投稿者を未だ発見できずにいるが、昨年末、私が作った「四面おみくじロボット」がナニコレ珍百景に採り上げられた。それから計4回くだらない作品を採り上げてもらっているが、その縁で実に興味深い人を紹介してもらった。
「福山さんと似た人がいます、茨城に住む高橋さん」
早速ネットで調べて見るとカブトムシロボを造った凄い人であった。何が凄いって超巨大なそれがゆったゆったと歩行するのである。ビジュアルも見事でヤッターマンやガンダムがテレビから飛び出したようなもので、男ならがぶり寄りの展開に大興奮であった。
「凄い、凄すぎる!」
大興奮でネットの記事を読み進め、初めて無機質なモノに泣かされてしまった。制作者1人。制作期間11年。技術という骨格に溢れるロマンを塗り続け巨大ロボは生命を宿してしまった。
このロボットは潤沢な予算で造る「みんなのロボ」とは格が違う。色んなものを投げ打ち俺のロボを俺の責任で俺のために作る。つまり「俺」の結晶で生命の塗り込み方が違う。これは迫力に現れる。迫力は趣味人の涙腺に迫る。なんか知らんが泣けてくるのだ。
制作者本人による「製作過程の説明」も泣かせてくれた。最初は小ぶりなロボットを造ったらしい。が、造っているうちに燃えてしまい超巨大になってしまった。そして制作も終盤に差しかかった頃、
「大変だ!」
気付いたらしい。
「倉庫から出れん!」
乗用可能なロボが倉庫から出れないのである。これは笑った。が、分かる。芯から分かる。造っている時、後の事はどうでもいい。それぐらい熱中していなければこういうモノは完成しない。
カブトムシロボが初めて倉庫を出たのはナニコレ珍百景の撮影らしい。半日かけてバラし、トラックで広い場所へ運び、また半日かけて組んだそうな。で、思う存分動かし、また同じ作業で倉庫へ運んだという。
「楽しかった! ありがとう!」
高橋さんは十年以上をその瞬間に費やし、その瞬間を芯から楽しんだ。私は涙が止まらなかった。
(どんな人がこの技術者を支えてるんだろう?)
ネット記事には奥様の記述がなかった。きっと「神様・仏様・高橋奥様」と呼ばれているに違いない。
そうそう、私が四面おみくじロボを作り始めた頃、嫁は何も知らなかった。知れば反対されるのは分かりきっていた。だから完成間近そっとロボの存在を明かした。
「えっ、うそっ! 信じらんなーい!」
嫁は色々反対したかった。が、既に投資は終わっていた。嫁は嫌々協力した。協力せざるを得なかった。メディア出演後、嫁は色んなところから「できた嫁」と称された。反対に私はろくでもない馬鹿亭主と認知され、子供は寄っても大人が寄らなくなった。
高橋さんのお宅はどうか。高橋さんは全てにおいてレベルが違う。ロマンの規模も違うが物量のスケールも違う。奥様の度量も桁違いに違いない。
高橋さんのイメージが勝手気ままな孫悟空で固まってしまった。奥さんの手の平を縦横無尽に走り回っている。右手に六角レンチ、左手に溶接棒、敵は常識という社会悪。孫悟空は極楽浄土を目指し無我夢中である。何と楽しげな技術者であろう。それを見守る仏様もニッコリ笑っているに違いない。そもそもロマンという子供染みた熱の固まりは子供染みているだけに保護者を要す。保護者の度量に応じて、そのロマンも巨大になれる。輝ける。
「会いたい!」
思ったが最後、もうどうにも止まらなかった。
紹介者は「私と似てる」と言ってくれたが技術レベルもスケールも、形而上にある魂の熱さまでも私とは全てが違う。嫁にネット記事を見せつつ、
「凄い人がおる! 会いに行っていい?」
問うた。が、
「飛行機代どうするの?」
言われてしまえば二の句が継げず、やはり勝手にチケット買って出張名目で飛ぶしかないのであった。
話変わって、この時期の福山家は森高千里(歌手)に夢中であった。有線で流れていた「渡良瀬川」を聴いたのがキッカケでCDをレンタルし、家族で聴きまくった。「渡良瀬川」は田舎に住む少女が主人公で福山家にピッタリ、実によく沁みた。
その日、茨城県古河市に飛んだ日も森高千里を聴いていた。電車を降り、駅前の看板を見、この街が渡良瀬川の街である事を知りビックリした。
古く上代の頃、この街は渡良瀬川の渡し場として栄えた。その後も古河公方の拠点、古河藩城下町、江戸への水運拠点、日光街道の宿場、東京のベットタウンと、人の匂いが実に濃い。全て渡良瀬川の恩恵であった。
古河駅に着いたのは昼を少し回った頃であった。約束の時間まで少し間があったので高橋さんのお宅まで歩く事にした。東へ歩き国道4号線に出た。4号線は日光街道と呼ばれているが古い街道は西側を走っている。4号線に街道の面影はない。
十年以上前、東京から仙台まで日光街道を自転車で走った。が、脇道外れねば排気ガスを吸いに行ってるようなもので旅には向かなかった。
相変わらず4号線は車が多かった。足早に過ぎ去るつもりであったが心地良いプレスの音が聞こえてきた。チョイと覗くとおばあさんが茶筒を作っていた。安全対策皆無のプレスにおばあさんが板金を投げ入れていた。十年や二十年の動作ではない。凄まじいスピードであった。
「職人技ですね! 何年ぐらいやられてるんですか?」
目があったので尋ねたがプレスの音に掻き消されてしまった。「は?」と耳を向けられ、
「不景気でいかん」
そう言われた。
プレス屋さんから入ったところは商店街であった。人が少なかった。閉められているところも多かった。日本全国ベットタウンを支えた商店街は郊外の巨大店舗に食われつつある。不景気な話題が多いのだろう。おばあさんが作る茶筒も外国産に圧されているに違いない。
「不景気でいかん」
それが挨拶として定着するようでは東西南北困ったもんであった。
歩きながら高橋さんのイメージが膨らんできた。
「景気は知らん! 俺は俺!」
そういう感じの人ではなかろうか。勝手な想像で申し訳ないが祖父や伯父とダブり始めた。
(高橋さんに業種を聞いたら何と答えるだろう?)
ふと、その事を思った。ネットからは業種が分からなかった。話を聞いても分からなかった。つまり何でもやる広い技術屋であろう。我身を省みても「業種は何?」と聞かれたら「カラクリ屋です」と答えている。つまり何も分かっていない。組織は作業を分担するため専門性を打ち出す必要があり色々分類したがる。が、一人身は何でもやる。やらねば食えない。ゆえ打ち出す必要性は感じつつも分類が苦手である。
「高橋機械って屋号だと機械専門って思われますよね」
戯れにそう聞いてみると頷かれた。屋号は高橋さん長年の懸案らしい。高橋さんはロボットを作られるから電気もソフトも強い。が、高橋電気機械と書けば意味不明で何がウリなのかよく分からない。「電機」という合成語は電気に寄っている。「製作所」には量産の香りがある。
同じタイプの技術屋を私は二人知っている。祖父と伯父である。祖父は福山鉄工所という屋号であった。鉄工所であるが電気もやった。それを継いだ伯父は福山電気という屋号にした。しかし機械もやった。やりながら「あれ?」という思いが常にあり、もどかしかったと思う。が、ついに「名前はどうでもいい」という結論に達した。私はそうならないように「カラクリ研究所」という意味不明な文言を屋号に用いた。どうせもどかしいなら屋号も意味不明な方が良いと思った。
これには奥様が食い付かれた。
「アナタのところは名前がいい! 高橋機械は改名すべきよ!」
奥様真顔で言われたが高橋さんは少々困惑気味であった。数十年やってこられ、既に「名前はどうでもいい」の境地に達しておられたのだろう。
「高橋ロボット研究所はどうですか?」
盛り上がりついでに提案してみた。が、高橋さん、苦笑いで流された。
脱線した上に先走ってしまった。まずは高橋さんとの出会いである。晴天だった事もあり着いた頃には汗だくであった。奥様が表に出ておられ、第一声は「あらー!」だった。デブの出汁に仰天されたのだろう。中に通されるやポカリスエットを頂いた。一気飲みすると間髪入れず二本目を出して下さった。遠慮知らずの汗っかきが来たと思われただろう。
ネットというのは恐ろしいもので初対面だが記事や写真を何度も見ているので初対面の気がしなかった。高橋さんと二言三言話した後、
「まずはロボットを見せて下さい!」
お願いし、隅から隅まで見せてもらった。
カブトムシロボはご自宅の裏にあった。作業場の七割をカブトムシロボが占めていて壁際に加工機や溶接機があった。どの機械もカブトムシロボに遠慮していて作業場というよりカブトムシロボの展示場のようであった。これには驚いた。この巨大なロボを作るには相当な機械がいるだろうと思っていたが、「切る機械と引っ付ける機械があれば凡そ足りる」という事であった。
「本業の仕事はどこでされるんですか?」
さすがにロボットの隙間では苦しかろうと思ったが、その隙間で工場用設備の立ち上げなどもやってしまうらしく、どうしても場所が足りない場合はロボットを歩行させ、ギリギリ場所を空けるらしい。
高橋さんという大きな技術者を前に私は少年になってしまった。質問も増えたが、それ以上にあの頃が膨らんでしまった。実家がプラモ屋なのでガンプラを幼少期にたくさん作った。今、手の平サイズのそれが鋼鉄製のそれになり、その中のコックピットに入って上から高橋さんを眺めている。ありえない飛躍であった。
カブトムシロボがリモコン操作で光り始めた。煙を吐いた。BGMが流れた。大きな一歩で前に動いた。このまま月まで行けるのではないか。しかし、このロボットは倉庫から出れない。前の道が細過ぎて曲がれない。曲がったとしても公道を歩けない。
「こりゃ空を飛ぶしかありませんね」
冗談で言うと、
「そうねぇ」
高橋さん、真顔で返された。高橋さんが言うと十年後にはホントに飛んでそうで恐ろしかった。
それから夕方まで高橋さんと雑談した。自分と似た業態の人は親族以外知らなかった。高橋さんも初めての経験らしく大いに盛り上がった。
共通点が多かった。人に頼むより自分でやる方が性に合う。だから数をこなせず儲からない。儲けるために雇ったとしても嫁すら制御できない身。他人の制御は到底無理。二人は強烈に同調した。
途中から奥様も雑談に加わった。高橋さん夫婦はいつも一緒にいる。野暮な質問だが嫁が常々文句を言うので、
「いつも一緒にいて喧嘩にならんですか?」
問うてみた。
「なんで?」
問い返された。恥ずかしかった。なんて馬鹿な質問をしたのだろう。
次いで本題。高橋さんのロマン。その受容・包容・対応について問うてみた。この質問には奥様飽き飽きしているだろう。が、やはり聞きたい。帰って嫁に聞かせたい。奥様はこの壮大な遊びをなぜ許したのか。
「許すも何も、楽しくやってるのに止められないでしょ」
私は三本目のポカリスエットを危うく落としそうになった。シンプルな返答に鳥肌が立った。好きな旦那が楽しそうにやっている。なぜ私が止めようか。止めるはずがない。楽しそうだもの。人様の詮索など気にする方が馬鹿なだけ。好きな旦那が好きな事をしている。それを見るのが私は好き。旅行に行く事もない。呑みに出る事もない。高橋さんは寝る間を惜しんでカブトムシロボを造り続け、奥さんはそれを眺めている。
「それで幸せです、何か問題でも?」
つまりはそういう事で、その域に達しなければ一人作業でカブトムシは完成しない。
高橋さん夫婦は私が猛烈に感動している事を知らない。三本目のポカリスエットは全て涙に変わるだろう。カブトムシロボに塗り込まれたのはロマンだけじゃない。類稀に見る深い情愛があった。
私は古河駅前にホテルを予約していた。高橋さんが呑む方なら是非ご一緒したいと思っていたが「全く呑まない」というお話であった。残念だが今日は一人酒も悪くない。高橋さんの話で半年は呑めるだろう。
夜は小さな呑み屋へ足を運んだ。古い店で三十年以上やってるそうな。平日の早い時間なので誰も客がいなかった。ママは喜寿に届きそうな年齢で喉は煙とアルコールにやられガラガラであった。話しかけてくれたので、
「一杯どうぞ」
すすめると一番高い酒を「いっぱい」呑まれた。「一杯」のつもりが予想外の展開に陥った。酔ったママが語るに昔の彼氏は熊本の人だったらしく私の言葉を聞いてるだけで青春が溢れ出すらしい。
「たまらないわ」
そう言われた。むろん私もたまらない思いであった。
会話の中で「カブトムシロボを知っていますか」と聞いてみた。「知らない」という事だったのでその素晴らしさを説明するとママは泣いた。私の熱っぽい説明に感動したのかと思いきや昔の男を思い出して泣けるらしい。五十年前の男でも泣ける。情愛とはそれほどのエネルギーに満ちている。
久々の街呑みなので二次会にも行ってみた。ママおすすめのスナックへ行った。「若いのがいるところ」を紹介してもらった。が、またしても「昔若かった人」が隣に付いた。還暦を迎えたばかりだという。確かに喜寿から見れば還暦は若い。
「何か歌って下さい」
お願いしたところ意外にも森高千里の「渡良瀬橋」を歌ってくれた。上手かった。目を閉じて聴くと泣けてきた。目を開けると別の意味で泣けてきた。
翌朝、午前6時にホテルを出た。早朝から古河の古い街をぶらぶらした。霧雨が舞っていた。
「霧雨じゃ! 濡れていこう!」
役者気取りで傘も差さず西へ西へ歩き渡良瀬川にぶつかった。堤防沿いを歩き、三国橋で渡良瀬川を渡った。下総、下野、武蔵。三国橋は三つの国を跨いでいる。橋の真ん中に立ち、霧雨の渡良瀬川を眺めた。いい時間であった。
不思議なもので、この思いつき旅行は渡良瀬川と縁があった。渡良瀬橋を聴きながら古河に来て、そこに渡良瀬川がある事を知った。高橋さん宅ではカブトムシロボに感動するはずが夫婦の情愛に泣かされた。渡良瀬橋は甘く切ない恋の歌である。
少しだけ二日酔いの私は渡良瀬川の上にいる。むろん渡良瀬橋を歌っている。雨に煙る渡良瀬川を眺めながら情愛の効能に思いを馳せている。社会という外乱を丸無視できるパワーが情愛にはある。
「好きな人が楽しくやっているのは止められない」
名言のこだまに泣けてきた。三国橋は交通量が多い。早朝、橋のど真ん中で肩震わせる中年を通りがかりのドライバーは怪しげに眺めて行く。飛び込むのですか。いいえ、この中年は死にません。一生懸命生きるんです。
「帰ったら本気でいいモノを作ろう!」
なぜか駅までダッシュした。久しぶりに火が点いた。が、百メートルで呼吸困難に陥った。まずは息切れしない体力づくりが必要であった。
それから約五ヶ月。
本気を出して造ったのが昭和歌謡を聴くためのあの頃ボックスであった。
「どうだ道子! 高橋さんの奥さんみたいに笑ってくれるか!」
渡良瀬川の偉人を見習い、包み隠さず楽しい作業を全力でアピール。が、嫁の反応は芳しくなかった。
「色々もったいないよぉー」
「生活大丈夫ー? 私たち、ご飯食べれるのー?」
「やめてよー、最悪ー、借金大魔王ー」
テンション上がらぬ罵声の嵐。まだまだ先輩には程遠い阿蘇カラクリ研究所であった。
「次は何を造ろう?」
「やめてよー!」
情愛が足りない。