第107話 下半身ポスト(2015年4月) 9KB

モノ

工場勤めを辞める時、モノ作り屋はやめようと思った。当時、ものを書く面々に囲まれていて書く仕事に憧れた。次は出張多めの営業マンに憧れた。その次は一本気の旋盤職人に憧れた。経営者にもフーテンの寅さんにも憧れた。公務員だけ憧れなかった。結局色々やってモノ作り屋に戻ってきた。
どうも私は飽きっぽいらしい。隣の花は赤い現象で、楽しそうな人を見付けると隣に隣に脱線し、グルグルグルグル回り続けるらしい。
一つの事を一生やり続ける職人に憧れ、和風総本家を見ては大泣きし、真似したりしてたけど「僕にはなれぬ」と昨日諦めた。
昨日は倉庫の片付けをする日であった。倉庫に空きスペースがなかった。半日ぐらいかけて空きスペースを設け、そこに作りかけの色々を収納する予定であった。が、一歩目でつまずいた。いずれ使うだろうと保管していたマネキンの下半身を発見した。もう五年ぐらい放置されてて邪魔の極みであった。
「捨てていいでしょ」
嫁の言葉に異論はなかった。さすがにもう使わんだろうと思った。ゴミとして捨てた。が、後ろ髪を引かれ何度も舞い戻った。チラ見してしまった。誰か使ってくれる人がいるんじゃないか。自立しさえすればマネキン本来の役目も果たせるし、これに看板を付ければ人目を引く下半身ボードになるだろう。
「そうだ、お店を持ってる人にプレゼントしよう」
倉庫の片付けは脱線した。
下半身を拾い上げ、転がっていた鉄板に固定した。
マネキンの自立が危うかった。これをやるまで知らなかったが、足の裏に穴が開いてて、そこに棒を突っ込む構造らしい。これじゃ不安定で、看板としては弱過ぎる。腰を支持する補強を加え、色んな事に使えるよう上面をフラットにした。

「これなら貰ってくれるだろう!」
フェイスブックに写真を掲載し「近い人にタダで差し上げます」とメッセージを送った。
返事が来た。
「ごめんなさい、嫁が猛烈に拒否してます」
「即答します、いりません」
「これはゴミですか?」
悔しかった。確かに五年も放置され、四捨五入すればゴミだけど、ズボンを履かせて看板付けたらそれっぽくなるに違いない。
「それが分からんのかー!頼む!頼むから貰ってくれー!」
嫁の知らぬ間にソッと誰かにプレゼントする予定であった。が、こうなっちゃ、ゴミと言われちゃ後に引けない。ビジュアル的にゴミから離れるにはズボンを履かせる必要があった。嫁に事情を説明し、OL時代のズボンを貰った。
嫁は最初、怒り心頭だった。切れ気味にマネキンと接し始めたけれど、やってるうちに、だんだん楽しくなってきた。
「このズボンは看板に合わないよね、これじゃ貰ってくれる人いないなー」
色んなズボンを合わせちゃ引っ込め、最終的に最も地味な灰色をチョイスした。メインは看板。看板を引き立てる下半身が目立っちゃいけない。ナイスチョイスであった。
靴も嫁が合わせた。が、嫁はハデハデの靴しか持っていなかった。合うものがなかった。靴を諦め、靴下を履かせて誤魔化そうという事になった。
「それを履かせりゃいいじゃん」
関東出身の嫁が冷たく私を指差した。私は履いてた靴下を脱ぎ、嫁に手渡した。
「げっ!ぬるっ!気持ちわるっ!」
靴下は投げ返された。私は脱ぎたてのそれを自らの手でマネキンに装着させた。確かにぬるかった。

これにて下半身っぽくなった。
「これなら誰か貰うでしょ?」
自信満々嫁に問うた。
「誰も貰わんと思う」
却下された。ズボンチョイスに燃えた嫁も一仕事やり終え、後悔が始まったらしい。後ろ向きな事しか言わなくなった。
「私のOL時代とアンタの脱ぎ立て靴下よ、誰が喜ぶの?」
写真にモザイク入れたのに愚痴ってる感じが滲み出た。終始そういう感じであった。
保険のためにイメージ写真も撮った。知り合いの自営業が使ってくれる場面を想定し、ホワイトボードに屋号を書き「看板にしたらこういう感じになりますよ」という写真を撮った。

ああ親切。親切この上ない。これだけやれば、きっと誰かが貰ってくれるだろう。貰ってくれるに違いない。が、それでも恐ろしかった。知り合いが全滅した時のために通りから見える場所に置いた。通行人で欲しいという人がいるかもしれなかった。

すると、また嫁が愚痴った。
「子供たちがいじめられるって、見えるところに置くのはやめよう」
仕方なく前線から下げた。
話し合いの結果、「誰も貰わなかったら知り合いのお店に黙って置きに行こう」そういう風になった。
脱線は楽しい。結末の見えない行動は何と楽しいのだろう。嫁も楽しかったに違いない。ああ楽しかった。
そういえば倉庫の片付けが手付かずだった。これまでを軽く振り返るに、一度脱線すると元の軌道に戻るまで永い時間を要した。倉庫の片付けがそれじゃいけないと思った。作業場のモノを倉庫へ移さないと次の仕事に支障が出る。
「危ない危ない、またそうなるところだった」
が、ふと発見してしまった。
「ポストだ」
ジッと見て、立ち姿を想像した。
「ポストだ!そう!ポストはいい!」
下半身にポストを乗っけたらどうだろう。ファンレターを受けるのに最高のポストにならないか。下心が丸見えだけど、丸見えゆえに潔く、世界一凛としたポストにならないか。
嫁の様子を窺った。嫁は家事に夢中らしく台所にいた。
嫁に見付からぬようポストを外した。作業場へ運び固定用の穴を開けた。取り付け用のブラケットも作った。
家庭訪問期間中で集落に子供が多かった。子供はアソカラを覗く。素通りしない。必ず邪魔してゆく。
「おっちゃん、なんしよると?なん作りよると?なんそれ?」
寄ってくる子供を「静かにせい」と叱り付け、
「おばちゃんに言うなよ!こっそりポストを入れ替えて、草葉の陰からみんなでおばちゃんを観察しよう!」
「うん、分かった!楽しみ!」
大人と子供が入り混じり、田舎の夕暮れが盛り上がった。
倉庫の片付けからマネキン自立に始まった脱線は、装飾、募集、発見の過程を経て、最後「下半身ポスト」になった。

八年以上使い続けた樹脂ポストが下半身を得た。凛とした。我ながらよく出来たと思った。ゴミっぽさが微塵もなかった。
「よし!運ぼう!」
子供らが家の中を覗いた。嫁は台所にいるらしい。
「今だ!おっちゃん!」
子供たちの声援を受け下半身ポストを運んだ。元ポストがあった場所に運んだ。「郵便屋が来た」と誰かが叫べば嫁はポストに寄るだろう。ビックリする嫁を見て、みんなで笑おう。笑って終了にしたかった。が、見付かった。運んでる最中、嫁が不意に外を見た。
「なにそれー!」
見付けた嫁が飛んで来た。
「え?これはポストです、何か?」
「聞いてないよー!」
「思い付きゆえ」
私は無言で設置した。集落の子供は笑って逃げた。
「もーやだー!恥ずかしー!やめてよバカー!」
作ったモノを使わないのは悲しい。嫁の叫びを聞き流し、同じ場所に同じ高さで設置した。ポストの場所を変えると郵便配達や新聞配達が困ると思った。

「配達する人もきっと楽しんでくれるって」
「怖いに決まってるでしょ!」
嫁が突っ込むのは新聞配達の事で朝四時に来る。闇夜で何も見えぬ中、急にこれを見たら腰を抜かすかもしれない。確かに仰る通り。念のため新聞屋に電話した。新聞屋は喜んでくれた。
「おもしろいねぇ!確かに聞いた!ありがとう!」
新聞屋は配達員に伝えたのだろうか。たぶん伝えてないと思う。
午前四時、壁越しに聞き耳を立てていると新聞配達が来た。いつものように近付いて、いつものようにガタガタッとポストがなった。と、同時に、
「ぬぉぁっ!」
配達員の奇声が飛んだ。
隣の嫁は起きなかった。グースカピーで夢の中。私は眠れなくなった。笑いが止まらず目が冴えた。
「おい起きろ!起きろって!新聞配達がヒー!仰け反ってヒー!驚いてヒー!ヘンな声出したって!おい起きろ!起きろって!」
嫁は起きた。起きた瞬間、鬼の形相で叫んだ。
「黙れ!」
結局、倉庫の片付けは進まなかった。仕事の納期は頑としてそこにあるのにやるべき事がやれなかった。
脱線はいかん。いかんけれども楽しくて、もはや血肉。それ即ち生きる醍醐味であった。