第86話 瀋陽雑記2(2013年6月) 10KB

四つ星ホテルから出張先の工場まで車で40分ほどかかるらしい。ホテル下に迎えの車が来るそうで、午前6時45分、定刻5分前、指定の場所に立った。
車は次から次に来た。色んな人をピックアップし、方々へ消えて行った。どれが送迎の車か全く分からなかった。現地駐在員の名刺を貰っていたので、それを見せ、
「ココニイク?イカナイ?イエス、ノー?」
ヘンな日本語で聞いた。
言葉は全く通じなかった。が、慣れてきた。次第にドキドキが失せ始め余裕が出てきた。
中国人が怒りっぽい事も分かってきた。彼らは関係ない人が嫌いらしい。私が客人でないと分かった瞬間ムッとした。強い言葉で追い払った。なぜ怒り、なぜ叫ぶのか全く分からなかった。分からない時は笑った方が良い。笑いどころを探し、色々試してみた。
「ソーリーソーリーヒゲソーリー、ガチョーン」
日本では徹底的に引かれるジョーク、これを多用する喜びに浸ってみた。無愛想には笑顔で、怒りにはドン引きジョークで、私は風に向かって立つ日本人であった。
車は郊外へ向かった。運転手を含め三人乗りであった。みんな中国人らしく日本語は通じなかった。試しに「ばばんばばんばんばん」と歌ってみた。日本人なら「歯みがけよ」とか言うはず。二人は何も言わなかった。
孤独に車窓を楽しんだ。郊外も公共工事の嵐であった。ふと工事現場の隅っこで野グソしている中年男性を発見した。幹線道路から丸見え。恐るべき大胆さに異国を感じてしまった。
開発の裏には猛烈な立ち退き要請があるらしい。工業地、商業地の奥に古い民家の群れがあり、そういうところは業者や行政の看板で幹線道路から見えないようになっていた。見えそで見えない。だから気になる。寄ってみたい。チラリズムは日本の美学、誘われるままふらり行きたい。
行きたい希望を日本語の分かる中国人に告げてみた。行くなら行け。行ったが最期。公安に捕まり大使館に苦情。仕事先は大迷惑。下手したらスパイ容疑で投獄という運びになるらしい。
「そういうところには絶対行かない事!」
色んな人に念を押されてしまった。
運転は相変わらず荒かった。道も悪かった。縦揺れ横揺れ急ブレーキ。腹がギュルギュル鳴った。
朝飯は食ってなかった。食ってないというより食えなかった。バイキング会場に行き、凄いご馳走を見るには見たが何も食えなかった。夜から続くピーピーが静まっておらず、コーヒー飲んで部屋に戻った。
出張先で最初の仕事は踏ん張る事であった。工場で最も綺麗なお客様用トイレを見付け、そこで午前が暮れた。
昼飯になった。中国の社食というものに興味があった。仕事柄、色んな工場で飯を食う。異国の昼飯はどうか。日本語が少し喋れる中国人に案内され、未知の世界に突入した。
盆を持った。箸を取った。メニューはなかった。列に並び、盆をおばちゃんに向けるよう指示を受けた。するとお玉ですくったオカズをエイヤと投げられた。量の大小は選択できなかった。全ておばちゃんの判断に任されていた。米は台の上にあった。「それを好きなだけ盛れ」と言う。普通に盛って隣を見た。うら若き女工が天を突くかの如く高々と盛っていた。駐在員に言わせると中国人はメチャクチャ食うらしい。
昼飯を食いつつ色んな話を聞いた。食堂は朝昼晩やっていると言う。やらねば人が集まらないらしく、食堂のクオリティーは就職先を選ぶ上で重要なポイントらしい。
味は普通であった。ただ、ハッカクという調味料が全てに入っていて、中国人はそれを多用する。中国風と言ってしまえばそれまでだが、食べ慣れない私にはどうもクセがあると感じてしまい、汁物が特にいけなかった。食堂の臭いも独特で全てハッカクのなせる業、強烈であった。現地駐在員は臭いがイヤで食堂に行かない人が多いらしく事務所でパンを食ってる人が多かった。日本で味噌醤油がイヤと言っても逃げ場がないように、これは日本人が慣れるべき問題でどうしようもない。
昼からはバリバリ仕事した。今回の出張は現地組立・現地調整が目的で、部品は数百キロ離れた大連で加工してあった。瀋陽には精密加工の業者がないらしい。
まずは部品をチェックした。ミスが多かった。が、ミスを修正する手段がなかった。ヤスリ片手にやっつけながら組み上げた。何とか初日でカタチになった。
調整場所は工場の真ん中であった。最高に目立つ場所で色んな人に話しかけられた。言葉はむろん中国語、全く分からなかった。が、何を作っているのか聞いてるように思われ、
「ぎゃんなって、ぎゃんふうに動く機械たい!」
普通にそう返した。で、皆が皆、私の言葉を聞いて異国の人だと気付いた。「アイヤー」と言った。ビックリしたらしい。作業着を着た私は中国人に見えると言う。
国を問わず工場という場所では大抵パートさんが話しかけてくれる。一緒に茶を飲み興が乗ると右も左も寄って来て仕事が進まなくなる。それはイヤだ。早く帰りたい。が、全くコミュニケーションがとれないというのも寂しいもので、私が日本人だと分かってから誰も近寄らなくなった。イヤに仕事がはかどった。
重量物を右へ左へ組み上げた。汗だくになった。これがニッポンの工場なら茶やタオルを差し入れてくれるに違いない。汗を拭き拭き遠くを見ると中国人のCさんが走ってきた。Cさんは少し日本語が喋れた。
「思いが通じた!」
茶でもくれるかと思いきや、Cさんは少し怒っていた。
「アナタ、ダメネー!」
何がダメかと言うと工場の線を踏んでいたらしい。更に帽子のツバが曲がっていて、
「ソレ、コウジョウ、ダメ!マモッテ!ダメ!ダメ!」
叱られてしまった。
Cさんは足早に去った。工場では素早い移動が鉄則らしい。感心した。何という徹底した教育だろう。日本人であろうとお客さんであろうと、工場にいる以上は工場のルールに従わねばならない。馬鹿者を一つ許せば工場の規律は乱れる。
推測するに、誰かが私を発見し通報したのだろう。
「馬鹿者がいる!」
Cさんに告げた。Cさんは連絡を受けて走った。日本語が喋れなければ私というボヤは消せない。サイレン鳴らして駆け付け、即座に私を鎮火した。見事な初期消火で非の打ちどころがない。
落ち着いて見渡せば工場が美しかった。工員も実によく働いていた。
真っ白な中国人に5Sという未知なるモノを見せ、仕事云々の前に徹底的に叩き込んだのは現地駐在員であろう。工場歩きを生業としている私から見て、日本の工場より断然5S的で、とにかく徹底していた。
5Sとは業界用語で整理、整頓、清掃、清潔、躾を指す。私に足りないものがてんこ盛りだが、中国人も間違いなく足りない。足りないどころか真っ白ゆえに「工場はそういうもんだ」と叩き込み、目の前の5S的空間を造り上げたと思われる。下地もいい。全てをぼやかす日本人と違い、中国人はチャイムが鳴ればダッシュで帰る。言い換えれば線引きがシャープで時間内は話を聞く。仕事もする。
資本主義とは何か。契約で動く安い人材を求め彷徨い歩く仕組である。
資本主義の浸透は人の白さを汚すらしい。ここで言う白とは精神の白ではなく契約に殉ずる白であるが、皮肉な事にその方向へ進めば進むほどそれに合う人材は減るようで次の適地を探さねばならない。資本主義が未開を食うというのは賃金だけの問題ではなく、そういう点もあるように思われた。
四つ星ホテルに戻った。
ホテルの入口にターミネーターがいた。運転が超荒かった運転手で、どうも私を待っていたらしく色々叫び始めた。初日の私は分からない事に怯えていた。叫びを受け流す余裕などなかった。が、今の私は違う。分からない事に慣れてしまった。
「分からん!何を言っているのかサッパリ分からん!」
凛とした日本語で返し、ホテルの受付で日本語が喋れる人を呼んで貰った。
ターミネーターは「カネ払え」と言っていた。確かに私はカネを払わず降りた。後払いでホテルに払えばいいと思っていたが、そうではなく運転手に払う必要があったらしい。手元に中国元がなかった。「今日も払えない」と言ったらターミネーターは更に怒るだろう。
「よし!」
一度言ってみたいセリフがあった。遠い異国で言ってみた。
「ウダウダ言うなコンチクショー!帰りもアンタに任せよう!幾ら?200元?ようし100元チップじゃ!往復500元!帰りの車中で払っちゃる!黙って俺に付いて来い!」
こういう事をいずれ言いたかった。日本では言えなかった。異国で言った。ついに言えた。が、通訳が理解できなかった。キョトーンとした。丁寧な言い回しで同じ事を言った。丁寧に言うと凄く恥ずかしかった。
ターミネーターは喜んだ。何度も何度も「500元」と念を押し、笑顔で何かを言った。訳してもらった。
「アナタ、スゴク、イイヒト」
ターミネーターは声がでかかった。ごった返す通行人は私の事をニッポンの成金バカヤロウと思ったろう。スゴクイイヒトは顔を隠して部屋へ逃げた。ターミネーターはスキップで去った。
ちなみに空港から瀋陽の街までタクシーで80元らしい。空港内でのピックアップサービスを加味し200元という高額になっていたが、それにチップも弾んだというのは凄く豪気な話だそう。知らないは恐ろしい。恐ろしいが土産の一つと思えば安い。ターミネーターのスキップはそう見れるものではない。
私は分からない。言葉もカネも分からない。旅は分からぬ方がいい。
二日目の夜も三日目の夜も呑んで暮れた。