第106話 客人去り難し(2015年3月) 15KB

知らぬ人から手紙が来た。「一度会って話がしたい」と言う。
全国ネットのお笑い番組で私を発見したらしく、すぐさま筆を執ったそう。話したい内容については一切触れてなかった。兎にも角にも筆を執ったという事実、そして会いたいという念が綴られていた。
すぐにでも行きたい、行かねばならぬと思った。が、その住所は東北で、更に僻地であった。時間も然る事ながら交通費も相当かかるだろう。返答に困った。そもそも、この手紙の主はどういう人だろう。メールでなく手紙という段階で若い人ではあるまい。
まずは電話をかけた。奥様が出た。奥様曰く手紙の主は耳が遠いらしい。奥様越しの会話になった。「とにかく来て欲しい」手紙の内容を復唱され「急ぎではないが大事な話がしたい」そう言われた。
耳が遠いという事はかなりの高齢だろう。高齢の方が私と会う事を熱望されている。交通費の話は切り出せなかった。近い内に必ず行くと約束し、電話を切った。
その数日後、偶然北海道へ行く用事ができた。仕事であった。納品を伴う出張で車で行かねばならなかった。場所は網走。函館ならば東北も近いけれど網走は遠かった。が、車で移動ゆえ自由は利く。帰りに寄ろうと思った。電話をかけ、必ず寄ると伝えた。
ちなみにこの話は二年前の出来事を書いている。なぜ二年も寝かせたか、それは後の展開で分かるが、怖くて書けなかった。
2013年4月1日、私は熊本を離れた。高速をカッ飛ばし東へ向かった。愛知で一泊。次いで新潟からフェリーに乗って一泊。苫小牧から帯広へ走り、四日目に網走到着。ここで一日仕事をし、終わるや日高へ移動。その翌日には津軽海峡を越える予定だったけれど悪天候で船が出ず函館にて足止め。一日遅れで津軽海峡を越えた。
船上から手紙の主に電話をかけた。奥様曰く、手紙の主は到着を待ち侘びイライラしてるそう。高齢を待たせて悪いが悪天候はしょうがない。その事を伝えると、
「おてんと様には逆らえませんからね」
奥様そう言ってケラケラ笑った。粋な返しであった。
青森港から南へ走った。弘前から山道に入った。指定の場所へは夕方着いた。泊まるところも決めてなかった。行き当たりバッタリ。それがいい。たぶん酒が入るだろう。こういうパターンはよくある事で、初めての客に泊めてもらうのは私の得意技であった。
住所を頼りにゆっくり走った。着流しの老人が道端に立っていた。手紙の主であった。向こうはテレビで見たから私の顔を知っていた。手招きし、車を自宅へ停めさせると開口一番「面白いものを見せる」そう言われた。
初対面ゆえ、まずは挨拶がしたかった。名刺を出してモゴモゴしていると、
「そういうのは後でやる、付いて来い、見せる」
老人、私を打ち捨てて歩き始めた。奥様が電話で仰ったように耳が遠いのだろう。名刺を引っ込め老人に付いて回った。
色んなところを案内された。案内されつつ、ああ、この人は耳が遠いのではなく、娑婆と隔絶してるがゆえに電話じゃ真意が通じない、そういう理屈で奥様越しに話された、その事が分かった。つまり、その方面の凄い人であった。今は隠居らしいが、どうやら裏社会の大物らしい。
イチ民間人のカラクリ屋はむろん激しく緊張した。が、発見を生き甲斐としてるゆえ、色々ホントに面白かった。ここに面白かった全てを書きたいけれど書ける事がなかった。とにかく色々凄かった。
次いで自宅に案内された。今度は人を紹介された。いわゆる裏の重鎮たちで、私から一番縁遠い人たちが腰を屈めて名刺をくださった。
雑談が始まった。雑談ではあるが言葉も内容も荒過ぎて心臓に悪かった。招待されたカラクリ屋は基本沈黙を守った。が、きわどい展開の中、ふと技術屋としての見解を求められた。
私はマジメに返した。が、ピーンと張り詰めた空気が嫌で途中ギャグっぽい回答も交えた。シーンとした。殺されると思った。が、遅れて笑いが出た。大きな人たちは反射で笑わず噛み締めて笑うらしい。
「客人おもしろいのぉ」
「客人」という言葉の圧力に胃が痛くなった。私は色んな意味で逃げ場を失った。酒が呑めるなら早く呑みたかった。が、ノンアルコールの危険な雑談は日没まで続き、日没を待って重鎮たちが帰った。
「重鎮去りゆく時、客も去らねばならぬ」
私も一緒に腰を上げた。風と共に去ろうと思った。が、老人も腰を上げた。私の手を取り、
「客人、次へ行こう」
そう言った。
老人は私を外へ連れ出すと「車を出せ」と言い、助手席に乗り込もうとした。が、やめた。
「この車で九州から来たんか?」
「はい」
老人はしばし考え自宅へ戻り、車のキーを持って来た。
「その車(シビック)じゃダメだ、これをやる、これで帰れ」
黒塗りの巨大なベンツを指差し、その助手席に乗り込んだ。
「おい客人、早く運転せい、行くぞ」
私は無言。本気でいらんと思った。この車を貰ったら間違いなく何らかの事件に巻き込まれる。胸を張って「いらんです」と言いたかった。が、その一言が言えなかった。老人の目が輝いていた。その輝きたるや「俺は今、最大の善行を施している」その確信に満ちていた。
「やると言ったらやる!遠慮なく貰え!」
隣で奥様が笑っていた。奥様にすがるしかなかった。私は全力で助けてビームを放った。奥様は察してくれた。
「ほら、車の話は後にして若者の車で行けばいいじゃない、近いんだから」
老人は私の車に乗ってくれた。助かった。ベンツを貰わずに済んだ。
老人の案内で車を走らせた。行き先は高級旅館であった。
老人がロビーへゆくと従業員が道を譲った。つられて客も道を譲った。人間が割れて道ができた。老人は真っ直ぐ進んだ。モーゼの十戒を東北で見てしまった。
老人は支配人を呼ぶと「客人を泊める」そう言って酒肴の準備を指示した。私は何が何だか分からなかった。老人の後を抜き足差し足コソ泥のていで付き歩き、その旅館の最も良い部屋に通された。部屋から見えるのは枯山水の日本庭園。椅子には肘掛が付いていて卓は檜の一枚板。壷も掛け軸もただならぬ雰囲気があり、それ即ち場違い、痛烈に逃げ出したいと思った。が、手遅れだった。酒肴が早かった。老人の指示だろう。間髪入れずに提供され、私の猪口に透明の液体がなみなみ注がれた。老人は湯飲みに茶を注いだ。体を壊してから一滴も入れてないと言う。更に「もてなす側が呑むわけにはいかねぇ」そう言ったかと思うと手を叩き女中を呼んだ。
「こちら客人に不自由させちゃいけねぇ、よろしく頼んだよ」
(なんだ?どうした?)
急に言葉がべらんめぇ調になってきた。よく見ると老人の目が据わっていた。背筋がピンと伸び、着流しが光り始めた。
「遅くなって申し訳ねぇ」
老人は腰を屈め、ズンと響く大声(たいせい)を発した。何が何だか分からなかった。私は姿勢を正し猪口を置いた。
「一言ご挨拶させてくだせぇ」
まさかまさかの仁義であった。老人は仁義を切った。テレビで見た事あるが、そういう文化が残ってるとは思わず、食い入るように見つめてしまった。老人は氏素性、今に至る経歴などを厚い声音で韻を踏みつつ謳い上げ、最後、深々こうべを垂れ、
「以後よろしゅう、お頼み申し上げます」
そう言って締めた。
清水の次郎長が目の前に現れたと思った。興奮した。返礼の作法もあるだろう。あるに違いない。が、私は知らなかった。分からなかった。土下座のていで大岡越前守に裁かれる罪人の如く、ただひたすらひれ伏した。
これは後で聞いた話だが、仁義を受ける側は凛として受けるのが作法だそう。低頭するなどもっての外で、私の採ったやり方は最低最悪。が、老人はそんな作法知らんでいいと言う。昨今は渡世人も仁義を知らない有様で、知ってる方が笑われるらしい。
「昔々の古いカタチを娑婆に持ち込むアッシが悪い、申し訳ねぇ」
とにかく興奮した。酒を入れて尚一層興奮した。東北の次郎長に色んな口上を聞いてしまった。都度説明も受けた。全力で記憶しようと努めた。が、酒の罪は重かった。翌朝には綺麗サッパリ忘れてしまった。
老人の言う「客人へのもてなし」は本当に凄かった。見た事も聞いた事もない肴が続々来た。酒も辛口で美味かった。最初は緊張し、食べてよいか、呑んでよいかと迷ったけれど、呑んでしまえば一も十も同じ、全力で呑んだ。そうなると老人の話がやたら新鮮で面白く、夢中になって聞いた。
老人は小学校中退で働き始め、最初は職人を目指したらしい。が、ここに書けない色々があって渡世人になり、数々の武勇伝を経て、色んな意味で登り詰め、今は隠居を楽しんでいるらしい。五回ぐらい死にかけたそうで、人間のパーツが色々なくなっていたけれど、どれもこれも因果応報らしく、どの傷にも思い入れがあって傷を付箋に思い出話が弾けるそう。浅田次郎が描く「天切り松闇語り」のようであった。
途中、老人がトイレに行ってる隙を見て嫁に電話をかけた。ここに至るまでの色々を説明すると嫁に興奮が移った。
「今すぐ逃げて!すぐ逃げて!逃げた方がいいって!」
顔も住所も電話も割れているのにどこへ逃げろと言うのだろう。こうなったら全力で客人になり、このおもてなしを芯から楽しむ方がいい。電話をかけた後、嫁は心臓のバクバクが止まらなかったと言う。逆に私は落ちついた。その後の宴を全力で楽しんだ。
宴を終了させたのは奥様だった。奥様がロビーに現れ、人を使って呼びに来た。呼びに来るたび老人は怒った。凄い剣幕で追い返した。
「小僧黙れ!帰れ!」
間に入った旅館の人は災難であった。たぶんロビーでは奥様に叱られるのだろう。何度も来た。何度も来ては老人に追い返され、最後は奥様が来た。
「客人はお疲れです、帰りますよ」
奥様の一声で老人は折れた。この渡世人の見事な点はそういうところで、途中こういう名言を吐いてくれた。
「大事なもんが三つある、一つお天道様、二つ義理人情、三つ目はかみさん、いいか、ここだけはちゃぁんと聞け、この三つは粗末にしちゃならねぇ、これにソッポを向かれちゃ人間終わり、分かったか、分かったな」
老人は奥様に引かれつつ支配人や女中にアレコレ指示をして帰った。
老人をロビーで見送り部屋に戻ると料理が下げられていて布団が敷いてあった。担当の女中が言うに最高の酒を私が求めるだけ出すよう指示を受けてるらしい。更に女が欲しいと言ったなら抱かれてやってくれ、客人が女中を気に入らんならココに電話をかけて手配せよと番号も聞いてるらしい。
「どうなさいます?」
「え?」
ここにきて恐ろしくなった。派手系のちょっと太身の女中が気に入らんわけではなかった。「私を抱きますか?」という人生初の直球に仰天した。
「何なりと仰って下さい」
迫る女中の真剣な顔に酔いが醒めた。追加の日本酒を頼み、女中不在で考えた。
(ここで引いたら男が廃る!これだけの接待を受け、最後だけ逃げる仕様があるものか!いや、しかし、これを超えたらボクはどこへゆくのだろう?)
「よし!君を抱いてこの接待を締めよう!」
「だめ!この日本酒で終了!僕は風呂へゆく!お姉さんはおうちへお帰り」
色んなパターンを想定し、その後の色々を考え、女中の到着を待った。
もし女中がタイプだったらヤバかった。時代劇のお色気シーンに出てくるような薄いピンクのヒラヒラだったら危なかった。燭台が見えて蝋燭の灯りが殿様っぽい高枕をゆらゆらしてたら絶望的だった。兎にも角にも血の涙を流しつつ、その後の色々を断った。
枯山水の見える大浴場は貸切であった。酔った体に湯を浴びせ「あー!」と叫んだ。この選択は正しかったのか。正しかったに違いない。が、男として、何か大事なものを掴み損なった気がしてならない。
老人は夜の顛末を女中に聞くだろう。聞いて笑うに違いない。
「ああ、その程度の男かよ」
はい、確かにその程度の男だけれど、無理すれば、背伸びすれば、何か違った景色が見えたのではないか。
「あー!」
追加の日本酒をガブ呑みし、枕を抱いて寝た。

翌朝五時に起きた。老人には暗いうちに発つと言ってあった。が、少々遅れた。夜明けと共に部屋を出た。するとロビーに人影があった。なんと老人が待ち構えていた。隣には奥様もいた。
「なぜ?」
思わず声が出てしまった。素直な気持ちが反射で飛び出してしまった。
「なぜ…?客人を見送るのは当然の事よ」
旅館の人が言うに朝の四時から暗いロビーで待っていたらしい。旅館の人はそれを告げた事で酷く老人から叱られた。私は猛烈に恐縮した。内線を鳴らしてくれたら飛び起きたのに、いや、見送ってくれなくてもいいのに、その事をやんわり言った。むろん叱られた。
「客人!」
老人は真っ直ぐを私を見た。
「もてなすっちゃそういう事だろう」
大勢の人に見送られ私は愛車のシビックに乗った。
「土産があるから持ってって下さい」
奥様そう言って中身の分からぬ紙袋を積んでくれた。
老人は「車が違う」そう言って、私をシビックから降ろそうとした。昨日の続きでベンツが隣に並んでいた。
「すいません、ベンツはホントにいりません」
長い時間一緒にいたので、それだけは言えるようになった。
「遠慮はつまらん」
老人、吐き捨てる様にそう言って荷物を乗せ換えようとしたけれど、奥様は娑婆の本音に敏感らしく、
「さあ、行った行った」
追い立ててくれた。
途中、山形辺りで休憩の際、土産の袋を覗いてみた。お宅で拝見したヤバい物が入ってないか心配だったけれどリンゴジュースが入っていた。併せて小さな袋も入っていた。足代と書かれていた。中を覗くと現金数万円が入っていて、他にもヤバい話の色んな資料が添付されていた。
熊本に帰った後、私はその後の対応を本気で悩んだ。たくさんの宿題があった。これだけのおもてなしを受けて回答なしはありえず、かと言ってヤバい話に首を突っ込みたくはなかった。
私は全ての宿題に全力の回答をした。ただしモノで返さず文書と図面(漫画)で返した。文量に換算すると原稿用紙三十枚ぐらい書いた。軽く流してないぞ、全力で回答するぞ、その雰囲気を醸し出し、その上で「また呑みたい」「次は熊本で呑みましょう」と締めた。
手紙は本心だった。ヤバい系は置くとして、私はこの渡世人に魅せられた。もし熊本に来て頂けるなら、あれほどのおもてなしは出来ないまでも全力を尽くしたいと思った。この手紙を書いた以上、間違いなく老人は来るだろう、来て貰えたら中途半端はいけない、私の全力は老人に通じると信じたい、信じようと思った。
少々怯えつつ何度か手紙を交換した。老人は来なかった。気付けば音信不通になった。
あれから丸二年、ふと老人の事を思い出した。手紙を書こうと思った。便箋を前に一時間ぐらいぼんやりした。驚くべき事に書きたい事が浮かばず「客人」という単語だけが波のように押し寄せてきた。
「客人」
面と向かってそう呼ばれたのは一度だけ。遠いその地で呼んでもらったその瞬間、非日常が燃えた。扱いに困ったその熱もすぐに冷め、いい思い出になった。その思い出もたった二年で消え果てて思い出さねば塵芥、風に飛ばされ拾えなかった。
「客人!」
腹の底から搾り出す老人の声が遠い。
忘れるという機能は偉大だけれど、偉大ゆえにもの悲しい。