の便を引き起こすなどは書いてない。

俺は症状にピシリと当てはまるものを目を皿にして探した。

1時間ほど探した頃であろうか…、

(む…!)

鈍痛と便意の波の隙間に、あるページがピタリとハートに飛び込んできた。

そこにはこう書いてある。

『主な症状は下痢と腹痛で、血便も伴い、しばしば急性胃炎を合併し、胃痛、吐き気、嘔吐を生じる事もあります。また、一般的に発熱が見られます』

まさにピタリであった。

病名はこう書いてある。

『急性腸炎』

ウイルスによる感染腸炎や細菌感染による食中毒はこれに属すそうだ。

(なるほどー、九州で何かあたったか?)

俺は思い、読み進めていった。

と…。

(むむむ…)

思わず、瞠目してしまう項目があった。

『その治療法』のところである。

『二〜三日絶食し、水分のみを供給します。下痢が止まったら、豆腐などを中心に、消化により食品を少量ずつ摂り、ご飯は柔らかく炊いたものを食べます。酒等の刺激物は論外です』

俺はサラリとそのページを流し読みすると、

「間違いなく、急性腸炎は違う、間違いなく、ね」

そう結論付けた。

とにかく、医者が、

「血便が出、それが続くようだったらすぐに入院してもらう」

そう言っていたが、二発で終わったので『良し』と判断する事にした。

下痢も明日になれば、ピタリと止まり、元気な俺様に戻っている事であろう。

今日の様に、内股で便所の前をヒョコヒョコ歩く事はあるまい。

とりあえず、

(今回は本当にいい勉強をした)

そう思うし、

(物事は楽天的に片付けて前へ進み、それから反省するに限る)

そうも思った。

となると、反省だが、

(酒はいかん…)

それが心底からの反省である。

少しの酒には罪がなくても、中に入った良性のそれらが、

「仲間を、仲間をください!」

と、呼び込み、結局は、

「はい、あと少しだけアルコール入れます」

そうなり、酔うまで歯止めが効かなくなるのだ。

(それが今回の様な愚行を引き起こし、延いてはこうなる…)

思うのだが、今週末は課内旅行を控えている。

来週は会社の夏祭り。

盆の連休も目の前だ。

誘惑はこの時期、極めて多い。

「春の写真を胸に掲げ、出来るだけ抗戦したいと思います」

そう小声で呟くのが精一杯なのであった。

「頑張ろー!」

 

 

恵美子、去る (02/7/20)

 

一昨日、俺が九州から戻ってきた、その日に恵美子(実母)が埼玉を後にした。

実の母を恵美子と呼ぶのは、その方が皆に分かり良いからである。(有名)

親族に至っては

(なぜ親を呼び捨てにするかぁー!)

思われるかもしれないが、了承いただきたい。

さて、恵美子だが…。

16日から19日まで埼玉の我住処に、遠路遥々、熊本から『孫を見に』やって来たのである。

残念な事に俺は17日から19日まで北九州への出張が入っており、まさに入れ違いであった。

16日の夜にチョロチョロと恵美子と話し、細々とした膳に箸を突いたのみで、親子のコミュニケーションは終わった。

そんな短い間の中で、恵美子は春をズゥーッと抱き続けた。

「これでもか!」

そう言わんばかりに、ズゥーッと抱き続けた。

「夜は春と一緒に寝るたい」

俺がそんな恵美子をみかねて言ったところ、

「いやん、怖い。潰したらどぎゃんすっと!」

恵美子は言ったものだったが、気付けば、

「あー、かわいかー」

言いながら添い寝していた。

朝起きたら、恵美子はろくに生え揃っていない春の髪を撫でながら、

「いやん、お利巧、お利巧。かわいかー、はふー」

春をジッと眺めるその瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。

画像は「春の部屋」を参照して頂きたい。

俺が見た恵美子はそれだけである。

その後…、俺は九州に飛んで、大真面目に仕事をこなしている。

これも後の日記で述べねばなるまいが、まさに『大真面目』な仕事振りで福岡を飛び回った。

19日…。

俺は徹夜模様(俺にしては)の目を擦り、福岡空港へ向かった。

手元には800円弱しかなかった。

航空券はあるものの、羽田から埼玉の家までの電車代がどう見積もっても足りないのである。

しかし、そこは用意周到、計画好きな俺の事だ、ぬかりはない。

前日、道子へ電話を入れ、

「帰りの電車代を母ちゃんに持たせておいてくれ」

そう言っている。

俺の飛行機は福岡を10時発で、恵美子は羽田を12時50分発であった。

まさに、『入れ違い』という言葉に相応しく、羽田で二人は会うのである。

田舎者の極みである恵美子はまず搭乗時刻の二時間前には羽田にこよう。

そうすると、俺が羽田に着くのが11時30分だから、一時間程度会えることになる。

つまり、

「母ちゃん、飯でも食おうや」

となる。

これには奢ってもらう気満々の俺が伺えるし、実母と二人で飯を食う機会なんて、この年になればそうそうあるものでもないし、

(うん、いい時間帯でかち合ってくれた)

そう思うに至るのである。

さて…。

その予定を描きつつ、福岡で飛行機に搭乗した時の事だった。

前に座っていた客が

「う…」

洩らしたかと思うと、

「スチュワーデスさん…」

手を挙げて呼んだ。

教科書通りの典型的オバサンであり、5人組の集団の中の一人だ。

他の4人のオバサンは、

(何事か?)

という目で顔色の悪いオバサンを注視している。

スチュワーデスが、

「どうしました?」

の声をかけると、そのオバサンは

「急に気持ち悪くなって…、私、降ります」

そう言った。

スチュワーデスは、むっちりと太ったオバサンをヨロヨロと支えながら消えていった。

残された4人のオバサンは、それからガヤガヤと大声で話し始めた。

「どうするのよぉー」

「置いていっちゃうー?」

「お金、戻らないもんねー」

「あーもう、あの人、貧血持ちだからしょっちゅうなのよねー」

「うんうん、太ってるのに」

(関係ないだろ…)

俺は思ったが、友人を斬るか斬るまいか迷ってるオバサンの一団に興味津々、黙って耳を澄ましていた。

周囲の客も確実に耳を澄まし、事の成り行きを追っている。

「で、どうするの? 置いてっちゃう」

「しょうがないわよ。あんたは?」

「私は残るわ。彼女に一人で帰ってもらうのも可哀想だし…」

「えー、それじゃ、私達が悪者になるじゃないー」

「でも…」

皆が見つめる中、一団は10分も話し合い、結局、悪者になりたくないという事で全員が飛行機を降りた。

時は出発時刻の10時を20分ほど回っていた。

皆が、

(このババア達のせいで…)

という目で、去る一団を睨んだ。

その後、5分くらい経った頃であろうか、機内放送が流れた。

「現在、一部のお客様の荷物を機内から下ろしておりますので、後10分ほどお待ちください」

丁寧な口調で謝りながらの放送ではあったが、

「ふざけんなよー」

至るところから罵声が飛んだ。

結局、羽田に着いたのは12時20分、50分の遅れであった。

恵美子との待ち合わせはJASの搭乗口前である。

(母ちゃんはいるのか?)

俺は焦りつつ走った。

金を貰わないと埼玉まで帰れないのである。

走ってる途中、電話が鳴った。

「あんた、どこにおると?」

恵美子からであった。

恵美子は辛抱強く待っていてくれただけでなく、

「はい、3000円、道子さんから」

と、予定よりも少しだけ大目にくれた。

(飯を食う時間はないな…)

二人一致でそういう事になり、結局、3分ほどの立ち話で別れた。

話の途中、

「春ちゃんと分かれる時は悲しくて参っちゃった」

恵美子は言いながら、涙を溜めた。

俺は、

(やばい…、母ちゃん、泣きそうだ、早く去らねば…)

思うや否や、すぐに場を去った。

帰りに、ふとこんな出来事を思いだした。

入社二年目の夏の事である。

盆の帰省先、実家熊本から帰ろうと、飛行機の手荷物検査場へ向かった時の事だった。

一人の大泣きしている老夫婦がいた。

(なんだ?)

野次馬根性丸出しで、俺はその老夫婦の背後を取り、耳と目を傾けた。

「う…、う…、行ってしまうんだね…」

婆さんが言うと、爺さんは続けて

「はう…、はう…、ヒンヒン…」

さっぱり言葉になっていなかったが、何かを号泣しながら語っていた。

その目線の先には若い夫婦と赤子がいた。

奥さんが、

「お母さん、お父さん、泣かないで下さい。冬には戻りますから…」

言いながら、老夫婦を慰めようとするのだが、老夫婦はその奥さんを見もせず、

「あー、うおー、ふぃーん」

あらゆる泣声をその奥さんが抱く『赤子』に浴びせていた。

俺は笑いたかった。

この家族のせいで、ちっとも前に進めなかったが、そんなものはどうでも良かった。

(こんな、漫画みたいな事があるのか…)

思い、俺の頬はこれでもかと言わんばかりに盛り上がった。

周りの目を気にして、夫が

「泣かないでくれよ、母ちゃん、父ちゃん、もう行くから」

言いながら、ついにはもらい泣きを始めた妻を引っ張って検査場の中に入った。

検査場の中で、

「大変ですね」

俺が夫に言うと、

「本当に…」

それだけを夫は返し、ペコリと頭を下げた。

(ああ、面白かった)

俺は一時の家族劇場に

(こんな家族は二度と見れまい。次は新幹線の改札口で泣き叫ぶカップルを見たいな)

など思い、子連れ夫婦と離れた。

その時であった。

熊本空港は検査場を潜ると、中の通路は外からガラス張りで見れるようになっている。

そのガラスをドンドコドンドコ叩いている、謎の二人組がいたのだ。

(老夫婦に違いない!)

俺は思い、ダッシュで打撃音の現場に行った。

紛れもなく老夫婦だった。

「ブエーン、ブエーン」

老夫婦はまさに漫画の様にガラスに顔をピタリと付け、谷村信司のような顔になりながら泣いているのである。

(バ! バイカーン!)

俺は思わず、熊本県民の感嘆詞で最も驚いた時に用いられるそれを使って驚いた。

「あー、行ってしまうのねぇー!」

ガラス越しに細々と聞こえる声に俺は震えた。

(そこまで孫というのは可愛いものなのか…)

そう思ったのである。

後に、『孫』という大ヒット演歌が生まれたが、その時、真っ先にこの事件を思い出した事は言うまでもない。

ちなみに…、あの張り付く老夫婦に、子連れ夫婦は気付いていたのか、気付いていないのか、振り向きもせずにスタスタと早足で去ったのである。

俺は帰ると、春をいの一番に抱き締め、

「おお、可愛い娘よ」

言って、道子に

「母ちゃん、どうだった?」

そう聞いた。

道子は待ってましたと言わんばかりに、

「もう、凄かったんだから!」

と始め、

「朝から恵美子さん、わんわん泣いてね、出て行く時も泣きながら出て行ったの!」

手をブンブン振りながらそう言った。

俺が、

「空港でも泣いてたぞ」

言うと、

「うっそー、まさか、電車の中でズゥーッと泣いてたのかなぁー」

道子が言ったものだから、

「まさか、ね」

俺と道子は顔を合わせて、コクリ首を傾げたものだった。

その後…。

恵美子から到着報告の電話があった。

電話を受けた道子が聞いた話によると、埼玉を出て、空港まで泣きながら電車に乗り、やっと泣き止んで飛行機に乗ったかと思いきや、熊本空港で迎えに来ていた親父を見ると、またグッと込み上げてしまい、号泣してしまったらしい。

空港から車で40分もかかる実家まで泣き続けたそうだ。

道子はその話に爆笑していた。

が、俺は冷や汗がタラタラと流れた。

(老夫婦の話も他人事ではなくなってきた…)

そう思えるのである。

ちなみに今日も電話があり、その中、弟の報告によると、オニャンコ倶楽部に憧れていた男子学生の様に、恵美子が春の写真を家中に貼りまくったという話である。

(恐ろしい…)

俺は震えた。

9月13日から17日、俺は春を連れて熊本に帰るのである。

もちろん、盆の交通費沸騰を避けての策である。

春はその時、初めて熊本を踏む事になる。

(考えると、おお、怖い…)

老夫婦の鮮明な映像が俺の親とダブって浮かんだ。

夏なのに鳥肌が立ってきたのであった。

 

 

春の一発 (02/7/15)

 

いつもの様に春と風呂に入っていた。

前にも日記で書いた様に、福山家流幼児入浴法は、俺が風呂に入れ、嫁が洗う方式を取っている。

今日も例外ではない。

いつもの様に道子は春を洗い、湯船で待機している俺に渡して外へ出た。

俺は貰った春を肩まで湯に浸け、ユラユラ揺らす。

春は極めてご機嫌だった。

ケラケラと笑い、バタバタと暴れた。

最近の春は首も座り気味になってきた。

俺は首後ろと尻に当てていた手を春の脇にスライドさせ、

(もっと、暴れさせてやろう)

そう思って、

「春坊ジャンプ!」

の掛け声と共に春を持ち上げた。

俗に言う『高い高い』である。

春はキャッキャッと笑い、最高の笑顔でバチャバチャと水面を両手で叩いた。

(ふぅー、最高に可愛いなぁ…)

完全に目じりが下がり、恵比須顔になってしまった。

(さあ、もう一発)

二度、三度と『春坊ジャンプ』を繰り返した。

春は全てに笑顔で答えてくれる。

(あー、可愛い、可愛い)

何度もそう思い過ぎてしまったのか、その中の一発が着水を失敗してしまった。

水面が春の肩を越えて、唇の下までいってしまったのだ。

「おっと…」

言って、当然、春を上げようとしたのだが、その時に事件は起こった。

春が口元の水を嫌い、バタリと暴れたその時、俺の体に電撃が走った。

浜田省吾はギターを見た時に体中に電撃が走ったそうだが、その時の彼の気持ちがよく分かる電撃の走り方だった。

まさに、ほとばしる電撃であった。

「うっ…」

俺はそれだけの感嘆詞をこぼすと、ガクリと頭を垂らした。

ガクガクガクガク…。

体が痙攣を始め、続けて、体中から力が抜け始めた。

「み、道子、道子…」

俺は外で体を拭いている道子を散り散りの声で呼ぶと、

「は、春を…、春を、ちょっと持って、く、れ…」

切れ切れに言い、春を渡した。

俺の油汗にまみれた顔は水面の一点を見つめている。

上が向けない、眼球すら動かない様に思われる。

腰も少し浮き気味になっている。

男衆なら既にお分かりだろうが、暴れた春の足が俺の股間にヒットしたのである。

まさに、あの「コリッ」という独特の感じから始まる『クリティカルヒット』であった。

ジワリジワリと腹痛が襲い、その後、前述の痙攣、脱力と続く。

最後には油汗がタラリタラリと流れ出した。

「なんだよー、どうしたんだよー」

道子は春を抱きかかえ、首を傾げながら、

「何があったんだよー」

俺にそう聞く。

それに対し、

「う…、お、お前には言っても分からん、男の事情だ、う…」

もがく俺。

道子はそれでピンときたのだろう。

「あ、チンコに当たったんだー!」

声高らかに、微塵の恥じらいも感じさせずにそう言い放ち、

「何が当たったの?」

瞳を爛々と輝かせながら聞いてきた。

俺は込み上げる鈍痛と戦いながら、

「は…、は…、春の足…」

とだけ、道子を見る事なく、辛うじて答えた。

痛みは時を追う毎に増してくる。

グラフと数値でこの痛みを表す事が出来るなら、きっと『指数関数状のライン』を描き、その痛みは『天文学的数値』に達している事は間違いない。

が…。

道子は俺の『辛うじて』の台詞を聞くと、腹を抱えて笑い出した。

「あー、もうー、私まで力が入らなくなるよぉー、最高ー、ひー」

ドアを一枚隔てて、かたや悶絶する夫、かたや抱腹絶倒する嫁、まさに地獄と天国の絵であった。

5分ぐらい経ったであろうか、やっと痛みが治まりだしたので、春を道子から頂戴し、再度、暖めた。

今度は春の足をガチリと固定し、尻と背を両手で抱え込むようにして入れた。

「はぷー」

春は今もご機嫌に湯を楽しんでいる。

俺は未だズキンズキンと痛む腹に力を入れ、

「やってくれたな、春」

そう言ってやった。

道子は今もドアを開けっぱなしで、

「最高、最高、最高過ぎるよー」

バタンバタンと抱腹絶倒を続けている。

春も親の心知らずか、キャッキャッと笑っている。

俺はそんな二人を見、つい無言になってしまった。

頭の中では一つの『強い思い』がグルングルンと回っていた。

(この痛みを分かち合える男の家族が欲しい、本当に…)

多分、この日記を読んで男衆は内股になってしまったはずである。

現に俺はこの文を内股で書いたし、少し、お腹も痛くなってきた。

ちなみに…。

風呂を上がる時、道子が

「あー、面白かった」

そう言ったものだから、

「殺すぞ!」

つい、そう叫んでしまった。

これは紛れもない、

(この場に男がいたら、どんなに楽か…)

その気持ちの表れに他ならない。

『痛みは分かち合えば楽になる』

まさにそれを痛感した夜だった。