第138話 嫁に使って終わり(2018年8月) 7KB

家族

ご存知の通り私はカネがなくなると働く。
先月マジでなくなった。働かねばならない。
今年は何と言っても四女が生まれた。更に上の娘が三人揃って修学旅行。更に更に古い付き合いの先輩から「捻り板金の使い道を考えて」と頼まれ(第137話参照)やたらカネを使ってしまった。
気付いた時には危険水準。
「働かなきゃ!」
気が乗らないけど長期の出張仕事も請け、何とか危険水準を脱し、幾らか貯金ができた。この貯えはほぼほぼ修学旅行と翌月の支払いで終わる。むろん使っちゃいけない。分かっちゃいるが、この夏は猛烈に暑かったし、嫁子が私一人を置いて埼玉帰省。寂し過ぎて気が狂った。パーッと使いたい気分になった。
「幾らあるのだろう?」
計算すると53万あった。
「よし、鬼のいぬ間に何かデカい買い物をして家族を驚かそう」
静かな居間で、冷凍食品を肴に、一人孤独に呑みながら使い道を考えた。
西洋の鎧はどうか、日本の甲冑がいいか、宴会部屋を増設するか、最初は家族へのインパクト重視だったけれどインパクトにカネ使って半殺しに遭うより自分の欲しいモノがいいと思い始めた。等身大の嫁フィギュア、新しいフライス(金属切削に使う機械)、家族全員分のカラクリ研究所ユニフォーム。
酔った状態で欲しいモノを書き始めると不思議な現象が起こった。だんだん自分のモノはどうでもよくなって家族が欲しいモノ(あくまで父の主観)に寄り始め、四女の観覧車、三女のミュージカル衣装、次女のドラム缶連結カプセル(マンガを読む密閉空間)、長女のHay!Say!JUMPロボ(ビジュアルより面白さ重視)などなど、53万というリアルな予算で家族が喜びそうなモノをビッシリ書き連ねるハメになった。
あれから半月、今そのメモを見ながらこれを書いている。酔った自分が残した記録だから別の自分を見てるみたいで実におもしろい。
欲しいモノリストは28行で打ち止めになり、最後は「嫁用のイカす車」で終わっていた。
嫁はホンダザッツに乗っていた。10年前に中古で買った。まだまだ走りそうだけどエアコンが壊れ、窓も開かなくなり、この夏「殺す気か!」って車に叫んでるのを何度か見た。
埼玉から帰って車が新しくなってたら嫁は泣いて喜ぶだろう。私は黙ってキーを渡すに違いない。嫁は直ぐエアコン効くのを確認するだろう。エアコン効いたら「キャー!うれしー!」って抱き付いてくるかもしれない。そうそう、ピロートークで車が欲しいって何度か言ってたし嫁の好みも知っている。掃除しないから薄い色、座高が高いから天井高め、後は壊れなきゃ何でもいいって言ってた。
「よし決めた!」
酔った体にムチ打って近所の車屋にメールした。夜遅かったのに車屋も即反応してくれた。

要望は伝えた。
伝えて安心した。即座に寝た。そして翌朝驚いた。53万しかないのに「60万まで出せる」と書いてる自分を発見した。酔った男の凄味というか「酒って凄い」と唸った。
とにかくプロにお願いした。
車屋の反応も良かった。さすがプロ。翌日には手頃な車を探し「これはどうだ?」と聞いてきた。

任せると言ったら任せたい。分からない人間が四の五の言ってもしょうがない。
「プロがいいと言うならそれでいい」
即発注した。が、本当にカネがないので消費税は出世払いにしてもらった。こういう小さいところが私が私であるゆえんだろうと思った。
発注後も車屋は車について色々説明してくれた。が、私は車に興味がなかった。
「とにかく今乗ってるザッツを持って行くから嫁子が帰省する日に新しい車をウチの家に停めといて」
それだけお願いした。
この件があって久しぶりに嫁の車に乗った。嫁の車はゴミの嵐だった。ゴミをそのまま渡すわけにはいかないので車内を軽く掃除した。隙間という隙間にゴミがギッチリ詰まっていてポリ袋大では足りなかった。嫁は車に興味がないというより「走るゴミ箱」と勘違いしてるようだった。
カネは即座に払った。払った事でまた危険水準に達し、働く理由を得た。

二週間の帰省を終え、嫁と子が熊本に帰って来た。
空港から家へ向かう車の中、私の心は踊りまくった。
(このサプライズは一回の抱擁じゃ済まんなぁ、何度もギュギュってされたら僕照れちゃう、嬉し過ぎてブチューブチューってやられた日にゃ怒っちゃうかもー)
「やめろー!子供が見てるぞー!なんちゃってー!」
ニヤニヤしてたら家に着いた。知らない車が家の前に停めてあった。
「何この車ー?」
一呼吸置いて優しく応えた。
「たぶんお前の新しい車だ」
「えっ嘘でしょ!」
「キーはクーラーボックスに入ってる、はず」
三女がクーラーボックスへ走りキーを持ってきた。
「何これ?」
キーだけど鍵がなかった。黒い樹脂の塊だった。
「どうやってエンジンかけんの?」
「知らん、運転席のボタンを押すんじゃ?」
嫁は黙って押した。電気は点くけどエンジンがかからなかった。
「えーどうすりゃいいの?」
「知らん」
こんなはずじゃなかった。もっと何ていうか「いやーん嬉しいブチュー」って感じが欲しかった。四十路の夫婦はただただ新文明に混乱した。
「エンジンどうすんのー?」
「だけん知らんて言よっどがー!」
こうして夫の全力サプライズは終わった。
このサプライズによりカネは尽きた。そして夫はまた出稼ぎにゆく事が決定した。
嫁は新しいゴミ箱を得、また隙間という隙間にゴミを突っ込み始めた。
「エアコン効くよー、窓も開くよー、新しい車は快適だねー」
エアコンが効くというだけでパラダイスらしい。嫁の車は「動くゴミ箱」から「動くゴミ箱パラダイス」に進化した。

「中古とはいえ新車だけん最初ぐらい大切にしろよー!お前の車は俺の車(旧型バネット30万円)の倍ぞー!」って言いながら嬉しそうな嫁の顔を見てるとジリ貧の貯金通帳、その心配なんて風に舞う塵に同じ。一緒になってキャッキャ騒げばプライスレス。100億の通帳もこの時間には敵うまい。
空を見た。気付けば夏も終わろうとしていた。空が高い。高い空に私の時間とカネ、その意味を問うた。
「うん、嫁に使って終わりの巻」
嗚呼それが人生、特に悔いなし、終わりの巻。