第79話 待てない男(2012年10月) 7KB

生きる醍醐味

出先であった。
時計を見ると16時30分、もう少しでネオンに灯が点く頃だろう。
(今日は家に帰るのやめ! 呑んで帰ろう!)
思うや最初に電話したのはSというミカン農家で高専時代の級友であった。彼は農家だから勤め人のように「明日がある」など定型文を発すはずもなく、平日に誘う一番バッターは決まって彼なのであるが、悪い事に彼は酒の魅力に気付いていない。むしろ嫌っていて、
「呑み会マジ面倒臭い」
そのような事を言い放つ憎い奴である。
彼はハーレーに跨るバイク乗りでドクロのアクセサリーを愛し、風貌は「つのだ☆ひろ」に似ている。見るからにアウトロー、見るからに無頼、酒の一升もペロリ飲み干し、
「次に行くべい!」
言いそうなものだが常に女の目を気にして動きが鈍い。特に母と嫁に頭が上がらず二人の事になると「メリージェーン」も影を潜め「一年生になったら」を歌いそうな園児的雰囲気になる。従って彼に断られるというのは恒例行事で、
「急に言われても…、ちょっと待て聞いてみる…、うーん、急過ぎる」
ああだこうだ言われた後、
「今日はダメ」
やっぱり断られるというのが常。
(さて、今日はどう出る?)
ニヤリ笑って電話をかけた。すると意外や意外「呑もう」と言う。ただ仕事が終わらんらしい。
「少し待ってもらう」
そうも言われた。が、そんなものは聞いちゃいない。ネオンを見付けた私は電話を切った瞬間車を出し、途中スーパーに寄った。彼には子供が三人いる。子供といえばお菓子。お菓子を大量に買っていけば父を奪われた寂しさも消え果てるだろう。そうそう、嫁さんにも土産がいる。チューハイを数本投げ入れ、ノリノリで車を走らせた。
酒、ネオン、ステキな夜、呑み人の連想は何とハッピーだろう。近い将来訪れる煌びやかな瞬間をこれっぽっちも疑っていない。
彼の家は熊本市を見下ろす高台にある。今日も眼下に夜景があって雲上人に手招きをしている。数分後、私は光の海へ飛び込み、最初は白と黄から成る二層の夢をグイと飲み干すだろう。もう一杯いくか。いやいや、それは習慣が許さぬ。二層の夢は一杯限り。次はタイタニックの海へゆく。氷山浮いた無色透明なそれを混ぜ、小さな鳴門を起こす。次いで混ぜた指をチュッと舐める。そして海を持ち上げクッといく。夢か現か氷山残したタイタニック、我の胃の腑へ流れ込み、
「カーッ!たまらん!」
我を震わせ我を酔わす。むろん呑むは米。米は人吉。焼酎白岳オンザロックである。
さて…。
土産を手にホップステップSの元へ向かった。するとバリバリ仕事中であった。それで「少し待て」と言われた事を思い出した。どれくらい待つのだろう。
Sは両親と三人でミカンの選果中であった。日中収穫したミカンを選果機へ流し、選果されたミカンをトラックに積む。その後、農協へ運ぶらしい。
嫌な予感がした。選果待ちのミカンが山積みであった。
「お前まさかと思うが、これ全部終わるまで待てと?」
「少し待てと言ったろ」
「少し待てはどのくらい?」
「7時までに農協に行かにゃん」
時計を見た。5時半であった。
聞けば今日から早生という種類を収穫し始めたらしく、Sの両親も何やら気合が違う。二人はテキパキ仕事をしつつSに非難の目を向けた。
「こうも忙しい時期になぜ呑む約束をしたのか!」
その目であった。
じっと待つのは無理なので「何か仕事をくれ」と哀願してみた。が、選果という作業には流れとポジション取りがあるらしい。私が入る事で流れを害する事は明白であった。
私は作業場を離れた。家には小学生の息子がいるそうな。小学生と遊ぶべく玄関で彼の名を呼んだ。が、彼は来ず猫が来た。
猫と遊んだ。人懐っこい猫で私に構ってくれた。が、もう一匹猫が来た。二匹ともどこかへ行ってしまった。娘と遊んでいる時に友達が来る。父一人にされる。父の手にはバットとボール。その寂しさに似ていた。
ぶらぶら歩き、ぶらぶら夜景を見た。たまらず嫁に電話した。電波が入らなかった。周りには山と空と公民館しかなかった。類稀に見る寂しがり屋はどうやって時間を潰せばいいのか。
「ダメだ!」
仕事中悪いがSを呼び出し、Sの嫁さんがどこにいるか聞いてもらった。嫁さんがいれば呑みながら待っていられる。が、Sの嫁さんは遠いところでショッピング中であった。
「俺帰る! もう待てん!」
「は?」
「待てん!待てん!」
私は土産を玄関に放り投げるとミカン箱にミカンを入れてもらった。Sが入れてくれればいいのにSの父が入れてくれた。恐縮する私に父が言った。
「もっとゆっくりした時においで」
Sの両親は私がゴリ押しで現れたと思っているだろう。違う。違うのだ。
(確かに私はノリノリだけれども、決して邪魔をしたいと思ったわけではないんです!Sが呑むと言ったんです!Sが少し待てば呑めると!私はその言葉にキラメキを感じただけなのです!)
声にならない嗚咽であった。
山を下りながら次に誘う人を考えた。真っ直ぐ帰れるわけがなかった。
「そうだ!A社のあの人はどうだろう!」
電話に出た瞬間「明日がある」と断られてしまった。
熊本市を離れ、菊陽町の小さなネオンでふと思った。
「そうだ!昔馴染みの彼はどうだろう?」
電話に出てくれなかった。
泣きたくなった。私のネオンはどこにあるのか。
後部座席にミカン満載のミカン箱があった。それが私を笑っているようにも思えてきた。私はミカンが好きではない。ミカンというより甘い果物全般が苦手で嫁は無類のミカン好き。つまり私はノリノリで遠回りをし、嫁のためにミカンを貰って来たという事になる。
「やーい!嫁の使いっ走り!ざまーみろ!」
「くぅ…」
腹が減った。Sの家に着いた時点で「夕飯はいらぬ」と電話していた。「やっぱりいる」と電話をしたらどんなに嫌がるだろう。悲しみ堪えて電話した。
「用意してない、どこかよそで食べて来て」
I CAN’T STOP THE LONELINESS♪
悲しみは止まらなかった。
阿蘇の入口・立野でヒライのうどんを食った。ここからも夜景が見えた。
「ええい!イナリを四つ食っちまえ!」
夜景を見ながらヤケのヤンパチ、追加のイナリは悲しみのヤケ食いであった。
「なぜ酒を呑む?」
「寂しいから呑むのです!」
「ちょっと待ちなさい!」
「待てば死にます!」
悲しい種族は今日も待てない。だから今日も呑むのです。