第98話 東京下町散策記2(2014年7月) 12KB

京成線は高砂駅で分岐する。柴又へゆくには金町線に乗り換える必要がある。
乗り換えが遠かった。改札を抜ける必要があった。同じ社線なのになぜ出なきゃならんのか。分からん。このシステムがよく分からぬが、まさか寅さん好きをカウントしているのではないか。
改札以降、明らかに寅さんファンが増えた。金町線の途中駅は柴又しかない。
車中の会話も凄かった。前回放送・男はつらいよの話で大盛り上がり。あちらの席では「どのシーンが好きか?」という議題に老人たちが喧嘩腰であった。
(僕も入りたい!その輪に入ってリリーと寅の相合傘を提案したい!)
声にならぬも叫んでいると、ベージュのジャケットを羽織った見るからにそういう感じの爺様がそのシーンを挙げてくれた。
「相合傘は良かった、今日は雨だから絵になる」
喧嘩腰は落ちついた。車中は寅さん好きで満ちていた。全員が目を細めて頷いた。
乗客の半分ぐらいが柴又で降りた。降りてすぐ半分ぐらいはどこかへ行った。急ぎ足は地元の人か常連さんだろう。私を含め、その他大勢の初柴又組は降りた瞬間震え合った。
「はぁっ!これっ!はぁぁぁっ!」
みんな声にならなかった。あの場面のあのシーンに自分が立っている驚きであった。
小森のおばちゃまみたいな人が息絶え絶えに寄ってきた。
「ふぅー、写真を、ふぅー、撮ってくだ、ふぅー」
私も感動に震えていた。思いっきり手ぶれした。
駅が良かった。そのまんまであった。舐めるように見た。ベンチで呼吸を整え、観光客がいなくなった後もゆっくり見た。
改札を出た。出たところに寅さんの銅像があった。観光客が並んで写真を撮っていた。こういうのに捕まるとよくない。おばさんは一人っぽいお兄さんが大好き。「おにーちゃん♪」と甘い声で呼び止め、何十枚も写真を撮らせるに違いない。
「おにーちゃん♪」
息を吹き返した小森のおばちゃまに見付かった。おばちゃまは数人の更なるおばちゃまを連れていた。案の定、数十枚撮らされた。そして、案の定一緒に歩くハメになった。
おばちゃまは柴又名物・草だんごをおごってくれるらしい。それはありがたい。黙って隣を歩いていると、
「他にも柴又名物がある」
そう言った。まさかと思って警戒したら、おばちゃま私の傘に入ってきた。
「雨の柴又相合傘、リリーと寅の深情け」
「嗚呼!」
わたくし、生まれも育ちも肥後熊本、遠い阿蘇より憧れて、遙か柴又三百里、空を駆けてやってきた。嗚呼、憧れの帝釈天、雨に濡れた参道で、まさかまさかの深情け。隣を見た。知らぬ仏のおばあちゃま。仰天無念の男泣き。
小森のおばちゃまは、リリーになって超はしゃいだ。
「ほら写真!写真撮ってよ写真!」
寅はうなだれた。草だんごを食った後、逃げるように去った。
さて、参道の突き当たりに帝釈天があった。のんびり見たいが小森のおばちゃまに追いつかれるのは困る。そういうわけで先に江戸川方面へ向かった。
帝釈天に沿った細道を抜け、山本亭という行政管理の豪邸を抜けると記念館があった。寅さん記念館であった。箱物嫌いの旅人はコンクリート造りの重厚な建築物を遠慮すべきであろう。が、寅さんを冠した箱物はここだけかもしれない。ましてやここは葛飾柴又。行くか行かぬか迷っていたら団体の観光客が出てきた。感想を聞くと、みんな「素晴らしい」と言った。本物のセットが移設されてるそうで、マドンナの壁面は見事だそう。
「マドンナの壁面とは何ぞや?」
観光客に押されて中に入った。入って良かった。前半から中盤まで寅さん好きを泣かせる趣向が目白押しで、さすがに実寸のセットは興奮した。あの茶の間がそこにあった。上がりたい。上がらせてくれ。にじり寄った。寄った先に「入らないで下さい」その貼り紙があった。ギャフンとなった。私だけじゃなく色んな人がその貼り紙にギャフンとなっていた。
この消化不良は何だろう。そうキャバクラ。キャバクラっぽい消化不良で何だか悔しくなった。悔しいという事は熱くなれたという事。それ即ち夢中。実寸には想像をくすぐる力があった。
ところでマドンナの壁面とは何なのか。
セットを抜けるとしばらく面白くないゾーンが続いた。映像コーナー、街並再現ミニチュアコーナー、鉄道ミニチュアコーナー、クイズコーナー、
「なぜ箱物は似たようなモノを作りたがるのか?」
毎度お馴染み前例踏襲ゾーンにガッカリしていると資料の展示があった。台本とか寅さんのトランクとか、二次元でもミニチュアでもない本物サイズの展示があった。
「そうそう、こういうのが見たい!」
バーチャルはネットで十分。なぜ現場に行くのか、それ即ち本物を見たいからで他意はない。若干気分が盛り上がった。盛り上がったところで寅さん記念館の出口が見えた。この出口付近にマドンナの壁面があった。道の両側に全作品のマドンナ写真が貼ってあった。
「なるほど」
団体客のほとんどが「マドンナの壁面」を挙げていたのはこういう事で、つまりはキャバクラ。そう、キャバクラテクニック。美女に送られ気分を害す男はいない。
「また着てね、私の寅さん」
「てへっ」
脚本の妙であった。
さて、雨が止まない。江戸川を歩きたいが、こう降っては歩けない。空を眺め、ぼんやりしていると案内係に山田洋次ミュージアムを勧められた。最近出来たらしく、寅さん記念館のチケットで入れるらしい。
「雨宿りにどうぞ」
勧め方がいい。寄ってみた。で、感動した。寅さん記念館より素晴らしかった。
山田洋次ミュージアムは狭い。狭い壁面に山田洋次の代表作が並んでいて、それぞれに脚本家としての熱い思いが綴られていた。
私は「学校」という山田作品に泣かされたばかりだった。この作品は社会と人間に学びの本質を問うていた。小津安二郎に捧げる「東京家族」も良かった。
「そうよ!家族ってそうなのよ!」
自らの感想と作者の想いを照らし合わせて楽しめる新感覚箱物であった。
私はこの部屋にある活字の全てを読んだ。本気で泣けた。最初、隣のおじさんが静かに泣いていた。つられて泣いたら、おじさんも声を上げて泣き出した。号泣のおじさんを見て、私も号泣した。泣き合戦であった。
合戦を止めたのはおじさんの奥さんであった。不意に現れ激怒した。
「何で泣いてんの?恥ずかしい!止めてよ!」
「スイマセン」
私が謝った事でおじさんは救われた。
山田洋次ミュージアムを出た。雨は小降りになっていた。
江戸川の河川敷を歩いた。青い土手は無人であった。寝転ぶ人はいなかった。寅さんも源ちゃんもいなかった。併せて観光客もいなかった。犬の散歩が数名、静かな河川敷であった。ぶらぶら歩き、矢切の渡しに達した。むろん、あの歌を歌った。
「つれてぇ逃げてぇよぉ♪」
ふと後ろに殺気を感じた。焦って振り返ると公園の管理人であった。
「今日は休みだよ」
渡し舟は雨で休みらしい。
それにしてもおばちゃまの余韻が消えなかった。さくらやリリーを描きたいのに相合傘ごとおばちゃまにジャックされてしまった。傘の左右の滑り込みが怖かった。道ゆく老人全てが小森のおばちゃまに見えた。
渡し場に立った後、帝釈天に寄った。鐘堂が良かった。寺の人がいたので、
「源ちゃんみたいな人が打つのですか?」
聞いたら鼻で笑われた。そういう質問をするのはアホばかりなのだろう。
「御前様は笠智衆っぽいですか?」
「やっぱり口癖は、いかん、いかんって、二度言いますか?」
聞きたい事は山ほどあるが、そういう質問はうんざりだろう。人間追ったり追われたり、今度は私が追って坊主が逃げた。
ところで帝釈天は寺の名前じゃない。本尊を指していて真宗の寺に置き換えるなら阿弥陀様となる。阿弥陀様は通称になり難い。むろん多過ぎるという事もあるが、それ以上に響きが暗い。帝釈天という響きはいい。何だかスカッとしている。江戸っ子っぽい。柴又という町が帝釈天という通称を支持し、呼び続けた歴史に下町の何かが見える気がした。
ちなみに寺の名を正しく書くと経栄山題経寺、日蓮宗の寺である。源ちゃんが着ているハッピを見ると確かに題経寺と書いてある。が、ほぼ全ての寅さんファンは題経寺という名前を知らない。地元の人もひょっとすると知らない可能性がある。地図にもネットにも柴又帝釈天と書いてあって民衆、そして寅さんが塗り替えてしまった。
これは想像だが題経寺も苦心した時期があったろう。寺の名は薄まる。私みたいな寅さんファンが続々来る。笠智衆に似てないと怒られる。いない源ちゃんにガッカリされる。
「寅さん寅さんって、あー、もー、うるさーい!」
叫んだ夜もあったろう。が、今現在は受け入れているように見えた。山門をくぐると右手奥におみくじマシンがあった。二百円を入れると獅子舞がおみくじを運ぶという代物で、そのマシンから「男はつらいよ」が大音量で流れていた。御守りの売り子も「寅さんっぽいのはこれ」と、聞いてもないのに教えてくれた。
帝釈天の参道に至っては寅さんの参道と化していた。あらゆるところに寅さんの写真やマンガがあって売り子の寅さん推しも凄かった。確かにあの参道。あの参道ではあるけれど、何か肝心なところが決定的に違うような気がした。
帝釈天の山門前も似た感じであった。三輪自転車が停まっていた。エコかエゴだか知らないが、東京では人力タクシーが流行っているようで、同じものを色んなところで見た。真っ白な車体が昭和のイメージから大きく離れていた。
「お兄さん乗ってってよ」
声を掛けられたので大事な事を教えてあげた。
「俺達は寅さんの追っかけよ、こういうのはよくない、例えば、さくらっぽい自転車を用意する、で、さくらっぽい人を置いてごらん、彼女を後ろに乗せて河川敷を走れる権利10分1000円、これは売れる、行列ができる」
「古い自転車を客に運転させるの?」
「そう、それがミソよ」
「・・・」
旅人は寅さんの真似事がしたくて葛飾柴又へ来た。真似事はリアルなほどいい。リアルな寅さんは労働者諸君の商業主義を嫌うだろう。寅さんゆかりのすってんの、そういう事をやかましく言われるとリアルが離れて嫌になる。真似事に必要な柴又は少なくともそういう場所ではない。
観光地を離れ、葛飾柴又を歩いた。
地元の老人に生活感のあるオススメの場所を聞こうと思い、柴又八幡に寄った。今回も神社の老人に期待した。が、雨ゆえに誰もいなかった。しょうがない。ふらふら歩けば何か当たるに違いない。
当たった。「亀有信用金庫柴又支店」というのを発見した。
「両さんですか?寅さんですか?どっちやねん!」
独り言が増えた。
南へ歩いた。何もなかった。
高砂駅に着いた。
「次はどこへ行こう?」
キップ売り場で駅名を見ながら行き先を考えた。時刻は午後1時を回っていた。腹が減った。喉も渇いた。
「一杯やって飯食おう」
次の行き先を立石に決めた。

葛飾柴又、歩いた道。

寅さん記念館で見た実寸セット、上がれないのが残念だった。

雨の江戸川河川敷、寅さんも源ちゃんもいなかった。

渡れなかった矢切りの渡し。

柴又帝釈天前の三輪タクシー。

「どっちやねん!」突っ込みたくなる亀有信用金庫柴又支店。