第132話 鍋の底にいるんだ(2017年11月) 11KB

南阿蘇

当たり前の事を書く。
南阿蘇という場所は世界一のカルデラの中にある。マグマをボコボコ噴出し、地面の下が空っぽになり、ドーンと沈んで鍋みたいな地形になった。鍋のふちが外輪山で、その鍋は流行りの仕切り鍋みたいに中央ちょっと南側で仕切られていて、その仕切りが五岳を擁する阿蘇山。で、ふちの薄いところが立野の火口瀬。古い時代に亀裂が入り、鍋の水が流れ、阿蘇谷と南郷谷ができた。

くだらぬ絵を描きながら、
「ああ僕は鍋の底にいる!」
分かりきった事だが今更ながらそう思った。と、いうのも、朝方庭で背伸びをしていたら東の空の外輪のふちが明るくなった。すると(当たり前の事だが)太陽と反対側の外輪が明るくなり、太陽を向いてる僕の背中からお日様が迫り、僕に達して朝日が見えた。
何度も言う。これは物理現象で当たり前の事だが、水平線の日なたは前から来る。が、鍋の底の日なたは後ろから僕を追い越し現れ、それから昇って鍋全体を照らしてゆく。
「うぉー!」
こんな事に理系の中年が感動したなんて恥ずかしくて言えない。が、書く事はやぶさかではない気がする。意外とテキトーに生きてる僕みたいな阿蘇人がいるかもしれない。
そんな中、呑み会に誘われた。「ボージョレをバカにする会」らしい。意味不明だ。説明を聞いた。飲食店の経営者が集まってボージョレヌーボー解禁日にボージョレ以外のワインを持ち寄りボージョレをバカにするらしい。うん、説明聞いても意味不明だ。意味不明ゆえ参加の意を表明した。そして、その場に歩いて行こうと決めた。
呑み会の場所は高森町。同じ南郷谷だけど、ほぼ端から端なので歩けば3時間ぐらいかかる。開始時間は19時。歩きながら夕暮れを迎える事ができる。東へ歩くから僕の背中から夕闇迫るに違いない。闇に追われて酒場を目指す。目指した先が意味不明、ボージョレをバカにする会。鍋の底を知るに打って付けのウォーキングであった。

11月15日15時30分、やりかけの仕事を放り投げ家を出た。
地図は必要ない。鍋の底だから仕切り板の阿蘇五岳と鍋のふちの外輪山が丸見えで、明るい内は迷う心配がない。東へ東へ歩いた。

最短ルートは旧国道を真っ直ぐ行くルートだが、急いでないし変な道の方が楽しいから田んぼの畦道を選んだ。
集落には南阿蘇鉄道の阿蘇下田城ふれあい温泉駅がある。今は地震で廃墟となり、むろん汽車も走ってない。

線路から駅下の田んぼに駆け下り、半ばスキップで古い田んぼを歩いた。
「古い田んぼ」
古いと書いたのには理由がある。この辺りの田んぼは甲羅田(こうらだ)、もしくは旧田(きゅうた)と呼ばれる律令時代(?)から続く古い古い田んぼらしく、区画整理の前は甲羅のように複雑で口分田の名残がびっしり大地を覆っていたらしい。
「米の味も違うんですか?」
「ぜんぜん違う、やっぱ旧田が美味い」
ここで育った人たちが新田との味の違いを語り、旧田の米を少しだけくれた。確かに美味かった。が、貧乏舌の僕には新田との違いが分からなかった。共に美味かった。
ちなみに米の味を評価するスペシャリストが近隣にいる。食味(しょくみ)という表現を使って米の良し悪しを色々説明頂いたが阿蘇郡の米で比較しても僕にはさっぱり分からなかった。ただし平野部の米と阿蘇米の違いは分かった。僕が分かるという事は「けっこう違う」という事で、水が綺麗な所の方がやはり米は美味いらしい。

刈り取られた水田の畦道を気ままに歩いた。畦道歩行はすぐ行き止まりにぶつかった。数回それを繰り返し、ついには川に遮られ線路をゆく事に決めた。

熊本地震から一年半、放置された線路はアッという間に赤くなり、草に埋もれ、枕木腐り、砂利流れ、またたく間に姿を変えた。それを見てると人口物の儚さと自然エネルギーの凄まじさを知るに至り、併せて朽ちた線路を歩くという行為が映画の影響もあって青春を想わせ、暇な僕を興奮させた。
この一年半、今がチャンスと言わんばかりに僕は線路で遊びまくった。何だろう。冒険家になった気がした。冒険ついでに列車を自作し、子を乗せて走らせたら近隣住民が手を振って喜んでくれた。
「いい!よく分からんが線路はいいぞ!これは楽しい!」
一時ハマって色々やったけれど「これを観光の呼び物にしよう」とか「そういう事をやるには許可を取って下さい」とか、当たり前の事を言われ、次第に飽きた。

久しぶりの線路ウォークだった。鼻歌まじりでノリノリで歩いていたら一部草深いところがあり、気にせず突き進んだら暗渠に落ちた。ずぶ濡れ泥だらけになってしまった。呑み会がどういう場所で開かれるか分からぬが、この格好では上げてもらえんだろう。線路を離れ、近くの水源でズボンと靴を洗った。

冒険ゴッコをしていたら16時を過ぎた。
普通の田舎道をぼてぼて歩きながら知り合いの芸術家宅に寄った。
「仕事の話があるけん暇な時に寄って」
そう言われていた事をふと思い出し、思い出したが吉日、アポなしで寄った。するとアポなしを叱られた。今の時代は予告の時代だそう。「予告なしは異常」と叱られ「いや異常こそ君の本質だ」と褒められた。さすが芸術家。言ってる事も感情の起伏も超人的で、こういう人が新しい価値観を生むと知った。
仕事の内容も意味不明だった。言ってる事が全く分からないので、ひたすら芸術家を考察した。
芸術というのは日本語がヘタクソになる事から始まるらしい。岡本太郎が「芸術は爆発だ」と言ったみたいに、その人は「芸術はカオス」を連発した。
「カオス?分かるように言って下さい」
「つまりは混沌、混沌の中に本質がある」
たくさん芸術家に会ったけれど本当にぶっ飛んだ芸術家は気に入った単語をグツグツ煮込み、そこに自分だけの風景を当てはめ、むりやり繋げて言葉にしようとする。この人に関して言えば、カオス、混沌、本質、無我、扇状、これが気に入った単語らしい。混沌の中に本質があって、それに無我で立ち向かう事で扇のカタチをした何かドロッとしたものが溢れ出すそう。
僕は理系だ。理系だから容赦しない。真っ直ぐ言った。
「おっしゃること全てが意味不明です」
芸術家も容赦しない。
「意味などない、感じろ」
モノは理屈の積み上げでできる。こういう人とモノが作れるわけないが、あまりにおもしろいので話だけは聞いてしまう。そして芸術家も話した事で満足し、そこで終わってしまう。
仕事には納期があって、納期があるから締めがあって日本銀行券が入ってくる。芸術家にはその概念がないから次の言葉を発す。
「芸術は終わりなき旅だ」
この言葉は危険だ。四捨五入すれば「永遠に金払わん」そう聞こえる。この人に深入りすると間違いなく潰れるだろう。が、こういう人は稀なので、年に一度は顔を見たくなる。で、たっぷり15分も芸術家を楽しんでしまった。
僕はそそくさと部屋を出た。芸術家はまだ何か喋ってた。芸術家にとって独り言も人との会話も同じ土俵なのだろう。
別れの言葉も劇的でよかった。
「あなたみたいな独りの世界は僕にはムリだ」と言った。すると芸術家は「お前みたいなガチャガチャ世界こそムリ難解だ」と言った。ムリとムリがたまに会うぐらいがちょうどいいのかもしれない。

話が逸れまくっている。
鍋の底の日没について書こうとしている。
手元の時計で16時40分、お日様が鍋のふち外輪山に隠れた。この日、熊本県の日の入り時刻(たぶん水平線)が17時16分だから30分以上早く隠れた。

朝日の時みたいにサーッと射す感動はなく、何だかドンって日陰になって、その後だらだら暮れていった。
ちょうど半分ぐらい歩いて日の入りを迎え、後半戦を歩きながら鍋の底が闇に包まれる様子を観察した。

底は一瞬で日陰になった。が、仕切り板の阿蘇五岳(北)や進行方向の外輪山(東)はゆるりゆるりと日陰になった。その壁の照り返しで鍋の底もだらだら明るかった。

5分毎に写真を撮りながら粘る谷底を歩いた。
17時5分を過ぎて東の外輪山が暗くなった。17時10分を過ぎて最も高い高岳が暗くなった。それからは先はつるべ落としで17時40分に歩行困難な視界になった。

空は明るいけれど海面下からの照射は鍋の中を照らさない。山に当たらなければ光のおこぼれはなく、後は月や星の照り返しを待つばかりとなった。
久しぶりに真っ暗な田舎道を歩いた。
うちの嫁は埼玉出身で、初めて熊本に連れて来た時その暗さに驚いた。
「夜ってこんなに暗いの?」
そう、田舎の夜は暗い。暮れてしまった田舎道は極めて危険で足元が見えない。乾きかけた靴をまたドブに突っ込んでしまった。

高森町に入って時計を見た。宴会は19時からで40分以上早く着きそうだった。
寒かった。鍋の中は光と熱源を失い急激に寒くなった。40分も外で待ったら死ぬかもしれない。
「そうだ、先輩の家に行こう」
最近高森町に家を建てた先輩に電話した。
「呑み会前にチョイ呑みさせて下さい」
残念ながら家にいなかった。が、すぐに帰るらしく玄関前で待っとくよう言われた。

冷えたビールを買って玄関前で待った。むろんフライングで呑んだ。
「うん、寒い」
凍え死ぬかと思った。更に人の目が気になった。そこは新興住宅地。隣の人がカーテンの隙間から僕を見て怪しんだ。怪しまれぬようラジオ体操をして暖を取った。
想定よりだいぶ遅れて家主が来た。家主の第一声は、
「今日呑めんけん俺付き合えんばい!独りで呑んで!」
優しさのカケラもなかった。
ボージョレをバカにする会は楽しかった。乾いた体に呑み慣れぬワインをしこたま入れた。みんな飲食店の経営者だからワインや料理のうんちくが凄かった。
(僕に感想聞くなよ!僕にだけは感想聞くなよ!)
祈っていたがやっぱり聞かれた。赤と白の違いも分からず「これ呼んだの誰?」みたいな空気になった。
呑んだ呑んだ。一番ワインの分からぬ奴がたぶん一番呑んで一番酔っ払った。酔っ払っているところに「なぜ歩いてきたの?」という質問を受けた。
「鍋の底にいるという真実を知ったからです」
みんな「は?」って顔をした。
(あれ、この感じ、何だか見た事あるぞ、あっ!)
分かった。あの芸術家と同じ感じで見られてる自分に気付き、端的な日本語は危険だと反省した。
「どういう事?」
「我々みんな鍋の底の住人という事で」
「は?」
「え?」
「何?」
言えば言うほど危険になり、僕は口を塞いだ。
後はひたすら酒に走った。