立石は呑み人の聖地という噂を聞いた。が、私は信じない。山本リンダも言ってるように噂を信じちゃいけない。特に飲食の類はメディアと行政がスクラムを組み、「まちおこし」と銘打って色んなものを操作している。
「資本と権力に惑わされちゃいかん!市井の真実は市井に聞け!現場主義者はガイドブックもテレビも見ん!現地だけば見る!俺の採点は厳しかぞ!」
お腹をすかした旅人は京成立石駅で下車した。階段を下りた。下りたところに酔っ払いがいた。ぐでんぐでんであった。酔っ払いは右に折れた。右はアーケードの入口になっていた。ここが酔っ払いの溜まり場になっていて、ちょうど若い兄ちゃんがゲロを吐いてるところだった。
「これは凄い」
昼からゲロも然る事ながら酔っ払いの幅が広かった。老若男女いろいろいた。何を話しているのだろう。待ち合わせのフリをして会話を聞いた。聞いて驚いた。肩を組んでる酔っ払いは皆他人であった。日雇い労働者らしく、雨で仕事が中止になったと言う。雇い主だろうか、会社の名前を出し、知ってるの知らないのダミ声で盛り上がった後、アーケードに吸い込まれて行った。
「ここは凄い」
初っ端に判断を下して申し訳ないが、これは認めざるを得ない。なぜなら手元の時計は午後2時。昼過ぎなのに酔っ払いが列を成して闊歩、そういう駅前は日本中探してもそうないだろう。先ほどの日雇い労働者もこう言っていた。
「とりあえず立石」
彼は朝7時に休みの連絡を受けたと言う。で、立石に来た。とりあえず立石に来ればどこかで呑めるし誰かいる。誰かは他人でいい。隣に座った奴が今日の呑み相手であった。
「いいぞ立石!」
こういうところで昼から呑みたかった。アーケードに突入した。総菜屋の店先が賑わっていた。ビニールで囲われた狭い空間にビッシリ人が入っていた。モツ煮が美味そうだった。
「僕も仲間に入れて下さい」
気軽にそう言って滑り込みたかった。が、滑り込む隙間がなかった。詰めたら座れそうな気がした。首を突っ込んだ。みんな一斉にこっちを見た。怖かった。全力で逃げた。
同じような場所が幾つかあった。どこもいっぱいで、どこも常連のガードが固かった。
「いいっ!」
知らない顔を簡単に受け入れない雰囲気がいい。それはまるで山深い農村のよう。こういう環境こそ煮詰まった文化ができる。
「立石の文化を知りたい!」
線路の向こう側はどうか。踏切を越え、反対側も歩いてみた。
「ギャッ!こっちも凄い!こっちの方が凄い!」
昭和に燻された細い路地に小さな店が並んでいた。どの店も古かった。ザ・戦後。ザ・昭和。錆びたトタンと朽ちた木材が視界の半分を占めていた。街の原形は闇市だろう。こういうところを潰すのが都市行政の仕事となって久しいが、ここは頑固に昭和を通していた。
「何という通りだろう?」
看板を見付けた。ゾクッときた。「呑んべ横丁」と白地に黒で書いてあった。開いてる店を探した。どこも閉まっていた。夜になればこの狭い路地が酔っ払いでいっぱいになるだろう。店には60年70年代の歌謡曲が延々流れていて、カウンターにはクダを巻く常連がいるに違いない。それを叱るのは割烹着姿のママ。シュッとした美人に違いない。ちあきなおみにソックリで、演歌の一つも歌うだろう。
「嗚呼っ!嗚呼っ!」
酒が沁みるに違いない。
「違いない、違いない」
想像が楽しかった。誰もいない呑んべ横丁をしこたま歩いた。歩いて分かったが、呑んべ横丁を取り巻く環境は現代風であった。この横丁も迫り来る都市化と闘っているに違いない。
「違いない、違いない」
違いない中年は想像に疲れた。辛抱たまらず呑みたいハートが爆発した。アーケードに駆け戻り、混んでる呑み屋へ身を投じた。また一斉に見られた。が、今度は逃げなかった。
「一人ですけど座れます?」
ちゃんと言えた。客も店員も何も言わなかった。黙って詰めてくれた。端っこが空いた。
こういうところは最初が肝心であった。おのぼりがバレちゃいけない。座るやホッピーとモツ煮を頼んだ。競輪仲間の先輩から「ツウはホッピーとモツ煮を頼むもんだ」と昔々教えられていた。電光石火のツウ的注文に常連も一目置いたに違いない。胸を張って反応を待った。が、反応はなかった。店員だけが僅かに反応してくれた。
「うちホッピーないよ」
「え?」
「出ないからねぇ」
恥ずかしかった。常連は何を呑んでるのだろう。隣を見たら焼酎の湯割りに梅干が入っていた。その隣も、そのまた隣も同じものを呑んでいた。流行っているのだろうか。
焼酎の値段は200円だった。指定せずに焼酎を頼むと甲類が出た。久しぶりに甲類を呑んだ。九州で甲類を呑む事はまずなかった。都市部では未だ健在、安酒の主流であった。久々のそれは味がなかった。味がないゆえ、みんな梅干を入れて呑むのだろう。
意外と静かな空間だった。ビニール越しに見ると凄く賑やかに思えたけれど、みんな声のトーンが低かった。隣は疲れたおじさんだった。無理して話しかけた。
「立石は初めてです、いい街ですね」
「そう?」
「こういうところで呑めるのは幸せですね」
「ふーん」
無難に褒めた。が、無難ゆえ全く弾まなかった。だんだん居心地が悪くなった。肴は安くて美味かったが酒と水が合わなかった。お腹だけいっぱいになった。もう一軒別のところで呑みたいと思い、隣のおじさんに米焼酎が呑める店を聞いた。おじさんは立ち上がった。勘定を済ませると「付いて来い」と言った。正直付いて行きたくなかった。おじさんは暗かった。色々話しかけたが相槌しか打たなかった。口癖は「ふーん」であった。
「一人で行きます、店だけ教えて下さい」
「・・・」
「いいですよ、お忙しいでしょう?」
「・・・」
おじさんは無言でジャンジャン進み、たまに振り返るとおいでおいでした。アーケードから離れた店に入った。古い料理屋だった。
今度の店には人がいなかった。おじさんは常連らしい。女店主と一つ二つ会話した。その後、人が変わったように喋り始めた。自己紹介もしてくれた。おじさんも日雇い労働者だそう。五年ほど前に妻と別れて郷を捨てたらしい。
「どこですか?」
郷を聞いたら叱られた。
「そういう事は聞いちゃいかん」
おじさんには流儀があった。混んでる店で暗い話はタブーらしい。おじさんの話は基本暗かった。自分でそれが分かっているから喋らない。長い時間チビリチビリとやるらしい。そういう人間がこの街にはたくさんいて、雨の日はどうしようもなく無口な酒になると言う。
「ドヤ街に行ってみな、山谷、寿、雨の日はどうしようもねぇ」
おじさんが語る「ここいらの人生」は壮絶であった。
「マンガやドラマのようですね」
「バカ言っちゃいけねぇ」
おじさん曰く、物語は手頃なものだけ採り上げてるから見れるそう。真実はもっと悲惨でもっと汚い。ゆえ信じられずリアリティーがないという。
「娑婆の話を聞くか?」
「遠慮しときます」
おじさんの話は真実か作り話か分からなかった。が、色んな事を諦めつつも、とりあえず生きようとされているのが分かった。先は暗いがとりあえず生きる、このスタンスは簡単なようで難しかった。
おじさんは呑んで酔うより喋って酔うタチであった。混んだ酒場で朝から呑んでも酔わない人が静かな酒場ですぐに酔った。
「雨はどうしようもねぇ、聞くか?」
おじさんは2000円の宿に泊まっているらしい。昼は宿にいちゃいけないそうで、雨の日はこの日のように朝から呑む。日雇いの給料は8000円らしい。むろん雨の日は無給となる。
「雨が続くと宿代も払えん」
「どうするんですか?呑み代を削るんですか?」
「そうさなぁ」
おじさんは笑った。
「知らん、どうにかなろう」
立石だけじゃなく、呑みの聖地と呼ばれる場所にはこういう人がたくさんいて、こういう人に支えられて安く雑多な呑み屋街が維持されてきたのだろう。我々はそれに興奮し「聖地」などと騒いでいるが、真実は必要だからある、いらなきゃ消える、たったそれだけの事で他意はなかった。
おじさんは帰る私に奢ると言った。こういう話を聞かされた後に奢ってもらえるはずがなかった。断った。全力で断った。が、最後には呂律回らぬ口調で、
「はじぃかかせんなぁ、ばぁーろぉー!」
それこそ映画のように暴れ始めた。
「いた!」
下町には、まだこういう人がいた。
私は店主に五千円を渡した。多過ぎると言われたが、とりあえず置いた。
「かぁえれぇ!ばぁーろぉー!」
罵声が心地良かったのは人生初だった。
「僕は下町にいる」
その実感がやっと湧いた。寅さんがその辺から出てくるのではないか。何だか泣けてきた。店主がおじさんをなだめた。なだめつつ笑った。
「シラフの時にちゃぁんと言っときますよ」
私は深々と頭を下げて店を出た。
噂は本当だった。立石はそういう街であった。
さて、どうしようもなく酔った。酔ってる割に手元の時計は17時であった。
再び京成線に揺られた。車窓は雨。雨の本所深川もいいだろう。
押上で降りた。思い付きで降りたから地図も何もなかった。駅前の看板を見、南に歩いた。
由緒正しき下町といえば本所深川であろう。押上駅から直線距離で南へ一里ちょい、凡そ木場までが本所深川になる。駅を降りたところにスカイツリーとショッピングモールがあった。が、そういうものには興味がなかった。酔いにまかせてズンズン南へ歩いた。
降り続く雨。ビルの隙間にスカイツリー。道は普通の舗装路。何もないまま錦糸町駅にぶつかった。左手に折り畳み傘、右手にタオルを持ってたが小さな風でもよく濡れた。膝から下に至ってはズブ濡れであった。
「霧雨じゃ濡れていこう」
芝居のセリフが似合う街ではあるが、あいにく霧雨じゃなかった。本降りから土砂降りになった。こう荒れてしまっては散策にならない。が、酔いというのは不思議なもので歩きたくてたまらなかった。立石の余韻であった。
菊川という地下鉄の駅があった。右手のタオルを捻り鉢巻に変え、髪から滴る雫をガードした。駅前の看板を見た。近くに霊巌寺があった。ここに松平定信の墓があった。墓参りに向かった。
自分で言うのも何だが私は怪しかった。土砂降り、夕暮れ、ズブ濡れ、墓前、中年、酔っ払い。キーワードを並べるだけでも怪しいのに口ずさむそれは中島みゆきのわかれうた。徹底的に暗かった。見る人が見れば自殺志願者に見えたろう。
更に南へ下った。深川といえば富岡八幡宮。勧進相撲発祥の地で横綱の碑があった。これには歴代の横綱が刻まれていた。酔った頭でボーッと読んでたらお経を唱える女性が来た。阿弥陀経であった。
「なんで相撲に阿弥陀経?」
素直に疑問を投げてみた。女性はハッと顔を上げた。若かった。ギャルであった。身の危険を感じたらしい。走って逃げた。ギャルにとって中年・デブ・酔っ払いは三大禁忌であった。私はパーフェクト禁忌。阿弥陀経の謎は解けなかった。
すぐに日が落ちるだろう。
最後に深川不動に寄った。「ここは凄い」と色んな人から噂を聞いていた。言わずと知れた成田山の別院だが、それとは関係なく「とにかく凄いもの」があるらしい。ある人が言うに、
「司馬遼太郎がこれを見たらショック死したかもしれない」
それくらい衝撃的で型破りな建築物があるらしい。
見た。
ギャフーン。
噂に違わぬ型破りに言葉を失ってしまった。梵字の集合体が壁になっていた。目が痛くなった。これはありがたいのか。美しいのか。それとも現代アートなのか。宗教家とアーティストではなく、普通の人のコメントが聞きたかった。運良く観光客が坊さんに聞いていた。
「あれは何ですか?」
「梵字です」
「・・・」
やはり無言であった。
凡人は考えるからいけない。感じればいい。でも考えちゃう。
「なぜこれを作ったのか?」
昔から民衆を圧倒するのが宗教建築の役割であった。そう考えると確かに的を得ているようにも思えた。天平時代は巨大なだけで民衆の度肝が抜けた。が、現代は違う。巨大建築に慣れたゆえ、アートでアッと言わせたい、そういう事か。でも何かが違う。何が違うかは上手く言えない。凡人は梵字に無知で「あ!」とならず「ん?」となり、結果、無言になった。
ちなみに深川不動は中も凄いらしい。ハイテクだそう。が、閉館時間はとうに過ぎていて見る事ができなかった。
下町の余韻はその翌日も続いた。
出張名目で来てるから一日ぐらい仕事をする必要があった。展示会場へ足を運んだ。ビックサイト周辺に下町っぽさは微塵もなかった。私の内側にだけ下町が残っていた。
朝から夕方までしこたま歩き、昼夜兼用で飯を食おうとサイゼリヤというチェーンのレストランに寄った。下町の心は粋という名の人間らしさを探すようにできている。探した。
「む!」
発見した。メニューに強いこだわりを感じた。こだわりはイタリアにあった。チェーン店は普遍性が重要なのにイタリア押しが凄かった。赤ワインがモンテプルチャーノ種、白ワインがトレビアーノ種らしい。パンはフィセルと書いてあり、生ハムはプロシュート、ソーセージはチョリソーと書いてあった。
私はこの会社を知らない。が、ここの社長は本来なら全部イタリア語にしたいと思っているのではないか。括弧を使って日本語訳を書いているが、それは売るために泣く泣くそうしているのであって、本来はイタリアに統一したいのだろう。現に売れ筋ビールの記載が小さく、ワインの記載が巨大で、意味不明なカタカナ語に場所を譲っていた。
「感じる!この人のイタリアを感じる!」
普段は呑まないワインを頼んだ。
「うまい!そして安い!」
グラスは100円、デカンタというガラスの徳利は200円らしい。グラスを一気飲みし、次いでデカンタも空けた。ポカリスエットのような飲み心地であった。
ノッてきた。隣を見ると青年が一人で飯を食っていた。その隣も一人であった。周りを見渡すと、みんなスマホをいじっていた。
何という孤独な光景だろう。孤独は嫌だ。内に秘めたる下町が爆発した。青年に話しかけた。
「ワインいる?一緒に呑もう」
青年は間を置いて小さく頷いた。
「よし!マグナムいこう!」
デカンタの次はマグナムと書いてあった。徳利からボトルになるらしい。五合瓶が来るかと思ったら一升瓶レベルのビックボトルがやってきた。これで1000円だそう。安い。この店はどれだけイタリアが好きなのか。まさかイタリアを日本中にばら撒き、焼酎や日本酒に取って代わろうとしているのではないか。
青年も呑んだ。マグナムサイズにビビッていたが「遠慮するな」と重いボトルを持ち上げると、一口でグラスを空けた。
「イケる口だね?」
「ハイ、多少」
話し相手を得た。恩は貰って返すもの、誰でもいい、この青年に返そうと思った。
「さ、さ、呑もう」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」
青年はこの期に及んでスマホいじりを止めなかった。私は呑み相手を見付けてノリノリだった。呑む時にそういう事をされるのが一番嫌だった。
「食べながら呑みながらそういうもんをいじるのは飲食に礼を欠いとる!さあ!さ、さ!呑もう!これを空けよう!」
青年は真顔になった。少しムッとしたらしい。
「でもね!これをしなきゃ食えないんですよ!」
会社に何か報告しなきゃならないらしく、青年は下を向いて呑んだ。
マグナムワインは孤独な私と下を向く青年、その交互に注がれた。虚しかった。人間と人間が向かい合う時間はこうしてスマホに注がれるのだろう。
終わった。
酔った中年はそれから飛行機に乗った。東京上空を飛んだ。吉原はどこ。柴又はどこ。立石はどこ。どこがどこだかさっぱり分からなかった。
(結局、下町っぽさとは何だったのか?)
酔った頭で夜景を見ながら考えた。
選び抜いた下町を歩いたけれど、それは場所にあるものではなく、古い人間のざっとした暮らしを指すのだろう。時代はざっとした部分を消そうと躍起になってモノや仕組を作り続けている。下町っぽさはこの瞬間にも消えつつある。遠からずお伽噺になるだろう。
「スマートに!スマートに!」
時代の合言葉を四角い顔は黙って聞くだろう。寅さんはお伽噺か。そうじゃない。憧れだろう。憧れであって欲しい。幸い私は顔がでかい。寅さんに負けず劣らず顔がでかい。四角い顔の気持ちに近い。
「スマート?この俺にそういう事を言っちゃいけない、恋をしてごらん、人間に恋をしたらこういう顔になる、スマートなんて横文字は恋を知らないざれごとよ」
下町の旅が終わった。
立石のステキ過ぎる細路地。
立石のステキ過ぎる看板。
本所深川、酔って歩いた道。
スカイツリーを背にふらふら歩いた。
濡れて眺むは松平定信の墓。
凡人には意味不明。何も言えない梵字の壁。