多忙な日 (03/06/11)
週末は実に多忙であった。
先週金曜、課の送別会を午前1時過ぎに終えた俺は、翌土曜、午前7時には社宅を出ている。
土日は毎週水曜にやっているバトミントン(ミニテニス)サークル主催で、泊まりがけの送別会だったのだ。
7時過ぎに入間を離れた一行は、高速を使う事なく下道で川崎まで下り、そこから、
「都会的に遊ぼう」
という事でアクアラインを通った。
アクアラインを知らない方々のために説明を加えておくと、これ、東京湾を横断するかたちで千葉と神奈川を結んでいる高速道路である。
途中には『海ほたる』というパーキングエリアがあり、観光名所となっている。
無論、バトミントンサークル御一行も海ほたるに立ち寄り、都会の海風をゆるりと楽しんでいる。
さて…。
東京湾を抜け、千葉へ入った一行は、そのまま山中へ突入し、その頂にあるテーマパーク・マザー牧場へ走った。
無論、春を意識してくれ、そこになったのだと思う。
ここは、牧場というだけで凡その想像がつく通り、広大な自然の中に動物がうじゃうじゃいるところである。
園内あちらこちらで動物ショーが催されており、一部は遊園地になっている。
俺と道子は、この集団・バトミントンサークルの監督である岩井氏と、ご意見番である鹿内女史に、
「じいちゃん、ばあちゃん、春をよろしくお願い致します」
出鼻から春を預け、ショーを制覇したり、皆とゲームに奮闘するなどして、久々に有意義な時間を過ごした。
途中、お馴染みの後輩・今本などは、
「僕、バンジージャンプをやります!」
と、突然に言い出し、2000円を払って、その無謀とも思える勇姿を見せてつけてくれた。
また、ゲームの景品である『犬のかぶりもの』が欲しいために、緊迫した福山家財政から1400円も投資したり、豚のレースでアイスをかけて燃えてみたりと…、この間にくだらない話は多々あったが文量と内容の関係上、ここでは伏せておく事にする。
が…、後々の展開のため、一点だけ、道子の奇妙な行動にだけは触れておこう。
それは、今本のバンジーショーが終った後、少しの落ち着いた時に起こった。
俺は、この気だるい時間の隙を狙い、園外の小さな寺に足を運んだ。
寺は、まだ新しさの残る大きな佇まいのもので、堂の後ろには水子地蔵が所狭しと並んでいる。
脇には『抹茶をどうぞ』と書かれた看板があり、下へ通じる道があった。
堂や地蔵に手を合わせた俺は、抹茶をもらうべくその道を下り、巫女さんらしい若い女性に茶を要求した。
すると、巫女は、
「茶菓子付きで500円です」
などと冷めた調子でふざけた台詞を返してきた。
巫女に、愛想というものは皆無であった。
ゆえに、
「うっそー、金取るとー…、だったらいらんばい!」
と、吐き捨てるように言ってやり、駆け足で場を離れたのである。
と…。
そこで、一つの光景が俺の目に飛び込んできた。
黒服の者達が、派手な格好の者達と共に墓の辺りをうろついているのである。
これを取り囲むようにカメラや照明、マイクなども見えた。
「あれ、何の撮影ですか?」
近場の人に聞いてみた。
すると、
「ドラマの撮影らしいですよ」
近場の人は言う。
(なんだ…、ドラマか…)
ドラマを全く見ない俺が足早に寺を離れた事は言うまでもない。
さて…。
この報告を受けた道子であるが、俺の話を聞くや、
「えー、なにー、ドラマ撮影ー、絶対に見に行くよー!」
と、皆を引き連れ、寺の方向へ動き始めた。
が…、結局は、どの俳優が出ているのか、その事を掴みかねたようで、
「あー、もぉー、誰が誰だか分からないよ! きっとサスペンスものの撮影だよ、誰かが死んで、今から事件が始まるというところだよ! 間違いないよ!」
熱く現場を力説している。
俺には、この道子の血走った目、そして日頃は見る事のできない迅速さと熱っぽさ、これが理解不能なのであった。
ちなみに、この日記の最後、この事と同じような道子の不思議を書く事になる。
さて…。
マザー牧場を出ると、監督・岩井氏が予約した内房の宿へ移動した。
これにて、その日が終わった。
美味い魚と酒に舌鼓を打ちつつ、道子と俺のみは、
「これが奢りだと思うと更に味が際立つねぇ」
などと、別の意味でも旅情を楽しんでいる。
この日、久々に6時間以上も寝た。
翌朝…。
9時過ぎに宿を出た一行は、外房となる鴨川まで走り、鴨川シーワールドへ立ち寄った。
俺と道子は、昨日同様、監督らに春を預けると、ベルーガ、イルカ、シャチ、アシカ、順にショーを見物し、自由気ままに園内をうろつき、あっという間に午後2時という刻を迎えた。
そろそろ帰る時間である。
午後6時からは、課のお局・玉城女史のお宅(入間)でお食事会が入っているのだ。
ゆえに、
「3時には帰らんといかん」
そういう事から、足早にシーワールドを出、美味いと噂の寿司屋で飯を食い、ちょっと遅れ気味の3時半に鴨川を出発した。
玉城家に着いたのは、遅れて午後7時過ぎであった。
少々、疲労困憊の態ではあったが、玉城家の家庭熱を受けると何となく気持ちが盛り上がり、その息子夫婦、娘などを交え、午後10時過ぎまで絶好調で酒宴を続けた。
社宅に帰りついたのは10時半である。
「あー、疲れたー!」
転がり込むように大の字になる俺の横で、
「ふぃー」
とろんとした声をあげ、これも同じく大の字になる春がいた。
「おー、春ー、お前も愛想を振り撒き続けたから疲れたよなー?」
事実、春はどこぞで、
「かわいー」
そう言われながら、愛想を振り撒き続けている。(親からの目)
疲れたことであろう。
春と引っ付きながら横になっていると、ゆっくりと目蓋のカーテンがおりてきた。
その日は酒も充分に入っていたので服を着替える事もせず、ましてや風呂に入る事もなく、そのまま俺と春の意識は消えていったのである。
さてさて…。
その翌朝であるが、俺の休みはまだ終わっていない。
6月は月曜が年休消化で休みなのである。
この日…。
ドイツにいるヘススというスペイン人の同期から、
「アポスティーヌの手続きをやってくれないか?」
という、意味の分からないお願いを受けたため、東京は浜松町に出ねばならなかった。
話を聞くと、ドイツでこの手続きをやろうとしたヘススに、日本政府は、
「日本に出て、東京か大阪で手続きを行ってください」
そう言ったらしいのである。
ドイツにいる外人に「日本で手続きをやれ」という日本の対応に憤りを覚えずにはいられないが、まさしく、これは官僚の怠慢であろう。
「タヨリニナルノ、フクチャンクライシカイナイ…」
などと、これも頼りない片言の日本語ですがるヘススを、二枚目人情派の俺が断れるはずもない。
ましてや、ヘススは俺の結婚式の際に神父役を務めた男でもある。
「よし、ワイン一本で手を打った。その代わり、正しい日本語で、そのアポスティーヌなんやらのやり方を書き記し、メールで送ってくれ」
と、ヘススの願いを快諾したのである。
午前11時…。
一人で行くのは少しだけ寂しかったので、家族を連れて社宅を出た。
浜松町までは最寄の駅から一時間半かかる。
午後1時前に浜松町に着いた。
そこは、外務省の出張所か何かで、ものものしい警備員で満たされており、その脇に外国人が体育座りで待機していた。
(なんだ?)
思っていると、警備員が、
「手続きは1時15分からです。現在、昼休憩中ですのでお待ちください」
そのような事を言う。
(公務員は国民の奉仕者だろがぁー、サラリーマンが休憩する時にこそ開けろー!)
当然、その事を思ったが、小心者の俺は、
「はいはい…、待つ事にしましょう」
と、家族で廊下に座り込んだ。
手続きが終わったのは、1時半を優に回った刻である。
このまま帰るのもなんなので、シロガネーゼで有名な白金で、ランチでもして帰る事にした。
なぜゆえ、白金なのかというと、ここのメインストリート・プラチナ通りのレストランで友人が働いているからである。
友人の名を松本法明という。
昔、悲喜爛々で彼が行ってきた数々の悪行を公表したところ、本人以外の何者からか、
「やばいから消せ…」
という、ものものしい忠告を受けた事は記憶に新しい。
看護士の養成学校を卒業後、地元・山鹿の整形外科に就職したが、夜の街に溺れていってついには辞め、次いで完全に方向を転換し、コックの道を目指すものの、これも女と酒の絡むところから辞める事となる。
逃げるように東京へ出てきた法明は、池袋でパティシエ(デザート職人)として軌道に乗り、今、白金で有名な料理長の下、腕を揮っているというわけである。
今日は、その法明に、
「1700円しかないけど、たっぷり食わせて」
道子を始めとする甘え屋・福山家は、白金という金持ちの巣くう街で、プライドも体裁もなく甘えまくっているのである。
法明は、気持ち良く、こう言ってくれた。
「一円もいらん。好きなだけ飲んで食って帰れ」
この男は、昔から胸のすくような男であった。
末っ子らしく徹底的に人様に甘えるくせに、頼られれば自分の状況を顧みる事もなく、
「よし、俺に任しとけ!」
と、全てを負う。
これが長所であり短所であり、法明の人生を大きく揺さぶっている要因である事は本人も認めるところであろうが、俺は、法明のそこが良いと思っている。
ゆえに、
「変わらんなぁ、お前は変わらんなぁ…」
感動に打ち震えたのであるが、その横で、何やら道子は落ちつきがない。
「すぐそこに羽賀賢二がいるよぉ、写真を撮りたいよぉ」
そう唸っている。
確かに、それは俺も気付いていた。
柱を挟んですぐの奥のテーブルに羽賀賢二が座っていたのだ。
白金だから、別に不思議な事ではあるまい。
道子は言う。
「福ちゃん、春ちゃんと一緒に撮ってよ、撮って欲しいよー」
「やめろ、恥ずかしい、羽賀賢二ぞ!」
言い方は悪いが、
(羽賀賢二に騒ぐ奴はいないだろう…)
俺は、そういう風に思っていた。
が…、嫁・道子の動きは尋常でない。
「撮りたい、撮りたい、撮りたい、撮りたい、撮りたいよー!」
完全に駄々っ子である。
ついには、通りかかった奥様衆が、
「子供と撮ってください!」
そうお願いし、実際に写真を撮っている姿を見ると道子は爆発した。
丁度、厨房から白いコック姿で現れた法明に、
「法明君、写真を撮ってー!」
せがみ出したのである。
法明は、渋々ホールスタッフの友人を呼ぶと、
「ちょっと撮ってやって」
道子とカメラを差し出した。
ホールスタッフは、この店の常連である羽賀賢二と仲がいいらしく、
「あ、いいよ」
気軽に受けると、鬼の速さで髪を整え始めた道子にカメラの使い方を聞いた。
そして、羽賀賢二と何かを話すや、道子を呼んだ。
道子は遠慮なしである。
駆けつけるや羽賀賢二に春を抱かせ、自分はその横につくと、
「はい、いいですよー」
シャッタータイミングまで指定した。
写真は、『生後64週目の春の部屋』に追加として載せている。
是非、見て頂きたいと思う。
しかしながら、なぜゆえに女というもの(道子だけかもしれぬが)は、こうも芸能人に惹かれるのであろうか。
道子は羽賀賢二を発見した瞬間、こう言っていたのである。
「やっぱり、羽賀賢二じゃ燃えないよねぇー」
が…、結論はこれである。
俺には、この心理がまったく理解出来ない。
そうそう…。
理解出来ないといえば、道子は、送別会の嵐を迎えた俺に、
「もぉー、毎日毎日、飲み会ばっかり! 私には理解出来ないよー!」
このように言うが、道子の行動と比較すれば、俺の行動というものは理屈が通り、的を得ていると言わざるを得ないであろう。
さて…。
昨日は慣れ親しんだ西武ドームで、最後の野球観戦に家族で出かけ、見事、試合後にはダイエー応援歌を歌う事ができた。
今日は、先輩らが又もや送別会の名の元に飲み会を開いてくれるらしい。
多忙な日は…。
まだまだ続くようである。
ありがたや…、ああ、ありがたや…。
五年の重み (03/06/10)
総務に呼ばれた。
退職時に提出する書類の説明と、退職金の明細書を手渡すためである。
説明員に選ばれた総務のものは、一度飲んだ事のある顔見知りのギャルであった。
彼女は丁寧に税金の色々や書類の捺印場所を説明すると、最後に、
「退職金だけど…」
と、申し訳なさそうに呟き、一枚の紙切れを出した。
紙切れには『退職金計算書』と銘打たれている。
「おぉ、俺の五年間が計算されているわけだ…」
俺は感慨深げにそれを受け取り、穴があくほどに眺めた。
総務のギャルは言う。
「少ないよねぇ。こんなに少ない退職金、初めて見た…」
そこは顔見知りだけに遠慮がない。
ズバリと言ってくれたその結末、紙の一番下には『117400』と書かれていた。
一瞬、その額が117万4千円に見えた。
が…、よく見ると桁が一つ少ない事に気付き、何となく安堵した。
(ふぅー、11万円か…)
思った後に、
(え、11万!?)
俺の計算が思いっきり狂っている事に気付いた。
事前の福山コンピュータ算出によると、その額は29万円予測だったからである。
29万円の想定で、引越し代も、
「せめて退職金よりは安くしてよぉー」
と、業者にせがみ、10社相見積もりという手間隙をかけ、結果18万円ポッキリに抑えている。
その時、俺は思ったものだ。
(よし、退職金が11万円浮いた!)
が…、これでは話が違う。
(11万円浮くどころか、手取りが11万円じゃにゃー!)
事態は、一気に7万円の赤字に突入した。
「これ、まじ?」
念入りに総務のギャルに確認し、
「まじ」
と、工藤静香調の困った顔で返されては、俺も引き下がるしかない。
「ありがとーござんした!」
清水の次郎長風挨拶をかわし、場を去ったのである。
さて…。
まっすぐ仕事に戻るかというと、そこは福山裕教である。
手にした退職金計算書を見せるべく、同期が巣くう設計のスペースに立ち寄り、
「俺の退職金を見たい奴、集まれー!」
と、休憩所に同期や顔見知りを集め、お披露目会を行った。
すると、日頃から、
「俺…、会社を辞めようと思ってるんだ…」
そう呟いている男がそれを見るや瞠目した。
「これじゃ…、辞めれんよなぁ…」
俺の退職金計算書は一人のサラリーマンの命を繋いだ。
また、興味本位の男達の目線というものは、手取りだけでなく、その詳細までも読み解く。
「この報奨金が一円もないところは寂しいなぁ。会社からの『ねぎらい』がゼロという事だぞ」
と、言うものもいれば、電卓を用い、
「なるほど、そういう計算か…」
呟きながら、自らの退職金を計算し始めるものもいる。
年配者になると、
「5年で11万円は貰い過ぎだ! むしろ、教育費として会社に幾らか置いていくべきだ!」
そういう論もあり、これの見方はまさに十人十色であった。
が…、最初の事例の通り、この退職金計算書が会社を辞めたいと思っているものにとっては『命を繋ぎとめるもの』となった事は事実である。
ゆえに、俺はそれをコピーし、皆に『サラリーマンお守り』として分け与えたのであった。
さて…。
気になる嫁・道子の反応であるが、とても面白かったので、これを書き、短いが締めとさせて頂く事にする。
シチュエーションは、29万円だと思っていた嫁に、11万円の明細がそっと渡されたという絵である。
「はい、道子」
「なにこれ?」
「なにって、退職金計算書」
「…」
「…」
「…」
道子の反応は…。
そう…、絶句であった。
そして、その道子の反応を受けた俺も絶句。
家庭に会話が失われた瞬間であった。
道子は、この件に関し、今尚、語らない。
それゆえ、俺の心は、
「何か…、何か言ってくれよー!」
そう悶えるのであった。
熟女の雑談 (03/05/29)
出社する時…。
いつも同じ場所に、同じ熟女の集団を見かける。
熟女らは、子供を引き連れ、何やら世間話をしているようなのだが、多分、
(ゴミ捨ての後、ここに待ち合わせて井戸端会議をしているに違いない…)
俺はそう睨んでいる。
俺の出社時刻は午前8時35分である。
ちょっと人よりも遅い。
が…、起きるのは大抵8時くらいで、起きるや茶を飲むために冷蔵庫へ向かう。
そうすると、冷蔵庫はベランダ側にあるゆえ、必然的に外の景色が目に飛び込んでくる。
と…。
(あ…、今日もいる…)
熟女の集団が同じ場所に立っているではないか。
つまり、彼女らは最低35分以上、あそこで立ち話をしている事になる。
(朝っぱらから、いったい何を話しているんだろう?)
そうなると、俺の興味は知らず知らずと熟女達に注がれる事になる。
横を通る時、何となく近くを歩いてみたり、その際、聞き耳を立ててみたり、平日で会社が休みの時などは、いつまでいるのか観察してみたり…。
すると、恐るべき熟女の動向が薄っすらとではあるが分かってきた。
彼女らの会話の大半を成しているものは、
「ちょっと、今日はこれが安いのよぉ!」
というものであった。
一例を挙げてみる。
「聞いてよぉー、今日、ヨークマートで卵が1パック100円なのよぉー」
「なに言ってんのぉー、ヤオコーのタイムサービスなら89円よぉー」
「うっそー、でも、あそこの品質悪いっていうじゃないー?」
「そんな事ないわよぉー、私の旦那、美味しそうに食べてたわよぉー、卵は卵よー」
「そぉお…、それならバイゴーで、たまに85円で売ってるじゃない、今日、85円のはずよー」
「え! それは買いね!」
ああ…。
書いていて、
(何と…、くだらない…)
その事を思う。
たかだか15円の情報を得るために毎朝30分以上の労力を使うくらいなら、それを労働力に変えたほうが余程に有益だと思われる。
それに、
「何でも安いものは旦那に毒見をさせるべきよねぇー」
みたいな事を、白昼堂々と言い放っており、恐ろしささえ感じる。
多分、熟女達の旦那には5千万近くの保険がかけられているに違いない。
また、熟女ゆえ、その旦那は係長層、もしくは課長層で(予測)、住み暮らしているのは社宅の中で最も豪勢なつくり(ダントツ)の1号棟である。
金は有り余っているいるだろうに、その会話の意が俺には全く掴めない。
次に…。
熟女達がどれくらい長く話しているのか…、その事を観察するに平均40分は話し込んでいる模様である。
長い時には1時間ほど話している事もあるようだ。
あの話題をそれだけ長く話せる熟女の話術には圧倒されるものが、納得はできない。
ちなみに、これは熟女だけの話ではない。
道子が属する社宅若奥様クラブ(会長:山本嫁)にしてみても、その片鱗は大いに窺える。
底値研究家ともいえる山本嫁を中心に繰り広げられる、
「えー、うっそー、それは安いよー!」
「あー、しびれるわね、そのプライス!」
そんな会話を永遠繰り広げる女の心中は、男には到底掴み辛いものがある。
(彼女らも、いずれ、あの熟女のようになるのだろう…)
その事を思わずにはいられない。
しかしながら…。
ここへきて、拭いきれない疑問が幾つも沸く。
彼女らは、それが安ければ町境・県境を越える事になろうとも迷わずにゆく。
それが本当に安いのであろうか?
(10円安いものを見つけたとしてもガソリン代で相殺されるだろうに…)
その事を思う。
また、シャンプー・リンス・ティッシュなど、消耗品を臆する事なく使いまくり、
「これ、5円安く買ったのー、だから気兼ねなく使えるよぉー」
ある背の高い女は言うが、
(使う量を減らしたほうが得じゃないか?)
そう思うのは俺だけだろうか?
とにかく…。
他にも疑問は多々あるが、語ると長いゆえに、
(女というものは、まったくもって謎だらけ…)
そういった一般的な男心でまとめておく。
ちなみに、熟女であるが…。
最近は会社帰りにも見かける。
朝とは場所を変え、また同じメンバーで何やら話し込んでいるようである。
(はぁ…、よくやるばい…)
思いながら、聞き耳を立ててみた。
「今日、パンの耳をタダで貰ったのよぉー」
「うっそー、あれって揚げるとおいしいのよねぇー」
「ただってのが、また美味しさを引き立たせるのよぉー、今日の夕飯はこれに決定ー」
「あー、笑えるー」
笑えない俺は、
(世の中はどうなってんだ?)
憤り露わに道子と春の待つ社宅へ帰ってゆくのであった。
福山家は、結婚4年目に突入している。
級友の圧 (03/05/26)
5月24日…。
新婚の後藤夫婦を拾った福山家は、長野は松本市・高ボッチ高原というところを目指し、埼玉を出た。
時は、午前9時過ぎである。
八王子から中央道(高速)を用いて行けば早いのであろうが、混んでるであろう事と、新緑の時期という事で、奥秩父の山を越えていくルートを選んだ。
途中、山桜で満開の山道を抜け、三峯という有名な神社に立ち寄った。
ここにいる者の平均年齢は25歳である。(春を除く)
「この歳になっと、こういう山深い寺の良さも分かってくんね。山桜にしてもそうばい。昔だったら、わざわざ立ち寄る事は考えられんじゃにゃー」
熱血派の後藤が、新妻の嫁と微妙に手を繋ぎながら言った。
どのように微妙なのかというと、がっしりと繋ぐわけではないのだが、小指と小指が絡み合っており、それを惜しみなく振りながら歩くという…、
「もっと、しっかり掴め、その繋ぎ方は何となくいやらしいぞ…」
そう突っ込みたくなる具合である。
が…、突っ込めば虚しくなるので、いちおう、胸の中で突っ込んだ。
(新婚だしね…)
ちなみに、ここは来訪者の平均年齢が60をこえるような場所ではあるが、実に刺激的な土産物が売ってあった。
これに目がゆくところなんか、俺も後藤も若いがゆえの事であろうが、ものは『オッパイボール』なるものである。
どのようなものなのかというと、赤いスライムのようなものを薄いゴム皮膜が覆っており、それにリアルな乳首が付着されたボールである。
俺は、それを見た瞬間に、
「む、むむむ!」
瞠目し、すぐさま手に取り、その感触を確かめるや、
「むぅん…」
唸り、握ると血が通っているかのように赤く染まる見た目に、
「な、なんと!」
と、すぐに購入する事を決めた。
値は400円である。
安いとはいえない。
が…、その価値はじゅうぶんにある。(俺と後藤の判断)
俺と後藤は、これを天然王・太陽への土産とする事に決め、車中、しきりに触った。
さて…。
峠を越え、山梨県の県庁所在地である甲府へ出た一行は、そこから中央道(高速)に乗り、長野へ向かった。
長野からの連絡を聞くと、他のメンバーは既に現地に到着しているという。
ちなみに、到着組からの連絡は携帯からではない。
宿の据付電話からである。
無論、宿の場所が田舎過ぎるゆえ、電波が入らず、このような連絡方法を取らざるを得ないのだ。
(ほう…、それは期待できる…)
俺も後藤も、また今回、俺のために集ってくれている連中の大半が熊本出身で、
(田舎はいいよぉ…)
その思いが強い連中ゆえ、それはありがたい環境といえた。
ちなみに、この日…。
集まる連中の数は18人であった。
幹事は、すっかり馴染みとなってしまった破壊王・大津で、先ほど述べたように天然王・太陽、慢性アル中・今本など、その他、知られざる個性派が多々揃っている。
基本は、
「俺が埼玉を出る前に、高専の級友を中心に集まるばい!」
というもので、それに付随するメンバーである。
後藤家を乗せた福山号は、午後5時半過ぎに宿へ着いた。
今時、携帯が入らないだけあって、
(なるほど…)
素晴らしい環境に宿はある。
先着組はブワボール(柔らかい野球ボール、熊本ではそのようにいう)を用いて、ハンド野球(バットを使わない野球)をやっている真っ最中であった。
「おしゃーぞ、お前らぁー!」
皆の罵倒が飛び交う中、俺は、そのハンド野球自体を、
(なつかしゃーねぇー…)
その思いで眺めた。
が…、ハンド野球に加わる気はない。
6時半から飯で、それが始まり酒が入れば風呂に入れなくなる事は容易に想像がつく。
(まずは、酔う前に風呂に入らんと…)
と、その事を急いだ。
風呂は、綺麗で大きいとはいえないが、充分な風呂が二つあり、一つは露天である。
効能は、
「健康にいいです」
そういった漠然とした張り紙がしてあるように、万病に効くようではあるが、何ともいえない。
お湯に特徴はなかった。
ちなみに、これは地元の宣伝となってしまうが、俺の地元・山鹿は温泉街で、有名ではないが、その湯質というものは、
「黒川にも由布院にも草津にも登別にも勝る!」
と、言い切れる。
ヌルリとした湯が体にまとわりつき、埼玉出の道子に言わせると、
「体がしっとりするんだよー、こんなお湯、初めてー!」
だそうで、苦しんでいたシモヤケも、湯に浸かった翌日には治ったそうである。
温泉通の方々には是非一度、足を運んでもらいたい湯である。
さて…、話を戻す。
風呂へ向かう際、誰かしらが、
「隙間が多いし、露天風呂なんかは男子風呂と筒抜けだよぉ」
そう言っていたが、なるほど確かに露天風呂は余裕で覗ける構造であった。
が…、学生ではあるまいし、いい大人が、
「いぇーい!」
などと覗くのは馬鹿らしい。
やるとすれば、太陽くらいのものであろう。
俺は、露天風呂へと出るや、目の前の池や山々を眺めつつ、ゆるり湯に浸かり、山から吹き下ろされる風をまったりと楽しんだ。
野鳥のさえずりがあちらこちらで響き、気温も暑過ぎず寒過ぎず丁度よい。
「あぁー、極楽、極楽…」
俺は、思いっきり伸びをしたくなり、うつ伏せのかたちで、上体を思いっきり仰け反った。
と…、その時である。
「あら…?」
という、女性の声がどこからか聞こえた。
かなり歳のいった声である。
俺は、状態を保ったまま、声の方向を見た。
すると、丸々と肥えたおばさんが、低い石壁のところから顔を出しているではないか。
「あ…」
俺がその声を漏らすと同時に、おばさんも一瞬沈黙したが、すぐに我に返ったのだろう、
「あらっ、間違えたわぁ、ごめんなさいねぇ」
言いつつ、頭を引っ込めた。
おばさんは、何を間違えたというのだろう。
この疑問は、永遠に解ける事はない。
さて…。
湯から出、しばし夕風に涼をとった俺は、浴衣のまま宴会場へ向かった。
6時半である。
30畳ほどの広間に豪勢な料理が並んでおり、そこへ総勢18名の縁の者達が料理を囲むように座ると、それは壮観なものがあった。
「はぁー、すごい料理だねぇー」
道子が言うように、料理は刺身を始め、熊本の名物でもあり長野の名物でもある馬刺しや海老の天ぷらなど、もの凄い量が、ところ狭しと横広のテーブル上に並んでいる。
会は、幹事である大津の乾杯発声により始まった。
と…、同時に、場は熊本弁で満たされる事になった。
ここで、メンバーを紹介し、合わせて出身地も紹介したい。
まずは、関東より駆けつけた者。
・福山夫(熊本)福山嫁(埼玉)福山娘(埼玉)
・後藤夫(熊本)後藤嫁(福岡)
・坂田夫(熊本)坂田嫁(新潟)
・大津(熊本)淵上(熊本)伊東(熊本)大崎(熊本)今本(鹿児島)
・岩間(埼玉)矢内(埼玉)
次に、中部より駆けつけた者。
・太陽(熊本)松井(熊本)
更に、ここ長野より駆けつけた者。
・皆本(熊本)村上(熊本)
つまり、11人が純粋に熊本出身で、春や今本、後藤の嫁などを入れるならば、77%が九州出身である。
当然、場は、
(ここは長野か…?)
瞬く間に、そういう状況となった。
そもそも方言というものは、時間を置いて寄り集まると、なぜかそこに得もいわれぬ熱が生まれる。
昔話や、現状の報告に男達は酔っているのではない。
その、体の芯まで染み渡る『言葉』に酔っているのだ。
ここに、埼玉人や新潟人もいる事にはいるが、彼女らがどういった心持ちで『この会』を見やったのか…、その事を俺は知らぬ。
いずれ道子か、もしくは矢内嬢という活発な女史が報告してくれる事であろう。
とにかく…。
場は、大そうな盛り上がりを見せた。
そして、これは思いもよらぬ事であったが、皆は、俺にプレゼントなるものも用意してくれたらしい。
後輩の今本が、大き目の袋を提げて現れると、俺は前に立たされ、それを皆の前で受け取る運びとなった。
袋は、有名デパートのもので、中身は美しく包装されている。
俺は、それを皆の前でむしり開けた。
中身は和の衣装・作務衣(さむい)と下駄であった。
多分、これより『もの書き』を目指す俺に、
「プロ意識を持て!」
というメッセージが、これにはたっぷりと込められているのであろうが、いかんせん、
(作務衣は陶芸家とか彫刻家の服だろ…、小説家は和服じゃにゃーとかね…?)
俺は、その事を冷静に思った。
が…、皆の思いは痛いほどに伝わったし、これは、かなり欲しかったものでもある。
特に下駄などは、旅行に行くたびに、
「おい、道子ー、これ買ってくれよぉー」
ねだっていたのだが、嫁に耳すら傾けてもらえなかったという代物である。
ゆえに、感動に打ち震え、
「ありがとう、俺がもし、とてもとても売れたなら、ここにいる皆を銀座で奢ってやる!」
条件付なだけに、声高々と宣言した。
この文を以って、正式な約束とさせてもらいたい。(可能性は極めて薄い)
さて…。
以下、旅行終了までの概要に触れてゆきたいと思う。
この日…。
10時半に宴会場を追い出された一行は、まだ飲めるものだけが部屋へ集い、余った酒を飲み干した。
酒は、一滴残らず綺麗に空いた。
この宿は良心的だったようで、ビールから焼酎から何から何まで持ち込み可で、全てを幹事である大津の裁量で持ち込んでいる。
それが午前1時前くらいに空ききると、田舎ゆえに、
「さ、次…」
これはあり得ず、眠るしかなかった。
幹事の大津が言うには、深夜、男だけの愚行に及べなかった事だけが、
「福山という男を送別する見地から、最大の反省点と認めざるを得ない」
という事である。
この事に関し、俺は黙秘権を行使する。
ちなみに、後藤と買ったオッパイボールを土産として渡された太陽は、
「いらんばい、馬鹿にすんなよ!」
と、俺達の土産を退けた。
ゆえに、オッパイボールは俺が貰う運びとなった。
さて、翌朝…。
旅館を出てからの動きであるが、俺以外の既婚組は、
「すぐに帰る」
そういい出し、一部のパチンコ狂は、
「P合宿に行かにゃんど!」
熱をもって言い出したため、この日の使い方を3つに分けた。
一つは帰宅組、一つはP合宿組、一つは長野観光組である。
ここに集まってくれた級友達との思い出は、パチンコなしでは語れない。
ゆえに俺は、道子に後ろ髪を引かれつつ(慣用句ではない)、しぶしぶP合宿組に参加した。
が…、軽く負けた。
これにより、俺のその日は観光組に転向する事となり、同じく瞬殺でやられた今本と近場の松本城を観光する事にした。
松本城は国宝である。
別に、城が素敵だとか優雅だとかいうわけではない。
単に、明治維新や世界大戦を生き残ったからである。
ちなみに、始めて知ったのであるが、国宝の城は四つしかない。
松本、犬山、彦根、姫路がそれで、重要文化財は、弘前、丸岡、松江、高梁、丸亀、松山、宇和島、高知である。
意外な事に、熊本城や大阪城や名古屋城、これらは何にも属しておらず、どれも内乱、もしくは世界大戦で焼け落ちた…、という事らしく、松本城は、運良くこれらの戦火を掻い潜ったという事らしい。
が…、熊本城を見慣れた俺からすれば、
「うわー、ちっちゃー!」
という感想こそ持っても、感動するはずがない。
むしろ、この近辺で行われている祭り、その用品の展示の方が心惹かれた。
それは、『おまんまら様』という男根を模った巨大な木であった。
祭り自体は、子供が『おまんまら様』を股間に当てながら祈るという、何とも理解し難い祭りなのであるが、その『おまんまら様』があまりに精巧に出来ているため、
「むぅ…」
今本と共に、唸らずにはいられなかったのである。
とにかく、松本観光で盛り上がったのは、そこくらいのものであった。
それから、帰った名古屋組と既婚者組を除く全員が地元・皆本の薦める居酒屋に集まり、昨日の如く飲んだ。
それが終わると、午後9時過ぎとなっていた。
皆、サラリーマンゆえ、明日、月曜は早朝より仕事である。
関東組は、今から帰るならば家に着くのは午前様になろう。
が…、福山家は、その事を意に介さない。
明日は休みなのだ。
これより退職まで、毎週月曜だけは休みとなっている。(年休消化による週休三日)
福山家は、
「夜帰るのもきついけんが朝方帰ろう…」
そう決めると夫婦で飲み、皆を送り出した。
嫁・道子は、別れ際、今回の旅行の幹事・大津にこう言ったという。
「そういえば大津君…、福ちゃんにはプレゼントがあったのに、私には何にもなかったね。私、みんなの事、相当、お世話したよね、待ってるから、まだ時間はあるし…」
大津がこの言葉をどのように受け止めたのか…、それは知らぬ。
知らぬが、
「頑張れ…」
その言葉を送りたいと思う。
彼は、この日の飲み会前にパチンコで買ったゆえ、その飲み代の大半を出し、福山家に大いに報いたのであったが、それでも前述の脅迫を道子より受け、更に、道子の実母には、
「トイレを壊したでしょ、老後、世話して…」
そうも言われている。
そのプレッシャーは計り知れないものであろう。
また…。
プレッシャーといえば、今回、集まった人達から、俺も『プレッシャー』を頂いた事になる。
なにせ、15人の熱い心が詰まったプレゼントを頂いたわけである。
中身が作務衣と下駄であったという事も、俺にすれば、
(重いなぁ…)
そう思わずにはいられない。
天然王・太陽などは、
「それ、高かったんだけんね、藍染ぞ藍染、イェイ、イェイ!」
などと、俺をからかってくる有様で、実に始末が悪い。
が…、事実、
(級友の圧を重く受け止め、一歩づつ前へ進まねばならない…)
そう思う。
さて…。
そういうわけで、福山家が入間に帰ったのは、月曜の午前7時前であった。
関東は、あいにくの雨であったが、その明けてくる空を見るに、久々に、
(遊び過ぎた…)
その疲労感を感じた。
実に心地よい感じではあった。
俺は、口下手で恥ずかしがり屋なために、こういった場を借りてしか、その意を表せないのであるが、集まってくれた皆には、本当に感謝している。
特に、幹事の大津に対しては、感謝の意と哀れみの意が微妙に交じり合い、何だか、泣き出してしまいそうな『変な気持ち』にすらなってきた。
とりあえず、福山家代表として、集まってくれた皆に礼を言いたいと思う。
「あっりがっとさん!」(あくまで卑屈)
また、俺が山鹿(実家)へ戻り、一時、居候という肩身の狭い身分になってしまうが、そこは気の良い富夫・恵美子ゆえに遠慮なく来て欲しいと願うところで、たまに春日部に上京してきたら、そちらへも来て欲しいと思うところである。
とにかく、
(歳をとるという事も、まんざらではない…)
今回、その事をしみじみ思った次第で、
「この旅行でついた脂肪も、大いなる財産よなぁ…」
俺と道子がそのように語った事を報告し、ひどく長い日記を締める事にする。
雑談から思ふ (03/05/23)
今日は、とりとめのない雑談を幾つか書き、それで終わりにしたい。
まずは前の日記で書いた『新入社員との飲み会の話』である。
これ…。
結局は、皆と談合を重ねた末、
「第一工場で研修をしている者だけを呼ぼう…」
という、遠慮気味な歓迎会となるに至り、集まった新入社員の数は3人となった。
が…、その分、内容は濃い。
いつもの居酒屋・かずさで、5時間ほど酒食を楽しんだ一行は、酒豪・白根氏の、
「全員、裸で付いて来い!」
という『頼もしい言』を受け、そのまま高級バーへと流れた。
家に帰り着いたのは午前2時である。
酔ってフラフラになった体を制しつつ、音を立てぬよう静かにドアを開けた。
室内は真っ暗で、奥に見える小さな灯りだけが俺を誘ってくれた。
灯りの下には、道子と春の寝顔がある。
(よしよし…)
頷きながら、俺は、その布団へ静かに滑り込んだ。
が…、その翌朝、
「なんだよー、昨日は2時くらいに帰ってきたでしょー!」
一度も目を開けなかった道子が、爛々と輝く目でこの事を言い放った事に、俺は困惑するしかなかった。
(何でだ…、イビキをかいて寝てたのに…?)
母というありがたい生きものは、時として恐ろしい能力を発揮する…、その事を又もや身を持って知る事になったのである。
さて…。
新入社員であるが、一人はアメリカ帰りの26歳で、何となく久保田利伸に似ている男であった。
これは、時の人となっている今本が連れてきた新入社員である。
なぜゆえに時の人なのかというと、今本は、先々週の土曜、飲んでいる際に救急車で運ばれたらしい。
無論、急性アル中である。
飲み会は、単なる飲み会でなくコンパで、更に今本は幹事だったらしい。
24歳の今本は、これで急性アル中(そのようなものも含める)になったのは三度目で、皆に言わせると、
「こうなると急性じゃない…、あいつのは慢性だ…」
となり、類稀に見ぬ『慢性アル中の男』として脚光を浴びている真っ最中である。
ま…、今本の紹介をしても始まらぬので、新入社員へ話を移す。
二人目の新入社員は、車好きの24歳で、九州工業大学を卒業したばかりの『今時顔』の男である。
今時顔というのは、小顔で茶髪の風を指している。
今時ゆえに、何となく、
(もてそう…)
で、
(けっ…、気取りやがって青二才が…)
妬み満々そう思ったが、
「僕、車が好きで、ほとんどそれに散財してます。そして、彼女はいません…」
などと、かわいい顔の少年が言うものだから、俺の思いは一変した。
まず、車が趣味と言い張る近場の男で、もてている男を見た事がない。
たいてい、
「異性を、助手席に乗せたいんてぇー!」
俺を助手席に乗せつつ叫ぶのが関の山である。
また、「彼女がいない」と照れ臭そうにいう仕草もなかなか新入社員らしくて好感が持てる。
「よしよし、飲めよ食えよ…」
俺は、今時顔の彼にも、久保田利伸似の彼にも、ぐいぐいと酒食を勧めた。
この脇に、もう一人、新入社員がいる。
前の日記で、得意科目を『国語』と書いていた北海道出身の男である。
彼は、二十歳で、俺の後継ぎとして生産技術課にくる可能性が非常に高い男である。
風貌は、お笑いタレントのヤベタローそっくりで、股間こそ触らないが、眠そうな面構えや、ぼうず頭は瓜二つである。
俺は、こやつを見た瞬間、
「むむむむ…!」
筆にも口にも尽くし難い、悪寒のようなものを感じた。
男は、ビールを手渡されると、口を付けただけで止め、
「僕、ビールは苦手でして…」
蚊の鳴くような声でそう言うと、
「じゃあ、何を飲むんや?」
問う先輩らに、
「日本酒です…」
そう返した。
最初から「ビールは飲めない、日本酒を出せ」とは、なかなか根性が据わっている。
日本酒を与え、ビールは「処理班」と呼ばれて久しい安永職長に飲み干してもらった。
飲み会は続き、前述の男二人が盛り上がってゆくのに対し、ヤベタローだけは口を半開きにしたままテレビ鑑賞をしている。
「おい、遠慮せずに飲め、食え!」
言うが、
「寮の飯を食べてきましたのでぇ…」
とか、
「僕、強くないですからぁ」
まさしく、ヤベタローらしく、ふにゃりふにゃりと受け返す。
(むぅん…、なんと唯我独尊な男だ…)
思うと同時に、
「入社当時の今本を思い出す…」
皆が口走るように、俺もその事を思った。
が…。
ヤベタローの驚くべき行動力は『席の抜け方』にあった。
結局、二杯しか飲まなかったヤベタローは、ある瞬間、手を上げると、
「僕…、酔っ払って吐きそうな感じがするので帰ります…」
弱々しい声で言い置くや、しっかりした足取りで帰って行ったのである。
俺が唖然とした事は言うまでもない。
そして、
(今本は、これを見習う必要がある…)
そう思った事も、言うまでもなかろう。
さ…。
ここまで書き、雑談という題目通り、幾つか書くべき事を考えていたのであるが、
(明日は旅行だし…)
止める事にする。
どうせ、内容は「栗田貫一のコンサートへ行った話」「初めて春を人様に預けた話」「久しぶりに一週間出勤して楽しかった話」で、無論、身はない。
今、さらりと書いただけで内容の詳細が分かってもらえた事であろう。
が…、明日が旅行という件に関しては軽く触れ、そのまま、この日記は『流れ解散』という事にしたい。
明日は、関東に住む熊本電波高専の級友達が、長野で送別会を開いてくれるらしい。
なぜゆえ長野か、なぜゆえ泊まりなのか、そこは幹事である大津のみが知るところであろうが、招かれたゆえに、福山家は張り切って行かねばならない。
ちなみに大津という男は、例の、道子実家のトイレを壊した男である。
義母に、老後の面倒を見るように言われた憐れな男でもある。
送別会といえば…。
先週は、会社同期が室内BBQで持て成してくれ、そこから送別会、送別会、送別会…と、退職の6月20日まで送別会の目白押しとなっている。
無論、俺に凄まじい人脈があるわけではない。
俺が「やってくれ」と裏で嘆願したのである。
が…、埋まった予定表を見ていると、その裏工作を忘れ、
「うーん、埼玉も捨てたもんじゃなかった…」
と、しみじみ、その5年間を振り返ってしまう。
気が付くと、ヨークマート一軒しかなかった社宅周辺には、メガネスーパーが建ち、イタリア料理店が建ち、大型ショッピングセンター・ジャスコまで建とうとしている。
さすがにベットタウン埼玉。
(ドーナツ化現象をアリーナで体験…)
実にいい経験をした。
道子は言う。
「もぉ、ジャスコでショッピングを楽しみたかったよぉ! ジャスコと入れ違いじゃん!」
確かに、入れ違いではある。
が…、これにより、社宅周辺は渋滞、治安の悪化、大気汚染、その他諸々の問題が出てくるであろう。
それを自然がいっぱいの熊本から悠々と眺め、
「渋滞って何?」
そう言える素晴らしさが、女には分からないものであろうか。
分からないのであろう。
でも、分かって欲しい。
…。
さ…、そろそろ流れ解散とする事にしよう。
でも、最近の俺の所感を、自然体で述べてから終わりという事で…。
「上に、列記しとるような毎日の細かな出来事がたい…、俺に、関東を離れる日が近付いとる事を感じさせてくれるんて…、嬉しゃーような寂しゃーような…、ばってん、たまには、こういう身辺の変化がにゃーといかんしねぇ…」
俺は明日、長野へ流れる…。
新入社員を捕まえよう (03/05/21)
新入社員を見ると、
(一杯、奢ってあげたい…)
その思いが沸々と込み上げてくるのはなぜであろか…。
此度も、例外ではないようである。
一昨日から、03年度の新入社員が工場で研修を始めたのであるが、それを見ていると、
(うんうん…、なんとフレッシュな事よ、俺にもそんな時代があった…)
などと、5年前の自分を思い出し、気が付けば鼻の穴が広がっていたりする。
真新しい作業着に身を包み、遠目から見ても、
「ふふふ…、何とギコチナイ…」
その事が一目で分かる落ち着かない挙動に『彼らの心境』が現れている。
入社するや北九州で研修を受けた俺も、丁度この時期に埼玉へ移ってきた。
今、目の前にいる彼らも、あの時の俺達と同様に、内は不安と期待で満ち満ちている事に違いない。
(よし…)
彼らを見ていて、奢りたい気持ちを抑えられなくなった俺は、迷わず現場の職長である安永氏の元へ赴いた。
新入社員は総勢7人である。
少人数ではあるが、彼ら全員を奢るには、それなりの財力がいる。
無論、細々と小遣い制で生きている俺には、その財力はありえない。
ゆえに、奢る頭数を揃えるべく駆け寄ったのだ。
安永氏は、
「彼らの不安を取り除いてやらんといかんばい!」
という、俺の嘆願を受けると、快く、
「のった!」
そう言ってくれ、更に、
「だが、頭数が足りない、坂本さんも呼ぼう…」
と、別の先輩も呼ぶ事になった。
安永氏も小遣い制で、更に家のローンを抱えているがゆえに余裕は少ない。
二人とも、奢る頭数を増やす事は大いに賛成である。
とにかく、すぐに目に付いた新入社員のもとへ駆け寄り、
「明日、飲むからな、空けとけ」
そう予告し、
「はいっ!」
元気のいい返事を受けると、
「いい返事だ。新入社員は、それじゃなきゃいかんよ」
などと大人ぶったものであるが、その、彼と俺の差は、たかだか一つである。(この新入社員は修士上がりだった)
ちなみに…。
俺が埼玉へ来てすぐの頃、課の先輩はもとより、寮の先輩、工場の先輩、誰も俺を誘ってくれるものはなく、非常に寂しい思いをした事を今でも鮮明に記憶している。
結局、たまたま食堂で隣に座った松田という見知らぬ先輩に、
「関東って、こんなに世知辛いものですか?」
涙ながらに詰め寄り、半ば強引にスナックへ連れて行ってもらったのである。
ゆえに、
(新入者には、すぐに歓迎会を開いてやらねば…)
その思いは強く、それが俺と関わり合いのない輩でも、
(関係にゃー! 新人は新人、歓迎会をしてやらんと!)
そうなるのである。
現に、去年も社宅の役員をやっていた関係で、地区の行事で新入社員と出くわし、
「よし、飲もう!」
そういう運びとなり、二次会には福山邸へ招待している。
さて…。
俺は、たまたま職長の安永氏が持っていた『新入社員の名簿』を見ながら、
(今年は特に奢り甲斐がありそうだ…)
その思いを持った。
「うちの課に新入社員が来る」という話は、退職する事を決めた時から、何となく聞いていたのであるが、その名簿の『希望』の欄に、
「生産技術、もしくは現場に携わる仕事がやりたい」
そう書いている男がいたのである。
(こやつの事か!)
俺の予測に、まず間違えはあるまい。
そうなると、彼は、
(俺の後継ぎで配属された者!)
という事になる。
当然、俺の興味は増し、名簿を穴があくほどに眺めた。
と…。
そこに、『得意科目』という欄があった。
引継ぎの男の名は、名簿の一番下に書いてある。
上から『電磁気学』とか『エレクトロニクス工学』だとか『応用力学』だとか難しそうな科目が並んでおり、彼らは修士や学士の上がりである。
そして、その『前ふり』を受け、唯一の高専出身者である彼の『得意科目』に目がいった時、瞠目し、その後、抱腹絶倒の極みを迎える事となる。
彼は釧路高専出身で、出は北海道である。
その北国の彼が、こう書いていたのである。
「得意科目は国語です♪」
瞬間に、鳥肌が立った。
(こ、国語! 国語ですよ、国語、こいつはたまらん!)
こんなに素敵な得意科目があろうか、理系出身で高専を出、就職する時に得意科目として書いたものが国語なのである。
彼が、どのような顔をしているのか、それはまだ知らない。
が…、俺が生産技術課の席から消えるのと時を同じくして、彼は、空いた俺の席に座る事となるであろう。
(ああ、明日の飲み会が楽しみ…)
その思いで、今の俺は満たされている。
旦那のエゴ (03/05/20)
前日記の続きのようになって申し訳ないが、今回、22連休という5年ぶりの大型連休を終え、
(なるほど…、これはキチンとケジメをつけねば…)
そう思った事があったので書き留めておきたい。
この連休の前…。
俺は、
「長編小説を書き上げ、もう一本、短編の小説を書き上げる!」
そう息巻いており、それを成すために綿密な計画を立てた事は前の日記にでもチラリと述べた。
道子も連休前には、
「本当に頑張ってよー」
そう言ってくれ、協力する姿勢を惜しみなく見せ付けてくれた。
特に、本来ならば出勤すべき日(平日)などに関しては、
「ばっちり、その分を執筆にあてんといかん!」
「そうだよ、遊びに行く暇はないよ!」
そのような事を二人で言い合ったものである。
そうして、22連休が始まった。
その前半…。
道子は、その言葉通り、確かに気を使ってくれていた。
俺がパソコンに向かえる時間も多かったし、
「お茶を入れたよ…」
などと差し入れを持ってきてくれたり、春を俺の元から離したりと、
(気を使っているな…)
その事が、ありありと分かった。
が…、人間というものはそこからが怖い。
『馴れ』というものがあるからである。
段々と、俺が昼間にいる事が、
(当たり前…)
そうなってきた道子は、春を野放しにし始め、俺が、
「おーい、道子ー、ちょっと春を頼むー!」
言っても、
「もぉー、いるんだから相手してあげてよー!」
などと、その『配慮』というものが確実に消え失せていくのが手にとるように分かった。
俺にしてみても、
「昼間は書く事に集中せんといかんつて!」
などと、頑とした姿勢を見せつつ道子を説得すればよかったのであるが、そこは最近メキメキと可愛くなってきた春が甘えている事ゆえ、
「おいおい春ー、どっか行けよぉー」
言いながらも、
「しかたないなぁ…」
などと、昼間から遊んだりしてしまった。
すると、その日というものは、夕刻を迎えてしまっている。
そして、すぐに夜、すぐに翌朝である。
(し…、しまったぁ!)
毎度お馴染み『後悔の念』に苛まれながら、ふと、先生が前に言っていた言葉を思い出した。
「執筆中は、他一切の雑念をいかに捨て切れるかが勝負だ!」
その事である。
確かに…。
狭い社宅の中に家族三人が住み暮らす中で、昼間に雑念が捨てられる環境をつくるとなると、
(春の昼寝中か、道子が出て行っている時か…)
そうなるが、まず、まとまった時間を得る事は不可能であろう。
小説というものは、最低でも書き出したら3時間くらいは連続して書かねばならず、また、一度止まってしまうと前のものを振り返って読まねばならないという、『一気に書く代物』なのである。
ゆえに、定期的に春が、
「だぁだぁ…」
などと奇声を発し、足元にすり寄ってきたりすると、
(書きたくても書けん!)
そうなるのである。
が…、道子が段々とこの環境に馴れてゆき、
(もー、福ちゃんも春の世話をしてよー!)
言う理屈も分からぬではない。
今までは、一人で家事と春の世話をやっていたゆえに、
(もうっ!)
歯噛みする事があっても、一人ゆえに耐えざるを得なかったのであろうが、今、そこには俺がいるのである。
(いるんだったら…)
無論、道子はその事を思うであろうし、思った事が「小説を書かせよう」と誓った道子の『脱線の始まり』である。
当然、俺は、
「書かせろよ!」
と、返す事になるし、道子も、
「なんだよー、いるんだから世話してよー!」
ムキになる。
そして、夫婦喧嘩が勃発。
このパターンが頻発した。
特に、道子が座椅子に寝そべりつつ、
「春ー、お父さんは仕事中なんだからー、おいでー」
一応はそのような事を言いながらも、テレビ見ながら甘いものをむさぼり、ピクリとも動かない時などは、
「てめぇー、ちょっとは気を使え、こんちくしょー!」
瞬間点火となる。
この事は、先ほどの先生の言葉と照らし合わせて考えるに、
(単なる夫婦喧嘩だから…)
などと捨てておくわけにはゆかぬ。
7月からは本当に、
(書く事が仕事だと思って…)
やらねばならないのである。
そうなると、もちろん一番大事なのは俺の心持ちであるが、その次に、道子を始めとする家族の心持ちも重要な事となる。
来年の冬…。
(あれ、俺は何をやってきたんだ…?)
そういう事態は、決してあってはならない事なのである。
この事を道子に話せば、
「それは社宅が狭いからだよー」
その一言で片付けられるかもしれない。
が…、それよりも、
「昼間に父はいない!」
という、強い意識付けが何よりも必要なのではなかろうかと思う。
以前、直木賞を受賞した山本一力は、その授賞式後にこのような事を言っていた。
「直木賞なんていうものは家族がとらせたようなものです…」
なるほど…。
子供3人と、ふっくらした嫁を後ろに従えながら発した言葉なだけに、
(金鉄の一言…)
そう思えた。
あの家族は、山本の背中を強く押し続けていた事であろう。
ちなみに…。
福山家は今、引越しの見積もりを取りまくりつつ、
「うわぁ、何でこんなに高いんやぁ!」
と、身悶えている真っ最中である。
誰か、いいところを知っている人がいれば、是非、教えて欲しいと思う次第である。
道子のうにゅうにゅ (03/05/16)
昨晩、
「誰か…、俺を飲みに誘って…」
という、プライドをかなぐり捨てたメッセージをホームページに載せたにも関わらず、誰一人として俺を誘ってくれるものはいなかった。
この夕…。
社宅には同期の嫁が二人おり、一人は『ひやかし』で、もう一人は、
「明日の旅行の打ち合わせ」
という名目で、福山家の夕食に参入している。
(女の中に男が一人でいられるか!)
当然、俺はそういう思いなのであるが、そこは、
(誰かが、俺を飲みに誘ってくれる…)
その事を確信しているため、奥様衆に囲まれながらも普通に飯を食った。
が…。
さすがに10時を越えてくると、
「くっそー、誰も俺を誘わんじゃにゃー!」
怒りに任せ、普段は飲まないワインなどを飲んだりしつつ、
「もう、ふて寝だ、ふて寝! 道子、布団を敷いてくれ!」
と、寝る態勢に入った。
時…、10時30分である。
俺の誕生日の夜というものは、そうして更けていった。
それから俺が目を覚ましたのは、誕生日の翌日となる16日に差し掛かってすぐの頃である。
「もー、迷っちゃうよねー!」
灯りが消えているのに、誰かと電話している道子の声がそこにはあった。
(姉ちゃんと電話しよるんかね…?)
道子にかかってくる電話の大半が義姉からのため、その事を一番に思ったのであるが、さして気にする事もなく、
(あ…、歯磨きをしとらんかった…)
と、起き上がり、台所へ向かった。
道子は、
「あ、福ちゃんが起きたよぉー。それで、明日の件だけどね…」
俺の方をチラリと向くと、パソコンに目を移し、インターネットなどをやりながら、
「そうだよねぇ、そっちも捨て難いんだよねぇ」
うにゅうにゅと、五体を優しく震わせた。
俺は、歯磨きをしながら道子の電話に耳を傾け、
(姉ちゃんではないらしい…、山本嫁か…)
その電話の相手を、明日、一緒に旅行へ行く『山本家の嫁』と判断した。
山本嫁は、
「旅行先を決める」
という事で、夕方から福山家の食卓に訪れ、それこそ綿密に語り合い、結果、
「雨だったら大変だから、富士急ハイランドは止めて東京見物に行こう!」
そう決まったはずなのに、なぜゆえに電話してきたのであろうか。
しばし、歯ブラシを咥えたまま耳を傾けていると、
「富士急に行きたいよねぇ。行こうかなぁ。でも、春ちゃんが濡れると困るから行かないべきかなぁ。でも、行きたいは行きたいし…、ああっもうっ、決まらないねぇ、むふふふ…」
このような事を言っている。
状況を知らない他人でも、
(この優柔不断がぁ!)
と、突っ込みたくなる話っぷりである。
時計を見ると12時30分であった。
「馬鹿らしい…、寝よ…」
俺は、布団についた。
が…、道子の電話は、まだまだ終わりそうにない。
ゆえに、耳は自然とそちらへ向く。
「どうしようかなー? 迷っちゃうよねぇ…」
道子はもう、かれこれ30分以上話しているのではなかろうか。
が…、その話というものは、一歩も進展していない。
「どうしよう、どうしよう…」
道子は、これを言うばかりである。
しまいには、
「ディズニーランドもいいねぇー」
などと、たわけた事を言い出す始末で、さすがにそれは捨ててはおけない。
「おいっ、ネズミのバケモノと戯れるのだけは勘弁ぞ!」
横から、厳しい口調で脱線を阻止した。
「福ちゃんが駄目だって、あー、どうしよー、雨がねー、あー、決まらないねー」
こうなると、俺の苛々も頂点に達してくる。
布団を頭からかぶり、
「ええい、くそっ、なんとムカツク会話だ…」
と、悶え出す始末で、とてもとても眠れるわけがない。
これは、俺の性格が、
(何事も、ビシリと決めねば!)
これを背骨に置いているがゆえで、この心境は、ふにゅふにゅ系の方々には分かり辛いかも知れない。
が…、今の俺は、
「うぉおおおおお!」
と、叫びながら海岸を走りたいくらいに苛々しているわけである。
多分、
(あー、分かる分かる…)
という方も、少なくはなかろう。
結局、この道子の電話の結末は、
「もー、いいや、最初の通り、東京に行こう」
何も変わる事なく、何も得る事なく、そのように決まったわけだが、ここに発生した無駄は非常に多い。
さて…。
翌日の東京見物であるが、俺が、
「江戸東京博物館に行きたい」
そう言ったら、一人の賛同も得られず、俺だけは別行動をする事になった。
道子らは、池袋のテーマパークへ行くという事らしい。
(え…、ラッキー!)
俺からすれば、まさにその思いであったが、
「仕方にゃーね…」
と、渋々顔で、それを承知した。
丁度、江戸東京博物館では特別企画で宮本武蔵展もやっており、それをゆっくりと見ながら、続いて博物館内をこれもゆるりと回り、東京大空襲のあたりなどは、
(く…、泣かせやがる…)
と、不覚にも涙したほどに熱中した。
気が付けば、午前10時から回り始めたにも関わらず、午後4時を越えている時刻であった。
飯も食わずに連続6時間、館内を回り続けた事になる。
(さ…)
そろそろ帰らねばなるまい。
皆と別れる際、
「新宿・高島屋に4時半集合ね」
と、約束していたのである。
集合して何をするのかといえば、
「ティンタイフォンで『しょうろんぽう』を食べるよ!」
そういう事らしい。
『ティンタイフォン』というと、世界でも十指に入る点心屋で、俺が台湾へ行った際、その本店に立ち寄った事は前の悲喜爛々で書いた。
ちなみに、食に疎い方のために『しょうろんぽう』という食い物を説明すると、小さな肉まんのようなもので、簡単にいうと、肉汁に重点を置いたシューマイである。(俺は台湾でその食いものを知った)
以前、台湾に行けなかった道子が、
「ティンタイフォン、ティンタイフォンだよぉー!」
叫びに叫び、結局、行けなかった『夢の店』の分店がそこにはある。
俺は、少々遅れて新宿へ着き、
「高島屋へは、どう行ったらよかですか?」
通行人に聞きまくって目的地を目指したものであるが、そこは大都市新宿、教えるほうも適当だし、言われた方向へ進む事も困難である。
結局、5人もの人に道を尋ね、ようやく高島屋へ着く事ができた。
しかしながら、5人目の姉ちゃんとのやり取りは我ながら傑作だったと思う。
俺は、その時、高島屋の前にいた。
前にいながら、
「高島屋はどこですか?」
と、聞いた。
姉ちゃんは、露骨に困惑した様相を呈しつつ、
「え、ここです…」
などと、囁くように言ったのであるが、俺の目に高島屋の看板は映っていない。
「えっ、どこどこ?」
首筋に力を込めて全方向を見回しつつ、姉ちゃんが、
「そこです…」
そう言った先を見た。
(は!)
すぐに、
(穴があったら入りたい!)
そういう状況となった。
ずっと、俺の目に看板は飛び込んでいたのである。
が…、『高島屋』だと思っていたがために『TAKASHIMAYA』と書かれた看板が目に入らなかったのである。
「すんません! 英語が読めんかったとです!」
俺は、顔を覆いながらその事を言うと、照れ隠しに、
「てへっ!」
などと照れた面相をつくりつつ頭を下げたものであるが、姉ちゃんは、鼻をピクピクさせ、
「あれはローマ字です…」
訝しげな顔で足早に去っていった。
(英語とローマ字は四捨五入すれば同じようなものだろが!)
俺は、一人佇みながらそう思ったものであるが、そこには誰もいない。
東京は…。
実に、冷たいところである。
さて…。
合流した俺達は、道子憧れのその店で飯を済ませるや、
「子供がいると遊べん…」
二家族が、そういう結論に達し、
「埼玉で飲もう、埼玉で…」
と、大都市・新宿を後にした。
道子にしてみれば、俺がいなかったゆえに、
「もー、福ちゃんがいない間、私がずっと抱いてたんだからねー!」
と、何やらご立腹のようである。
帰りの電車でも、別に料金を払い『特急』で帰ったのであるが、
「子供がいると落ち着けるものも落ち着けん…」
皆がそう呟く始末で、俺以外の三人にとっては、
「素敵な旅行」
とは、とても言い難い結末だったようである。
さて…。
住み慣れた入間市に戻った一行は、そのまま白木屋の個室を占拠して飲み食いを続け、それから眠った子を抱えつつ社宅へ帰ったわけだが、その疲労の色というものは見るからに『濃厚』であった。
「じゃ、また…」
「うん、楽しかったね」
そのような事をいいながらも、
(次はないな…)
道子らが、しみじみとそう思っている事は間違えあるまい。
ちなみに…。
その夜の道子は、
「私は疲れたんだから寝るよ、絶対に寝るよ!」
と、寝ていた春を起こしたくせに強行睡眠に入り、事実、10秒後には白目をむいて熟睡した。
俺は、夜にこの日記を書くつもりであったが、
「だーだー、ぶぶー!」
絶好調で寄ってくる春の相手をせねばならず、
「ほらー、寝なさい寝なさい、ビビデバビデブー!」
などと、夜半、一人で奮闘する事になる。
道子は、春が泣こうが喚こうが乗りかかろうがピクリともしない。
俺がカンチョーしようとも耳元で叫ぼうとも目すら開けない。
その姿勢というものは、
(頑としたもの…)
があった。
多分、日中に博物館を楽しんだ俺への『あてつけ』なのであろう。
「くっそー、巨身兵(風の谷のナウシカ参照)がぁ、起きろぉ!」
俺は、道子の肩を上下に揺するものの、
「なんだよぉー」
言い返す道子の目は、未だ開こうともせぬ。
これに反し、
「キャハッ、キャヒッ!」
春の元気っぷりは右肩上がりで止まるところを知らないのであった。
俺の夜は…。
まだまだ永い。
26歳 (03/05/15)
26歳といえば、十代の頃のイメージだと、
(オッサンじゃにゃー、オッサン!)
そういう感じであったが、実際にその歳を迎えてみると、
(まだ、意外に少年やね…)
そう思わざるを得ない。
確かに…。
腰回りには常時『浮き輪』のような重々しいものがまとわり付いているし、それに伴うものかどうかは分からぬが、周囲からは、
「オッサンやねぇ」
それをよく言われる。
見た目は26歳に近付いているのであろうか…。
体力的にも、ほんの6年前には四国や本州を自転車で回っていたものであるが、今、それをやろうとするなら、
(倍以上の日数がかかるだろう…)
その事を認めざるを得ず、
「俺は若い!」
などと、胸を張って言えるかどうかと問われれば、落ちた酒量などを想いつつ、
「26歳ですから…、ねぇ…」
などと、下向きに回答する事となろう。
が…。
事、ハートの話になれば別である。
「はいっ!」
という、見事な挙手で、
「ヤングです、ヤング! 十代といわれても何ら違和感はありません!」
そう言い切れる。
むしろ、学生時代より、そのハートは若者風になってきたのではあるまいか。
ちなみに…。
ここでいう『若者風のハート』とは『ピュア加減』の事を言っている。
物事を、曇りなき眼で真っ直ぐに見つめるハートである。
この点に関しては、
(子供から大人になり、最後は子供に戻るって言うけど、俺は二十代で子供に戻り始めたのだろうか?)
そういう危惧すら持つほどに、
(うわー、俺ってピュアー!)
そう思うところが多々ある。
ていうか、このようなネットリした事を臆する事なく書くところが、
(どうにかしとっばい、ヤング福山はー!)
と、なるのだ。
そう…。
お気づきの方もいるかもしれないが、今日は俺の誕生日である。
ちなみに…。
こんなに盛り上がっている俺の横では、道子と春がグースカピーで眠りについている。
「誕生日、おめでとー!」
なぞ、気の利いた台詞は誰も言ってくれないし、よせばいいのに、頻繁にメールを開いたりして、
『新着メール0件』
という、悲しい現実をわざわざ確認したりしている。
(そうさ…、誕生日も、この歳になってしまっては平日よ…)
自分自身に言い聞かせながら、ふと、今年のバレンタインを思い出した。
今年のバレンタインは、夜中に道子が、
「あれ、そういえば今日はバレンタインだったんだよ。福ちゃん、手ぶらで帰って来たの?」
そう言った事により、
(そうか…、今日はバレンタインだったのか…)
と、思い出した。
(今日という日も、それと何ら変わらないだろう…)
その事は、まず、間違えないように思われる。
俺は、道子が電子レンジで温めてくれた烏龍茶を一口飲むと、蹴り上げられている春の布団をかけ、チラリ、腕時計を見た。
この時計は、義母が、
「誕生日プレゼントだわー」
そう言いながら、一ヶ月以上前に買ってくれたものである。
20気圧防水の『G−SHOCK』で、貰ってからは風呂でも外さずに付けっ放しである。
俺は…。
それくらい貰ったものを大事にする男である。
また、かたち無いものにも感謝を惜しまない。
例えば、今日の夜などに、
「お、福山、奢ってやるから飲みに来るか?」
などと言われたら、感動に打ち震える俺の涙で入間に湖ができあがる事であろう。
ああ…。
今、目の前でグッスリと眠っている道子に、思いきって問うてみたい。
「お前は…、今日が何の日か知っとるか?」
と…。
結婚して丸3年、福山家の夜は、今日も普通に過ぎてゆく。