第45話 携帯パンデミック(2009年1月)10KB

モノ

PHSを持ったのが19歳だから、鎖に繋がれ13年目という事になる。
当時、高嶺の花だった携帯電話というものがグッと身近になったのはPHSの出現であった。熊本県民はワサモンといわれ、新しいモノに食いつきやすい県民性という事だが、こと私に至っては食いつきが弱かったように思える。人より遅くポケベルを手にし、人より長くポケベルを愛し、人がPHSから携帯へ切り替えようとしている頃、静かにPHSを持った。理由は、
「自転車による日本縦断の旅に出る」
それだったが、PHSは街限定の通信機器であり、全く役に立たなかった。
関門海峡を渡り、日本海側を北上し、佐渡島に寄り道し、東北を突っ切り、津軽海峡冬景色を歌いながら冷たい海峡を渡った。そこから先は夢の大地・北海道である。函館に上陸した後、日本最北端・稚内までタップリ一週間をかけ、のんびり旅した。旅のために買ったPHSはリュックの奥深くに仕舞われ、全く日の目を見ていない。道中、ほぼ圏外であった。
旅も終盤、長万部(おしゃまんべ)という北海道の小さな町で私は橋の下にテントを張った。テントの中で久々にPHSを出し、既に見慣れた圏外表示を確かめると、その馬鹿馬鹿しさに笑いが止まらなくなった。旅に出るのにしがらみとの繋がりを求めていた出発前の私、その馬鹿馬鹿しさは何となく滑稽で、旅人として笑うしかなかった。それに気付いただけでも19歳の日本縦断は大きな収穫であった。その晩、日が落ちるとテントを飛び出し、語るべき人を求め、汚い居酒屋に入った。そこで一緒になったオッサンに三軒目までご馳走になり、翌日は二日酔いで札幌を目指した。
この出来事は人生という自由な絵の小さな点に過ぎないが、一人旅の醍醐味を痛感した貴重な瞬間であり、たまに思い出す。あの日、札幌を目指した私は二日酔いの頭で何かを考え、その時に考えた事が今も下地としてどこかに残っている。
(旅というものに携帯の入る余地はない)
今の私は、あの日の余韻からそう確信している。あの頃から比べると通信機器の性能は飛躍的に伸びた。何よりも手頃になった。強烈な普遍性と利便性は文明の象徴となり、人間の奥深くまで食い込んできたように思える。
つい先日、庭で子供と遊んでいると、たっぷり荷物を積んだ自転車がウチの前で停まった。こぎ手は若者であった。私は過去が過去だけに、そういう若者に絡む事を無上の喜びと考えていて、飯でもご馳走してやろうと近寄ったわけであるが、若者は私に気付かず懐から携帯を取り出した。若者は流暢な東京弁で何かを話し、私に全く気付かない。聞こえてくる単語の中に仕事のカケラが見え隠れしていた。話は長かった。3分ほど電話の終わりを待ったが、どうも終わりそうにないので場を離れた。が、頭から若者が離れてくれない。旅そのものが泣いているように思われ、猛烈に気になるのである。
19歳、日本縦断から戻った私はPHSを捨てた。が、それは一ヶ月ほどの事で、日常は文明の鎖を欲した。学生という身分の私、その最もたる日常はコンパであって、コンパのためにポケベルを持ち、コンパのために携帯を持った。
あれから十数年、東京弁の若者(旅人)をぼんやり眺めながら、
(今、自分は何のために携帯を持ってるんだろう?)
その事を考えてしまった。結婚10年目、もうコンパは遠い。話があれば行く準備はできているが誰も誘ってはくれない。日常は大いなる変化を遂げてしまった。日常、つまり嫁と家族と仕事、それに趣味である。
携帯の役割は嫁・家族とのホットライン、その意味合いが最も強い。出張時、その力は遺憾なく発揮されるが、平日はトランシーバー代わりになっている。家族間無料という仕組もあって、隣の建物にいようと携帯が鳴る。
「こんなものいらん!」
携帯に関し、その決断を出してから既に五年が経とうとしている。ホットラインだけ見れば、それがなくとも出張時には情を増す効果が期待できるだろうし、平時は動いて連絡するぶん健康にも良いだろう。何が問題か、仕事である。社会である。大抵の人は社会の中に仕事を持っている。私も例外ではない。社会が携帯ありきで突き進んでいる以上、それがない仕事というものは悔しいが成立しがたい。
私は携帯というものの大いなる欠点は着信履歴だと思っている。この機能があるせいで、この道具は社会の鎖になってしまった。受けてしまえば無視できない。今のご時世、逃げ場もない。一昔前、この厄介な鎖は田舎に届かなかった。その点、微かに逃げどころがあり救いようがあったが今はそれすら克服されている。社会の手が都会を侵食し終え、田舎へ伸びているようで、どうも気味が悪い。
昨年、関東へ出た際、あるベットタウンの公園を通った。そこで見た光景は世紀末の様相で、益々携帯を捨てたくなった。子供は元気に遊んでいる。それは何も変わらない。が、その横で多くの大人が無言であり、下を見、そやつに魂を食われていた。
(この風景は深刻だ…)
ゾッとして田舎に帰ったわけだが、つい最近、田舎の公園でも同じような光景に出くわしてしまった。
文明人はインフルエンザ・パンデミックを恐れているが、ある種、この現象は携帯というウイルスによるパンデミックではないか。当人は死んでる事に気付かないが、実はジワジワ、人間の大事な部分が死んでいる。そのような事を思い、大いに震えたが、私自身、文明と深く接しているので仕事から切り離す勇気が持てないでいる。
今、ウチの携帯は2台である。二年ほど前は1台であった。平日は私が持ち、週末は嫁に渡す事で何一つ不自由なかった。が、専業主婦も子育てクラブという文明の仕組に属してしまえば携帯が要るらしい。
「俺のをやる、俺には必要ない」
押し付けるようにその携帯を嫁専用にしたが、併せて前会社から携帯を支給されてしまった。それ以来、福山家として2台を所有している。私の携帯に関していえばメールは契約していない。むろん必要としていないからだが、嫁に言わせると「こんな便利なものを使わないのは理解できない」らしい。
この文章を書くキッカケになった事件がある。年が明け、たんまりお年玉を貰った子供たちに、
「どこ行きたい?」
尋ねたところ「ジョイフル」という手頃な回答を得た。大人のオゴリという事で近場のジョイフルへ行き、リッチな子供たちのオゴリという事で居酒屋をハシゴした。ジョイフルで私たちの隣に座っていたのは三人組の家族であった。父親は終始携帯をいじっていた。母親は子の世話をしつつ音が鳴るたびに携帯をいじった。子は何か一生懸命に喋っている。喋っているが、それを受け止めるべき親の手には携帯があり、子の無邪気な言は宙を舞っている。
子はひとしきり喋った後、うつむいた。その光景は私にとって間違いなく他人事だが、心を根こそぎ奪われてしまった。目の前の食事、その味を完璧に忘れ、他人を見つめ続けた。子は長女と同じ背格好だから六歳くらいであろう。長い沈黙の後、
「今日どこが楽しかった?」
泣きそうな目で父親に問うた。私は胸が熱くなった。この質問は子がすべき質問ではあるまい。子は明らかに気を使っている。これは親が発すべき質問であろう。私は身悶えた。この父親を音のなるスリッパで思いっきり引っ叩いてやりたいと思った。父親から携帯を取り上げ、その上に特大の脱糞をかましたいとも思った。低俗でありながらも効果抜群の抗議行動を色々考え、怒りを発散させた。が、父親の暴挙は止まらない。極めつけはこの質問に対する父親の回答であった。
「明日の仕事が大変だよ、まったく」
娘が精一杯発した質問に対し、「仕事があるにも関わらず家族サービスに出た、おかげで明日の仕事が大変だ」と、いけしゃあしゃあ、ぬかしやがったのである。
「む! むむー!」
「どうしたの、福ちゃん?」
私は怒り絶頂である。嫁が私の異変に気付いたが、これを説明するには更なる酒と絶叫が許される空間がいる。家に帰る必要があった。
帰路、嫁の携帯が何度か鳴った。メールの着信という事であったが、
「くれぐれも子供と向かい合ってる時はやめろよ」
念を押さざる得ない状況と心境であった。
集落の祭にも、地元の消防団にも、御歳80を超える祖母にも携帯パンデミックの波が押し寄せてきている。文明の機器は上手く使えば道具だが、一歩間違えると精神を掻き乱すウイルスになる。
こんなニュースも現実にあった。命からがら火事場から逃げ出した若者がいたらしい。が、なぜか火事場へ舞い戻り、焼け死んでしまったらしい。戻った理由は携帯を忘れてきたからだという。モノに人が食われてしまった分かりやすい事例で実に馬鹿馬鹿しい。これに限らずウイルス発端の馬鹿馬鹿しい例は、テレビをつける事で毎日フレッシュなものを得る事ができる。
車、パソコン、携帯電話、文明の照射を浴び続け極端に普遍性を増した道具たちは道具の域を超え、新しい人を、新しい社会を造ってゆく。私も鎖に繋がれ13年目になるが、今ほどこの道具をうっとうしく思った事はない。
余談になるがNさんという大企業の社長経験者が知り合いにいる。その方は退職後、携帯電話を捨てたらしい。想像だが、それをかなぐり捨てる事で人生の大半を費やした何ものかと決別されたのではないか。併せて余生と正面から向き合おうとされたのではないか。しかし、ゆるり生きるには、Nさんの理屈に対する執着というものは切り離そうにも切り離せず、色々葛藤されているようで、そういうところ人間の可笑しみがあり、個人的に好きな光景である。Nさんが携帯を文明社会の象徴と見、逃げ惑う姿は私も同感で、そのしつこさたるや今の日本には逃げ場がない。
話の終わりに話が飛ぶ。
来月は久しぶりに旅(徒歩)に出たいと思っている。
「何のために? 経済的なアテはあるの?」
嫁は聞くが、理屈の立たぬところに旅はある。理屈の立つ旅など、この時代、何の息抜きにもならない。
旅のテーマは、
「寒風吹き荒れる海の道を古人はどう歩いたか?」
私個人の好みによる極めて無駄で勝手な考察に文明や理屈の入り込む余地はない。つまりは勝手、更に気まま。これこそ携帯パンデミックに対する唯一の対抗策といえるかもしれない。
携帯よ、歯噛みして悔しがれ。電波がどこまでゆこうとも気ままな奴には意味がない。私は古い海風に乗り、古の道を突き進む。
寛大な嫁、そして娘たち、海より広い家族の度量に感謝して、携帯嫌いは雲になる。