酔いのそれぞれ (03/05/06)

 

酔い方というものは人それぞれあろう。

俺も酒が好きであるゆえ、酔うことには酔うが、比較的、その癖というものは、

(少ない部類…)

だと思っている。

というか…、俺の周りにいる酔っ払い達が、

(強烈過ぎる…)

そう言ったほうが良いのかもしれない。

今日の日記では、5月3日に大津という級友がやってのけた愚行から、様々な男達の『酔い』というものを想起してみたいと思う。

まず…。

暴れるという点では、学校時代、蜜に飲み交わした宮村という男が群をぬいている。

熊本市街で飲んでいた時の事である。

気が付くと、どこから拾ってきたか分からぬ鉄パイプらしきものを右手に暴走族を追っかけている宮村がいた。

「ぬしゃ、待て、こらぁー!」

宮村は2桁はいようかと思われる集団に単身で乗り込んでゆく。

勇敢といえば勇敢だし、無謀だといえば無謀だが、この男は飲んでいる時に暴走族の音を聞くと、立ち向かわずにはいられないらしい。

パブロフの犬のように、ある条件が揃うと反射的に体が動いてしまうのだろう。

(まさに、そういう性分…)

と、しか言いようがない。

この宮村の根底には『正義感』がほとばしっており、現在は警察官として、その活躍の場を見出している。

また…。

98年に書きまくった『出来事シリーズ』を読んでいただければ詳細が分かって頂けると思うが、井上和哉という男の酔いは『語る系』の典型であろう。

紐を解けば実のない、何ともコメントし難い話を永延と正座で話し、聞き手がよそ見でもしようものなら、

「話を聞けー!」

と、血走った目で怒鳴るくせに、翌朝、その事を覚えていない。

また、感情の表現が露骨になり、そのエロさたるもの戦慄の感さえある。

「むふふふ…、話を聞けよー、福山ー」

言う、和哉の根底には『謹厳実直』という言葉が転がっている。

次に…。

今本という男がいる。

この男、よく吐く事で有名な男なのであるが、以前、あろう事か、福山家のベランダに、ゲロでなくションベンを垂らした。

一緒に寝ていた皆本という男の証言によれば、夜中、むくりと起き上がり、何食わぬ顔でベランダに出るや、

「ふぃー…」

などと、たまらない声をあげながら用を足したという話である。

翌朝、皆で詰問した事はいうまでもないが、

「すいません、まったく覚えてないっす!」

と、悪びれるところがない。

普段から後輩気質で、日頃は俺の言うところを余す事なくこなしてくれる男なだけに、

「酔った勢いでやってしまえ!」

という、下克上的臭いがあったのかもしれない。

そして…、誰と飲みに行っても、忘れる事なくゲロをぶちまけてくるところなんか、

(日頃たまった鬱憤を…)

と、飲み会をそのはけ口にしている、何よりの証拠である。

この、今本の根底には『後輩だもん!』という甘えた根性が鎮座している。

また…。

色に溺れるかたちも、酔いの色々としては典型であろう。

ここに法明という同郷の友人がいる。

こやつ、飲まずしても、

(さかりのついた犬…)

その感はあるが、飲めばその破壊力たるや、

(田代まさしも真っ青…)

そう思わずにはいられない愚行をやってのける。

その詳細は文字で語るにはあまりにも露骨で、このホームページの性質から控えざるを得ないのであるが、とにかく犯罪すれすれで凄まじいものがある。

ま…、ここまで書いて、

(こやつの事を書くのであれば、風俗にはまっている先輩を書いた方が良かった…)

そう思うところもあるが、書いたのを消すのは癪なので、そのまま進める。

ちなみに、この法明…。

そのような事をやってのけ、翌朝に起き上がるや、

「また、歴史をつくってしまった…」

ぬけぬけと言い放つのであるが、今、彼の置かれた状況は、

(地元にいられない…)

そういう感じで、現に、彼は熊本を出、今は東京にいる。

法明の酔いがいい方向へ彼を誘ったのかといわれれば、難色を示すより他はない。

法明の底には『言いようのない寂しさ』が蠢いている。

最後に…。

「酔っ払いといえば、この人しかいない!」

と、自他共に認められている英雄がいる。

白根という先輩である。

俺から見ても、この人だけはピュアに酔っているとしか思えない。

前述の3人のように、

(裏に、こういう思いがあるからこのように酔っ払うのだ…)

と、いうのが、この白根さんには全くない。

純粋に、

「酔いたいから酔う!」

本人がそう言うように、白根さんは、歩けなくなり、喋れなくなり、目を閉じる。

が…、それでも飲む。

翌朝、

「二日酔いで死ぬー」

「自転車がなくなったー」

「茶畑に突っ込んで泥だらけだー」

「眼鏡が壊れてるー」

「あれだけあった銭がない!」

などなど…、色々な障害が出ようとも、白根さんは飲む。

(そこまでして、飲まんでもよかろうに…)

そう思わずにはいられないが、白根さんは今日も明日も明後日も飲む。

この人の根底には、

(酒が好き…)

その事のみが轟々と渦巻いているに違いない。

と…。

5例ほど挙げてみたが、まだまだ際限なく書けそうなのでこの辺でやめておく。

とりあえず、酔い方にも色々あるという事が分かってもらえればそれでよい。

そして…。

そろそろ冒頭で書き述べた『大津の話』に移りたいと思う。

それは、5月3日…。

ゴールデンウィークの真っ只中、道子の実家・春日部で起こった。

(ええい書け書け、書いてしまえ!)

と、勢いで書いてしまうが、その日、大津は暇であったからか、虎視眈々と狙うものがあったのか、それは定かでないが、道子の友人・小柏という女を、小癪にも東京のお洒落スポット・青山などに誘い込み、二人で映画を見ていたらしい。

小柏嬢に彼氏はいる。(そのような感じのものが)

ちなみに、俺は同じ名のお洒落スポットでもだいぶ違う『洋服の青山』にいたが、ま、そこはどうでもいい話であろう。

大津は、道子が発した、

「なんだよー、私の友達とデートするのに春日部には挨拶もないわけー?」

という、脅迫にも似た呼びかけに応じ、わざわざ東京から春日部まで電車で現れた。

夕刻であった。

無論、大津は泊まる気満々で現れている。

狙いの小柏嬢も交え、ダブルカップルの態で飲んだ。

春は、義母へ預けてある。

大津は、俺が焼酎を大ジョッキで頼んだのを見るや、

「よし、じゃあ俺も…」

と、その大き目の喉仏を震わせて頼み、俺が飲み終わるのを待たずに次のジョッキを頼んでいた。

(こやつ…、今日はのってるな…)

俺が小柏嬢と大津を交互に見ながら、

(うんうん、青春は、こうでなきゃいかん…)

などと思っているうちに、大津の面相に小さな変化が現れ始めた。

頬は微妙な赤みを帯び始め、目蓋は腫れぼったさを増している。

(ふふふ…、大津め、珍しく酔いやがった…)

俺は、そう看破した。

飲み会は、

「じゃ、私、帰る!」

小柏嬢が放ったこの言葉により終わりを告げたわけだが、それからの大津は、

(こやつ…、スーパー大津になってやがる…)

そう思わずにはいられない、いつもとは露骨に違う男となった。

まず、小柏嬢が去った、その悲しむべき事態を振り払うかのように、

「福山夫婦ー、おにぎりでも食うやー?」

見事な声量で言い放つと、たまたま開いていた『おにぎり専門居酒屋』へ突入し、

「おにぎりをくださいー!」

これまた見事な声音で注文を始めた。

「走り出したら止まらないぜ…♪」

彼の鼻歌が指し示すように、今日の大津は天上天下唯我独尊である。

歩いて道子の実家に帰るや、

「ほら、食え!」

と、購入した握り飯をふるまい、

「おぉう、へいへい、焼酎でも飲もうか、福山!」

のりのりで更なる酒に手を出した。

道子は、大津のその声量に、

「大津君、春もおかぁも寝てるんだから、静かにしてよぉー」

言うが、今日の大津はスーパー大津、聞くはずもない。

「分かった、分かった、分かったぞー!」

豪快に喉仏を震わせた。

「道子、こうなっちゃ手遅れだ」

俺も、相当に酒が入っていたため、大津の愚行がさして気になるわけでもない。

大津の事を笑い飛ばした。

大津は言う。

「明日は、結婚式に出にゃんけんが控え目にすっぞ!」

どうみても、控え目にしている男の動きとは思えない。

と…。

その瞬間であった。

いきなりに血相をかえた大津は、

「便所!」

そう叫ぶと、五体を壁に激突させながら便所へ駆け込んだ。

(まさか?)

思った瞬間に、壁向こうからは、

「ぶぇぇぇええ、ぶぇぇぇえええ!」

パンチと水気の効いた、それはそれは大きな音が響いてきた。

道子実家は、隙間ない住宅街にある。

多分、あちらこちらの家々に、嫌な絵がはっきりと浮かぶ大津の声が届けられたはずである。

無論、上で寝ていた義母へも届けられた。

後に、義母はこのように述懐している。

「もの凄い音が響いたかと思ったら、ゲーゲーいう音が聞こえて飛び起きただわー!」

道子は、大津が発する遠慮なしの声に、

「うるさいよー、静かに吐いてよー!」

俺から言わせれば、

(お前もうるさい…)

そう思うほどに叫び、大津を責め立てている。

結局…。

あまりにも長々と大津が吐いていたため、俺はその事に飽き、そのまま眠りについてしまった。

俺の記憶はそこで途切れた。

翌朝…。

起きると、横に大津が寝ていた。

どうやら、俺と大津だけが、酔い潰れて居間に寝てしまったようである。

時計を見ると午前4時であった。

「大津…」

「おお、福山、昨日はわりーね。ううう…、気持ちわりー…」

俺は悶える大津に冷たい茶を飲ませると、

「じゃ、俺は上で寝るけん」

それだけを言い残し、布団のある二階へあがった。

俺が、次に目覚めたのは9時前である。

大津は、

「結婚式があるから…」

辛そうに言い残し、8時くらいには帰ったらしい。

当然、俺が起きた時には、既に大津の姿はない。

が…。

道子が言うには、

「大津君、ひどいんだよー!」

という、見事な置き土産を残していったらしい。

それは、便所にあった。

大津はゲロを吐く際、その重々しい顔を大きくスウィングした。

その時、便所のタンクに頭をぶつけたのである。

陶器製のタンクが見事に欠けていた。

7センチぐらいあろうか、その破片が無残にも足元に転がっていたらしい。

当然、道子と義母は大津に攻め寄った。

すると、重い二日酔いの大津は、

「皿洗いでも何でもしますから…」

と、平伏し、許しを請うたらしい。

皿洗いとは、何とも大津らしい。

が…、そこは平山家、道子と義母が言い放ったものは、

「いいのよぉ、気にしなくて…、修理してくれれば済む事だから…」

つまり、弁償しろというものであった。

俺は、その問答を見ていない。

見ていないが、大津が茫然自失の態であった事は容易に想像がつく。

あれから大津に会っていない。

が…、大津は二日酔いで結婚式に出ながら、

(ああ、俺って奴は…)

と、晩の愚行を悔いた事は、火を見るより明らかなのである。

酔い方というものは千差万別、ゆえに、

(人のふり見て我ふり直せ…)

その事を思うのであった。

 

 

ハイハイレースから思ふ (03/04/26)

 

ゴールデンウィーク一発目の俺は朝帰りであった。

昨晩、文章学校が最終日であったため、

「朝まで飲もう…」

そういう話になったのである。

無論、場所は学校のある六本木である。

9時前に学校が終わるや全員で居酒屋へ突入し、3時間ほどそこで飲むと、場所を有名なアマンド前の蕎麦屋へ移した。

今年、御年74歳になられる先生も付き合ってくれている。

先生はNHKの重鎮といわれる脚本家で、昔は必殺仕事人の脚本も書いていたらしい。

猛烈なエネルギーで、午前2時くらいまで付き合ってくれた。

(やはり…、こういった仕事をやっている人は元気だ…)

思わずにはいられない、先生の飲みっぷりであった。

さて…。

その日だが、奇しくも大々的にマスコミに取り上げられている『六本木ヒルズ』のオープンの日と重なり、その人の数というものは、

(むむむ…、尋常じゃない…)

と、瞠目せずにはいられないものがあった。

学校が六本木ヒルズの麓にあるため、目視でビルを確認する事はできる。

が…、もう六本木へ来る事はないと思うし、話の種にもなる事ゆえ、

(せっかくだから中に入ってみよう)

思い、そこを目指して歩いたものであったが、なんと、人の渋滞が起こっており、歩道を進む事すらできなかったのである。

おぞましい事態ではある。

また、俺達は、夜の3時過ぎに蕎麦屋を出たのであるが、その時刻になっても人の流れは途切れていない。

この時間なのに、蕎麦屋へ入るべく行列ができ始めたのである。

ゆえに、駄弁って注文が滞った俺達一向は店から追い出される事となった。

(嘘だろー、3時なのにー!)

六本木ではこれが普通なのであろうが、俺の中では、

(人っ子一人いるわけがない…)

その事が午前三時の常識である。

外へ出ると、道はタクシーを中心とした渋滞が続いている。

結局はレストランで始発までの時間を潰した。

始発の電車は満員ではないものの、ほぼ満員の様相を呈している。

(六本木は、いつ息を抜くのですか?)

思わずにはいられない一晩であった。

さて…。

社宅へ着いたのは午前7時を回った時である。

都営大江戸線で寝過ごし、終点で駅員に起こされたというアクシデントは発生したものの、無事に帰り着き、布団につく事ができた。

(ああ、弱々しい俺の体に徹夜は辛い…)

その事を再認識しながら、俺は深い眠りについた。

…。

起きたのは11時を少しばかり回った時である。

道子に目を向けると、

「さあ行くよ! 燃えてるんだからね!」

と、妙に張り切っている。

それを見て、

(ああ、そういえばハイハイレースに出るとか言っていたな…)

その事を思い出した。

ショッパーという地域の情報新聞があるのだが、それに、

『ハイハイレースの出場者募集!」

ショッピングモールが出した『その記事』が出ていたらしい。

道子は、これに食いついた。

「福ちゃんー、これに春ちゃんを出すよー、凄いよー、燃えるよー」

なぜ、それほどまでに燃える事ができるのかは不思議だが、別に断る理由もないので、

「ええばい、出れば」

そう返し、この時を迎えた。

寝起きの俺は、都会臭くなっている体を洗い、飯を食いつつ、

(うむ、体力の回復を感じる…)

思いながら、道子の話に耳を傾けた。

「山本家も一緒に出るからねー」

との事で、社宅隣の子が一緒に行くとの話である。

ちなみにいうと、山本家の子は春と同年代ではあるが、既にハイハイなんていうレベルは卓越しており、普通に二本足で走る。

(あれが出たらハイハイレースにならんだろ?)

思ったが、口にする事もなく、隣町・狭山の『カルフール』という外国流れショッピングモールへ出掛けた。

さて…。

子供服売り場前に設けられた特設ステージには、18人のエントリーがあったらしく、しどろもどろの司会を続けるオジサンを中心に子持ちの集団が取り囲んでいる。

レースは実に単純明快なもので、スタートのところで子を離してからゴールへ早く着いたものの勝ちで、走ったら失格である。

無論、親はスタート側とゴール側と両方に付かねばならない。

俺は、尋常でない照れを感じながらも春を抱え、スタート側に付いた。

右隣は山本家である。

山本家にしてみれば、

(立つなよ、ハイハイしろよ…)

その事を危惧するばかりで、福山家にすれば、

(動けよ…)

その事を思うばかりである。

5メートルくらい先のゴールでは、道子が、

「春ちゃーん、春ちゃーん!」

どこの奥様よりも目立つ『大き目の体』をぶん回している。

(あんまり、羽目を外すなよ道子…)

思いながら、司会の声に合わせて春を置いた。

素晴らしい駆け出しを見せたのは山本家の子であった。

置いた瞬間に、立たず、ハイハイで猛烈なダッシュを見せた。

が…、途中、ありがちな玩具に気を取られ、その動きは止まってしまった。

この脇をウサギとカメの要領で、のっぺりのっぺり突き進んだのが春である。

この組には、もう一人、見知らぬ子もいる。

気が付けば、ゴール前で3人の子が横一線になっていた。

後は、ゴール付近で待ち受けている誘導役によるところが大きい。

皆、誘導役には嫁を投入している。

山本家は玩具に気を取られた娘を引き離すべく、

「おいで、おいで!」

言っており、もう一人の親も、

「こっち、こっち!」

明るく呼びかけている。

が…、その中にあり、完全に女を捨てて狂喜乱舞するものがいた。

道子である。

まさか、春がここまで善戦するとは思っていなかったのであろう。

身を、そのコースである布が敷いてあるところまで乗り出し、

「ギャァァァ!」

ジャニーズを追っかけている連中のように絶叫するや、両手を床に叩きつけ、

「ハドゥゥゥッ、ハドォォォッ!」

と、声にならぬ声で娘の名を呼び、

「☆$¢£%#*@§○◎◇▽〒♀♂℃!」

意味不明な、人様の語とは思えない何かを叫び立てている。

俺は…、

(穴があったら入りたい…)

その心境になった。

始まる前までは、

「これが、春の今後の人生を占うかもしれんね」

なぞ大袈裟に言っていたものであったが、道子のそれを見てしまっては、

(ああ、もう、負けてもいいから早く終わってー!)

ただただ、それを祈るのみである。

少しだけ気になり、ギャラリーの方へ目を向けてみると、明らかにほくそ笑みながら道子を見ている。

(ああ、そうです…、あれの旦那は俺なんです…、恥ずかしぃー!)

まさに、その事であった。

結局…。

道子の奮闘あって、春は奇跡的に一着になった。

道子は満足そうに景品を貰い、

「福ちゃーん! やったよ、やったよ!」

はしゃぐが、俺にしてみれば苦笑をこぼさずにはいられない。

道子は、これの始まる前、他人のレースを見ながら、こう言ったのである。

「見てよ、福ちゃん、あそこの人…。胸の谷間を見せながら、凄い顔で子供の名前を叫んでいるよ。凄いねぇ、ああなるもんなんだねぇ」

俺は、それを聞き流した。

なぜなら、その時、

(俺には関係のない事…)

そう思っていたからだ。

が…、今、目の前で歓喜の色を浮かべている道子を見、それが他人事ではなく、もろに身内の事だと知った。

反省せざるを得ない。

そして…。

見事な体躯を震わせて狂喜する道子へ、一言だけ助言をしなくてはなるまい。

「道子…、お前の方が圧倒的に凄まじいぞ…」

その事を…、である。

道子は、今も夢中…。

そう…。

今も、夢の中にいる。

 

 

療養の日 (03/04/23)

 

週末は、四万(しま)という群馬深くの温泉に出かけた。

関越道は渋川伊香保インターでおり、この温泉のためにある川沿いの国道を登りきると四万温泉である。

古くから上杉と真田を結ぶ要路の宿場町として栄え、伊香保、草津と並ぶ上毛三湯の一つといわれている。

温泉街の最も奥には奥四万ダムがあり、その脇には国宝の薬師堂がある。

俺達は、その薬師堂の真横に位置する宿へ泊まった。

午前10時を過ぎた頃に入間を出た福山家と義母は、飯などを食ったり観光などをしつつ、ゆるりと宿へ向かった。

その日のメンバーは、福山家の他に義母と和哉カップルを含む。

無論、和哉カップルの詳細は従姉妹の真理である。

春を含めると6人になり、車に乗りきれない事から、和哉達と俺達は別車で移動し、宿で集合という事にした。

福山号は3時に着いた。

宿のものに聞けば、和哉達は先に着き、

「ちょっと、その辺を回ってきます」

言い残して出て行ったらしい。

(む…、あやつら、今頃は手などを繋ぎ、カップルらしい時間を過ごしているに違いない)

瞬間にそれを確信した俺は、

「道子、ちょっと、その辺を回ってくる…」

言うや、宿に上がる事なく、フラリと街へ歩き出た。

(あの二人、見つけたら後ろからカンチョーしてやろう…)

思いはそこにある。

が…、和哉カップルと会う事はなかった。

その代わり、地元のオッサンと遭遇した。

歩きに歩いて、どこぞの神社を見ていた時の事である。

「ほぅ、若者がここへ来るとは珍しい…」

あたたかに言いながら現れたのが地元のオッサンであった。

「観光かね?」

問うオッサンの鼻先には、筆の如き、束状鼻毛が飛び出している。

思わず、

「ぬおっ!」

仰け反ってしまうところであった。

が…、辛うじて、

「は、はい…、観光です」

応えると、聞いてもいないのに四万温泉の歴史を語ってくれた。

オッサンの話によると、

「四万は昔、女郎の街でなぁ、今でこそ、道がダムのところで切れとるけど、昔は新潟まで通ってててなぁ、そこを行き交う人達で、そらぁ、賑わったそうな」

との事で、その話口は完全に日本昔話調である。

俺とオッサンは、並んで歩くかたちをとった。

オッサンの話にオチはない。

しこたま昔話を語った挙句、

「まぁ、どうでもいい話なんじゃがな」

最後にそれを言うや、手をフリフリ去っていった。

「どうでもいい」と言われた話を30分も真顔で聞いた俺の後悔は深い。

さて…。

宿へ戻り、しばしの時が経つと、和哉カップルが戻ってきた。

「おぉ、和哉!」

「よぉ、福山!」

俺と和哉はそのような挨拶を交わしたものであったが、横にいた従姉妹を見るに、

(まだ、続いていたか…)

と、安心した。

いちおう、カップルの様相を呈してはいるようである。

ちなみに、男と女の一発目の節目が3ヶ月目といわれている。

現に、俺は道子と付き合うまで、3ヶ月以上付き合った女はいなかったし、確かに、それくらいの時に、

「もう…、あんたには付き合えない…」

その引導を、よく渡されたものである。

和哉カップルは、その日が三ヶ月目くらいであろう。

ゆえに安心した。

と…。

ここで話をぶっ飛ばす。

風呂の紹介をしたい。

この宿の風呂は、岩風呂である。

小さい内風呂が二つ、露天が一つの構成で、循環式などではない。

泉質は、山鹿温泉のようなヌメリはないものの独特の臭いを有する塩類泉である。

歩き疲れた俺は、しばし昼寝をすると、思いだしたかのように風呂へ行った。

風呂では、和哉と、これまた味のありそうなオッサンが露天で話し込んでいる。

後に和哉の話を聞くと、

「出ようとしたらオッサンに捕まった」

との事で、無論、和哉と入れ代わりに俺も捕まった。

オッサンの体はガリガリである。

その体で、

「今、湯治中なのよ。今日で六泊目」

言う様が、実に違和感がない。

オッサンは湯というものの素晴らしさを懇々と語ると、不意に、

「若者、家族持ちらしいねぇ」

そう言った。

和哉から聞き及んだ事であろう。

嘘をつく理由はない。

コクリ頷くと、オッサンは、

「家族ってのは素晴らしいもんだ。特に子供は素晴らしい」

しみじみ言い放った。

「俺も子供は7人くらい欲しいんですよ」

「7人とな! そうかい、そうかい、うちも子供が3人いるよ」

「子供のどの辺が素晴らしいんですか?」

「口では言えねぇなぁ」

「そうですよねぇ…。で、今はどこにお住まいなんですか?」

「群馬よぉ、一人で暮らしていると気楽なもんだ!」

(ん?)

俺は、その言葉に違和感を感じた。

(一人暮らし?)

その事である。

オッサンは、遠い目をしながら、ゆるりと立ち上がった。

そして、

「嫁子供には、とうに逃げられちまった…。老いてくるとな…、その事が効いてくるのよ…。だから俺は湯治場にいる…」

よく分からない部分もあるが、オッサンはそう言うと、

「若者、ゆっくりしていきな」

と、露天を去った。

(今日は、オッサンに恵まれている…、のか?)

そう思わずにはいられない、不思議な日であった。

さて…。

風呂を出た一行は、待ちに待った食事にかかる。

俺は、時間つなぎの雑談がてら、風呂で会ったオッサンの事を語った。

と…。

誰も食いつかなかったのに、必要以上に食いついた人がいた。

義母である。

義母は、人様の色恋沙汰が好きで、事ある毎に、

「それくらいしか楽しみがないのよぉ」

と、言う。

現に、大津という俺の友人が春日部に連泊した時、

「あの子とはどうなのよぉ」

噂の真相を執拗に尋ねたり、芸能人の色恋沙汰は、アメリカ軍並の情報収集力で逸早く仕入れてくる。

義母は、オッサンの話の中、

「嫁子供に逃げられた」

その部分に食いついた。

色を感じたのであろう。

「逃げられたオッサンは、その後、どうなったの?」

身を乗り出して聞いてくれたが、そんな込み入った事情を俺が知るはずもない。

「いや、分かりません…」

引きながら苦笑をこぼすと、

「そういうところを聞いてくれなきゃ困るだわー! んがっ!」

豪快に笑い飛ばされた。

ちなみに、上台詞の最後に「んがっ」と付いているが、これは鼻の鳴る音である。

義母は笑い飛ばした後に、必ずこれを鳴らす。

とにかく…。

そういう義母であるから和哉と真理に興味を示さないはずがない。

ニヤニヤと若い二人を観察し、

「いいわねぇ若いって!」

それを連発し、写真を撮る時などは、

「はい、お二人さん、寄って寄ってぇー、若者は寄り添わなきゃ駄目だわさ!」

などと、しきりに活動を続けていた。

まさしく、ピンク色の弾丸・パー子級である。

さて…。

その義母の思いを受け、話を和哉カップルへ移す。

しこたま飯を食った俺夫婦と和哉カップルは、

「春ちゃんは見とくだわさ、いってらっしゃい」

そう言ってくれた義母に甘え、春を置き、近くのスナックへ出掛けた。

このスナックに特筆すべき点はない。

どこにでもある、温泉街にありがちな人情スナックである。

が…。

そこで和哉が選んだ歌は特筆すべきであろう。

「井上君、歌ってよぉ」

和哉を優しく誘う真理に、

「しかたないなぁ」

まんざらでない素振りを見せた和哉は、厚い選曲本を開き、その曲を選んだ。

周りには、ママに言わせたら、

「あの人達は、ただならぬ関係だからね…」

となる、温泉街にありがちな不倫カップル風の客しかいない。

スナックゆえに、そこはしっとりと暗い。

グラスをかき混ぜる音も優しく場に木霊する。

そんな中…。

和哉が選んだ『その歌』が秘密のベールを脱いだ。

前奏が流れ出した。

と、その瞬間、和哉を除いた者、全てが瞠目した。

歌は、

「空に太陽がある限り」

であった。

「あいしてーるぅー」

歌う和哉に、

「あー、はずかしぃー」

身悶える従姉妹。

「とてーもぉー」

歌う和哉に、

「超、笑えるよぉー」

爆笑の道子。

「あいしてーるぅー」

繰り返す和哉に、

(義母に報告せねば…)

思う俺。

場は、完全に和哉のものとなった。

「そーらにー、たいようがー、あーるかぎーりぃー」

夜は…。

ネットリと更けていくのである…。

 

 

リンスでヌルヌル (03/04/18)

 

小説ばかり書いており、少々飽きてきたので日記でも書こうかと思う。

たった今の、風呂での事である。

俺は、今日も定時で会社を上がるや飯を食い、7時には風呂へ入った。

ぬるめの湯に浸かりながら、そのお湯を熱しつつ、ゆっくりと入るのが俺の常で、その日も同じように入っている。

適温になると火を止め、体と頭を洗い、それから春を呼ぶ。

それが俺の流れだ。

その日も…。

湯が適温になると、

「うぃー!」

いつものように荒々しい男の声を上げながら洗い場へ出、体を洗うべくナイロンタオルを手に取った。

それにボディーソープを流し込み、一気に頭から爪先までを擦りあげる。

ボディーソープを使うときはシャンプーを使わない。

シャンプーを使うときはボディーソープを使わない。

けど、洗顔フォームはちょっと多めに使う。

それが俺の洗い方である。

俺はボディーソープを染み込ませたナイロンタオルを体に当て、

「ぬおぉぉぉぉぉ!」

この日も、体がヒリヒリと痛くなるほどに擦った。

が…、なぜか泡が立たなかった。

(はて?)

不思議に思い、染み込ませた液体のポンプを見ると『リンス』と書いてあるではないか。

「あちゃー、間違えた!」

言った瞬間に、

(これは、道子の高級液体だった…。もったいない事をした、てへっ!)

思いながらも、さして気にする事なく、今度は確かにボディーソープを高級液が付着したままのナイロンタオルに染み込ませた。

福山家の洗髪用品は完璧に道子と俺で差別化されている。

道子は一流メーカーの二種を用い、俺は、出所不明の捨て値で販売されていたシャンプーのみを用いる。

無論、先ほど述べたように捨て値シャンプーを用いずにボディーシャンプーで髪を洗う事も少なくない。

男だから、それで良いのだ。

もう一度、ボディーシャンプーを染み込ませたナイロンタオルで擦った。

すると、泡が立つ立つ、

(これじゃなきゃいかん…)

納得の泡立ちである。

が…、それを流す時、俺は困惑する事となった。

(う…、リンスという奴め…、これほどまでの粘りを持っているとは…)

その事である。

流しても流しても、体にまとわりついた『ヌルヌル』が消えないのである。

(うわー、気持ちわりー!)

『ヌルヌル』は、夜の街では最高級の代名詞(行った事ないが)のくせに、この日の『ヌルヌル』には男をいらつかせるものがある。

(なんやー、何で『ヌルヌル』が取れんとやー!)

体を素手で擦りつつ、一生懸命に流すものの、それは止まるところを知らない。

(ええい、もう浴槽へ入っちゃえ!)

湯船の中で洗い流す事にした。

が…、あろう事か、それでもヌルヌルは取れないのである。

「ああー、両生類になった気分…」

完全に、俺の体はカエルかイモリになった。

「シットリさんもスベスベさんも、リンスで一発♪」

少しだけ強引だが、どこかのCMソングが頭によぎり始めた。

(道子は、このようなものを頭に降りかけ、よく平気でいられるな…)

思いは、そこへ及ぶのであった。

さて…。

それから春を風呂へ入れた。

当然、今の俺は両生類であるから滑る。

更に、春は眠たいのか腹が減っているのか、とても機嫌が悪い。

ゆえに暴れる。

膝の上に乗せ、それから春を洗うのであるが、クルリンクルリン春が回った。

ついには泣き出した。

結局…。

体は洗ったが、あまりにも洗い難いため、春の頭を洗う事は止めた。

春は泣きながら道子に抱かれ、去って行った。

それを見、

「泣きたいのは俺の方た…」

呟いたのは言うまでもない。

ちなみに…。

風呂から出た後、道子へ、

「お前、リンスで体を洗うと大変な事になるけんが、どぎゃんかしてくれよー」

と、リンスだけ別保管してもらう事を願ったのであるが、

「そう…」

テレビに夢中の道子は、俺の話をかるーく流し、鼻にもかけない。

俺は、シットリさんでスベスベさんな肌を触りながら、

「今日の俺は、カエルだぴょん!」

孤独に呟くのであった。

悲しー。

 

 

都会病に染まる (03/04/13)

 

ここ最近ではなかろうか、

「花粉症…」

なぞいう言葉が横行し始めたのは…。

熊本にいる時に、そのような症状を訴える者は一人もいなかったし、

「花粉などは飛んでいて当たり前」

だと思っていた。

ゆえに、

「花粉にやられるなんぞは、都会で弱体化した証拠ぞ!」

と、クシャミと鼻水を撒き散らしている連中を小馬鹿にしたものである。

が…。

三日前くらいからであろうか、俺の体に異変が現れている。

目がチカチカし始めたかと思うと、続いて鼻が詰まり始め、昨日になると滝のように鼻水が流れ始めたのである。

俺の中で、この原因の選択肢に『花粉症』というものはありえない。

ゆえに、風邪を疑い、熱などを測るものだが平熱である。

(まさか、SARS?)

流行りのそれを疑うが、確率としては馬鹿らしい限りである。

さっそく、会社上司に頂いた『家庭の医学』を用いて、症状を分析してみる。

結果は、

(む、むむむ…)

瞠目してしまうほどに間違いなく、アレルギー性の鼻炎であった。

それは花粉の可能性もあるし、ダニかもしれないし、桜かもしれない。

百種類近くに分類されるらしいが、何にしても抗体が過敏に反応している事は間違えないようである。

読みすすめると、スギ花粉が終わると『ブタクサの花粉』というのが猛威を奮うらしく、今の時期、スギ花粉という感じではない。

(俺はブタクサに弱いのか…?)

そう思わずにはいられない。

更にその草、漢字で書くと『豚草』で、

(むむむ、確かに俺に寄り付きそうな草…)

と、根拠はないが確信を深める事になる。

今…。

俺は年休消化による五連休の真っ只中にいる。

先週の金曜から今週の火曜まで休みで、金曜はラスト二回となった文章学校であった。

メンバーは6人で、その誰もが一本以上の長編小説を仕上げているのだが、

(俺だけが長編を仕上げていない…)

ふと、その事に気付いた。

(この五連休で仕上げないと、何のために学校へ行ったか分からんようになる…)

その思いで、昨晩、道子を春日部へ送り、

「鬼の執筆…」

その態勢に入った。

が…、春日部から今日の朝11時に帰って来、昨年から止まっている書きかけの小説を見ていると、

(ああ、また、ムズムズしてきた…)

馬鹿にしてきた都会病が俺の集中力を掻き乱すのである。

(ええい、もうっ!)

思い、春日部で義母に貰った花粉症の薬を飲もうと思うのだが、副作用で、

「眠くなります」

そう書いてあり、現に、昨晩それを飲んだ俺は瞬く間に眠りについた。

日頃、薬を飲まないものには効き過ぎるほどに効くのである。

(うーん、寝たら困るし…)

思った俺は、集中力がなくても書ける『この日記』を書き、書く気持ちを盛り上げようとする。

(盛り上がれ、盛り上がれ、盛り上がれ…)

思っていると、日頃はありえないのに、何となく掃除をしたくなってきた。

春の玩具を片付け、あろう事か飯などを炊いた。

学生の時から何も変わっていないのである。

何かをやろうと思うとき、必ず別の事もやりたくなるのだ。

「うおー、やるぞー!」

福山裕教は燃えながら、

「やっぱり、飯を食ってから燃える事にしよう」

道子が作っていったカレーを食う事に決めたのである。

時間は…。

あるようでない。

 

 

子というもの (03/04/08)

 

先週末、新潟は長岡へ行った。

無論、道子と春も同行したので、家族旅行という事になる。

が…、泊まった先は旅館でもなければホテルでもない。

会社同僚の、三十を五つほど超えた柴山という先輩の家である。

この柴山氏…。

うちの課へ来て3年ほどになろうか、生産増に対応するため雇われた派遣社員で、要領が良く、他の派遣社員がいなくなった現在においても首の皮一枚つながった状態で居着いている人物で、

(課の中で、最も仲がよい…)

そう思える同僚である。

早い話が、

「飲み友達…」

というもので、新潟出身だけあって飲む事は当然好き、ギャンブルも好き、それでいて甲斐性がない、典型的な、

「ふうてん野郎…」

である。

ゆえに、

(どうしようもねぇなぁー)

思う事が多いのだが、寅さんをイメージして頂けば分かって頂けるように、この類は実に気風(きっぷ)がよく、一緒に飲むには打ってつけで、気が付けば、

(また、今日も柴山さんと飲んでるなぁ…)

そういう感じなのである。

その日も柴山氏と何気なく飲んでいる時であったろうか、いつものように、

「福ちゃん、会社を辞める前に長岡に来なよ」

柴山氏が言い出したため、

「うん…、4月の頭にでも行こうか…」

返した事が、この家族旅行のキッカケであった。

柴山氏は、実家・長岡に嫁と4人の子を置いて単身赴任という状況で、隔週で帰ってはいるものの、その帰省費は馬鹿にならないし、バス・電車の乗り継ぎは非常に辛いものがある。

ゆえに、

「一緒に、車で長岡へ行こう」

言った、その事を、大いに喜んでくれた。

さて…。

それから、この週末を迎えたわけだが、

「土曜に出る」

言う俺達の声を、柴山氏は、

「待てない、一日でも早く、子供の顔が見たい」

と、打ち払い、前日の金曜、仕事が終わるや新幹線で長岡へ帰った。

(一緒に行けば金が浮くのに…)

思うが、

(無理もない事だ…)

とも思う。

柴山氏は、丸々二週間、子供や嫁と会っていないのである。

が…、福山家は、

「お世話になった上司達を社宅に招待する」

という予定があったため、やむなく柴山氏には勝手に帰ってもらい、帰りだけ乗せて行く事となった。

従って、福山家が家を出たのは土曜の昼過ぎで、長岡に着いたのは夕方である。

この日、この時期には珍しい豪雨で、群馬を越えると雨が雪になり、高速道路も規制により、ゆるゆると進まざるを得ない状況となった。

柴山氏の家へ行くのは、これで三度目となる。

家族で行くのは二度目だろうか。

長岡には友人の中でも異彩を放っていた『中川太陽』という友人が住んでいたため、頻繁に訪れており、

「ついでに…」

という事で柴山宅にも寄っているため、道子にしても柴山家と初対面ではない。

俺達が家に着くや、見慣れた4人の子供達が玄関に駆け寄って迎えてくれ、家に上がると、すぐに酒が出た。

挨拶をする暇もない。

座った10秒後には酒宴の開始である。

柴山氏と俺は、チビリチビリと杯を平らげ、いつものようにマッタリとした時間を送った。

道子にしても、久々に日本酒を楽しみ、

「あぁん、さっぱりしてて美味しいよぉ」

などと言っている。

が…、一人だけ、

(いつもと勝手が違う…)

そう思っている女、いや、赤子がいた。

春である。

いつもは、少しでも愛想を振り撒けば、

「かわいいなぁ」

間違いなく言われ、まさに春が中心に回るのだが、今日だけはそういうわけにはいかない。

他に、小さい子供が4人もいるのである。

上から、9歳、7歳、5歳、3歳と、まさに暴れ盛りの子供たちで、上二人が女、下二人が男である。

飲んでる最中ずっと、4人はとどまる事なく暴れ、俺と道子にちょっかいを出し続けてきた。

「おっちゃん、遊んでぇー」

「おばちゃん、遊んでぇー」

これに、俺と道子が食いつかないはずがない。

(なに! おっちゃんとな?)

すぐさま、足払いの後にコチョコチョをもって、ぎゃふんと言わせるわけだが、子供にすれば盛り上がるだけである。

「おっさん、おっさん、馬鹿ー!」

そのテンションは下がる事を知らない。

助けを求めるべく、父・柴山氏を見た。

と…。

「あんまり調子にのるなよー」

注意は促しているものの、こちらを見もせずに、実に安らいだ顔で日本酒を楽しんでいるではないか。

道子も愛娘・春と戯れねばならないところであるが、

(それどころではない…)

と、いう感じである。

春にしてみれば、道子や俺が知らない子供にとられた嫉妬心で、言うに言われぬ気持ちなのであろう。

ふぇんふぇん泣いているのだが、他の子のエネルギーに打ち消され、俺達の耳へは届かない。

「もう、福ちゃん、構わんでええって、飲も飲も…」

柴山氏が俺に救いの手を差し伸べた時、俺のエネルギーも底が見えそうなところであった。

「えぇー、遊ぼうよぉー」

4人の中でも、特に上から2番目の娘が俺を気に入ってくれたらしく、しきりに言ってくるが、

「いい加減にしなさいっ!」

父・柴山氏の一喝が飛んだため、場はやっと飲む環境になった。

が…、それも一瞬で終わる。

5分もせずに子供たちは前の通りに無尽蔵のエネルギーを放出し始め、場は、そのエネルギーで満たされた。

俺は、飲んでいる最中ではあったが、それらの一つ一つに反応した。

道子も同様である。

(子供の声とあらば、構わんわけにはいかんだろう…)

春との密接な付き合いから、その考えが出来上がっているのだ。

が…、柴山夫婦は違う。

いつものように冷静を保ちつつ、泣こう暴れようが、普通に飯を食ったり酒を飲んだりしているのである。

(なんと!)

道子はどうだか知らぬが、俺は瞠目せずにはいられなかった。

(これが4人も子供を持つ者の貫禄か…)

思うし、

(俺と道子は、子に構い過ぎる…)

そう反省せざるを得ない。

俺は、2番目の娘と柔道ごっこなどをしながら、

(春と接するように次の子も、また次の子も接していたら体がもたんな…)

思いつつ、チラリ、道子を見た。

道子は疲労の色を正直に露呈している俺と目が合うや、

「福ちゃん、子供を11人も作るって言ってるけど大丈夫?」

何ともいえないネットリとした笑顔を見せた。

(く…、くそぉ…)

現に、とてもとても疲れていたため、何もいえない俺ではあったが、辛うじて、

「それくらい余裕た…」

道子に強がって返すと、柴山氏の横へ戻り、酒を飲む態勢に入った。

が…、柴山氏は既に『眠るモード』に突入している。

「福ちゃん、悪いけど寝るわ…」

言うや横になり、イビキをかきはじめた。

「ちょっとぉ、俺は子供と遊ぶために新潟に来たんじゃないんばいー」

言うものの、寝ている柴山氏に届くわけがない。

スヤスヤ…、実に気持ち良さそうに寝ている。

結局…。

春がグズリ出したので道子も途中で寝、柴山氏の嫁さんも息子2人を連れて風呂へ行き、『娘2人に俺』という、娘にしてみれば、

「さあ、舞台は整った、遊ぼうよー!」

という環境が出来上がったため、

「俺も寝るけんが、また明日な!」

娘2人に言うや、俺も布団へ飛び込んだ。

眠るには最適な、

(実に、適度な疲労感…)

それに包まれている俺であった。

翌日…。

俺と道子は昼過ぎにでも帰る予定であったが、

「もうちょっと、子供といさせてよ」

言う柴山氏の言葉を受け、

「5時前までなら…」

そういう事で、有名なラーメン屋に行ったり、昨日同様、元気な子供と遊んだりして時間を潰した。

長岡を出たのは、約束通り5時である。

柴山氏にしてみれば、当然の事ではあるが、子供との別れが辛い。

「連休には帰ってくるからな」

そう言っていたので、次に会うのは3週間後という事になる。

念入りに、一人一人に別れの挨拶を交わし、重い動作で俺が待つ車に乗り込んできた。

「いこっか…、福ちゃん…」

その声は実に寂しげで、現に、少しでも長く子供たちといたいという事で、

「俺…、夜の新幹線で帰ろうと思うんだが…」

嫁に相談したという事らしいが、

「福ちゃんに乗せてってもらいなさい!」

と、却下されたらしい。

子供4人に道楽親父では、家計も楽とはいえないはずで、当たり前の事である。

柴山氏が乗り込んだ俺の車の後ろでは、嫁と子供達が手を振りながら立ち尽くしている。

「春ちゃーん、ばいばいー!」

その声も聞こえる。

柴山氏の『しんみり具合』が時を追う毎に度合を増す。

俺にしてみれば、送ってやる立場なのに、

(何だか、父を奪っているみたいで罪悪感を感じる…)

その思いで、アクセルを踏みかねている。

が…、出ないわけにはいかない。

ゆっくりとアクセルを踏み、車を出した。

と…!

(な! なんと!)

動き出した車の後ろを子供達が追っかけてくるではないか。

それも全力疾走である。

俺は、一言も発せない状態ではあったが減速し、

(柴山氏と子供達が目で何かしらを語れるように…)

と、配慮した。

柴山氏は手を振り、バックミラーから見える子供4人も力一杯に手を振っている。

(素晴らしい光景だ…)

思うと、何だか目頭が熱くなり、

(子供はいいもんだ…、やっぱり、多いにこした事はない…)

昨晩と反し、その確信を得た。

その夜…。

社宅で、久々に夢を見た。

それは、20年後の福山家の姿であった。

春そっくりの子供が20人おり、妙に老け込んだ俺が、昔造りの長屋に住んでいる。

「父ちゃん、遊んでよぉ」

20人の子供たちは、口々にそう言っている。

俺はそれを、しばらくは黙って聞いているのだが、ある瞬間、

「もうっ、体力が続かんぞぉー!」

叫び、その後、なぜか卒倒するのである。

ここで、髪が真っ白になってしまっている道子が現れる。

ネットリした笑顔で、倒れた俺の顔をマジマジと眺め、

「あら、お父さんが倒れちゃった、保険金が入るわよぉ」

言い放ったのである。

ここで…。

俺は、目が覚めた。

汗だくである。

隣を見ると、黒い髪の道子が寝ており、その横には一人だけの春もいる。

「夢か…」

呟きながら、額の汗を拭った。

時計を見ると、午前4時であった。

しばし、闇を眺めて呆然とした。

溜息と共に、無意識無想の言葉がもれるまでにそう時間はかからない。

「よかったぁ…」

しみじみと言った。

その事が現実でない事に、ただただ胸を撫で下ろしたのである。

が…、

(的外れとは言えない…)

その事も思う。

額の汗は、胸元まで滴っている。

俺は、それを拭いながら、

(子供の数だけ喜びがあり、そして苦労がある…)

その事を再確認したのであった。

子沢山の柴山家が新米の福山家に教えてくれたものは深い…。

 

 

衰え? (03/04/03)

 

先週末は、台湾より川原氏が一時帰国してきたため、小笠原という同期の家で歓迎会が開かれた。

この日は、

「泊りがけで飲む」

という事だったため、9時過ぎから飲み始め、午前2時過ぎくらいまで飲んだと思う。

いつものように焼酎お湯割ばかりを飲みつつ雑談に精を出し、布団が敷かれるや、バタンキューで眠りについた。

その翌朝…。

起き上がると、何ともいえない、

(もんわり感?)

これに内臓が満たされていた。

二日酔いの症状とはちょっと違う。

それに、二日酔いになるほど前の晩に飲んだ覚えはない。

が…、口で説明するには難しい、その『もんわり感』がどうしても消えない。

この日、家主である小笠原氏当人が、早朝よりサッカーの試合があるという事で、俺はついでに社宅まで送ってもらった。

その途中、小笠原氏も、

「なんか食べへん? ちょっと気持ち悪い…」

言い出したものだから、その症状を聞いてみると、俺と同じような『もんわり』であった。

「二日酔いとは違うんすよねぇ、なんすかね、これは?」

「お互い、年とったちゅうこっちゃ!」

話す二人の間には、4つもの年の開きがある。

(俺は若いのに…、なぜ?)

思わずにはいられない。

その後…。

川原氏は水曜まで滞在しているとの事で、更にアメリカからも草光という伊良部そっくりの同期が帰国していたため、

「飲まずにはいられないでしょう!」

そういう運びとなり、火曜日に会社前の居酒屋で飲む事になった。

幹事は俺で、その居酒屋に予約というシステムがない事から、俺は7時開始ではあったものの、定時後すぐ、5時から居酒屋で飲み始めた。

無論、後に駆けつける同期のため、場所取りである。

同期は7時になると半分ほどが駆けつけ、10時には全員が揃った。

駆けつける度に、

「かんぱーい!」

と、杯を合わせ、話も弾む。

が…、段々とテンションが落ちている男がいた。

俺である。

全員が揃った10時には、俺だけが5時間飲んでいる状態であった。

(なんの! 5時間くらい!)

思うのだが、内臓が重い、その事実だけはどうしようもない。

意識はハッキリしている。

酔っているわけではない。

酒量が相当にいっているかといえば、お湯割で焼酎を飲み続けたくらいで、まぁ、せいぜい五合瓶一本を空けたくらいであろう。

大した量ではない。

高専を出るや出らんの頃には24時間ぶっ続けで飲み続けたり、春休みの30日、全ての夜を飲むことだけに費やしたりしたものである。

(5時間や6時間、なんて事にゃーじゃにゃー!)

思うが、体は正直。

「ダメだよ、もー、ダメだよ!」

内臓が叫ぶのである。

その日…。

人生初ではなかろうか、俺は、皆を残して帰った。

また…。

話は変わるが、15歳からやっているパチンコにも、それはハッキリと現れている。

一昔前までは、朝9時半に並び、閉店の夜10時半まで飯も食わずに打ち続けていたものだが今は違う。

先日、学校時代のパチンコ族が長野より遊びに来たので、

「せっかく来てくれたから!」

と、道子を説得し、早朝より『パチンコ合宿』と題してホールへ向かった。

もちろん、合宿というからには、

(丸一日をかけて勝負だ!)

その思いであったが、昼の2時を過ぎる頃には、

(あぁー、駄目だ…、疲れた…、やめよ…)

と、大好きなはずのパチンコ(スロット)でさえ、切り上げる有様なのである。

「これを老いというのですか?」

最近の俺には、そう問わざるを得ない事が実に多い。

例えば、腹回り…。

体力…。

酒量…。

雰囲気…。

時々刻々と毎日に変化があるなかで、それはふとした瞬間にしか気付かないが、

(老いている…)

気付いてしまうと、否応なしの脱力感にさいなまれてしまう。

が…、

(気持ちだけでも若くありたいものだ…)

それだけは思う。

俺の座右の銘は、

「男はいつまでもピーターパン」

これである。

忘れずに、現実と戦っていきたいものである。

ちなみに…。

これを書く、俺の年齢は25歳。

部類は、

『ヤングマン』

これに属す。

その事も少しだけ悲しいのであった。

 

 

夜間病院と道子 (03/04/02)

 

水曜はバトミントンの日である。

週に一回、地区の体育館に集まり、バトミントンで汗を流す。

俺は、この日も定時で会社をあがると、

「道子、お前もバトミントン行くどで?」

聞いたものであったが、

「何だか、春ちゃんの熱が引かないんだよぉ」

との事で、今日は一人で行く事になった。

バトミントンは午後9時までである。

時間いっぱい、たっぷりと汗をかき、帰り際に脱いでいたフリースを拾うとポケットの中で電話が震えていた。

「もしもし」

何気なく出ると、それは道子からの電話であった。

「もうっ! 何回もかけたのに、なんで出ないんだよぉ!」

何やら怒っている。

聞けば、春の熱が40度を超えたらしく、

「病院に連れて行きたいから早く帰って来て!」

との事であった。

電話を切り、受信履歴を見ると、確かに8時30分から4度に渡って電話がかかっていた。

(こりゃ、ただ事じゃないぞ…)

思うと、俺はすぐに体育館を後にした。

さて…。

社宅へ帰り、春と道子を拾った俺は、雨で視界が悪い中を隣町・狭山の病院まで運んだ。

夜間病院には当番があるらしく、今日はここがそうだという。

中へ入ると、そこは病院だとは思えぬほどに静かで、泣いている子供が3人ほどおり、他には動くものが見当たらない。

ただ、視界は明るかった。

道子と春は受付を済ますとすぐに小児科に通され、俺はその後ろを付いていった。

小児科までの通路は、足音が響くほどに静かで、そこだけは暗い。

(病院が静まり返っていると不気味だなぁ…)

思ったが、小児科の待合室に入ると、それは一変した。

「チアノーゼのようですね!」

看護婦のこの声を皮切りに、叫び声にも似た『響く声』が嵐のように届けられたのだ。

ちなみに、誤解のないように言っておくが、これは春へあてられた言葉ではない。

先客にあてられたものである。

とにかく…。

静けさは完全に打ち払われた。

「病院を川越に移そう! ここじゃ駄目だ、救急車を呼べ!」

「はいっ!」

「酸素マスクもいるぞ!」

「親御さん、落ち着いてくださいね…」

そこは、慌しさの極みであった。

「先生も救急車に乗っていきますから、安心してください!」

「おいっ、聴診器! 救急車が来たぞ!」

「はいっ!」

集団が俺達の前を通り過ぎていった。

親御さんなのであろうか、青くなった若い男が抱いている赤子の口元には痛々しい酸素マスクが付けられている。

家族が見えなくなると、それに続いて白衣の医者が走り去り、看護婦も続いた。

そして、救急車の音が聞こえたかと思うと、救急隊員が慌しく現れ、子供と親、それに医者を救急車へ運んだ。

「子供は?」

「平成14年10月25日生まれです!」

慌しさの中に、そのようなやり取りが聞こえ、

(うわぁ、まだ半年の子じゃにゃー)

胸が痛くなった。

この時…。

春はというと、

「だぁーだぁー、だぁー?」

俺が見る限り、極めてご機嫌にはしゃいでいる。

俺と目が合うや手を振って笑うし、顔は少々赤いものの生気に溢れており、まさに『元気な子』にしか見えない。

「道子…、夜間病院に連れてくるほどには見えんのだが?」

あれだけ慌しい集団が通り過ぎた後だけに『それ』が際立ち、俺は道子に問わざるを得なかった。

「んー、車の中で元気になったみたい…」

道子にしても、この調子であった。

それからすぐに、春は看護婦に呼ばれた。

「小児科の先生が先ほどの患者に付き添って行かれましたので、緊急外科の先生が代わりに診ます」

看護婦は事態を説明すると、道子と春を小児科の隣・外科の診察室へ連れて行った。

俺は、部屋の外で待っている。

と…。

驚くほどの速度で道子と春が出てきた。

「早かったな」

言うと、道子は俯き加減で、

「元気ですねって言われた…」

そう呟いた。

(は…?)

俺は、言葉が出なかった。

呆然と立ち尽くしてしまった。

今は夜間受付、つまり緊急用である。

そこに、少々熱があるとはいえ、元気な子を抱えた家族が現れたという事になる。

それに、一時前の比較対照が何といっても凄まじい。

(わー、恥ずかしぃー!)

まさに、その事であった。

赤面の俺に、道子は一方的に喋りまくる。

「でもね! 喉を見てもらったら赤くなってたんだって! 何かしら症状があって良かったね、助かったよぉー! でもね、私ね、診察室を出る時に『こんなんで来て、ごめんなさい』って言っちゃった!」

一昔前、単なる下痢で救急車を呼んだ道子…。

彼女の伝説はまだまだ続く事であろう。

 

 

一歳の春 (03/03/27)

 

最近、長い文章ばかり書いていたので、筆休みに、

(愛娘・春の近況報告でも書くか…)

そう思う。

2002年3月17日に産まれた春は、何の問題もなく、すくすく育っている。

が…、母乳が終わった昨年12月頃からであろうか、少々病気がちになった。

病気がちといっても、それは一過性のもので、

(あ…、もう良くなってる…)

そんな軽いものではあるのだが、高い熱が出たり、白いウンコが出てきたりと、その心配は尽きない。

ペースでいうと、1月に2回、コンスタントにそれは訪れている。

春が初めて熱を出したのは、1月3日、和哉の実家で宴会をしている時であった。

突然、重たい二重目蓋になり、叫ぶように泣き出した。

熱を測ると38度を優に超えており、これが今まで何もなかった春に『何かしらの症状』が現れた瞬間である。

それから、同月の中頃にはインフルエンザにかかり、その後に発熱、二月には白いウンコを伴う風邪、同じく時を空けて40度の発熱と…。

休む事なく何らかの症状が表れており、その全てが、

(はしゃぎ回った後の事…)

であった。

具体的にいうと、それは、熊本へ帰省した後だったり、義母の実家・出雲へ行った後だったり、道子が流産した後だったりで…。

とにかく、集団にもまれた後にグッタリする傾向があるようだ。

ちなみに…。

そういう時の春は、きまってワガママになる。

このワガママ期間は大抵二日ほどで終わるのだが、その甘えようといったら、

(手におえん…)

父母が二人して白旗をあげねばならない状態となる。

さて…。

3月17日を迎え、春は一歳になった。

その愛らしさは、道子の言葉を借りると、

「もぉー、福ちゃーん! 春ちゃんは、どこの子よりもカワイイよー!」

そう評されるほどになっており、なるほど、俺もそう思う。

ぽてりと飛び出た腹、ぷくぷくした手足、質感のある頭、どれをとっても一級品だが、何よりもその愛嬌が素晴らしい。

この一年、親族をはじめ、延べ1000人以上にかわいがられた賜物であろう。

人見知りの「ひ」の字も見当たらない。

が…、一つだけ不安にならざるを得ない事がある。

病中だろうが何だろうが、どんな時であろうとも人込みにさえ連れて行けば、

「だぁーだぁー」

笑顔になるのである。

(なんという八方美人…)

これには、わが娘ながら末恐ろしく思わざるを得ない。

ちなみに親として推測するに、前述のワガママ期間の原因は、大好きな『宴会的環境』がパタリと絶えたため、

「寂しいよぉー!」

そう言わんがばかりに泣き叫ぶのであろうし、そこに『病原菌のつけいる隙』を与えているのであろう。

母・道子は、

「天下一の甘えんぼう…」

そういう呼び声が高いし、父・裕教は、

「類稀に見る寂しがりや…」

そう言われている。

春は、そんな二人の血を濃厚に受け、

(一体、どんな女になるのだろう?)

想像すると、『神田うの』が浮かんでしまった。

(いかんいかん…)

思うが、俺と道子に染みついているものは、どうしようもなく深い。

春は…。

今日も必要以上に飯を食い、ミルクを一気飲みすると、その丸い体をコロリと横たえた。

小さな手を赤い頬の横に添え、小さな寝息を発している。

最近の春は布団を蹴り上げる。

今日も例外ではない。

俺は、その布団をなおしながら、

(健やかに育て…)

その事を思うのであった。

 

 

秋の宿り (03/02/25)

 

悲喜爛々21「台湾へゆく」を書くにあたり、前もって書き記しておかなければならない事がある。

それが、今日の日記、「秋の宿り」である。

題目が抽象的で、日記の内容が予想し辛いだろうから、冒頭で、いきなり結論を述べさせていただくが、

『道子が2人目を妊娠した』

これは、この事が言いたいが為の日記である。

予定日は、9月の末で、現在、3ヶ月目という事になる。

俺と付き合いの永い読者方々は、

(よく、3ヶ月も言わずに我慢したな…)

そう思われるだろうが、別に隠していたわけではない。

現に、口頭では、ビシバシ言いふらしているし、無論、親族も知っている。

それでは、なぜゆえに今の今まで大々的な発表を行わなかったのかと言うと、

「書くのが面倒だった…」

その一言に尽きる。

春の時は、妊娠発覚の瞬間に悲喜爛々5「道子妊娠発覚」を書き上げ、出産の際は悲喜爛々12「出産」を、名付けの時は悲喜爛々13「名付け」と…、莫大な文字数とエネルギーを用いて大々的に伝えたものだったが、二人目となると、それだけのエネルギーを使って書く気が起こらないのである。

「何だか、妊娠したみたいだよー!」

道子がニヤニヤしながら言った、その時も、

「おー、そりゃ良かった」

これで終わりで、春の時みたいに、

「うおー! すぐに祝賀会だー!」

と、いう気分ではない。

嬉しいには嬉しいのだが、スタートダッシュをするために必要な、『新鮮味』が絶対的に足りないのである。

道子にしても春の時は、

「大事に大事に…、ね!」

なんて言いながら、遅い動きに輪をかけてマッタリと安全に動いていたものだったが、今回は、普段の動きと何ら変わりがない。

あえて変化をあげるなら、

「妊娠したから皿洗いを手伝え!」

と、妙に強気になった事ぐらいである。

このように、2人目が与えた影響は、

「福山家にとって皆無に等しい」

そう言えるし、日頃の日記で、それが重々分かってもらえると思う。

ちなみに…。

この事に関し、思いやりの心が深い俺は、一抹の不安を抱いている。

(2人目が大きくなって、この日記、もしくはホームページが読めるようになったら『私は愛されていなかった…』と、グレるかもしれんなぁ…)

その事である。

今、『春の部屋』と題し、写真もバンバン載せ、ジジババも、

「日曜は更新の日でしょー、早く載せろー!」

と、抗議してくるが、多分、2人目になれば、春ほどは見もしない事だろうし、作り手のやる気にも疑問符が付く。

コーナー名も『春の部屋』改め、『子供の部屋』となり、2人目の個人名は出ず、毎週更新なんていう現状の奇特な事態はありえない。

(2人目、怒るだろうな…)

そう思え、これが、3人目、4人目となると更に際立つ事になるだろう。

長男以外の方がハングリーに育つ、そう言われている意味が何となく分かった。

ちなみに、道子が気にしていたので言っておくが、

「春と2人目は年子ではない」

春が2002年3月17日生まれで、2人目の秋(仮名)は2003年9月生まれ、つまりは2学年差という事になる。

「もー、福ちゃん、年子は、こっ恥ずかしいよー!」

道子は、しきりにそう言い、続けて、

「年子じゃないって、皆に言っといてー!」

言うものだから、最後に付け足させてもらった。

さて…。

この事を述べておかないと、なぜゆえに『悲喜爛々21』が書けないのか…?

それは、出来上がったものを読んでもらう方が手っ取り早いので、あえて触れない。

が…、先ほどの不安の延長で、

(2人目の妊娠報告をこんなに短く終わらせて良いものか?)

その事は思う。

春の時、その妊娠報告は4500文字を要している。

これは、1000文字とちょっと。

(2人とも同じだけの愛情を注がないと…)

思うのだが、書く事が本当にないのである。

(ごめんよ、2人目…)

いちおう謝り、これを終わりにしたい。